第十二話『何かが変わったということ』
有能力者は不幸になる。親を亡くし、兄弟姉妹を喪う。出来過ぎた孤独に追い打ちをかけるように苦難と悲境が彼らを待ち構え、幸せになることを許さない。非行敷ではこの現象を『神の意思』と呼んでいる。
振り返ってみれば、僕の人生もろくなものではなかった。父は僕の誕生と入れ替わるように事故で亡くなり、母は僕を無視して好き勝手に生きていた。
僕だけじゃない。有十は記憶にない大量殺人の罪を背負い、六花は行方不明の家族を自らの翼で喰らっていた。西苛は僕のそれより酷い家庭環境にあって、唯一の救いであった弟さんに先立たれた。自虐でも何でもない、自他共に認める壮絶な道を歩んでいる。
では、僕達は一方的な被害者なのだろうか。僕に、有十に、六花に、西苛に一切の責任がなかったと言えば、それは嘘になる。少なくとも、不幸だ何だと己の境遇を嘆いていられるような立場にはない。
神の意思。僕らがそう呼ぶものの正体は、有能力者達の『諦め』ではないだろうか。どうせ自分は幸せになれない、何をやってもまたどん底に叩き落とされる。果てしない悲観の思考は僕達から生きる希望を、そのための活力をじわじわと殺ぐ。屋敷に引きこもる有能力者は、飽くなき悪循環の輪に閉じ込められているのだ。
幸せになってもいい、と空巣さんは言った。それは幸福に酔い痴れて自分の責任や罪を全て忘れてしまってもいいという意味ではない。こんな自分でも幸せになれる、そう考えることで諦念の檻から抜け出し、ようやく新たな人生の一歩を踏み出せる。新しい名前も、戸籍もただの形式に過ぎず、自分自身が変わらなければ何も始まらない。空巣さんはそれを伝えたかったのだと思う。
そうとも知らず、僕達は空巣さんに迷惑ばかりかけてしまった。怒られても仕方がない、それだけのことをしたと思っている――例え顔を全力で殴られたとしても、黙って反省するのが僕らの義務だ。
「道開はまだいいわ。私なんか尻よ、尻。これでもかと引っ叩かれて割れるかと思ったわ」
「尻は最初から割れてるだろ」
僕達は空巣さんからきつい『お叱り』を受けた後、逃げるように食堂へと転がり込んだ。頬全体にとめどない激痛が走り、先程トイレの鏡で確認した時には、右頬が拳の形に沿って赤く腫れ上がっていた。有十は頬ではなく臀部を手で擦り、食堂の椅子に腰かけることも叶わない有り様だ。
「ほら、道開と六花を助けるために私が正義の味方よろしく『遅れて』地下に現れたじゃない。あの時私がどんなポーズを取っていたか、覚えているかしら……」
「確か、後ろに手を回して仁王立ちしていたような」
「あれ、実は尻を手で押さえて痛みに耐えていたの。あの時も散々叩かれて――そういえばマイクの尻はもっと悲惨なことになっていたわね――自分で言うのもなんだけれど、尻押さえながら登場するヒーローってどうなのよ」
「それをあの地下で聞いていたら、すぐさまお帰り願っただろうなあ」
ははっ、と声を出して笑おうとするが、頬に鋭い痛みが走ったせいで気の抜けた呻き声となって口から漏れた。
空巣さんに殴られて確信した。僕の能力は首がもげても手足を食い千切られても一瞬で再生するというのに、こと打撃に関してはまともに機能しない。改めて見てみれば、度重なる闘いで全身痣だらけだった。
不死身と豪語するには少しばかり不完全な僕の力。以前、空巣さんが「有能力者やその力に興味を持つべきだ」と言っていたのは、自分の能力についてもっと理解を深めろ、という意味であったらしい。それでもまあ、この力にはだいぶお世話になったものだ。
「そういえば、私はお尻ぺんぺんだけで済んだけれど、道開はグーパンチ食らった後も空巣さんに怒られていたわね。一体何て言われたの……」
僕は顔をしかめようとして、またもや頬の痛みに邪魔される。
「お前は漫画の主人公にでもなったつもりか、って」
「何それ」
「子供が刃物振り回したり能力を使って戦ったり、そういうことが許されるのはフィクションの中だけだ、怪我でもしたらどうするんだって言われて、もう一発左フックもらった」
「言ったそばから怪我してるわね」
「でも空巣さん、泣いてた。皆無事で良かった、誰も死なずに済んで良かった、って」
「目が潤んでいるわよ、道開。でも言われてみれば確かに、信じられない経験をしてきたのよね、私達ってば」
有十は僕の頭の上に顎を乗せ、手を肩に回して体重を預ける。尻が痛くて座るに座れず、かといって立ちっぱなしも辛いのだろう。しばらくはこのまま彼女の好きなようにさせた方が良さそうだ。
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言ってしまえば何とも呆気ない幕切れだが、僕達の闘いは終わった。
有十が駆けつけて間もなく、西苛の家の地下に非行敷本部のスタッフが大挙して押し寄せた。それまでは西都原がパトロンということもあって下手に手を出せずにいた非行敷本部だったが、西苛の暴走は目に余ると判断し、彼女を支援者ではなく一人の有能力者として取り押さえるべく重い腰を上げた。彼女の身柄を確保するよう本部に提言し、取り計らってくれたのはもちろん、我らが鳥小屋 空巣さんだ。
西苛は海外から派遣された非行敷所属の有能力者により、能力を封じられた。しかしこれはあくまで一時的な処置に過ぎず、時間が経てば再び能力に目覚めてしまうそうだ。また、封印できる対象はあくまで能力のみ。六花の『翼』には全く効果がないのだという。
「あの羽こそが、以前話した能力の『暴発』だ。元々は大した影響力のない能力がふとしたきっかけでその箍を外れ、異形の力へと変貌を遂げる。それは有能力者の力とは呼べず、西苛の能力を封じた方法も通用しない。一介の有能力者が持つ『能力』如きでは『暴発』を抑えられない、六花の心の隙を突いて何度でも羽を広げるだろう。全てを喰らう翼、《翼は駆らない》はいつ誰の背に生えるか分からない。次は有十かもしれないし、道開かもしれない」
空巣さんは話を続ける。六花が本来持っていた能力は異形の翼などではない、別の何かであった。ところが彼女の溜め込んでいたストレス、精神的疲労、その他負の要素が重なって能力が突然変異を起こした、と。
六花が最初の『暴発』で家族を平らげた時の記憶、そして今回の騒動に関する記憶の一部(無残な姿で教室に倒れていた時のことや、僕と西苛の記憶を流し込まれた時のことなど)を、彼女は覚えていない。この事実から、六花の本当の能力は『記憶を書き換える能力』に類するものであり、それが『暴発』を起こした今でも一応機能している、というのが非行敷本部並びに空巣さんの見解だ。だから六花は家族の行方を知らず、自身の羽のことも覚えていなかった。都合の悪い記憶に封をして忘れようとしたのだ。
「六花は家族を手にかけた後、本部から命令を受けた私が迎えに行くまで、ただ茫然と崩壊した自宅の前に座り込んでいた。単に記憶を消し去っただけならば、突然消えた家族と瓦礫の山と化した我が家に少なからず狼狽するはずだ。しかしあの時、六花は恐ろしいまでに落ち着いていた。父母や兄を探す素振りも見せなかった」
「それでは六花の証言と矛盾します」
「記憶そのものが書き換えられていたのだとすれば、矛盾はあれども問題は起きない。何故ならば、本人の頭の中では『私は忽然と消えた家族を探して町中を探し回った』という虚実こそが真実だからだ。六花から何を聞いたかは知らない。だが彼女の記憶はその大半が紛い物で、嘘偽りで、現実と理想がごちゃ混ぜになっている。事件の真偽を知る者は、それこそ彼女の背中に眠る羽だけだ」
「羽――そうだ、六花の家族は羽の中で生きていました。彼女のお兄さんの声も聞きました、まだ助けられるはずです」
空巣さんは冷ややかな視線で僕を見据え、
「『あれ』がまだ生きているように見えたのか」
それ以上は何も語らず、彼女は業務に戻ってしまった。
生きているように見えた。その言い方から察するに、もう六花の家族は救い出せないのだろう。体は原型を残さずばらばらに分解され、その口は怨恨にまみれた言葉を吐き出し、血肉を貪るのみ。これでは生きているとは言えない。生きているとしても、人ではない。
ただ、六花の兄は意識を保ったまま、『お兄ちゃん』として六花の暴走を止めるよう僕に命令した。ひょっとすると彼は、羽とは名ばかりの醜い肉の塊に成り果ててもなお、六花の兄として彼女を見守っているのかもしれない。
「あなたの代わりにはなれないだろうけれど、六花のことは僕に任せてくれ」
僕は今、墓地にいた。『三枝』の家名が彫られた墓石を前に、今し方火を点したばかりの線香の煙が緩やかに立ち上っていく様子を眺めていた。
――西都原 西苛が画策した世界を滅ぼすための計画は、それによって起きた僕らの闘いは、結局のところ『過去』に固執した哀れな子供達のお芝居でしかなかった。僕も、有十も、六花も、西苛も、皆揃って昔起きた出来事をいつまでもずるずると引きずり過ぎていたのだ。そんな四人が一度に出揃ったせいで話がこじれ、お互いの意志がぶつかり合い、事態がややこしい方向へと進んでいった。四人の問題をまとめて解消できたと考えれば、案外丁度良い機会だったのかも分からない。
「道開くん」
僕の横に立ち、哀愁を帯びた微笑を浮かべる西苛。彼女の前にもやはり墓石があって、そこには『西都原』の文字が刻まれている。運命というものは、意外なところで六花と西苛の両者を結びつけていた。
「正直に言うと、ぼくはここに来たくなかったよ」
「悲しくなるから、か」
違うんだ、と西苛はかぶりを振る。
「ぼくは、西苛が死んだ現実を認めたくなかった。間違っているのはこの理不尽で残酷な世界の方だと信じて闘ってきたけれど、ここに来ると否でも事実を突きつけられる。西希の骨を納めたこの墓を見ると、ね」
「やっぱり悲しいからだろう」
「そうだね、悲しいよ――ぼくはずっと悲しかったんだ」
僕は西苛の顔を見ないように、空を見上げた。照りつける太陽に目を細め、澄み渡る青空を仰いでいると、隣からすすり泣く声が聞こえてくる。それでも僕は決して顔を下げない。人を馬鹿にした笑顔がよく似合う彼女の泣き顔なんて、絶対に見たくなかった。
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非行敷は西苛の確保を決め、いざ捕らえたまではいいが、彼女をどう処分したらよいものかと考えあぐねていた。
親殺し、能力収奪を目的とした人身売買、非行敷日本第一支部襲撃。どれを取っても刑罰は免れないかに思われた。だが案の定、ここで空巣さんは動いた。
一体どんな手口を使ったのか僕には想像もつかないけれど、気がつけば西苛は僕の提案通り、非行敷日本第一支部に引き取られる運びと相成った。正直ここまでスムーズに事が運ぶとは思いもしなかった。後に空巣さんから叱られた時は素直に殴られ、更にはお礼を言って頭も下げた。「お前はもしやマゾヒストか」と好からぬ疑いを持たれてしまったが、甘んじて受け入れよう。
西苛は放心状態で事の成り行きを見守り、言われるままに状況を受け入れた。それは改心、更生したというよりは、何もかもを諦めてしまっているように見えた。かつての僕のように、生きているふりをして死んでいた。
僕や有十、それに被害者である六花も、独りきりで屋敷の中をうろつく西苛に進んで声をかけ、共に食事を取っている。それでも西苛の心はどこか上の空で、以前のように笑わなくなった。
同情には値しないし、自業自得と放っておく手もあった。しかし西苛のそんな姿を見ていられなくなった僕は、彼女を連れて墓参りに出向いた。六花の家族と西苛の弟さん(と一応西苛の両親)を弔うべく、死者より無気力な西苛を無理矢理屋敷から引っ張り出したのだ。
「まだしばらく、こうしていたい」
西苛は墓の前で手を合わせたまま、動こうとしない。弟さんの墓参りに来たのは、これでまだ二度目だという。
「認めるのが怖かった。それだけのことだったんだ」
西苛は静かに黙祷を捧げる。この場所に来るまで数年の時を要した。墓に辿り着くまでにどれだけ重い足を引きずり、何度引き返そうとしただろう。けれど、こうして彼女は弟さんの死に向かい合うことができたのだ。募る思いを全て吐き出すまで、僕も付き合うとしよう。
西苛は今回の騒動の黒幕で、首謀者で、悪い奴で――でも、だからといって救われてはいけないなんて決まりはない。彼女も幸せになっていいんだ。
抱き締めない、励まさない。西苛は今、自力で幸福への第一歩を踏み出そうとしている。ここで手を貸すのは彼女に失礼だ。
僕は弱い。だから積極的に皆の力を借りて、西苛に立ち向かった。でも西苛は僕よりずっと強い。腕っ節も精神力も、非行敷に所属する他の有能力者の誰よりも強靭だ。だから西苛は立ち上がれる。一人で這い上がる力を彼女は有している。それこそが西都原 西苛という有能力者が持つ、真の能力なのだ。
どうしても絶望の底から抜け出せないその時は、僕が迷わず助ける。有十に六花、空巣さんやマイクだって彼女の味方だ。何故ならば西苛も既に非行敷の一員で、僕達の家族なのだから。
強くてもいい、弱くてもいい。
それが人間で、有能力者で、僕達だ。
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