第四話『略奪するということ』
俺が初めて自分の異常性に気づいたのは、親父とキャッチボールをしている時だった。
俺と親父は広い原っぱを目いっぱい使い、野球ボールを投げ合っていた。まだ小学三年生の俺に大人と同等の球速や飛距離は出せなかったが、親父は俺に合わせて軽く投げ、正しいピッチングフォームについて解説してくれた。どう投げればもっと遠くにボールを飛ばせるか、より速い球を投げられるか、体に負担がかからないか。
ボールを投げる度にくたびれた野球帽が地面に落ち、草や砂にまみれても手で払い、深く被りなおす。転がる野球ボールを握りしめ、何度だって投げ返す。
幼かった頃の俺にとってたまらなく楽しい一時であり、もっともっと楽しい時間を過ごしたいという欲が出てきた。親父と互角か、それ以上の技術があればキャッチボールはより楽しさを増す――。
おそらくはそれが引き金。指をかけてはいけない、魔弾が込められた銃のトリガー。
気がつけば俺は、親父を超えるスピードでボールを投げていた。フォームは素人同然だが、とても小学生には投げられない『球』を軽々と、何の苦労もなく投げられるようになっていたのだ。それからも親父とのキャッチボールは続いたが、親父は俺の変化に驚く様子を見せず「将来は名のある投手になるぞ」と言って頭を撫で、おふくろもそんな俺達を見てにこにこと笑っていた。
ただ一人、俺だけは驚愕していた。気づいてしまった。
足を上げ、重心移動を行い、腕を振る。ボールを投げるまでの手順を全てすっ飛ばして、俺のボールは独りでに飛んでいく。投げる前に肩を下げるべきか否か、指先はどうか、肩甲骨、目線、重心、どこに意識を向けるか――そういう創意工夫の何もかもを捨て去り、ただボールを握って投げたい方向と球速を思い描くだけで、ボールが勝手に動き出すのだ。
両足でボールを挟みこんだり、口でくわえたりしても特別な変化は見られない。だが右手か左手のどちらかで対象を掴み、対象が飛んでいく光景を頭の中で想像し、手を放す。するとその対象はイメージ通りの角度と速さで道を塞ぐ全てを薙ぎ払い、吹き飛ぶ。
対象に制限はない。野球ボール、ビー玉、机、人間。試したことはないが、ひょっとすると学校の校舎だって投げられるかも。
この特異能力を何と呼ぶのかは知らない。漫画やアニメに登場する『超能力者』みたいな存在は、今のところ俺一人しか知らない。《魔弾遊び》という思春期真っ盛りの能力名をつけてみたところで、それを名乗る機会はきっとやってこないのだろう。
――そう、思っていた。
「二年一組出席番号十五番、久佐加 三藤君だね」
私立都原高等学校野球部は校庭の約半分を練習場として使用する許可を得ているため、放課後は部員の怒声とも思える気合いの入った掛け声が絶えない。俺は主将として他の部員よりも早く練習場に着き、着替えを済ませ、ストレッチをこなさなければならない。二年生でありながら現役の三年生を退け、主将の座にあるのは俺の実力――という名の超能力のおかげであるが、だからといって天狗になるわけにはいかない。三年生に納得してもらえるように、同学年のメンバーや後輩の手本となる選手であらねばならないのだ。
しかし今日の俺は気が緩んでいたらしく、あろうことかユニフォームを教室に置き忘れてしまった。他の部員にはいつも通りの練習メニューをこなすようにと指示を出し、「たまにはこんな失敗もするさ」と自分に言い聞かせながら部室を後にした。
夕焼けで鮮やかな黄金色に染まった廊下を全速力で走り抜け、数分と経たず教室に辿りついた俺は、『彼女』に出会った。
「初めまして、ぼくは――」
「悪いが名乗ってもらう必要はないぜ、副生徒会長さん」
黒いぼんやりとした人影は、教卓に腰掛けたまま肩を竦める。その姿は逆光ではっきりとは視認できず、真っ黒なシルエットが赤い光を背中に受ける様は焼け焦げた死体を連想させる。それでも相手が副生徒会長であると断定できたのは、女声に似合わず一人称が『ぼく』であるためだ。そんな生徒、都原高校には一人しかいない。
「名前を伝えるってとても大事な行為だと思うんだよね。コミュニケーションの皮切り、人と人とが繋がる第一歩だ」
「俺は急いでいるんだ、用件があるなら手短に頼む」
「用件?用件ねえ」
そうそう、そうだった、と思い出したように手を叩く彼女に苛立ちを覚えつつも、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「ぼくは君に用事があって、更には君がこの教室に戻ってくると分かっていたから、露払いを済ませて待ち構えていたんだ」
露払い、という言葉の意味を考えながら、ふと教室をぐるりと眺め、そして異変に気づく。
放課後は自学に勤しむ生徒や雑談に興じる生徒が残っていてもおかしくないはずなのに、今日に限ってこの教室には俺達以外の人間が見当たらなかったのだ。状況が呑み込めず困惑する俺と、全身を染め上げる漆黒の影よりどす黒い瞳で俺をひたと見据える副生徒会長の二人だけ。
俺は手近な椅子の背もたれにそっと手をかけた。いわゆるところの防衛本能が働いたのだろう――いつでも能力を発動できるように身構えるが、そんな俺を見て、副生徒会長は嬉しそうに言った。
「ぼくにその『手に取った対象に加速をもたらす』能力を見せてくれるのかい。嬉しいね、ちょうど君の能力を直に確かめてみたいと思っていたんだ。流石は野球部主将、気配り心配りがよくできている」
その言葉の意味を理解するまで、俺は茫然と立ち尽くしていた。
能力。手に取った対象に加速をもたらす俺の超能力。どうして副生徒会長が俺の能力を知っているのか、今はどうでもいい。重要なのは、能力についてあれこれ吹聴されては困るということだ。俺は眼前の少女の排除を決め、即座に能力を発動した。
「《魔弾遊び》!」
触れていた椅子がかたかたと音を立てて振動し、そして弾けた。標的に真っ直ぐ狙いを定め、その進行を邪魔する他の机や椅子をはね退けつつも勢いを落とすことなく、副生徒会長に襲いかかる。
教室を震わす爆音。弾き飛ばされた机が落下し、椅子が床を滑る。そのいくつかは黒板に激突した拍子に大量のチョークをまき散らし、砕けて粉状になったチョークが煙となって教室を白色に塗り潰していく。
もうユニフォームは諦めよう。今日は自宅に忘れたとでも嘘をついて誤魔化すとして、今はとにもかくにもこの場を離れなくては。副生徒会長の安否も気にはなるが、これで彼女も俺に関わるとろくな目に遭わないと分かってくれただろう。
惨憺たる状況に背を向け、俺は歩き出す。と同時に、不気味な笑い声が俺の歩みを止める。恐る恐る振り返ってその姿を探してみるが、白煙が邪魔で何も見えない。不鮮明な視界とは逆にはっきりと聞こえる少女の笑い声が、俺の恐怖心を駆り立てる。
「本当に良い能力だ、威力も申し分ない。でもその能力名は、ねえ」
白煙が突如として渦を巻き、僅かに開いた窓の隙間から生き物のように這い出ていく。床に散乱していたはずの机や椅子がどういうわけか元の場所に戻っており、無傷で教室の中心に佇む彼女の姿があった。
嘘だろう、と漏れ出た声は、驚きのあまり上擦っていた。俺から先に手を出した。能力を使ってまで排除しようとしたのに、無傷とは一体どういうことだ。どうして何事もなかったかのように机が、椅子が並んでいるのか。意味が分からない。俺は一体何をされた。彼女は一体何をした。
「いやはや、君のネーミングセンスには恐れ入ったよ。君のように特殊な能力を有する人間を有能力者というのだけれど、非行敷や他の有能力者と接触する機会のなかった君にはそんな呼び名を知る術はなかっただろうさ。でも自分で自分の能力に名前をつけて、なおかつそれを恥ずかしげもなく叫ぶなんて」
「有能力者」
「ああ、覚えなくていい、覚えなくていい。どうせ君はその《魔弾遊び》をぼくに奪われて、有能力者からただの凡人になるんだから。別に能力がなくなっても困らないよね、だって能力を持たない一般人でも幸福に暮らせる世界にぼく達は生きているんだから」
ゆっくりと彼女が近づく。逃げ出そうとした途端、金縛りにでもあったみたいに俺の体が動かなくなり、たまらず悲鳴を上げる。
「止めろ、止めてくれ。俺にはまだこの力が必要なんだ。俺のチームを、仲間達を甲子園に連れて行ってやるために。頼む、後生だ。悪用はしない、だから――」
人の形をした巨大な影が、銅像の如く立ち竦む俺を覆い尽くそうと手を広げる。
「君さ、能力に頼らず必死に努力している人達に同じこと言える?」
「止めろ、止めろ。止めてくれ!」
「それにしても、能力に名前をつけようって発想自体が子供っぽいよね。物は試しとも言うし、ぼくも一つ考えてみようじゃないか。そして能力名を高らかに宣言しつつ、君の――ふふっ、《魔弾遊び》を奪ってあげる」
ぞっとするような嘲笑と、悪意に醜く歪んだ顔を最後に、俺の視界が暗転する。
「《黒箱買い》」
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