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最終話『蛇に足が生えるということ』

「どうもご無沙汰、空巣さん」


 ぼくは空巣さんに招かれ、食堂に足を運んだ。会釈をすると、彼女は僕に着席するよう促す。手頃な椅子を引き寄せ、空巣さんの隣に腰掛けた。


 彼女と話をするのは本当に何年ぶりだろう。前に会った時、ぼくはまだ十三歳かそこらの子供だった。あの頃と比べてぼくの身長も伸びているはずなのに、空巣さんは変わらず見上げる程に背が高い。それでいてプレッシャーなどまるで感じさせない、まさに母性の塊みたいな人である。


 非行敷に保護されて早一週間、他の子達とはそれなりに会話もしたが、空巣さんとこうして一対一で言葉を交わすのは初めてだ。


「久しぶりだな、西苛。元気にしていたか――などと今更訊くまい」


 彼女はテーブルの上にある二つのグラスに目をやり、一つを僕に手渡した。中を覗き込むと、透明感のある黒い液体に映るぼくの顔と目が合った。コーラかと思いきや、炭酸飲料特有の気泡が見られない。どうやらアイスコーヒーのようだ。


「六花にはちゃんと謝ったか……」


 空巣さんに言われるまでもなく、六花ちゃんには既に頭を下げて謝った。能力を封じられている以上、どうせ他にできることもなかった。


 六花ちゃんは戸惑っていたけれど、あっさり許してくれた。何でも『暴発』の影響でぼくに関する記憶の一部、ぼくが彼女に危害を加えた時の記憶が思い出せないらしい。能力で流し込まれたぼくと道開くんの記憶も、綺麗さっぱり消滅していた。


 まるで、辛く苦しい思い出だけを選択して消去したかのように。


 何はともあれ、六花ちゃんが抱いていたぼくに対する憎しみもまた、ほとんど残っていなかった。しかし彼女は、ぼくにある条件を突きつけてきた。これが承諾できなければ一生許さない、と。


「その条件とは」

「六花ちゃんと親友になること」


 六花ちゃんらしい、彼女が最後まで貫き通した願い。ぼくみたいな人間の友達になりたいというその願望を、ぼくは仕方なく叶えることにした。本当に『仕方なく』だ。ぼくも実は彼女と友達になりたかった、なんてお涙頂戴の話ではない。


 でも、嬉しかった。道開くんから彼女の心の内を聞かされた時、冷静さを失って取り乱したのはそのためだ。悪い気分じゃなかった、それだけは認めよう。


 空巣さんは「成る程な」と頷く。


「実に六花らしい」


 誰しも思うことは同じようだ。


 六花ちゃんらしい。では『らしさ』とは何だろう、このぼくにも『ぼくらしさ』があるのだろうか。


 他の人間にはない、ぼくだけが有する個性。


 ひねくれた性格、大量の能力。違う、『らしさ』とはそういうものではない。おそらくぼくには、ぼくらしさが存在しないのだ。だから『自分』が分からない、生きている意味も理由も見つけられない、さしずめ代わりのきく存在だ。


 人生に意味なんてない、という言葉は嘘。意味のない人生を歩む人間もいる、といった方が適切だ。生きる意義を見つけ出した人間と、いつまで経っても生きる意義を見出せない人間。ぼくはきっと後者だ。


「西苛、初めて会った時のことを覚えているか」


 空巣さんは語る。クソクダラナイ思索に飽きてきたぼくは、彼女の言葉に耳を傾ける。


「私がまだ非行敷にいなかった頃、つまりは教職を営んでいた時だな。君は突然私の前に現れ、こう言った」

「あなたはもっと多くの子供達を救うことができる。あなたにはその義務と責任がある」


 覚えていたか、と空巣さん。


「しかし、私を非行敷に呼び込むべきだと『上層』に提案し、その勧誘を任されていたのは君の父親だったと聞き及んでいる。彼はどうして、君に勧誘の任を託したのだろう……」


 空巣さんの言うように、当時殺人狂とは違う意味で世間を賑わせていた敏腕教師に目をつけた我が父は、空巣さんのヘッドハンティングを目論んだ。父は有能力者を恐れていたにも関わらず、どうにか自分の利益に繋げようと思案していた。そのためにはまず、情緒不安定な有能力者をある程度コントロールできる人物を配備する必要があると父は考えたのだ。その人物を通して間接的に子供らを操ることが可能になれば、あるいは恐怖の力を我が物にできる、と。


 投資者の一人として空巣さんのスカウトを買って出た父は、多額の報酬を餌に空巣さんを非行敷に引き入れようとした。彼女の給料は全て父の私財から出る手筈になっていたというのだから驚きである。更に仰天すべきは、空巣さんがその申し出を断ったことだ。


 金には困っていない、の一言で提案を退けた空巣さんにひどく憤慨した父だったが、同時に彼は別の方法を思いついた。空巣さんが大の子供好きであることは分かっていた、そこで彼は自分の息子、西希を彼女の許に向かわせようとした。子供である彼の口から非行敷に転職しろと言わせ、空巣さんの『甘さ』に付け入ろうとしたのだ。己の計画のためには子供さえ利用するという、西都原の名に恥じない、すがすがしいまでの汚いやり口だった。


「だが、私の許を訪れたのは弟さんではなく君だった」

「西希が父に勧誘の仕事を任された時、彼は友達に遊びに誘われていたんだ。父の仕事の見学や手伝いで友達と触れ合う機会が減っていた西希に、少しでも楽しい時間を過ごして欲しかった。だからぼくが代役として――」

「それが『君らしさ』だ、西苛」


 いきなり何を言いだしたのかと訝るぼくに、空巣さんはこう続けた。


「君は大切な人のためなら何だってできる優しさを持っている。それが時には空回りすることもあるだろうが、西苛は間違いなく良い子だよ」


 おいで、と両手を広げる空巣さん。水晶のように透いた瞳に見つめられ、ぼくは吸い込まれるように彼女の懐へ飛び込んだ。


「私があの時、君達西都原家の異常に気づいてさえいれば、このような事態にはならなかっただろう。君と、君の弟さんを助けられたはずだ。本当にすまない」

「それは流石に無理だよ、空巣さん。父も母も表面上は良い人間のふりをしていたし、それに気づいたところで改善の見込める状態でもなかった」

「それでも、私には君を救う義務がある。君に諭されなければ、私はこうして愛しい子供達を抱き締めることもできずに、単なる一教師として燻っていたに違いない。君がいたから、私はかけがえのない居場所を手に入れられた――ありがとう、西苛」


 空巣さんの胸に顔を埋め、彼女の心臓の音を聞く。頭を優しく撫でられ、言葉にならない恍惚感に満たされる。ふと脳裏に蘇る、西希と過ごした日々。彼に膝枕をしてもらった時も、今みたいに安心していられた。


 そういうことか、とぼくは納得する。


 これが家族か。


 これが、誰かに愛される『温かさ』か。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 早くもあの温かさが恋しくなるなんて、想像もしていなかった。


 非行敷に身を置いて一週間が経過し、屋敷での生活にもだいぶ慣れてきた。例えば自室の窓には網戸がないことや、夜中に窓を開けっぱなしにしておくと、風に流された木の葉や虫が部屋の中に入ってくることも知っていた。だからぼくは寝る前に窓を施錠した。きちんと鍵をかけたはずだ。


 それなのに窓は開け放たれていて、吹き込む風の冷たさのせいでぼくは目を覚ました。重い瞼をどうにか持ち上げ、枕元の時計に目をやる。午前二時。まだ起きるような時間ではないが、窓を閉めなければ面倒なことになる。そう思って体を起こした瞬間、風が原因とは思えない異様な寒気が襲う。


「うふふ」


 窓の外から聞こえる女の笑い声。しかしそこから見る景色は一面の闇に塗り潰され、人の姿は見当たらない。ぼくは慎重に、用心しつつ窓へと近づき――顔を覗かせる。


 その時、ぼくは『彼女』と目が合った。少し視線を下げた先、暗闇の中からじいっとこちらを見つめる顔がすぐ目の前にあったのだ。悲鳴を上げる間もなく、『彼女』の五指がぼくの顔をがっちりと掴んだ。そのまま後頭部を部屋の床に叩きつけられ、意識が曖昧になる。


 気がつけば、ぼくは体を起こされていた。『彼女』はまるでバスケットボールみたいにぼくの頭を壁に何度も叩きつけ、歓喜に打ち震えている。ぼくは壁と顔の間に手を挟んで衝撃を和らげようとするけれど、『彼女』はぼくの抵抗を嘲笑いながら、更に強く頭部を激突させる。反撃したいのに体が動かない。まるで見えない力に縛られているかのようだ。


 こめかみから血が垂れてきた。ぐわんぐわんと脳が揺らされ、急に吐き気がこみ上げる。


「いきなり何を――」


 顔面に拳がめり込み、ますます視界がぼやけていく。続いて手足を襲った『熱』に、たまらずぼくは倒れ込んだ。目に断続的な痛みが走り、大量の涙が零れる。袖で目の周りを拭い、やっとのことで手足を襲った『熱』の正体を視認する。それは火傷などではなく、全ての爪が剥がされた痛みによるものであった。おそらくは足の爪も同様に、その下に隠れていたピンク色の肉が丸見えになっているのだろう。


 激痛のせいで立ち上がれず、ただのたうち回るしかない。『彼女』の目には、ぼくが体の一部をもがれて地面を転げ回る虫と同じように映っているだろう。


「何故自分がこんな目に遭っているのか、分からないとは言わせないわよ」


 聞き覚えのある声。


 しかし、この人物は『違う』。ぼくを見下ろす『彼女』は――宮島 有十の姿をしたその少女は、ぼくの知る有十ちゃんではなかった。容姿こそ同じだが、彼女は口元が耳までつり上がるような、狂気に満ち満ちた笑い方をする子ではなかった。


 まさか、と口に出すよりも先に『彼女』の蹴りがぼくの腹部に命中する。先の尖った靴が深く食い込み、頭部を激しく揺さぶられた影響も相まって胃の中にあったものを全て吐き出した。


「本物の『人類史上最低の実名なき殺人狂』による、スーパーお仕置きタイムよ」


 世界を恐怖の渦に巻き込んだ虐殺の女王が、記憶を失う前の有十ちゃんが、道開くんの想い人が目の前に立っている。それも近くにいるだけで凍え死んでしまいそうな殺意を剥き出しにして、だ。これ程までに恐ろしい体験をする羽目になろうとは。六花ちゃんの翼に生きたまま食われる方がまだ幾分マシだ。


「記憶が戻ったのかい、有十ちゃん。それとも、最初から記憶を失ったふりをし――」


 口に強烈な圧迫感を覚える。上唇と下唇がくっつき、声が出ないどころかこのままでは潰れかねない。


「誰が喋ってもいいって言ったかしら……。あなたみたいな噛ませ犬、私の気分一つで手足のない達磨にだって変えられるのよ」


 ぼくの体は見えない力に吊り上げられ、宙に浮いた。それが引力なのか、それとも斥力なのかは分からないけれど、そんなことを考える間もなく壁に叩きつけられる。無論、彼女は腕を組んだままぼくに触れてすらいない。


「お利口な雌犬ね、ご褒美にあなたの質問に答えてあげる。私は最初から記憶を失っていなかった。でも記憶喪失のふりをしていたわけではなかった。『私』がこの体から引き剥がされた、とでも表現すればいいのかしら」


 彼女は距離を詰め、ぼくの首に手を伸ばした。両手で首を覆う輪っかを作ると、一気に絞め上げる。


「ん、ぐう、ぐっ」


 違う、絞めるなんて生易しいものではない。少女のものとは思えない馬鹿力は、ぼくの首の骨を圧し折ろうとしている。


「さて、ここでクイズです。基本人格、主人格とは一体何のことでしょう。少し緩めてあげるから答えてね」


 緩んだのは口を圧迫する力の方か、それとも首を絞める手の方か、全く分からない。ぼおっと目が眩んで、頭が働いてくれないのだ。


「ぶー、時間切れ。正解は『多重人格』における各人格状態の名称でした。最初に存在していた核となる人格が基本人格、新たに誕生して長時間体を支配するのが主人格よ。人によっては基本人格と主人格がイコールの場合もあるらしいけれど、その場合に生まれる複数の別人格は一纏めに交代人格と呼ばれるわ」

「二重、人格かい」


 少し違うわね、と呟いた後、彼女はぼくの顔を思い切り蹴飛ばす。受け身を取る気力も残っていないぼろぼろの体は、見えない力の支えを失って床を滑る。


「『人類史上最低の実名なき殺人狂』こと私は、突如として幽霊みたいな存在になった。私の意識だけが体から飛び出し、誰にも見えない、私にも自分の実体が視認できない、たまに道開だけが気づいてくれるふわふわした何かになったの。おそらくはこれも六花の『翼』と同じ、能力の『暴発』ってやつでしょうね。そして私という基本人格が抜けて空っぽになった体に新しい人格、主人格が形成されていった。それが宮島 有十よ」


 人格が体から飛び出てしまうという、六花ちゃんとは形態の異なる『暴発』。以前、《心の芽》を使って道開くんの感覚にリンクした時、幻覚がぼくに話しかけてこられたのはそういう仕組みだったのか。


 あれは道開くんが作り出した幻やイメージなどではない、殺人狂本人だった。


「私は別に、このまま戻れなくても構わなかった。むしろ私という頼れる存在を亡くして戸惑う彼や、そこから一人前に育つ彼を見守るにはうってつけの状態だった。私はね、いつだって彼のすぐそばにいたのよ。彼が朝起きて朝食を食べてあてもなく暇な時間を過ごして昼食を食べて本を読んで風呂に入って夕食を食べてオナニーして寝るまで、毎日ずっと彼を見ていた。見続けていた。けれど私だって、たまには体を動かしたくなる時もある。特に今回みたいな『尻拭い』をしなければいけない時は、主人格の有十を眠らせて、私が体の支配権を得られるの。とは言っても二、三時間が限界なのだけれどね」

「尻拭い」

「そ、尻拭い。もちろん私の大好きなあの子、今は道開と呼ぶべき『少年』のための後始末よ。あの子は昔から甘くてね、殺人狂の私が言うのだから間違いないわ」


 確かに彼は甘ちゃんだ。しかしそれが彼女のいう『尻拭い』とどんな関係があるのだろう。


「今回あなたが仕組んだ一件、まだ解決していない謎があるわ。でもあなたは改心して、あの子もそれで満足してしまった。だから私が代わりに調べてきてあげたのよ。例えば学校での戦闘時、どうして他の生徒や教師が学校にいなかったのか。また、六花に直接危害を加えたのは誰なのか」

「何だ、そんなことか」

「話は変わるけれど、この体の所有権を奪ってすぐあなたの家に行ってきたわ。六花が派手に暴れたせいでほぼ全壊、更に家主であるあなたが非行敷に移り住んだことで後々取り壊される予定になっているけれど、その前に色々と調べさせてもらった――あなたは私立都原高等学校に在籍する全ての生徒、及び教師を金や能力で餌付け、思い通りに使役し、六花虐めに加担させた。逆らう生徒が出てくることを見越していたあなたは、プライバシーを無視した莫大な個人情報を入手し、それを盾に脅迫を繰り返した。受験生が過去に犯した万引きから校長の不貞まで、世間に知られてしまえば今後の人生に悪影響を及ぼすような情報で彼らをコントロールしていた――と、ここまでは正しいかしら」


 今更隠しても意味がないと判断したぼくは、大きく頷いてみせる。


「住所一つ取っても、悪用する方法はいくらでもあるからね。適当なデマと合わせてインターネットに公開するぞ、って脅すだけで十二分に効果がある。それでも屈しない時は三藤くんみたいに、ぼくの能力で傀儡にしてしまえばいい」

「私とは違うタイプのクズね、あなた」

「だったら何だい。今すぐぼくを殺して六花ちゃんの気でも晴らしてあげる……」

「いいえ、それはあなたと友達になりたがっている六花にとって逆効果でしかないわ。それに道開があなたを許すと決めた以上、私はあの子の意志を尊重するだけよ。あんなに頑張ったんだもの、ここで私があなたをミンチにしたらあの子の努力がうかばれないわ。でも――あなた以外は許さない」


 彼女は羽織っていた上着のポケットに手を突っ込むと、そこから取り出した何かを投げて寄越した。


 紙吹雪のようにひらひらと舞い落ちるそれは、細かく引き裂かれたその『栞』は、かつてぼくの親だったものだ。こうなってしまっては能力を解除したところで元には戻せない。そのつもりは最初からなかったけれども。


 それに今更ながらぼくは、彼女の体が血に塗れていることに気づいた。部屋に明かりがないせいで今まで分からなかったけれど、窓から差し込む月明かりが彼女の全貌を暴き出した。赤と黒の二色で染め上げられた彼女の姿は、まさに殺人狂の名に相応しい。

それにしても、何故血塗れなのだろう。まさか、誰か人を殺したとでも――誰か、とは誰だ。彼女は誰を殺した。その血は誰の血だ。


 目前の殺人狂は言った。道開くんが許すと決めたから『ぼく』を殺さない。


 でも、ぼく以外は許さない。


「そんな、嘘だろう」


 背中を這い、ぞりぞりとうなじを撫でる悪寒。


 思い違いであって欲しいと願うぼくの期待を裏切り、彼女は血で濡れた顔には似合わない、穏やかな微笑みを浮かべた。


「あなたが全校生徒と教師、事務員の住所を分かりやすく、付近の目印や最短ルートまで事細かにまとめておいてくれたおかげで、高々二時間ちょっとで皆殺しにできたわ。そうは言っても、該当する家を丸ごと叩き潰しただけだから、運が良ければ生きているかもしれないわね。まあ、最後の方はそんな大雑把な方法に頼らず、直接『楽しませて』もらったけれど」


 この屋敷は住宅街から離れた場所に建っている。だから家屋が倒壊しても物音一つしない。生き埋めになった人々の悲鳴だって届かない。


 ぼくは大慌てで部屋の隅に置かれたテレビのリモコンを取り、かつて住んでいた家から持ち出した七インチテレビに向けて電源ボタンを押す。


 ――チャンネルを巡回する必要はなかった。地獄と見紛う惨劇が画面いっぱいに映し出され、リポーターが興奮気味にその惨状を報告している。××県薄蓑市とその周辺一帯の家々が残らず崩壊し、時折映り込む死体には一瞬遅れてモザイクがかけられる。


 パトカーと救急車、それに消防車のサイレンが奏でる死の大合奏に、リポーターの怒鳴り声と住民の悲鳴、嗚咽が織り成す大合唱。これが単なるオーケストラであったなら、どれだけ気が楽だろう。


 こうして『本物』を目の前にしてみると、道開くんが如何に殺人狂らしくなかったかがひしひしと伝わってくる。


「何を驚いているのかしら、西都原 西苛。こんなもの、あなたが果たそうとした『世界を滅ぼす』計画に比べればたかが知れているでしょう」


 この虐殺を世界規模で行う、それが世界を滅ぼすということ。覚悟はしていたはずなのに、ぼくは自分の願望の一部分をまざまざと見せつけられ――正直に言えば、怖気づいていた。


「愛しくて可愛い私の道開みたいに優しく説教するのもいいけれど、今後あなたが冗談でも世界を滅ぼすなんて言い出さないようにするためには、これくらい刺激的な方が良いと思ってね。言っておくけれど、これはあなたのためにしたことなのよ。私だって一応非行敷の一員で、あなたの家族なんだから」


 大きなお世話だ、と普段のぼくであれば軽口を叩いていたところだけれど、とてもそんな気分にはなれなかった。


 世界を滅ぼすという願望の恐ろしさをぼくに伝える、ただそれだけのために大量虐殺を引き起こした『人類史上最低の実名なき殺人狂』。こんな悪魔と同じ屋根の下で暮らすことになるのかと思うと、もういっそ死にたくなってくる。


 ぼくが悶々と悩んでいる間、彼女は鼻歌交じりに血塗れの衣服を脱ぎ捨て、ぼくの着替えをクローゼットから勝手に引っ張り出し、てきぱきと身につけていく。殺人の証拠となる血みどろの衣類をどう処理するつもりかと尋ねたところ、


「大気圏を突破すれば後は何とでもなるわよ」


 と言って窓の外に放り投げてしまった。生地に滲み込んだ血を一滴も零さず、丸まった衣服は夜空の星目掛けてぐんぐん加速する。数秒後には真っ暗闇の空に隠れて見えなくなってしまった。


「これでひとまず証拠隠滅には成功したけれど、西苛、一つ確認しておくわ」


 彼女はぼくの髪を掴んで強引に引き寄せると、頭皮を引っ張られた痛みでぼくが悲鳴を上げる前に顔を近づける。


「今日、私は外出していない。夜はあなたの部屋にお邪魔して二人で楽しくガールズトークに花を咲かせていた。能力も使っていない、人も殺していない」


 そうよね、とわざとらしく同意を求める殺人狂を前にして、そこで彼女の言葉を否定できる程、ぼくは男前ではない。第一、ぼくは女だ。


「そうだね、君の言う通りだ」

「よろしい。素直な子は好きよ。もし良ければ、あなたのことも道開と同じように愛してあげましょうか……」

「遠慮しておくよ」


 心から遠慮しておく、と念を押す。


 彼女は残念そうにため息をつくと、布団の中に潜り込んでしまった。本来ぼくが寝るべき場所で、今日もそこで寝るはずだった場所で、ふかふかの布団に体を預けている。


「自分の部屋まで行くのも億劫だから、今日はここで寝るわ」

「え、ちょっと――待って。寝る前に一つだけ訊かせてもらえる……」

「どうでもいい質問だったら叩くわよ」

「君はどうして道開くんのことを好きになったんだい……」


 道開くんの過去を知ってから気になっていた、そして本物の殺人狂を目の当たりにしてますます疑問に思ったことだ。


 少年と少女の出会い、そのラブストーリーの始まりは偶然だ。しかし愛に飢えていた少年はともかくとして、少女が彼を好きになる理由だけは見当もつかなかった。何でもいい、一目惚れだというのならそれでも構わない。とにかく理由が知りたいのだ。


「あなたには一度説明したでしょう」


 毛布で体を包んだ彼女の姿は、ホイップクリームやフルーツの代わりに人をねじ込んだロールケーキを思わせる。ひょこっと飛び出た顔はひどく穏やかで、年相応の少女らしい笑顔を見せる。


「私は『人類史上最低の実名なき殺人狂』と恐れられた殺人鬼。私に殺せない人間はいない。例え相手が有能力者でも、必ず殺す」


 次第に彼女の頭が左右に振れ、目蓋がゆっくり閉じては開き、閉じては開きを繰り返す。


「あの子は『愛』が欲しくて有能力者になった。でも愛されてしまえば生きる理由がなくなって、不死身である必要もなくなると思って、だから私が――」


 囁くような声は途切れ、静かな寝息だけが聞こえる。彼女は話をしている最中に寝入ってしまったようで、見れば胎児の如く身を縮めている。


「殺すために人を愛する、か」


 殺人狂の思考はとても理解できない。理解するつもりもない。


 しかしそんな狂人に救われた少年がいて、その少年は有十ちゃんを、六花ちゃんを、そしてぼくをも救った。不幸な人生を歩むことが決定づけられている有能力者達が、揃って幸福への第一歩を踏み出したのだ。


 殺人狂の殺戮から全てが始まり、殺人狂の殺戮で幕を下ろす。屍の山を築いてようやく、ぼくの計画は終焉を迎えた。愛する弟は死んだまま、世界崩壊も達成できないまま、中途半端な形でぼくの闘いは終わったのだ。


 これで良かったとは言わない。けれど悪かったとも思わない。少なくとも、もう二度と世界を滅ぼしたいとは考えないだろう。殺人狂直々の説教を受けて反省するとは、本当に笑えない冗句だ。


 そういえば、これで生きる意味を失ったのは二度目だけれど、もうちょっとましなレゾンデートルが見つかるまではこの屋敷で面白おかしく生きていこうと思う。

西希の分まで――少しはしっかり生きていこう。


「ぼくも寝るか」


 憑き物が落ちたような晴れやかな気持ちで布団を見やり、


「やっぱり怖いから止めよう」


 ぼくは壁にもたれ、痛む体を気遣いながら腰を下ろした。熟睡している殺人狂の寝返りに悲鳴を上げ、彼女が少しでも寝言を呟けば、心臓が張り裂けそうな緊張に陥る。そうやって彼女の一挙一動に逐一戦慄しながら、朝日が昇るのを待ち続けた。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


【ワンサイデッド・ラブストーリー】完

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