古の姫巫女
「ねえねえ、あなたはなにをしているの?」
周りを深い山々に囲まれた静かな村。村といっても、その大半は田んぼで、田んぼの中にぽつぽつと家が建っているような村だ。
そんな村では、さんさんと輝く夏の太陽の下に蝉の鳴き声が響き、蜻蛉が稲の上を舞うかのように飛んでいる。太陽は容赦無く陽光を振り撒き、外に出た途端、たちどころに汗が噴き出してきたほどだ。
それから友達と鬼ごっこにかくれんぼ、缶蹴りで遊びに遊び、疲れ果てて一人で村の神社の境内で休んでいると、知らない少女に声をかけられた。
建っている家など両手足の指の数ほどしかない狭い村だ。村の人間で知らない奴なんて居ないのに、目の前でこちらを覗き込むように見つめてくる少女は、見たことがなかった。
「……ね~え〜!ね・えってば!!」
「ご、ごめん! ……というか、お前誰?見たこと無いんだけど…」
「え、わたし?わたしはね…………だれだっけ?」
「誰ってお前……僕に聞き返すなよ。 名前、わかんないのか?」
よく見ると少女は、村でもお婆ちゃん達しか着ない着物を着ていた。それだけでも珍しいのに、顔が、その、すごく可愛いのだ。
すっ、と透き通るように白い肌。ぱっちりとした、少し茶色がかった瞳。肩口で切り揃えられた黒く墨を思わせる髪はとても綺麗で、それでいて境内を疾った風でサラサラと舞い涼しげな感じを出していた。
「う~ん……わかんないや!」
「わかんないって……お前なぁ。大丈夫なのか?」
「だいじょうぶ!だって、このむらのことだったら、わたししってるよ!」
知っている…ということは、。なら暑さで頭が混乱してるだけかな?ま、百歩譲ってそうだったとしても、一人や二人ぐらいは知ってる奴がいるはず…なんだけどなぁ。今一信用できない。
(ま、暇つぶしにはなるかな)
意外と涼しかった境内の木陰から立ち上がると、きょとんとしている女の子に向かって手を突き出す。
「ほら、この村知ってるなら友達の一人や二人、居るだろ?探すの手伝ってやっから、来いよ」
「え!いいの!?ありがとう!」
きょとんとした顔から一転、花が咲くような笑顔を見せて女の子は差し出した手を握るのだった。
「…啓太も裕也も知らないのか?」
「ああ、知らないぜ。みっちゃんトコは?」
「もう行った。お前らで最後だった」
簡単に見つかると思っていたのが間違いだった。最初は村にいる同年代に聞いてみたけど、半分くらい回ったところで知ってる奴が居なかったから、畑のじいちゃんばあちゃんにまで手当たり次第に聞いたのに、結局誰一人として知らなかった。
(一体どうなってんだ?まさかコイツ村の奴じゃないのか?…でも、俺ですら知らなかった村の昔話とか知ってたし)
隣で呑気に鼻唄を歌っている女の子に目を向ける。先ほどまでじいちゃんばあちゃん達と昔話を話していたとは思えないほどの能天気さだ。
本人は突然向けられた視線に、小首を傾げる……その仕草に思わず可愛いじゃんかと思ってしまう。
はっとして友達二人を見れば、二人とも顔を赤くしてる。見られてはいないようだ。
「な、なあ。ひとまずお前ん家で預かったらどうだ?警察署は隣町で遠すぎるし、お前ん家のお袋さんなら安心だ!それにこれだけ騒いだんだから、話を聞きつけた知り合いが訪ねてくるかもしれないぜ?」
「そうそう!一応村中回ったんだろ?ならそれが一番さ。俺達も帰り道で村のみんなに言っとくからさ!」
「む、無茶言うなよ!?俺ん家暫く親いないの知ってるだろ!」
「え、お泊まりできるの!?」
ギリギリ、と油の回らなくなった機械みたいな音が聞こえそうな動きで後ろを向くと、すっっっっっごく楽しみ!と満面の笑みと期待に瞳を輝かせた女の子が。しまった、いつの間にか外堀まで埋められてしまっていた。
憎々しげに二人を見れば、諦めろ、との期待の眼差し。結局、三対のキラキラと輝いた瞳に堪えられず、折れて泊めることになってしまった。
「うわ〜!畳だぁ〜!いいにおーい!!」
「こら、あんまり暴れるなよ!ホコリが舞う…ゲホッ!」
夜。日もすっかり暮れ、鈴虫がリンリン、と鳴いている中、夕飯も作り置きを温めて済まし、風呂も終わって寝るだけ…だというのに、若干一名はまだまだ遊び足りないようだ。今も、何が珍しいのか畳の上をごろごろと転がりまわっている。
「あははっ!ごめんなさ〜い!」
「ったく、早く寝ろよ!明日起きれなくな………!?」
その時、何とも言えない怖気が背筋に走った。風も吹いていない筈なのに窓がガタガタと揺れ、庭の木々はざわざわと不気味な音を発し始めたのだ。
あまりに非現実的な事態に、俺はおろおろするしか出来ないのに、女の子は違った。
今まで楽しそうにはしゃいでいた雰囲気は霧散し、今は冷たい殺気のようなものを放っていた。
「……ごめんね、‘あの子’のせいで巻き込んじゃったみたい。でも安心して、私が守るから」
いきなり、さっきまでの舌足らずな喋り方とは違う、凛とした声で喋りはじめた女の子をぼんやりと見ることしかできなかった。
「っ!ま、待てよ!巻き込んだって何だ!?それにあの子って一体…」
「……来る!伏せて!!」
俺の台詞は、まるで人が変わったような女の子に遮られ、しかも突然の大声に反射的に従いしゃがみ込んでしまった。
その瞬間、ちょっと前まで頭があった辺りを‘何か’が高速で横切って行った。そしてその‘何か’は背後にあったタンスに突き刺さりブルブルと震えている。あれは…。
「弓矢!?何でそんなものが…!」
「相変わらずのご挨拶だこと。そんなだと嫌われますよ?」
「ウァァァァァ………。オォゥゥゥゥゥ〜…………」
「……と言っても、怨霊には通じない、か」
初めは、‘ソレ’が何なのかよく見えなくてわからなかった。しかし段々と目が闇夜に慣れていくにつれ輪郭がおぼろげながらも見えるようになってくると、思わず悲鳴を上げてしまった。
「ヒッ……ッ!」
そのおぞましい姿を直視してしまったせいで、完全に腰が抜けて座り込んでしまった。最悪なのは、暗闇で物を見ようと目を凝らしたせいで、細部まで見る羽目になったことだ。
所々肉が腐り落ち、骨が露出している体。その体を包むボロボロの鎧に刃こぼれが酷い刀を構えた…鎧武者の骸。その吐き気を促すような姿を見ても吐かなかったのは、恐怖で体が動かなかったからだ。
「…ごめんなさい、でも安心して。この程度の雑魚、数が増えない限り力を使わなく…て…」
今度はアイツまで固まってしまった。どうした、と声をかけようとして、その原因が現れた。
次々と、庭の地面から腕が生え、頭が飛び出て……鎧武者達が這い出てきたからだ。どれも腐敗具合が酷く、武器を持っていない個体がいるとはいえ、恐怖を煽るには十分だった。
「くっ…!まさか昔の亡霊を…!」
女の子は悔しそうにそう呟くと、いきなりこちらを振り向いた。
「……あなた、名前は?」
「ぁ……ぅ……っ!」
その時、頬に衝撃が走り、一拍おいてジンジンと熱い痛みが顔全体に拡がっていく。
「しっかりして!!このままだとあなたも死んじゃうの!お願いだから名前を言って!!」
女の子に叩かれたのだ、と気づき、場違いだけど一瞬カッとなったが冷静になれた。今のビンタで恐怖が吹き飛んだのか、
「…か、巫桐人(かんなぎ きりと)。巫桐人だ!!」
何とか、言うことを聞かない体を叱咤して、名前を言うことができた。が、次にアイツが取った行動に度肝を抜かれてしまった。
「きりと…ね。わかった。
我、姫巫女の名に於いて、この者と契約せん。この者に我が力と命を預け、永遠の契りを結ばん!!
………えい!」
そんな可愛らしい掛け声と共に、女の子は俺の唇に……キスしやがった。
始めは、柔らかいやら暖かい感触が頭を埋めつくしオーバーロードを起こしていたが、アイツが唇を離した事で頭が正常稼働し始めた。
「な、ななななにを…!?」
「…ごめんなさい、でもすぐに終わらせるから」
「お、おい!?そっち行ったら危ないぞ!!戻って…」
来い、という言葉は途中で消えた。何故なら、女の子が何処からともなく取り出した刀を握り、一振りしただけで侍ゾンビが青白い炎を上げて燃え上がったからだ。
蒼白い炎は一瞬で全てのゾンビに燃え広がり、最初の一体を残して灰すら残さず燃え尽きた。
そして最後の一体は諦めたようで、刀を鞘に納めると、その姿を闇夜に溶かすように庭から消えていった。
「な、なんだったんだ…今の?」
やっと恐怖から解放され、ゆっくりと立ち上がる。その途端、一気に力が抜けて倒れてしまった。
「桐人!?」
女の子が駆け寄ってくる気配と共に、俺の意識は闇に呑まれるのだった。
「おきた、桐人?」
「………」
目が覚めたら、アイツの顔が目と鼻の先にあった。しかも後頭部が暖かくて柔らかい女の子特有の感触といい匂いがする。
「うわっ!?近い近い!!離れろ…てか何で膝枕してんだ!?」
「んー?なにってひざまくらだよ。うなされてたみたいだったし…めいわく、だった?」
小首を傾げ、瞳に涙をためて問う女の子に言葉が詰まる。泣き顔も可愛い、と思ったのは内緒だ。
「い、いや!?寝てたから覚えてないし、迷惑とかじゃなくって、ただ驚いただけだから!!」
慌てて弁解をすると、女の子は安心したみたいに顔を綻ばせた。
「よかったぁ〜」
「そ、それよりさ、さっきのは何だったんだ?あの侍ゾンビといい蒼白い炎といい刀といい……」
そこまで言って、俺と目の前の女の子がキスした事を思い出して顔が熱くなる。見た目が美少女なだけ、嬉しいんだけどあの状況だと複雑な気分だ。
「…そうね。まずはそれから説明するわね」
そう言って、がらりと雰囲気が変わった女の子から説明が始まった。
まず、あの侍ゾンビは性質の悪い悪霊の一種で、討伐しないといけないもの。そして、庭から這い出てきた奴等は、昔この場所で死んだ武士達の怨念で、侍ゾンビの妖気に触発されて形を持ったもので、生きている者を襲うそうだ。…で、俺が一番知りたかったコイツの正体は…
「妖怪や悪霊を祓う、姫巫女?」
「うん。うーんと昔に人柱にされて、そのままこの土地に縛られた、ね。一応神格化してるけど、霊体化と術が使える以外は人とおんなじ。刀で斬られれば死ぬし、お腹だってたまに減る。あの時契約したのだって、足りない霊力を分けてもらうためだったの」
「……中途半端な神様だな。てか俺が倒れたのはそれが原因か…。あ、そういえばお前、名前は無いのか?」
「……今はないの。昔の名前は捨てちゃったから、桐人が付けて♪」
「お、俺!?自分で付ければいいだろ!?」
俺の言葉に、コイツはどこかはずかし気に顔を赤くすると、ボソボソと言った。
「だって…………だから」
「え?何?」
「だ、だから!私達は番だからだよ!」
「番…?」
「そう。つまりは夫婦ってこと!!」
コイツは無い胸を威勢良く張ってそう宣いやがった。俺の思考はまたしてもフリーズ。何とか動く部分で記憶を掘り下げていくと、見つけた。キスする時に言っていた言葉だ!
「おま、まさか…あの時の…?」
「うん!力を引き出すには番が不可欠だったの。‘あの子’だって桐人なら良いって言ってるしね。そ・れ・よ・り!私と‘あの子’の名前、早く決めて!!」
「お、おう…」
押しきられる形で迫られ、ついオーケーしてしまった。しかし、考えても上手く名前が思い付かない。
二、三度考えては消すを繰り返し、コイツの格好を良く見る。
綺麗な黒髪に紅葉が描かれた着物。あんなことがあったのに皺一つついていない着物を見て、女の子は人外なんだなとおもった。……紅葉?これだ!!
「決めた!お前の名前は紅葉!紅い葉っぱと書いて紅葉だ!」
「紅葉…それが、私の名前…」
紅葉は嬉しそうに何度も名前を繰り返していた。そして顔をあげると、涙を流しながらも笑っていた。
「ありがとう!それじゃあ、これからもよろしくね、桐人!!」
「…ああ。番なんかになっちまった以上、仕方無いか。よろしくな、紅葉!」
こうして、俺と紅葉の不思議な生活が始まった。