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第十一話『道化が踊るということ』

 僕と西苛の前に佇む人間はもう、六花ではなかった。否、正確には六花『だけ』ではなかった。それは六花であり、西苛であり、そして僕だった。見る者を不安にさせる歪な笑顔は西苛で、殺意を孕んだ鋭い視線は僕で、六花らしいところと言えば容姿くらいのもの。裏を返せばそれは見た目が全く変わっていないのに、中身がまるきり別人であると一目で理解できたということだ。


 六花の背中から生えた醜い羽が、しゅうしゅうと耳障りな音を立てる。僕はゆっくりと、六花を刺激しないよう慎重に立ち上がり、座り込んだままの西苛に問いを投げる。あの翼もそうだが、六花の様子がおかしい。お前は六花に何をした。


 黙りを決め込む西苛。僕は彼女の襟首を掴んで無理矢理立たせ、再度六花に何をしたのかと問い質す。すると西苛は狂ったように頭を左右に揺らし、


「六花ちゃんの記憶に、ぼくと道開くんの記憶を上書きしたんだ。今まで使う機会のなかった能力だから、ぼくにもその効果の程は分からなかったけれど、予想以上に役立ってくれたみたいだ。つまるところ今の彼女は」

「六花であり僕であり、そしてお前か」


 ご名答、と西苛は笑う。


「有能力者三人分のカタストロフィを味わった六花ちゃんは、これから何をするんだろうねえ。ぼくの記憶に従えば世界を滅ぼすために行動するんだろうけど、それに足すこと道開くんの記憶だ。果たしてどうなることやら」


 ぐいと顔を寄せ、勝ち誇った笑顔を見せつけんとする西苛。僕は彼女を突き飛ばし、六花を見やる。


 何て酷い目をしているのだろう。流石の僕でもこんなに濁った眼光を宿してはいないと一瞬思いはしたが、案外僕もこんな瞳で世界を見つめていたのかもしれない。以前は殺人狂に間違われて襲われることも多々あったが、もしかするとこの目つきが原因だったのかも分からない。


 六花はふらつきながらも歩み寄り、腹部を擦る。


「お兄ちゃん、ぼく、お腹が空いたよ」


 普段の彼女とは一人称からして異なる、抑揚も滅茶苦茶な話し方に身の毛がよだつ。ただ言葉それ自体は何もおかしくはない、意思疎通はこなせると見て良いのかもしれない。


「それじゃあ非行敷に帰ろう、六花。空巣さんが美味しいご飯を作ってくれる」

「ううん、そうじゃないんです。お腹が空いているのは私じゃなくて、わたしじゃなくてえ、おれなんだ」


 左右の翼にびっしりと生える口が一斉に開き、薄汚れた歯を剥き出す。唾液とも血とも分からない紫色の液体が飛び散って糸を引き、六花の甲高い叫び声を合図に、僕を喰らおうと襲いかかってきた。


 動きは機敏というには程遠い、徒歩でも十分に避けられる鈍さだ。しかし鈍重な挙動を補うかのように羽は己の体積を増やしていく。最初は気のせいかと思ったが、どうやらこの羽は次第に大きくなっているようだ。


 空振り、床に叩きつけられた異形の翼がコンクリートの破片を噛み砕いて飲み込む様を横目に、僕は西苛に再度掴みかかった、襟を片手で締め上げ、彼女の体を揺する。


「記憶を上書きする能力があるなら消す能力だってあるだろう。『ない』とは言わせない、さっさと六花を元に戻せ」

「そうだねえ、『指定した期間の記憶を削除する能力』や『対象を一日前の状態に戻す能力』を使えば何とかなるかもね。でも道開くん、常識的に考えてさ」


 西苛を片手で掴んでいたのが仇になった。僕の手は呆気なく振り解かれ、背後を取られてしまう。片方の手で僕の腕を背中に回してねじり上げ、もう片方の手に握られたナイフ(僕が西苛目掛けて投擲したナイフだ)を喉元にあてがう。


「ぼくが自分の計画を潰すような真似、するわけないじゃん」


 そのナイフで喉を刺し貫こうとも僕は死なない。それが分かっていながらどうしてこのような行為に及ぶのか、僕には理解できなかった。ところが肥大化した羽を持て余し、西苛を睨みつけたまま動こうとしない六花を見た瞬間、遅れて西苛の思惑に気づく。


 六花の囚われていた部屋で不気味な翼に襲われそうになった僕を助けたのも、こうしてナイフを突きつけているのも、六花を牽制するための作戦だったのだ。


「ぼくはいつ死んだって構いやしないが、せめて世界の滅びは見届けたい。だから六花ちゃん、感情の赴くままにその羽を広げるといい。ただし『それ』をぼくに向けるようなことがあれば、君の大好きなお兄ちゃんを嬲っちゃうよ。死んだ方がましだと思える程の、殺してくれと泣きつかずにはいられない地獄の苦しみを味わってもらう。それでもいいの……」


 西苛の憎たらしい物言いに、六花は頭を抱える。彼女はしばらく悩んだ素振りを見せた後、はっと解決策を閃く。


「二人共、うちが食べてあげますね」


 翼の片方が西苛を、もう片方が僕を狙って伸びる。相変わらずスピードは遅いものの、より大きくなった羽をかわすのは容易なことではない。それに僕は体を吹き飛ばされても能力で即時再生するが、西苛の方は頭が食いちぎられても治るとは考えにくい。ひょっとしたら再生能力の一つや二つ所持しているのかもしれないが――ごちゃごちゃ考えるのも面倒だ、とやけくそ気味に西苛の拘束を解き、翼を押さえにかかる。


 まず西苛に向かう羽は指を食い込ませて動きを止め、もう一方の羽は足元を狙ってきたのでジャンプし、ちょうど真下に滑り込んだ瞬間を逃さず両足で踏みつけた。当然、羽もやられっぱなしというわけにはいかない。歯垢のこびりついた歯で僕の肉を食いちぎり、罵詈雑言を浴びせてくる。


 死ね。死んでくれ。この格好つけ野郎。偽善者。言葉責めは卑怯だろうと心の中で愚痴り、僕は大股で六花に近づく。羽が追いつけない速さで彼女に接近し、拳を振り上げる。


 気絶させれば能力の発動を止められるかもしれない、そう考えてブローを繰り出すがしかし、人が変わったように怯えた表情を見せた六花を前に、拳は勢いを失う。


「お兄ちゃん、助けて下さい」


 体を震わせ、涙ながらに助けを求める六花の姿に、一瞬目を奪われる。それは背後から飛びかかる機会を探っていた羽に反撃を許す、絶好の隙となってしまった。


 羽は歓声を上げながら背中の肉を、内臓の一部を咀嚼する。遂には肋骨を砕いて胸の皮膚を食い破り、六花の前でぴたりと静止する。その様子は飼い主に頭を垂れる犬によく似ていて、飼い犬らしく口にくわえたものを六花に差し出した。


 六花は僕の心臓を受け取り、愛おしそうに両手で包んだ。かろうじて僕の体と繋がっている血管をその小さな口で容赦なく噛み千切り、生き生きと意味のない収縮と拡張を繰り返す心の臓腑にキスをする。


「道開くん、あなたは本当に甘いですよねえ。女の子の涙に弱いキザ男気取りですか。ねえねえ、どうなんだい……」


 如何にも西苛の言いそうな台詞ではあるけれども、当の本人は後ろで悲鳴を上げるのに忙しく、次々と変化する六花の口調について言及する余裕はない。あの西苛が珍しく恐怖しているというのに、串刺しにされているせいでそのご尊顔を拝めないのは非常に残念でならない。


 それにしても、いつまで経っても体が治らない。正しく能力が作用していれば古い心臓をそのままに、新しい心臓が形成されるはずだ。それなのに、死んでいないだけで体の治る気配がない。これはどうしたことかと首を捻る僕に、六花はしたり顔で囁く。


「お兄ちゃんの能力が弱まっているんだよ。今のてめえはくたばり損ないのゾンビで、ぼくが君の心臓を喰らうことで不死身の力が私のものになるんです」


 心臓を食べて他者の能力を自らのものとする力。西苛の日記に記されていた通りだ、能力の奪い方が相当えげつない。心臓を抉り取って胃袋に収めるというスプラッターな手順もそうだが、能力を奪った後は相手が不死身だろうが何だろうが絶命してしまうのだから。


「更にはお前の全身をもしゃもしゃいただくことで、記憶や身体的特徴まで余すところなく強奪できる。ロマンティックに言わせてもらうなら、お前は僕の中で永遠に生き続ける、というやつだ」


 今度は僕を真似ているのかな、なんて悠長に構えつつも、打開策を見つけようと思案することは止めない。とりあえず心臓を取り戻すところから始めよう。幸いにも手の届く位置まで六花が持ち上げてくれているし、最悪、喰われる前に潰してしまえば新しい心臓が生成されるかもしれない。


 では、その後はどうする。仮に西苛を見捨ててこの地下から脱出できたとして――いや、六花と交わした『西苛を殺さない』という約束は未だ有効だ。例え西苛の命を狙うのが六花本人であったとしても、西苛を守らなければならない。それにいざという時、西苛の多彩な能力は役に立つ。


 西苛を連れて逃げたとして、次はどこへ向かえばいい。非行敷……。駄目だ、これは空巣さんやスタッフの手に負えない。かといって六花に見つからないようどこかに隠れたとしても、僕達を見失った六花は必ず自分の家に、非行敷に戻っていく。そうなると六花を誘導しながら逃げる他ないわけだが、どこに誘導すれば良いのかも分からないのでは話にならない。それに道中の家々にも被害が及ぶ。


 やはり、この薄暗い地下の中でどうにかするしかない。でもどうすればいい、どうすれば六花を止められる。つい先刻、こんな風に行き詰った覚えがある。西苛の家が分からず、屋外で途方に暮れていた時だ。あの時は有十が奮起して道を繋いでくれたおかげで先に進めたが、流石にこのタイミングで彼女が助太刀に駆けつけるとは思えない。それはあまりに出来過ぎ、ご都合主義というやつだ。


 今頃有十はマイクと一緒に空巣さんの足止めをしているだろうから、そもそも助けは期待できない。僕が、僕一人で何とかするしかないのだ。


 また禁断の股間蹴りを使おうかと考えたが、あれは相手が西苛だからこそ踏み切れた所業、もとい悪行だ。なるべくなら誰の股間も蹴りたくない。


「六花」


 どうやら僕には、戦闘という行為自体が似つかわしくないようだ。思えばまともにやり合って勝ったと断言できるのが主将さんと一戦交えた時くらいのもので(溝辺 結城との戦いは僕が一方的にいたぶっていただけなので正当な勝利とは言えない)、僕はナイフという凶器を持ちながら空巣さんや西苛の前に苦杯を喫している。


 僕に残された手段は最早、言葉以外にない。西苛は『本気でぶつかり合う際に人間は言語を放棄する』と言っていたが、僕はそうは思わない。言葉でもぶつかり合える、通じ合えるはずだ。


「僕の話を聞いてくれ。そうだ、まずは深呼吸をしよう。心を落ち着けて、冷静になろう。その翼は畳めるか……、できないならお兄ちゃんが手伝おう。だから僕の心臓を手放してはくれないか」


 六花は耳を貸すどころか、無視を決め込んで僕の心臓を甘噛みし始める。心臓は体を飛び出しても自分の仕事を全うするだけだと言わんばかりに、通ってもいない血液を送ろうと元気に活動を続けていた。六花はそんな心臓の努力を鼻で笑い、歯をめりめりと食い込ませて心臓の躍動を止めようとする。


 心臓に歯を突き立てられる感覚は僕の方に伝わってこないが、それがかえって恐ろしい。もちろん怯えている暇などなく、思いついたことを次々と言葉に変換し、六花に投げかける。


「非行敷に帰ろう、六花。皆が心配して待ってる。空巣さんなんて心配し過ぎて、六花を助けに行こうとする僕を止めようとしたんだ。『大人が解決すべき問題だ』って――僕達を守るために、自分の手で決着をつける腹積もりだったんだろう」

「私のことなんてどうでもよかったんじゃねえの……、端から見捨てるつもりだったとか」

「空巣さんはそんな人じゃない。六花も知っているだろう。確か、僕の記憶も上書きされているんだよな。だったらなおさら、空巣さんがどれだけ僕達のことを気にかけてくれているか分かるはずだ」

「どうでしょうね、嘘吐いて殺人狂に成り代わろうとした輩の記憶なんて、ちっとも当てになりませんから」


 あ、ばれてるのか。


「記憶に嘘は吐けないよ、六花。お前は今、僕達三人の記憶が混濁して少し感情的になっているだけなんだ。僕と西苛の記憶を取り除けば、きっと何もかもが元通りになる」

「――ああ、道開お兄ちゃんも『そう』なんですか」


 この時、僕は六花の心の奥底に眠っていた地雷目掛け、思い切り足を振り下ろしてしまったことを理解した。立ち振る舞いや言葉遣いはまるきり変わっていても、まだどこかに三枝 六花としての面影を残していた彼女は、僕が地雷を踏んだ途端に『表情』と呼ぶべき顔の細かな歪みを完全に消し去り、まさしく『無表情』な顔を浮かべた。


「口だけのクソクダラナイ心配をしてくれるんですね」


 私の家族のように。


 そう六花が呟くと同時に、僕は目前の心臓を蹴り上げた。取り返すだけのつもりが勢い余って天井にぶち当たり、動かなくなった。平らに潰れた心臓がずるりと滑り落ちる頃には、新たな心臓と血肉が瞬く間に羽を押し退け、胸の穴を塞いでいた。僕は西苛の取り落としたナイフを拾い、羽の一部を細かく切断した。六花の羽は粘土にも似た独特の硬さで刃に抵抗するが、生憎ナイフの切れ味とその扱いには自信がある。巨大な翼の三分の一程をミンチにすると、僕はそこで攻撃を止めた。羽の切り口から噴出する紫の鮮血が壁や床を洗い、羽の一部が宙を舞う異様な光景を眺めつつ、六花との間合いをはかる。


 迷わず心臓を拉ぎ、流れるように攻撃行動へ移行できたのは、本当に殺されると思ったからだ。『人類史上最低の実名なき殺人狂』に成り代わろうと決めた僕が、どうしても超えられなかった一線――人間を殺すという行為への抵抗、良心のデッドラインを、六花はあっさりと飛び越えてしまった。


 ナイフで切り分けた肉片の中でも、口がまるごと残った大きな塊が僕の頬を掠める。ぼとりと床に落ちる直前、それは小さな声を発した。


「六花を止めてくれ」


 僕の声によく似た、それでも少しだけ違う声質。己の耳で聞く声と録音した声は、共に自分の声でありながら不思議と別人のように聞こえるのだという。だが今の言葉は僕が発したものではないし、六花に流し込まれた僕の記憶によるものでもない、そう断言できる。


 六花の暴走を止めてくれと願う、僕と似た声を持つ何者か。心当たりは一人しかいない。六花が度々僕に似通っていると公言していた、本物の『お兄ちゃん』だ。


 間違いない、あの翼の中には六花の兄が取り込まれている。


 六花の前から姿を消した家族の内、兄が六花の羽の中から見つかった。では残った父と母の行方は……。分かっている、僕は既に解答を得ている。六花の家族は皆、あの羽の餌食となったのだ。


 六花は家族を喰らった。しかし死んではいない。体は羽を肥大化させるための肉となり、口だけが言語を介する自由を許されている。人ならざる存在に成り果て、延々と生き続けることを強制される彼らが口にするのは、妬み僻みの暴言ばかり。


「これからは《翼は駆らない(ノーウィング)》とでも呼びましょうかねえ。ふふっ、能力に名前をつけるなんて私らしくもない」


 名前を得た翼は辺りの床や壁に歯をめり込ませ、満遍なく食い散らす。まだ口にしていない食べられる場所を見つけてはもぐもぐと咀嚼し、噛み砕いていく。羽の『食事』はまだ終わらない。遂には天井に大きな穴を穿つ程に食い進め、家の中の置物や柱、屋根さえ飲み込み、己の身体に取り込んでしまう。真上にぽっかりと空いた荒削りのトンネルからは、綺麗なお月様が窺える。膨れ上がった六花の翼は夜空に向かって吠え、月をも呑み込んでしまいそうな迫力を醸していた。


 それは最早、空を飛ぶための羽ではない。この世界を貪り滅ぼす大きな二つの口だ。


「お兄ちゃん。ねえ、私の愛しい人。私は家族を食べちゃったのに、どうして今になるまで忘れていたのでしょう。一体誰がおれの記憶を――まあ、いいか。とにかくぼくはお腹が空いてたまらないんだ、だから食べていいよねお兄ちゃん。ほんのちょっぴりだけ齧らせて下さい。指の先だけでもいいからさ」


 じりじりと距離を狭める六花の姿は、初めて出会った時の『彼女』によく似ていた。有十の記憶は上書きされていないはずなのに、六花と僕と西苛、三人の記憶が合わさって『彼女』に近似するというのは不思議な話だ。


 『彼女』も、これだけの絶望を抱えていたのだろうか。


 一年という長くもあり短くもあった期間、僕は彼女の隣にいた。家族でも一日中そばにはいないというのに、僕は四六時中彼女にべったりくっついていた。起きている間はもちろん、寝ている時も。一秒たりとも彼女の視界から漏れず、一瞬たりとも彼女を視界から逃さなかった。それでも僕は、彼女のことを何も知らなかった。今更確かめようにも、彼女はこの世界のどこにもいない。


 もし『彼女』がいたら、この危機的状況をどのようにして乗り切るだろう。


 きっと「全く仕様のない甘えん坊ね、私がいないと何もできないのかしら」といった感じで軽口を叩き、まんざらでもない顔で適切なアドバイスを寄越してくれるに違いない。ではそのアドバイスとは何だ。僕の愛したあの人は、このどうしようもない窮地をどうやって脱する……。


「殺す。殺せるまで徹底的に向き合う」


 殺人狂の彼女は絶対にそうする。できないことにはとことん挑む。決して諦めず、根気強く相手をする。そして殺す。それこそが真の『人類史上最低の実名なき殺人狂』。


 六花を殺すわけにはいかないが、『彼女』のひたむきさは見習うべきだ。どこにも逃げず、六花の気が済むまで相手をする。そこに勝ち負けはない。説得を聞き入れてくれないならば、聞き入れてもらえるように頭を冷やしてやるしかない。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 ぶつかり合えば、言葉を捨てて拳を交える他に道はない。結局は西苛の言い分が正しかった。それを認めはするが妙に腹立たしいので、後で西苛をたっぷりとっちめてやると心に決めた。そのためにも、まずは六花をどうにかする必要がある。


 僕はナイフを逆手に持ち替え、絶対に手放さないよう柄を深く握った。空いた左手は腋を締めて握り拳を作り、ナイフを持つ右手も同様に構える。武器を手にしている点を除けば、ごく一般的なファイティングスタイルだ。


 膝を曲げ、腰を落とす。重心を低く保ちながら、僕は走り出した。僕の闘いはいつだって相手に接近するところから始まる。


「六花!お前がその翼を収めるまで、僕は何度でも立ち向かうからな!」

「止めた方がいいと思いますよ。僕はこれからお兄ちゃんをぐじゅぐじゅになるまで噛み噛みして、西苛ちゃんの臓物と混ぜ合わせて、後は、うん、とりあえず手当たり次第に人を『つまんで』いこうかな、って思っているの」


 羽の一方が正面から迫りくる。僕はあえて避けずに体当たりを食らわせ、体を蝕まれながらも羽の形を成す濃赤色の肉塊を断つ。六花が平気な顔で手の甲に付着した僕の血を舐め取っているところを見るに、この『翼』へのダメージは六花本人に影響がないらしい。それはつまり、遠慮なく彼女の羽を八つ裂きにできるということである。


 ナイフを引き抜き、一切の躊躇なく羽をめった刺しにする。標的はがちんがちんと歯を打ち鳴らす汚れた口であり、散々僕の体に噛みついてくれたその歯を歯茎ごと抉り取る。そうして咀嚼という攻撃手段を失った肉の塊に、間髪を容れず更なる追撃を加える。ナイフを再び順手に持ち替え、羽の絶叫をかき消すように気合いの雄叫びを上げた。


 白銀の軌跡は縦に一本、横に一本、羽の表面に太い切り傷を残す。羽は僕の能力と違い、自分以外の物質(人間も含む)を食べることで体積を増やし、失った体を更に膨れ上がらせている。羽は今まさに周囲のコンクリート片や木屑など、先程の『食事』の残骸を喰らおうとするが、ある口は唇を切り取られ、ある口は歯が全て圧し折られ、目の前のご馳走にありつけないでいた。これ以上大きくなられては困る、だからこそ真っ先に口を潰したのだ。


 もう一方の羽の狙いは、僕の後ろにいる西苛だ。そういえば彼女は一体何をしているのかと振り向いてみれば、右足を引きずって地上へと続く階段に向かっていた。逃げ出すつもりなのだろうが、彼女の右足は脹脛の肉がぱっくりと裂け、そこから折れた骨が露出してしまっている。そんな状態では、いくら動きの鈍い羽でもすぐに追いつかれてしまう。


「何をやっているんだ、あの馬鹿」


 ナイフでずたずたに切り裂かれてもなおぴくぴくと痙攣し、まだ抵抗する気力は残っているぞと主張する羽に蹴りを入れ、動かなくなったことを確認すると、西苛を狙う羽が彼女の背中を剥ぎ取る前にその先端を掴んだ。僕の手を振り払おうともがく羽を抱え込み、ヘッドロックならぬウィングロックを決める。


「こんな惨状になるまで六花を追いつめた張本人が、何を逃げ出そうとしている」

「あの羽が崩した天井の瓦礫で足をやられたんだ。早く逃げないとぼくまで喰われちゃう」

「そんな勝手が許されるか」


 こっちを向け、と西苛を怒鳴る。羽が二の腕や腋を喰いちぎる痛みに耐えながら、生きたまま喰われることへの恐怖に怯える西苛を、その潤んだ瞳を覗き込む。


「お前の『世界を滅ぼしたい』って思いは正直分からなくもない。それを見届けてから死にたいっていう気持ちも、百歩譲って納得しよう。でも自分のした所業は、過ちは、目に焼きつけろ。目をそらすな、あれがお前の犯した『過ち』だ」


 僕は六花を見る。


 醜く、翼とは形ばかりの肉塊を背負った哀れな少女、三枝 六花。彼女の中に眠る羽という化け物を呼び覚ましたのは、他ならぬ西苛だ。だから僕は西苛を叱った。そうすることこそが僕の役目だったのだと、今になって確信する。


「お兄ちゃんは、本当に優しいですね」


 六花は微笑む。先程までとは打って変わり、落ち着いた振る舞いを見せる彼女はどこか寂しげでもあった。また油断を誘って心臓を抜き取るつもりなのではないか、そう思ったのも束の間、僕は腕の中で暴れていたはずの羽が萎れていることに気づく。


「道開お兄ちゃんは、どうして西苛ちゃんを庇っているんですか。どうして、どうしてそんな人を救おうとしているんですか」

「皆で仲良くしたい。それがお前の願いだからだ」

「違います。私は西苛ちゃんを殺したいんです。私の本心は――私は、本当は誰とも関わりたくないんです!」


 見る間に羽が縮んでいく。六花の身を案じるように寄り添う二つの翼は、彼女の目から零れる涙の粒をざらついた表面で受け止め、その度に小さくなる。羽から飛び出た数多くの目玉もまた彼女の感情に呼応し、涙を流していた。紫色でも黄色でも濃赤色でもない、綺麗な透明色の涙だ。


「分かってるよ、六花。それもお前の立派な本心だ」


 僕は六花に歩み寄る。彼女は両腕をばたつかせて僕を拒絶する。だがそんな抵抗はお構いなしに、僕はその華奢で血塗れの体を抱きしめた。


「殺したいけど殺したくない。仲良くなりたいけれどなりたくない。好きだけど嫌い。矛盾する二つの感情を持つなんて当たり前、甘いお菓子でも食べればころっと考えが変わってしまう。それが人間だ」

「お兄ちゃん、ごめんなさい。私、憎くて辛くて、でも何とかしようって、それで」


 ぽん、ぽん、と彼女の背中を軽く叩く。泣く子をあやして眠りにつかせる母親にでもなった気分だ。そうしている内に羽は僕の手と同じ大きさにまで縮小し、遂には消えた。肩甲骨付近に隠れた羽は一切の痕跡を残さず、その体に溶けた。


 ひとまず、六花の暴走は止まったと見て良いだろう。


「謝る必要はないよ、六花。むしろお前に謝るべき人間がそこに――あっ!」


 西苛の方を振り向き、僕は驚愕する。


 そこには颯爽と階段に向かう西苛の姿があった。右足に怪我はなく、血も付着していなければ骨も飛び出ていない。あの傷は、地を這う無様な姿は、僕らの油断を誘うための演技だったのだ。彼女の足元には真っ白なホイールが出現し、火花を散らしながら高速回転することで、彼女の体を地上へと繋がる唯一の通り道へと運ぶ。それもまた西苛の持つ能力の一つなのだろう、まるでジェットエンジンを搭載したローラースケートだ。


「待てコラ!」


 六花との抱擁を解き、全速力で西苛を追いかける。先に階段に着いた西苛が指を鳴らすと両足のホイールが消滅し、今度は風が巻き起こった。風を操る能力か、地下に吹くはずのない突風が追い風となって背中を押し、西苛はあり得ない速さで階段を上っていく。後を追う僕にはどういうわけか向かい風が吹き荒れ、どんどん距離を離されていく。


 トンネルのように真っ暗な通路の中で、散々聞いた西苛の笑い声が反響する。


「今回は失敗したけれど、ぼくは決して諦めないよ。必ず六花ちゃんの《翼は駆らない》を手に入れ、世界を滅ぼす。それがぼくの――」


 西苛の言葉が途切れる、と同時に、遥か上段にいたはずの西苛が勢いよく転げ落ちてきた。通路の幅が狭いせいで避けられなかった僕を巻き込み、二人揃って元いた地下に戻ってきてしまった。


 僕は西苛の下敷きとなり、落下の衝撃をもろに受ける。彼女の臀部が背中を押さえつけ、うつ伏せのまま立ち上がることができない。早くどいてくれ、と言いながら西苛の顔を見上げると、彼女は唖然とした面持ちで階段を見つめていた。


 君は、と西苛が言いかけたところで、彼女の体がふわりと宙に浮く。また能力を使う気かと身構えるが、どうも様子がおかしい。西苛はわたわたと手足をばたつかせ、必死に地上へ戻ろうと抗う――と次の瞬間、彼女の体がすっ飛んだ。ひたすら上に向かって加速し、まるでダーツのように頭から天井に突き刺さったのだ。力なく垂れ下がった四肢がぶらぶらと揺れる様子は、人型のキーホルダーを連想させる。


 それから間もなく、かつん、かつんと階段を下りる音が近づいてきた。一段ずつ、ゆったりとした足取りで地下に辿り着いた『彼女』は――いや、宮島 有十は僕に手を差し伸べ、破顔した。


「ヒーローは遅れてやってくるのよ、知らなかった……」


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