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第二話 雪の中にて

 翌朝――。

 一面の雪景色。新雪に覆われた地平に太陽の光が降り注ぎ、辺りはきらきらと輝いていた。

 昨夜の平馬の強張った表情に不安を覚えた柚羽(ゆう)。心のざわつきを抱えながら、その足は平馬の元へと向かっていた。

 しばらくすると、白い地平を城下の外、北東へと動く黒い影が柚羽の目に留まった。

「……平馬様……?」

 柚羽はその歩き姿に見覚えがあった。柚羽は、ゆっくりと新しくできた雪上の足跡を追った。

 平馬は、長原村の陋屋(ろうおく)の前で足を止めた。しばし、周囲に目をやった後にその場に立ちつくすと、屋敷の中から低く声が響いた。

「ここへは近づくなと申し付けたであろう。帰れ」

「武術の不肖の弟子が師に教えを請いに参りました」

 しばしの沈黙の後、再び低い声が響く。

「風邪をひかれてはかなわん。入られよ」

 平馬は屋敷の中へ歩を進めた。

 屋敷の中では男が背を丸めて火鉢に向かって暖を取っていた。

「こんな早くから申し訳ございません」

 平馬は、腰を下ろすと男の背に向かった頭を下げた。

「構わんよ。蟄居(ちっきょ)の身でやることもないのでな……」

 男は振り返ると言葉を続けた。

「近頃では誰も近寄ろうとはせぬのでな」

 男の名は西郷頼母――。会津藩家老として藩主・松平容保に仕えていたが、幕府から要請された京都守護職就任を強硬に反対したことで容保の怒りを買い、家老職の解任と蟄居を命じられて、この地で一人謹慎生活を送っていた。

 久しぶりの人の来訪であったのだろう。頼母の表情は、言葉とは裏腹にどことなく嬉し気に映った。その師匠に、平馬は昨夜の神谷からの話を伝えた。

「……こんな早朝のお出ましの訳はそれか……」

 静寂の中、火鉢に置かれた五徳の上の鉄瓶の蓋が小刻みに動く音が小さく響く。

「神谷殿は、(それがし)がお役目を解かれた後に藩政に加わり、我が藩の情報収集を一手に引き受けておったな。百姓を使って近隣諸藩の動向を探っているとも聞く……」

「それゆえ間違いない話とは存じます」

「そうであろう。某の耳にもそのような話が届いている」

 頼母の言葉が終わると平馬は顔を伏せた。これに頼母は厳しい視線を投げ続けていた。平馬はこれに気づくことなく。

「何を迷っている?」

 頼母は質した。

「主命を守るのは会津武士の忠。ただ、今回のお役目は危険を伴います。万が一にも母一人残すことなっては、孝にもとります。それに……」

「それに?」

 平馬は、しばらく間をおいて、ゆっくりと口を開いた。

「柚羽とのことを認めていただくことを条件に引き受けたとのそしりを受けることもあろうかと……」

 恥じ入るように顔を伏せる平馬。頼母は、無言のまま鉄瓶から湯杓を持ち上げ、二つの湯のみにお湯を注ぎ始めた。

「しばらく会わぬ間にお主も腑抜けになり下がったな」

 淹れ終わり湯杓を鉄瓶に戻しながら、頼母は言葉を発した。

「神谷殿の申されることが本当であれば、会津もこのままでは済まないであろう。そうなればお主の母や想い人とて。迷うことはないはずだ……。お主に武術を伝えたのは、間違いであったか?」

 頼母の言葉に顔を上げる平馬。これを頼母の厳しい視線が刺す。しばらくの沈黙が周囲を包む。火鉢の炭がはぜる音を合図に、頼母の表情は穏やかさを取り戻し、ゆっくりと口を開いた。

「お主を見込んで術を伝えた。まずはお国のために進め。万一の時は、某に任せよ」

 頼母の言葉を聞いた平馬の脳裏に浮かぶ苦い記憶――。

 ――同じ平馬でも梶原殿とは雲泥の差だ!――

 若き会津藩家老――かつての友・梶原平馬。平馬と梶原は同い年。共に藩校・日新館で学問と武芸に励んだ中だった。かつては将来の会津を背負う双璧として『両平馬』と称された二人だったが、平馬の父の死を境に二人の道は大きく(たが)った。方や家老として会津藩外交の最前線に、片やその日の食事にも窮する貧乏暮らし……。

 再び頭を上げた平馬の表情からは、迷いの影が消えていた。

 立ち上がり、一礼して頼母の前から去る平馬。この時平馬は気づいていなかった。自分の背中に向けられた、何かを見定めるような頼母の視線に。

 頼母との面談を終え、屋敷の敷地の外に足を踏み出した平馬の前を人影が遮った。

「柚羽……」

 平馬が作った足跡の上に立ち尽くす柚羽。周囲の荒らされていない雪の平原が、その姿を際立たせていた。周囲に目をやりながら柚羽の元に歩き出す平馬。辺りは、真っ白な世界だけが広がっていた。

「申し訳ございません。お姿をお見掛けして、後をつけてしまいました」

 心配そうな柚羽の面持ちを見て、平馬は自らが犯した過ちに気づいた。昨夜から柚羽に不安を与えてしまっていたことを……。

「こちらこそ済まなかった。柚羽には、真っ先に話しておくべきだったな」

 穏やかな平馬の表情が、柚羽の笑顔を誘った。

「……そのようなことがあったのですね」

 柚羽は平然と平馬の言葉を聞いた。

「でも、ご心配なさらないでください。父は、平馬様との仲をとうにお認めです。本人を前にして、さぞ気恥ずかしかったのでございましょう」

 はにかみながら笑顔を見せる柚羽に、平馬の顔も自然と明るさを取り戻した。頼母の屋敷を背にして城下への道を進む二人。前を歩く平馬の背中に、ふと柚羽が声を掛けた。

「いくら武術のお師匠様とはいえ、あまり頼母様はお近づきになりませぬように」

 足を止め振り返る平馬。

「頼母様は、お殿様を批判して謹慎されております。今は会津が一つにならなければならない時と父も申しておりました。そのような方と緊密になされますと周囲の眼もございます。それに、最近は怪しげな者が出入りしているとのお話です」

 柚羽が言い終えたその時だった。柚羽が勢いよく平馬の胸の中に飛び込んできた。その刹那、これまでまったく感じなかった殺気に似た気配を平馬は確かに感じた。その緊張が平馬の胸にあった柚羽にも伝わる。恐る恐る顔を上げる柚羽。目線の先の平馬の表情は、わずかに強張っているように見えた。

「失敬……」

 柚羽の背後の人影から響く男の声。男の顔は深くかぶった編み笠で見えなかった。そのせいであろう。前方の視界が遮られ、柚羽にぶつかってしまった。平馬はそう理解した。

「気を付けられよ」

 語気を強める平馬に深々と頭を下げ、二人の脇を通り過ぎる男。男の背中を見ながら、平馬は違和感を覚えた。頼母の屋敷周辺とそこから城下へ続く道の足跡。そこには平馬と柚羽が作ったものしかなかったはず。

(あの男はどこから……?)

 そして、通り過ぎる際、男の右手の親指は手のひら側に折られていた。

「平馬様?」

「なんでもない。家まで送ろう」

 平馬と柚羽は、ゆっくりと歩き出した。

 この日の午後、改めて神谷邸を訪れた平馬の姿は、会津城下から消えた……。


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