大切な人と大切なもの
メルは先ほど言われたことが嬉しくて少し浮かれていた。城に仕えているとはいってもほとんどが雑用ばかりで、ひどい時はゴミ捨てで一日が終わる。そんな人生がこれからも長く続くと思っていたが、姫様直々、世話役になってほしいと言われた。ルンルン気分で歩いていると、ドカッと誰かにぶつかってしまった。これは自分の不注意が招いたことだ、急いで謝ると
「君さぁ」
と明らかに不機嫌な声が聞こえてきた。メルはこの声をよく知っていて、ビクリと肩を揺らしてぶつかってしまった人を見る。そこには先ほど、リンの部屋から出ていったメガネをかけた男性が服を手で払っている。もちろん転んだわけではない
「エル様!?」
「せっかくの服がこんな小汚いヤツとぶつかったせいで汚れた」
「す、すみません」
エルと呼ばれる男性はメルを小汚いと言い、ぶつかっただけで洋服が汚れたという
その行動にメルはとても怯えていた
「君、自分の立場分かってる?何に浮かれてたか知らないけど、使えないやつがどうなるかは知ってるよね。他のところで使えないからってここに来たみたいだけど、ここでも使えないなら……君は必要ない」
「そ、それだけは!!!!」
エルがメガネをクイっと上げると、どこからともなく剣が現れる。メルは今から自分に起きることが分かってしまい、ジリジリと少しずつ後ずさるがそこはもう壁だった
「使えないヤツは即処分」
エルは剣をメルに向かって突き刺そうとする
「やめなさい!!!!」
「なっ!?」
咄嗟に剣とメルの間に入り込む人影。剣は入り込んだ者の喉元でピタリと止まった
「姫……様…?」
メルは一瞬、なにが起こったのか分からなかった。姫が世話役になるかもしれない人物を助けることも、ましてや剣の前に姫自身が入り込むことも。そもそもリンは一人で部屋からでることすらできないのに、なぜここに居るのか
「どういうつもりですか」
ますます不機嫌になったエルはリンに向けている剣を下げることをしない。それを見て、慌てて仲裁に入る黒髪の男性
「なにをしている。剣を下げろ」
エルは男性に目を向け、ハァとため息をひとつつくと剣は消えた
「メルは今日から私の世話役です。容易にそのようなモノを向けられては困るのですが」
これがエルとの初めての会話となった
世話役という立場が魔界でどの位になるのか分からないが、天界では付き人はそれなりの地位だった
「そんな話しは聞いておりませんが」
「先ほど伝えました」
「そんなこと分かるわけないでしょ」
なんとなく今の状況を理解した黒髪の男性が
「今回だけだ。だが、次からは王の決めたことで俺たちが知っていることしか通らない。それだけは覚えておけ」
と言い、この場をおさめた。エルは全く納得していなかったが、これ以上言い合いをしていても無駄だと思い舌打ちをして去っていった
「あ、ありがとう。えっと……」
「シンだ」
実は今日の見張り役はシンだった。ここ数十年は大人しかったリンが久々に自ら外に出ようとしたことに驚いたが、あえてなにもせず見守りながら後をついていった
エルがメルに剣を向けているのを目の当たりにしたリンが後先考えずに間に入り込んだ時はかなりヒヤヒヤしたが、怪我人がでなくてよかった
「シン、ありがとう」
「ひ、姫……様」
放心状態だったメルが漸く状況を理解し、ヘナヘナとその場に座り込むとメルに抱きつく
「よかった……本当に本当に無事でよかった!!」
こんなにも自分のことを心配して下さるのは姫様くらいだろう…とメルは思った。エルのいう通り要らないモノをいつまでもおいておくよりも、有能で使える者をおいた方がいいのは当たり前のこと。でもリンはたかが世話役になるかもしれないメルのために、刺さったら軽い怪我ではすまない剣の前へと立ったのだ
「でも姫様、なぜこちらへ?」
「これ……メルの忘れ物」
それは採寸の際に使っていたペンだった。どうやらメモだけ持って出てきてしまったようだ
たかがペン一本を届けるためだけに出たこともない部屋から出て助けてくれた姫様には感謝しかない
「姫様……ありがとうございます」
リンの優しさに我慢ができなくなってしまい号泣するメル
その様子を見て、助けられた命にホッと安心するリン
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夜
お城の一角。見るだけで特別な場所だと分かるほどの豪華な装飾がされている室内。その中心に大きな机と数個の椅子が置いてあり、会議などを行う場所のようにみえる
その場には5人の青年がおり、同時に膝を付き扉から入ってきた男性を迎える
「王、お待ちしておりました」
「姫の……様子は…?」
「本日は会話をされております」
「そうか。それは……よかった」
茶色の癖のある髪の毛が歩くたびにフワフワと揺れ、なんとなくタレ目の目からは光が感じられない。おっとりとした喋り方だが、声色からリンが何かを行動したことが嬉しそうに感じる
男性が席につくと、5人は座る
シンはエルとのことを報告しなかった。リンが剣を向けられたと知られれば自分たちの立場が危うくなるし、もしかしたらこの城、国が崩壊してしまうかもしれない
「宴の準備は整っております」
「姫を……楽しませて」
「「御意」」
それだけ言うと、シン以外の4人は退室していく。王は近付くとシンの目の前に座る
「当日は……君に……姫の迎えを……頼むよ」
「……お任せください」
この日はこの国に似つかわしくないほど綺麗な月が輝いており、シャンデリアに反射していつもより部屋の中が明るい。いつの間にか王の手にはグラスが握られており、その中に注がれているものも綺麗な赤色になっていた
(やっと……君に、会えるね……長く、とても長く……待ったよ)
いつもなら少しも笑うことがない王だったが、今日は少し口角があがっていることに気付いたシン。それを見てなんとも言えない複雑な気持ちになった