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第一話『人に出会うということ』

 私は今、とある喫茶店にいた。


 窓際の席に腰掛け、午後特有の眠気を誘う柔らかな日差しをちょうど左半身だけ浴びながら、飲みかけのコーヒーを眺めていた。コーヒーカップの中にたっぷりと注がれていたはずのブラックコーヒーは、もう一口で飲み干せる量しか残されていない。その黒く透き通った水面は日光に当たって鈍く輝いている部分と、影に隠れ、より濃さを増している部分に分かれていた。


 コーヒーの量から分かるように、私はかれこれ二十分ほど喫茶店に居座っている。もちろん理由あってのことであり、学校帰りの中高生のように意味もなく屯しているわけでは決してない。


 私は待っている。一人の少年と待ち合わせをしていた。


 私が何故少年の来訪を待っているのか。どうして喫茶店を選んだのか。また、その少年とは一体何者なのか――もし私の傍に私以外の、いうなれば『読者』のような人間が存在していると仮定したならば、読者はきっとそういう質問よりもまず私という人間についての説明を求めるに違いない。


 私は何者か。


 少年を待つ間、私は私という人間について分析してみる。少年が来なくては私の用件は進まないし、他にすることもない。たまにはこういう自己分析も面白いかもしれない。


 名前は鳥小屋(とりごや) 空巣(からす)。奇抜な名前であることは自覚している。しかしこれは私が好んで名乗る偽名に過ぎず、本名は別にある。本当の名前は私にとって特別価値のあるものではなく、ここ数年は『鳥小屋 空巣』というアノニマス・ネームを多用し、生きてきた。


 地味で何ら捻りのない本名より、多少おかしくてもインパクトがあって覚えやすい偽名の方が良い。理由はもちろんあるが、今は放っておくとしよう。


 性別は女、年齢は三十三。三十歳を過ぎる頃には私と同年代の女性の多くが籍を入れ、幸せな家庭を築いていたが、私は未婚だ。私の人生にいわゆるところの『出会い』は皆無であったし、何より私には誰か一人と寄り添って仲睦まじく暮らすわけにはいかない事情がある。これも今は伏せておくとしよう。


 先程から誰に対して己を説明し、誰に対して理由を伏せようとしているのか。その答えは「誰でもない」であり、これが単なる独り言である事実は今更口に出すまでもない。言葉を発していないので、そもそも独り言ですらない。


 もし、この思考の羅列を語る相手がいるとすれば、それは私の待ち人が相応しい。少年には私という人間について知る権利があり、そして義務がある。


「待ち合わせ場所は――ここで合ってるのかな」


 自己紹介とも呼べない私の回想はここまで。というのも、遠慮がちに店の扉を開け、躊躇いながらも店内に足を踏み入れる少年の姿を視界に捉えたからだ。彼は忙しなく頭を左右に振って周囲を見渡し、この店で自分を待っているはずの人物を見つけられずにいる。私の方から呼び出したのだから、このまま放っておくわけにもいかない。


 私は少年の方に体を向け、小さく手を振った。すると少年は私を見止め、微笑みを浮かべながら歩み寄る。その笑顔から彼の安堵が読み取れる。


「こんにちは」


 まず私から声をかけ、そして少年が間入れず「こんにちは」と挨拶を返す。至って普通の交流であり、至極平凡な会話――否、会話とも呼べない言葉の掛け合いが何の問題もなく行えたという事実に対し、私は少し安心した。


 少年は真向いの席に腰を下ろすと、右手をそっと胸に添える。


「よかった、場所を間違えていたらどうしようかと思いました」


 少年の顔を見る。そこには心配事がなくなってほっとしている柔らかな笑みがあった。血色の良い肌に、黒髪は長めのスポーツ刈り、それに顎を見てみればうっすらと髭が生えている。もう少し注意深く観察すれば肌のシミやほくろなど、細かな特徴も見つけられるだろう。しかし私の視線に戸惑う少年に気づき、一旦彼から目を逸らす。


「何か頼むといい。飲み物でも食べ物でも、好きなものをいくらでも――私の奢りだ」


 ありがとうございます、と少年は軽く頭を下げ、テーブルの隅に置かれたメニュー表を手に取った。彼がメニュー表とにらめっこをしている内に、私は隣の席に置いていたバッグへと手を突っ込み、目当てのクリアファイルを探し出す。ファイルに挟まれた紙の束を丸ごと取り出すと、クリアファイルだけをバッグに戻し、紙はテーブルの上に置く。その間、少年は注文を済ませていた。


「そのプリントは何ですか」

「君についての調査書だ」

「調査書」


 そうだ、と頷き、私はダブルクリップで留めてある紙の束を捲る。一枚目は白紙だが、二枚目には文字とそれを囲う枠組みが隙間なくびっしりと印刷されており、右端には少年の顔写真が添付されている。


「『我々』は君の素性についてありとあらゆる方面から調査を行い、君という人間がこの世に生を受けてから今に至るまで、どこで何をしてどのように生きてきたのかを事細かに調査した。どうしても掴み切れなかった記録の『抜け』はあるにせよ、君がここ一週間で摂取した塩分や糖分の量さえ把握している」


 話の途中、少年は「うわ」と不快感を露わにした。確かに自分のことを調べ上げられて良い気分はしないだろうが、私には彼が笑っているようにも見えた。私が『抜け』という言葉を発した時、つまりはこの調査書が彼の全てを網羅したものではないと分かった瞬間、少年は僅かに口元を吊り上げた。


「あまり気持ちのいいものではありませんね、見ず知らずの人間に己の全てを知られているというのは」

「見ず知らず、か。そういえば紹介が遅れたな、私は鳥小屋 空巣という。姓でも名前でも、どちらでも好きな方で呼んでくれ」

「それでは空巣さんで――空巣さん、あなたという人間についても詳しく教えて下さい。僕の素性を洗いざらい調べておきながら、自分は名前だけなんてあまりに不公平だ」


 彼の言い分はひどく正しい。それにわざわざ訊かれずとも、今から説明していく手筈であったから実に都合がいい。


「君の言うとおりだ。それでは私の正体について触れつつ、同時に君を呼んだ理由についても話していこうか」


 そう言い終わるが先か、トレイを持った店員が注文の品を運んできた。湯気の立ち上るカップとプレートを配膳し終えると、店員は速やかに厨房へと姿を消す。


「コーヒーとパンケーキか、もっと高いものでも良かったのに。ほら、このハニートーストなんてどうだ……、遠慮せずに好きなだけ注文するといい」


 少年はナイフとフォークをパンケーキに突き刺したまま、物珍しげに私の方を見ている。どうした、口に合わなかったかと心配する私を他所に、少年はにっと白い歯を見せて笑う。


「空巣さんって、何だかお母さんみたいですね」


 私も彼につられて笑みを浮かべる。


 少年の言葉は意外にも的を射ている。彼はまだ知る由もないが、私は君の――『君達』の母親のような役割を担っている。そう言ってみたところで少年を不必要に困惑させるだけだと判断した私は、時間が経って温くなってしまったコーヒーをちびりちびりと味わいつつ、彼がパンケーキを食べ終えるまで待つことにした。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


「『非行敷(ひこうしき)』について知っていること、ですか」


  少年は残ったパンケーキの一切れを口に放り込み、少し咀嚼した後コーヒーで流し込むと、どことなく物憂げに呟く。


「確か、恵まれない子供達――生まれつき重度の障害を抱えている子供や、親を亡くして行く当てのない子を引き取り、一般社会に溶け込んで自力で生活できるよう支援する非営利組織、だったかな」


 少年は両手の指を絡めながらぽつり、ぽつりと言う。その仕草から、彼が非行敷に関する記憶を探り探り話していることが伺える。


「元々は非行が目立つ子供達を更生させるために立ち上げられたもので、その非行敷という名前も『非行に走る少年少女を保護し健全な生活と家族と帰る家を提供する屋敷』の略称だとか」


 彼の説明は非行敷という組織を十分に理解しているように感じられるが、この話はあくまで表向き――過去に散々テレビ番組やインターネットで取り上げられ、今となっては知らない人間を探す方が難しい既知の事実である。


 表があれば、当然裏もある。実のところ、少年の知る情報は九割嘘だ。真実と呼べるのは非行敷の長々とした正式名称くらいのもので、他はあくまで建前というか、真の目的を秘匿にするべく意図的に流したカバーストーリーに過ぎない。


 私は非行敷が創られた本当の目的を知っている。医師が自分の勤務する病院の実状に詳しいように、非行敷の真実の姿を知る者はその関係者である可能性が極めて高い。以上の事実から、私の正体を推測することは極めて容易であるだろう。


「改めて名乗らせてもらおう。私は非行敷日本第一支部支部長、鳥小屋 空巣。今回君をこうして招いたのは他でもない、君には今日から非行敷の一員として我々の許で生活してもらう」


 私は非行敷の人間。日本に点在する三つの支部の内、第一支部の長を任されている。今回取りつけた少年との面会は、彼を非行敷に迎え入れ、その保護下に置くことを目的としていた。


 私の話に黙って耳を傾けていた少年は、


「僕を非行敷の一員に、ですか」


 ふう、と小さな溜め息をついた。加えて彼の不機嫌そうな表情から察するに、あまり乗り気ではないようだ。


 だがこちらとしては是非とも少年を受け入れたい。そうしなければならない『事情』があるため、引き下がるという選択肢はそもそも存在していない。そこで私は少年に対し、非行敷に加わることで得られる恩恵について説明を始めた。


 寝食に関して不自由な思いはさせない。学校にも毎日通うことができる。望むのであれば習い事だって始められる。欲しい物は何でも手に入る、とまでは言わないものの、娯楽に興じるだけのささやかな小遣いも与える――。


 私の言葉に少しは興味を示してくれるかもと期待していたのだが、予想に反して少年の反応は淡白であった。どうでもいいと言わんばかりに窓を見やり、口を開く。


「僕が中学校を卒業してから高校にも行かず、親の許を離れて放浪を続け、更にはここ数ヶ月まともな食事を取っていないことも既に調査した上で言っているのでしょうけれど」

「もの言いたげな顔だな。気にせず言ってみたまえ」

「どうして僕なのかな、と思ったんです。僕は十六歳です、十六と言えば中学を卒業して十分に働くことができる年齢です。学歴が中卒では働き口も必然的に限られてくるでしょうが、それでも決して仕事がないわけではありません。それなのにどうしてわざわざ僕を保護するのかな、と疑問に思ったんです」

「自分は見捨てられるべきだと言いたいのか」

「そこまで悲観的ではありません。しかし、僕以上に悲惨な目に遭っている子供達はこの日本だけでも五万といます。世界にはもっともっと不幸で凄惨で目も当てられない有り様の子供達が、藁にも縋る思いで救いの手を待っています。見捨てられるべき人間なんてこの世界にはいませんが、救われるべき順番はあると思います」


 順番です、と彼は念を押す。


 少年の言にも一理あるとは思う。誰もが幸福かつ裕福な環境に生まれるわけではなく、日本国にも物乞いやホームレスとして幼い頃から地獄を見てきた人間は一定数存在している。普段は人の目につかないというだけで、蓋を開けてみれば日本という国の貧富の差は某合衆国と何ら変わりない。その点、少年は比較的恵まれた人間だ。必要最低限の義務教育を受け、健康状態も悪くない。まともな食事を取っていないと彼は言っていたが、一応は栄養のあるものを食べていたことは調査書にも記されている。


 そうした事実から、彼は自分が『まだ』救われるべきではないと訴えているのだろう。自分よりもまず救われるべき人間を救ってからにしてくれ、と主張しているのだ。


 非行敷が真に恵まれない子供達の救済を目的としていたならば、私は素直に引いていただろう。しかし先にも述べた通り、非行敷には隠匿されている裏の顔がある。


「君は結構白々しいな」


 私が鼻で笑うと、少年は眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにする。


「救われる順番。そうだな、君のように一生を捧げても償いきれない罪を重ねてきた人間が救済される順番は、それこそ最後尾がお似合いだろう」


 罪、という言葉に反応し、彼の視線がより鋭さを増す。


「知っていたんですか、僕が――」


 少年の言葉を遮り、私が先に彼の秘密を明かす。


「人殺しだということ。それも一人や二人なんて小規模ではない、何百何千人もの罪なき人々を殺めた大量殺人者であること。もちろん認識している、知った上で君を呼んだ」


 少年は明らかに動揺している。焦っているためか、テーブルの側面を人差し指の爪でコツ、コツと叩き始める。


「――警察は」

「警察を呼ぶつもりはない。今この店に機動隊が踏み込んできたとしても、君を差し出すような真似はしない。約束しよう」


 彼はそうですか、と落ち着いた素振りを見せるも、テーブルを叩く仕草は一向に収まる気配がない。緊迫した雰囲気が喫茶店を満たし、それでも私は臆することなく淡々と話を進める。老若男女関係なく数多くの人間を屠り去った殺人鬼を前にして、我ながらとんだ度胸である。


「いよいよ本題に入ろうか。まずは君を非行敷で保護する理由についてだが、殺人狂として精神が歪みに歪みきった君に改心してもらい、一人前の大人として社会に奉仕してもらうためだ」

「死刑にすればいいじゃないですか」


 少年はぶっきらぼうな口調で続ける。


「改心させるなんて回りくどい方法は取らずに、さっさと首を絞めて殺せばいいじゃないですか。まして僕は大量殺人者、生半可な判決で済まされるような罪は犯していない。それに僕が生きることを被害者の遺族が良しとするはずがありません」


 コツ、コツとテーブルを叩く音は鳴り止まないどころか益々激しさを増していく。その音の大きさは少年の抱いている感情――不快感だとか苛立ちだとか、そういうものの起伏に呼応しているようだ。


「そんなに非行敷が嫌いか」


 テーブルに爪が触れる直前、時が止まったかのように彼の指先はぴたりと静止する。少年は私の顔を睨みつけたまま、次の言葉を待っている。


「先程も言ったが、君は本当に白々しいな。まさか本当に『一人で当てもなく放浪を続け』、『殺人鬼として人を殺め続けた』からという理由で君を保護するとは思っていないだろうな……。他にも理由があると、死刑にしたくてもできない理由があると分かっているくせに」


 殺人に邁進し、最早救うに値しない少年を非行敷で改心させる、その理由。


 彼に死刑を申し渡したところで全く意味のない理由。


 彼はただの快楽殺人者などではない。おそらく少年は、それを弁えているからこそ私の誘いを拒否している。


 私はテーブル上に放置していた調査書を再度手に取り、今度は彼が犯したとされる殺人事件について記載されたページを開く。事件の被害者から事件当時の現場状況まで事細かに記されているそのページに目を通しながら、事件の裏側に隠された耳を疑うような真相を紐解いていく。


「君が最初に犯した殺人は、中学校の卒業式において行われた。それは間違いないな」


 ええ、まあ、と少年は間の抜けた返事をする。


「××県限条(げんじょう)市立限条中学校の卒業式に出席していた君は、一体どうやったのか、その場に居合わせた生徒、教師、保護者に至る全ての参列者を皆殺しにした。一人の生存者も許さず、確実に全員の息の根を止めた。それから程なく、遅れて息子の卒業式に赴いた夫婦によって事件は発覚。無論、その息子も殺されていたわけだが、警察が調べたところ、式に参加していたはずの君の死体だけが見つからなかった」

「当たり前です、僕は死んでいなかったのですから」

「唯一の生き残りである君を事件の犯人だと断定するのに、さして時間はかからなかった。限条中学校の大虐殺から程なく、次の殺人事件が起きたからな」


 犯行現場は同じく限条市、限条市役所。市役所前を通りかかった人間が無差別に襲われる通り魔事件が発生し、警官が現場に駆けつけるまでのほんの僅かな時間で、二十三人の命が奪われた。犯人の姿は既になかったが、かろうじて息のあった被害者の一人に話を聞くことができた。


「被害者は致命傷を追って気絶する寸前、母校である限条中学校の制服を着た少年の姿を見たという。その少年がやったのか、凶器は何か、手がかりを残していないか――より詳しい経緯を聞き出す前に、被害者は息を引き取った」


 一息つき、私は少年を見る。幾分落ち着きを取り戻してはいるものの、不満は残っているらしい。何がどう不満なのか、私に可能なことであれば改善してあげたいところではあるが、今はとにかく話を進めることが先決だ。彼に多少嫌な思いをさせてしまっても、尋ねなければならないことがある。


「問題はその次、とある五階建てマンションで起きた第三の事件だ。被害者はマンションに住む人間全員。生存者なし――ところが、住人の悲鳴を聞きつけてマンションの外から様子を伺っていた人間は死者の一団に加わることなく、それどころか無傷であった」


 少年は思い出したように天井を見上げ、


「ああ、あれか」

「思い当たる節があるようだな。そこでも君の姿は確認されたわけだが、不思議なことに君を目撃した人間の中には気を失って倒れた者がいたそうだ」


 あたかも他人事のように「そうでしょうね」と呟き、続けて少年はこう言った。


「全身に包丁が突き刺さったまま、平気な顔をして歩く人間を見れば気絶もするでしょう」

「その『平気な顔』も文字通り首の皮一枚で繋がっていて、とても平気とは呼べない有り様だったらしいが」

「上手いこと言いますね」


 少年はケラケラと笑っているが、たった今話したことは紛れもない真実だ。お伽話やメルヘンの世界で起きた空想上の出来事ではない。だからと言って腹を抱えて笑う少年と一緒に笑う気にはなれないが。


「その後の殺人事件においても度々君の姿は目撃されているが、決まって君は致命傷を通り越して死に至るべき傷を負い、それでもなおこの世に留まり殺人という罪を重ね続けている。まさかとは思うが、君は不死身か?」


 少年は狂ったように笑うのを止め、肩を竦ませる。


「はい。僕は包丁で心の臓を切り裂かれても首を切り落とされても手足をもがれても槍で頭の天辺から足の爪先まで刺し貫かれても死にません。その証拠に――」


 少年がテーブルを掌で軽く叩くと、ホットケーキを食するのに用いたナイフが皿に当たって僅かに浮いた。そのナイフをすかさず掴むと、そのまま自分の左眼球に刃先を突きつけた。


 少年の思惑に気づいた私は、すぐさま彼を制した。左手をかざし、ナイフをテーブルに下ろすよう指示する。


「不死身の能力を証明してもらう必要はない。先にも言ったが、既に君の持つ奇怪な能力についてはある程度の調査を終えている。何人たりとも君を殺害することは叶わず、君の体は命に関わるような重傷すらものの数秒で自然治癒してしまう。にわかには信じがたい話だ。しかし私は、それがどのようなトリックであるかを知り得ている」


 少年は「知り得ていますか」と私の言葉を反復すると、握っていたナイフを皿の上にそっと戻した。両肘をテーブルにかけ、指を目の前で絡ませながらこちらを見る。


「ではお聞かせ願いましょうか。ぼくが不死身である理由を、殺しても死なないという矛盾を抱えた存在であるその仕組みを」

「いいだろう、君のような特異体質とも言える異常な能力を有し、操り、時にはその能力によって周囲に甚大な影響を及ぼす存在を、我々非行敷は『有能力者(ゆうのうりょくしゃ)』と呼んでいる」

「有能力者。能力者なんてフレーズはそれこそ漫画やアニメで散々取り上げられて聞き慣れたつもりでいましたが、『有』の字が付くだけで随分と響きが違うものですね」

「スプーン曲げを代表とする微弱な念力、透視といった比較的非暴力的な力とは異なり、『有能』な『力』を持つ『者』という意味合いを含んでいる。要するに危ない能力を持った奴らということだ」


 成る程、と少年は頷く。上体を反らして小さく背伸びをした後、彼はテーブル上の呼び鈴に手をかけた。呼び鈴に施されたクロムメッキ塗装は、テラテラと日の光を反射している。少年は眩しそうにそれを手で覆い隠し、ボタンを押した。チリン、と心地よい鈴の音が店内に響き渡り、音を聞きつけた店員が彼に歩み寄る。


「アイスコーヒーを二つ、お願いします」


 店員は「かしこまりました」と言って一礼し、厨房へと向かう。私はその始終を眺めつつ、何故ホットではなくアイスなのだろう、とどうでもいいことを考えていた。


「それで、何の話でしたっけ」

「君が不死身の再生能力を司る有能力者で、それに加えて手の施しようのない殺人狂で、私は君を改心させるために非行敷より派遣された人間であるという話だ」


 それだ、と少年が納得している間に、今し方注文したアイスコーヒーが運ばれてきた。店員は私と少年の前にコーヒーカップを並べ、先に飲んで空になったカップを回収して去っていく。


 少年が黙々とコーヒーを啜る間、私は話を続ける。


「先程、君は自分を死刑にすればいいと言っていたな。しかし君にはそれが不可能であると分かっていたはずだ。首を括ろうと電気を流そうと、はたまた一切の食事も許さず餓死に追い込もうと、君は絶対に死なない――そもそも、君に死刑が適用されるかどうかも怪しいところだ」


 彼が犯した罪の重さを考えれば、死刑は至極当然の措置である。そう判断する者もいるだろう。しかし少年が不死身の力を有しているとなれば、彼にとって何の意味もない死刑は最も重い刑罰から除外される。永遠に投獄してこの世界から隔離するのはどうか、と考える者もいるだろう。だがこの日本という国は子供の犯罪に甘い。とりわけ十八歳にも満たない少年が相手では、死刑や無期刑という選択肢は選びたくても選べない。だからといって一定期間社会から隔離したところで、再び殺人に邁進する可能性は捨てきれない。


 現代日本の法では少年を裁くことができない。国が反省を促すことは困難であると判断した非行敷は、政府や警察が彼の存在を持て余す前に先手を打った。それは少年自身を変えること、本当の意味で罪を認めさせた上でその償いに一生を捧げるよう、我々が指導するという選択だ。


「君の処遇について、既に『上』の方々との話し合いも済んでいる。君に身内を殺された者としては絶対に納得するまいが、それでも他に方法がない以上、我々が君を引き取る以外に思案の余地はない」


 少年はカップの縁から唇を離し、視線を落とす。人間は落胆した時にそういう動作を取る傾向にあるが、彼はまさに落ち込んでいるように見えた。


 今、彼は何を考えているのだろう。何を思っているのだろう。


 自分が殺した人間について、被害者とその親族について考えているのかも分からない。その辺り、私は少年に詳しく訊いてみたいと思っていた。


 君は何故人を殺したのか。被害者の返り血をその身に浴びながら、どのような思いを抱いていたのか。


「もし」


 私の好奇心が言葉として口を出る寸前、少年の方が私に問いを投げかけた。


「それでも僕が更生しない場合、どうするんですか。先に言っておきますけれど、僕は結構頑固ですよ。無理に引き取るくらいならドラム缶にコンクリートと一緒に詰めて海に沈めた方が遥かに手っ取り早いと思います」


 少年の殺人行為に対する疑問はまた別の機会に取っておくとして、最後の悪足搔きとも取れる彼の質問に、私は答える。


「君が何と言おうが、これは決定事項だ。どんな理由があって非行敷に引き取られることを頑なに拒むのかは知らないが」

「それはもちろん、より多くの人間を殺したいからです。だって僕は大量殺人犯、狂った殺人鬼ですから」


 少年は何ら憚ることなく、自らは殺人鬼であると言ってのけた。しかし私には、彼の言葉にこびりついた違和感がどうしても拭えない。自信満々に胸を張る動きや、眉を吊り上げてにこやかに微笑むその表情が、まるで殺人狂という役割を演じている道化の如く、言ってしまえばわざとらしく感じられるのだ。


 彼がひた隠しにしている『非行敷に加わりたくない理由』を無理に聞き出そうとは思わない。理由はどうあれ、彼の真意が何であれ、目的は最初から何も変わっていない。結果もまた予定通り。少年には『非行敷入りを受け入れる』という選択肢しか与えられていない。


「君の言葉が本心であるかどうかはさておき、とりあえず返事を聞かせてもらおうか。このまま素直に非行敷へ来るか、あるいは」

「あるいは?」

「少し痛い目を見てから非行敷に来るか」


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 罪のない一般人から同じ殺人犯まで分け隔てなく、平等に、幾千もの膨大な数の命をあたかも花を摘むように易々と奪い去った殺人狂と喫茶店で出会う機会があったとして、事前に何でも好きなものを用意できると仮定した場合、人々は一体何を欲するだろう。


 いざという時のために催涙スプレーか、最悪の事態に備えて殺傷能力の高い刃物や銃器の類か、はたまた聖書を持って神の教えを説くだろうか。しかし相手はただの殺人鬼などではなく不死の体を持つ有能力者であり、ありきたりの武器では何ともはや心許ない。そこで私は、非行敷の管理下にある一人の少女を同行させることに決めた。


 彼女も少年と同様に、普通の人間ではない。類い希なる能力のせいで人間が本来歩むべき平穏な人生を大きく外れた存在――有能力者だ。


 その少女、宮島(みやしま) 有十(あると)にはあらかじめ喫茶店に身を潜めてもらい、少年が私に危害を加えるような行為に走った場合、すぐに割り込んで止めるようにと頼んでいた。彼女の持つ能力は、殺人鬼をも拘束し得る強大な力だ。


 私は彼女に対し、フィンガースナップを合図に姿を現すよう指示を出す。私が指を鳴らすと同時に、少年は目の色を変え、忙しなく目玉を動かして周囲を警戒する。そんな彼の様子を嘲笑うかのようにフンと鼻を鳴らし、


「上よ、上。左右を確認したら上を見る、ホラー映画のお約束でしょう」


 私の合図から程なく、少女の声が聞こえる。それは店の出入り口や窓から響いたものではない。店内の、それも天井から発せられたものだ。


「はじめまして、ごきげんよう。非行敷日本第一支部所属、宮島 有十よ」


 有十は『天井に向かって』一礼してみせる。私や少年から見れば、彼女の行為は『頭を上げた』と言い換えることが出来た――と言うのも、彼女は天井に足の平をぴったりと密着させ、上下逆さまに立っていたからだ。長く艶のある黒髪に、短めのスカートを含む衣類の全てが重力に反旗を翻し、天井に向かって垂れている。


「有十、長い時間待機させてすまなかった。降りてこい」


 言われなくても、と有十は呟き、足場である天井を蹴った。彼女の体は空中に投げ出され、無重力空間を思わせる緩やかな動きで半回転する。更に『能力』で十分に落下速度を抑えた後、彼女は本来踏みしめるべき地へと華奢な足を下ろす。


 靴の爪先が床に触れ、遅れて踵が着地するその瞬間、少年は声を張り上げた。


「ご馳走様でした!」


 彼は突如としてテーブルに乗り上げ、勢いをそのままに窓へと突っ込んだ。交差させた両手を前に突き出し、窓を突き破って外に飛び出す。砕け散った窓ガラスの破片と食器が床に落ち、けたたましい音を立てるが、この惨状を作り出した張本人は何食わぬ顔で店から離れていく。

私達は間入れず彼を追いかける――ような真似はせず、悠長に顔を見合わせていた。


「逃げたか」

「あれは多分、私を見て逃げ出したのよ。それにしても、わざわざ『ご馳走様でした』と礼を言って逃亡するなんて、好感が持てるんだか持てないんだか」

「歳の近い女の子が苦手なのかもしれん。とすれば、彼には悪いことをした」

「そうなのかしら、私にはそういう風には見えなかったけれど――いいわ、とりあえず捕まえてくる」

「有十に限って怪我はしないだろうが、一応彼は殺人鬼だ。注意してくれ」

「彼を捕まえたら、少し二人で寄り道してもいい……」

「遅くならない程度に、な。夕飯までには帰るように」


 はあい、と聞いているこちらまで気の抜けるような返事をすると、有十は少年の割った窓を通過して外に出た。衝撃にかろうじて耐え、窓の桟に残っていたガラス片を『能力』で粉々に砕き、破片が刺さらないよう注意深くその身を潜らせる。


 一人残された私は思わずため息をつき、背後に佇む店員へ歩み寄った。窓ガラスが盛大に割れる音を聞きつけて厨房から飛び出したのだろう。全く状況を飲みこめず、ただ茫然と立ち尽くす店員に近づき、深々と頭を下げて謝罪の意を示す。


 子供達の問題行動には慣れっこだが、窓ガラスを弁償するのは生まれて初めての経験だ。果たしてどれだけの出費になるのやら。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

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