取り巻き達の末路
~の末路というタイトルを使いながら末路まで書いてないという指摘が入りました。
次回作の時には気を付けようと思ったものの、よく考えれば今作でもきっちり書けるので、追記いたします。
公爵令嬢リディアを拘束して卒業パーティ会場を出る騎士団長令息マクシムは何かが近づいて来る音を聞いて周りを見渡してみる。
すると、パーティ会場から、150センチくらいある巨大ヒヨコが走って近づいて来る。ヒヨコ騎士の連れてきた赤いヒヨコだ。
「な、なんだ?」
「ピヨピヨ~!」
突然、物凄い速度に上げるものだから、慌ててマクシムは剣を抜こうとするが、それより早く錐揉みしながらヒヨコが跳んでマクシムの鳩尾に嘴を突き立てる。
「ゴブゥ」
マクシムは魔導列車に轢かれたかのように10メートルは吹き飛び地面にゴロゴロ転がり地面に倒れる。
きれいに着地したヒヨコはクリンとリディアの方を振り向く。
「ピヨッ」
ヨッと手羽を上げてヒヨコはリディアに挨拶をする。
「え、ええと、ありがと…う?」
顔見知りのピヨちゃんの突撃に若干驚いていた。
無論、このピヨちゃんがそこらの騎士や戦士よりも強いのは知っているので、むしろ魔導列車に轢かれたように吹っ飛んで行った騎士団長令息の身を案じてしまう。
「ピヨピヨ」
ヒヨコは自分の背中を見せて手羽でパンパンと自分の背中を叩く。
「背中に乗れって事?」
リディアはコテンと首を傾げるとヒヨコはピヨピヨと頷いて、グイグイと背中を摺り寄せてくる。
ヒヨコの背に乗ると、ヒヨコはそのまま王城まで走り出すのだった。
無事、公爵令嬢を助け出したピヨちゃんの活躍はさておき、これから始まるのは婚約破棄騒動を起こした王子の仲間たちの顛末。
~取り巻き令嬢たちの場合~
二人のかつてリディアの取り巻きだった令嬢二人がこそこそと話しながら、女子寮のある方角へと歩いていた。
「まさか、あんな大ごとになるなんて……やばくない?」
「だ、大丈夫でしょ、殿下が守ってくれるって約束したし。ユリエの奴が取りなしてくれるって言ったでしょ。うちら勝ち組じゃないの?」
「そ、そうだけど……ソーニャの奴が口出ししないかハラハラして…………」
「ちゃんとソーニャにも言っておかないとね。あいつ、オスカル様の婚約者だし、絶対に口裏を合わせてくれるでしょ」
二人の令嬢が歩いて女子寮へと向かっていると、女子寮付近でソーニャ本人を見つける。
既に二人は離れたものの、かつてリディアの取り巻きをしていた友人だ。彼女は結局、ユリエ嬢への嫌がらせに加担しなかった。
元々、ユリエ嬢がオスカルとの距離が近いがためにオスカルの婚約者のソーニャの相談から始まった関係である。しかもユリエ嬢はヴィクトールにまで近寄る始末だったから問題が複雑化したのだ。
卒業式以前から、彼女達の証言に関係なく、ヴィクトールがリディアに対して悪意あるセリフを吐くようになり、リディアの近くにいた女子たちは波のように引いていった。彼女達だけではないのだ。
ソーニャはそれでもリディア側にいた為、彼女はリディア同様に多くの学生から孤立していたのを知っている。だから二人もソーニャに手を差し伸べてやろうという気持ちがあったのだ。
「ソーニャ、最近見ないけどどうしたの?」
「私たちが声かけてやってんだからさ。同じヴィクトール殿下の庇護下にある仲間っしょ?仲良くしようよ」
と二人は気軽にソーニャに話しかける。
ソーニャは冷たい視線を友人だった者たちに向ける。
「は?最近見ないのは貴方達がリディア様から離れていたからでしょう?まさかあんなことをしでかしていたとは知らなかったけど、……よくあんなこと言えたわね。リディア様は天使だから許してくれるけど、リディア様の庇護下にある人たちはあんたたちを絶対に許さないわよ」
ソーニャは彼女達に軽蔑するような視線を向けて拒絶する。
「ちょっと、良いの?ヴィクトール様がリディア側の奴らに何か言われても守ってくれるって言ってんだけど」
「まだリディア側に付いているなんて没落するわよ。それともオスカル様に守ってもらうの?」
二人は勝ち誇るようにソーニャを嗤う。
彼女達はソーニャは負け組だと言わんばかりに見下していた。何か言えば自分達側には王子がいるのだと思っているのだ。
ソーニャは彼女達の愚鈍さに重い溜息をつく。
「オスカル様とは婚約解消してもらったわ。卒業式が終わったら伝えてほしいと大司教猊下にも了承してもらってる。あの人、将来の展望が全くないし、私が養う事になるのが見え見えだもの。それより二人は良いの?法廷じゃないから虚偽証言をしても罰される事は無いと思うけど、多分領地が大変な事になるわよ」
ソーニャは呆れたように言う。
「はあ?そんなの大丈夫に決まってるじゃない」
「大丈夫に決まってるでしょ。王家の庇護があるんだから」
馬鹿にするように彼女達は笑う。
ソーニャは蔑み半分、心配半分で彼女達を見る。
「リディア様の所有する商会が地方経済を活性化させて貴女達のような零細地方貴族令嬢がこの学園に通えるようになったんでしょう?リディア様にあのような事をしたら商会がそんな田舎の1つや2つ無視するようになるに決まってるでしょ。リディア様が許しても商会の人たちは絶対に許さないし」
「そ、そんな…筈は無いと…」
「アンジェル商会の商会長は確か30代くらいの小父さんの筈だけど…」
そのアンジェル商会とはリディア様は天使のようだと敬意を表してアンジェル商会にしようと言い出したことで決まった名前だ。
リディア本人はそれは止めてほしいと訴えたが、商会の上層部が全員一致で決まってしまった為にそのような商会の名前になっていた。
彼女達はそれを知らないでいたようだ。
「それに王家は貴族間には不介入だし、寄り親を裏切った娘のいる寄り子なんだから、立場がやばいの気付いていないの?今までずっと家をリディア様に助けてもらっていたのに………」
「え?」
「な、何を…」
「魔導列車開通に伴い、貧しかった下位貴族は学園に通うのも厳しくなったのよ。王都に滞在する金も捻出する事が出来なかったからね。リディア様が商会を使って地方の景気を上げたから、地方領地の経済が発展したのよ。それで、今までこれなかった地方貴族の貴方達が王都の学園にこれたって訳。二人はリディア様に恩義があって付いているのかと思っていたけど、それを知らず、ただ公爵家に縋ってただけなのね」
ソーニャは二人を残念な者でも見るように視線を向けていた。
「べ、別に……そんなのなくても……」
「あ、アンタはそれでこっちに来なかった訳ね」
「いや、私の領地は公爵家の膝元の西部じゃなくて、東部だからそんなんじゃないし。ウチの産業って軍部の魔導杖を作るためのアダマンタイト加工がメインで、普通の子爵よりお金あるから。それにウチの寄り親は辺境伯だから死んでも裏切れないわよ?」
「辺境伯て、あの?」
辺境伯はかなり怖い事で有名だ。60を超えた老人ではあるが、分厚い筋肉に覆われた軍人気質の男で、軍閥貴族は誰も頭が上がらない。怒らせたら家が亡ぶとも言われる。
自分たちが生まれる前の内戦では、軍部のトップとして名高い。
今の国王は王位継承権が低かったが、軍部では辺境伯の下にいる将軍だった為、内乱で空いた玉座に就けたのも辺境伯のお陰だった。言ってしまえば王でさえ頭が上がらない存在でもある。
「リディア様は辺境伯の孫だもの。私がそっちに加担したら親が私の首を持って来いって恫喝されかねないから、間違ってもしないわよ」
「は?り、リディアが、…い、いやリディア様が辺境伯の孫なんて聞いてないわよ!?」
武門の半数は辺境伯の子飼いだと言われている程の武力を有している。
リディアが公爵令嬢として有名である反面、あまり知られていないが辺境伯の孫でもある。
何故、そんな重要な事実が知られていないのかといえば、所詮学生たちの貴族ごっこに過ぎないからだ。学生貴族は表面だけでし見ておらず、どういう繋がりがあるのかを本質的にわかっていないのだ。
「まあ、そのお陰でそっちの泥船に乗らなくて済んだんだけど」
ソーニャは二人を憐れむように見る。
「ど、泥船?」
「二人が妙に避け始めた辺りに、リディア様から聞いたけど、このパーティ後に殿下と婚約解消する予定だったのよ。王位継承権剥奪、つまり婚約解消して廃嫡されてから針の筵の中で卒業式は可哀想だろうという配慮から、伸ばし伸ばしにしてたんだけど……配慮してやったら何も知らずに恩を仇で返しちゃって、ヴィクトール殿下ももう終わりでしょうね。生きて臣籍降下出来れば最高の結末ってレベルで」
軍閥から伸し上がった国王の息子が、元上司の顔に泥を塗ったのだ。
どう考えても第一王子に未来がない。理解力の乏しい彼女達であっても分からざるを得ない事実だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、私たちどうなるのよ!」
「さあ、知らないよ。裏切者には裏切者の末路が待ってるだけでしょ?来年度の学校で会えたらいいわね」
「嘘よ!嘘、嘘、それじゃあ、私達、凄くヤバいじゃない。ちょ、助けなさいよ!」
「自分だけ良い思いしようっての?卑怯よ!」
「嫌がらせなんて止めろって言われたのに実行犯になって、しかも殿下達にバレたら苦し紛れに罪をリディア様に擦り付けるような輩を助ける人はいないと思うけど」
とことん自分に都合のいい連中にソーニャは呆れてしまう。
リディアに追従していた頃は然程おかしく思った事は無かった。ちょっとやり過ぎる事がある困った同級生で、今まではリディアが行き過ぎた言動を窘めていたからだ。
性根を暴いてしまえばこんなものかと知ると、来年1年も同じ学校に通うのかと思うとうんざりしてしまう。
「そ、そうだ。リディアに……いや、リディア様に謝れば」
「そ、そうよね。許すに決まっているわ。あのお人よし、いや、寛大な方ですし」
心の声が駄々洩れすぎて辛いとソーニャは頭痛をこらえるようにコメカミに手を当てる。
ソーニャがふと思い出すのは、帝国からきていたヒヨコ騎士様は他人の心が何となく読めるらしく、あの二人を露骨に嫌っていた。
周りの人間には、三人セットでリディア様の取り巻きとして一括りにされがちだったが、彼はその中で私の名前だけ憶えてくれていた。
なるほど、これが最初から見えてしまうのであれば、さぞウンザリしてしまうのだろう。
対してリディア様は天使だと言っていたくらいだ。
それは分かる。
あの人はいつも笑顔で、他人への悪意を欠損して生まれてしまったのではないかと疑いたくなる。
多分、あの断罪されている時も自分を断罪しているつもりのあの方々の心配ばかりしていたのだろうなぁ…とソーニャは感じていた。
「あと、リディア様は多分来年度から学園には来られません」
「は?」
「何をバカな事を言ってるのよ」
「リディア様は紅の英雄の第二正妃として嫁ぐ事になるので、帝国や魔大陸の方で忙しくなるだろうと仰ってました。紅の英雄本人にこっそり教えてもらった事ですが」
後でお別れの挨拶をさせてくれるという話であるが、彼女達に言う必要はない。
教えてくれた紅の英雄様本人が不機嫌になりそうだし。裏切った本人が謝りに来ても、そこから嘘のにおいを感じ取ったら大変だ。
「うそ、ちょ、冗談でしょ?」
「そ、そうよ。そうだ。そもそも殿下が廃嫡される訳ないじゃない」
「そ、そうよね。その……筈。や、やだ。信じちゃったじゃない、ソーニャ」
二人は笑い合って逃げるように去るのだった。
これだけ哀れだとリディア様でなくても将来を危ぶんでしまうと、少しだけソーニャは尊敬すべき友人の気持ちを理解するのだった。
この世界は乙女ゲーと同じ世界観である。だが、リディアを裏切った取り巻き達は異世界人ではないから、同じ世界観である事など知る筈もなかった。
そして、この乙女ゲーがアニメ化した事も知らなければ、アニメ化後にゲームメーカーが絵師を変えて同じ世界観、同じキャラクター名を使った凌辱系エロゲーを出し、大問題作としてオタク達のベストセラーになったという事を。
そして彼女達が凌辱系エロゲーの破滅した端役として出演していることも、まして凌辱系エロゲーの主人公と同じ名前の卒業生が、彼女達に目を付けていたなど知る由もなかった。
~ノヴォトニー侯爵邸・騎士団長令息マクシムの場合~
「何を考えているんだ、お前は!」
騎士団長令息のマクシムは父親の騎士団長イザークに殴られ3メートルは吹き飛ぶ。
マクシムはノヴォトニー侯爵の邸宅にある執務室の地面に転がる。卒業パーティが終わって家に帰ると親に執務室に呼ばれていきなりこれである。
「ぐっ……で、でも親父、俺はユリエを守るために……」
腕が太ももほど太い筋肉質の父親の前では、嫡男マクシムが学校でも一二を争う剣術の使い手だったとしても、華奢なものだった。マクシムは必死に虚勢を張る。
昼間、ヒヨコから食らった嘴攻撃の方が痛いと思ったのは内緒だ。口にしたら脳筋の父親に殺されかねないからだ。
「その男爵令嬢を守る為に、お前は何をしたのかわかっているのか?」
「わ、分かってるさ。全ての元凶たる公爵令嬢リディアを衛兵に突き出そうとしたんだ。彼女を守れたんだからたとえ公爵家に責められようと俺は……」
「そうか、何もわかっていないのか」
眉間を摘んで重たい溜息を吐く父の姿に、逆にマクシムは腹を立てる。
父親はまさか公爵家の権力の前に屈しようとでもしているのかと感じたからだ。
「親父……。まさか公爵家に媚びようと思っていたのか!?……はっ、がっかりだ。弱き者を虐げる悪党を懲らしめるのが騎士たる俺たちのあり方じゃないのか!?」
マクシムは父親を睨みつけて怒鳴るが、逆に父親は熱くなり過ぎたと思って、息を吐いて部屋の椅子に座る。
「その二人の証言者以外にはいなかったのか?リディア・ボハーチョヴァ公爵令嬢が黒幕だという証言をしたのは」
「そ、それは……」
ユリエを守ろうとした有志で、ユリエのいない時にユリエの教科書に落書きをする令嬢をたまたま捕まえただけだった。
彼女達が誰の命令でそれをしたのかを聞き出し、リディアに命じられたと逃げ口上を聞き、それで終わりだと思った。
それ以外には何もしていない。
「彼女の他の取り巻き達はユリエ嬢へ厳しくするように口にしていたらしいが、リディア嬢が宥めていたそうだ。貴族子女の名に恥ずかしい事をするなとな。婚約者に事情を聴いて間も取り持っていたらしい。王子殿下に近づくユリエ嬢を排除すべきだという声もあったがそれを拒絶したのも彼女だそうだ」
「そ、そんなの……あの女が…口を封じさせたに違いない!親父はそんな事を真に受けるのか?」
「婚約破棄騒動があって、その名が地に落ちた後で、我ら騎士団が公平に聞きこんだのだ。それでも口封じが出来るのか?公然と王子殿下から婚約破棄を突き付けられたのに?」
「……」
その言葉にマクシムはまさかと驚き開いた口がふさがらないといった様子だった。
「まあ、問題はそこじゃないな。厄介な事をしてくれた、殿下もお前もな。次の国王候補はリディア嬢の親戚が婚約者になる。そのリディア嬢をお前は公然と地面に叩きつけて衛兵に突き出すようパーティ会場から追い出した。残念ながらお前の未来が危うくなった」
「は?そ、そんな、何を言っているんだよ親父?次の王はヴィクトール殿下じゃないか」
ヴィクトールが最も王位に近いのは誰もが知っている事実だ。何を言っているのかとマクシムは父親を見て疑問を持つ。
「何を言っている。ヴィクトール殿下が第一王位継承権だったのはリディア嬢と婚約をして後ろ盾が大きかったからだ。今は公爵からも辺境伯からも愛想をつかされている。ヴィクトール殿下が次の王になる事はありえない。第二王子殿下か第三王子殿下になるだろう」
何をバカな事を言っているんだと言わんばかりに父イザークは息子を見る。
「だ、だが、大丈夫だとミランは言っていた。リディアは正妻の娘で、親から可愛がられてはいないと…」
「阿呆か。何で可愛くない娘を嫁がせるんだ?扱いが悪ければ娘は王妃になっても、家の為に働かないだろう。外戚になっても意見が通る筈もない。政略で嫁がせるという事は父と娘が円滑でなければ成立せん。人質として差し出している訳じゃないんだぞ?お前はそんな事も分からないのか?」
あまりに見当違いな事を言う息子に、騎士団長は驚きの声を上げる。
「え……」
マクシムはそのおかしな事に初めて気付くのだった。
その顔を見たイザークは当たり前のことを何で知らないのかと頭を抱える。
「リディア嬢はヴィクトール殿下と婚約解消する予定だった。手紙も贈り物もない。どころか誕生日のプレゼントもなければ、パーティのエスコートもしない。王家から打診を受けて断れなかった婚約だというのに、この扱いは酷いと公爵は嘆いていた。孫娘を溺愛する辺境伯は反乱一歩手前だ。抗議があったのは5年前、婚約解消の話は1年前だ。で、お前達が唯一の証拠としていた証言が怪しい上に、動機さえ無い訳だ。この状況でもお前は彼女が黒幕だと思うのか?」
明らかにリディア嬢は白だ。もっと厳しく犯行を起こした二人を取り調べるべきだったと感じる。
だが、リディア嬢が黒の方が都合が良かったのだ。リディア嬢が悪くて、ヴィクトール殿下は婚約破棄する大義名分が出来るからだ。
息子の顔色が悪くなり、父はやっと理解したかと思って口にする。
「お前は冤罪なのに、格上の貴族令嬢に暴行を振るった事になるな」
「そ、そんな事、聞いてない…。お、俺は悪く…ない……。で、殿下に命令されたから……」
父親に自身のしでかした事実だけを言われて、マクシムは力なく首を横に振る。
「聞けば教えてもらえるような話ではないだろう。臣下が諫めずに誰が諫めるんだ?しかも、リディア嬢の次の嫁ぎ先の予定はあの魔大陸で魔王を倒した紅の英雄だ」
父の言葉に息をのむ。
数年前にできた魔大陸の騒動、それを収めたのが紅の英雄。帝国最大貴族の御曹司の名前が出てきてマクシムは凍り付く。
「彼は魔大陸で帝国の公爵から、新しい属国の王になる予定だ。リディア嬢は殿下と婚約解消して、魔大陸の第二王妃として嫁ぐ予定だった。正式に決まったのは1週間前だそうだが半年前にはほぼ内定していたらしいな……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな簡単に殿下から婚約解消して嫁ぎ先を変えられるわけがないじゃないか。それこそ王家に対する不義理だ。叛意を持っていると言われてもおかしくないだろう!」
順番がおかしいとマクシムは父に反論する。
「陛下が許可しているに決まっているだろう。ボハーチュ公爵やハラツキー辺境伯に婚約解消を求められて、殿下はともかく相手に新しい婚約者を見繕わねばならなかったんだ。第二正妃とはいえ、最高の縁談相手だというのは分かるだろう」
「………」
下手すると花国の王妃よりもいい立場である。花国ごと買えるような莫大な金を持つ帝国公爵の息子で、しかも新しい国を拓く王になる訳だ。
「彼はボハーチュ公爵と縁戚となり、魔大陸の王として我が国に多大な利益をもたらすプロジェクトを提案したらしい。中身は聞いていないが、王家に娘がいれば嫁がせたのにと陛下が惜しがっていた程だ。もしも紅の英雄が、自分の婚約者に恥をかかせた上に暴行を振るった男の首を持って来いと言われたら、陛下は喜んでお前の首を刎ねるだろう。お前のしでかした事がどれほどの事か分かったか?」
「………そ、そんな……嘘…だろう?」
マクシムは愕然とした顔で地面に膝をついて頭を抱えるのだった。
同じ国にいる性悪令嬢をただ断罪してやったに過ぎないと思っていた。
ユリエを虐める諸悪の根源を断罪してやってすっきりした後で、それが冤罪だったとかその行為が自分の命にかかわる事だったなんて想定外だ。
ボハーチュ公爵家、ハラツキー辺境伯家に加えて世界的英雄を敵にしてしまった事実に頭がいっぱいになる。
元々騎士団に入る予定だったが、騎士団は王家と辺境伯家の力が強い為、排除される可能性が大きい。今の王は軍閥上がりで、騎士団も王が軍部時代の腹心を連れてきている。つまり辺境伯に逆らえる人が非常に少ない。
駄目なら家を継ぐ予定だったが、それも厳しい状況となった。
「何が起きても受け入れる覚悟だけはしておけ。もはやお前のしたことは私一人の首ではどうにもならん」
父親は胃痛を抑える様に腹をさすり、弱弱しくため息を吐く。
マクシムは愕然とうなだれるのだった。
この国では15を越えれば学生であっても大人と同じ。18になるマクシムは子供のしたことだからと言い訳さえできなかった。
卒業後、マクシムは予定通り騎士団へと入団した。
だが、帝国より魔導銃が伝わった事で主力武器が変化し、マクシムは取柄だった剣の強さが評価対象外になってしまう。
更に、魔導銃を使った戦略や戦術の勉強会に参加できず、時代に取り残されてしまう事になる。
これは、騎士団内であっても辺境伯の部下が多い事が原因だった。彼らはリディアを娘や妹のようにかわいがっていたので、彼女に危害を与えた男を決して許さなかったからだ。
次期侯爵も、弱くて貧弱だった弟に奪われることになる。弟は魔導銃に適応し、兄と違う事をアピールする事で勉強会にも呼ばれ、騎士団内上手く出世したからだ。
マクシムは子供の頃からバカにし続けていた弟に顎で使われる事が我慢ならず、家を出て騎士団も辞めて、冒険者に転職した。
結局、マクシムは対人には優れていても魔物退治に能力を発揮する事も出来ず、求人が最も多く出ているトンネル掘削の力仕事に従事する事となったとかならなかったとか。
後、魔物に食われたとか魔族の戦争に巻き込まれたとか、冒険者にありがちな噂だけを残し、行方知らずとなるのだった。
~ボハーチュ公爵邸・公爵令息ミランの場合~
ボハーチュ公爵令息であるミランは家に帰ると、父も自分たちの住む別邸に来ていたようで、直に父に呼び出されるのだった。
「何でしょうか?」
「ミラン、お前、今日何をした?」
突然父親に訊ねられて、ミランは唖然とする。
勿論、心当たりがあるのでああと頷く。ちょっとした叱責くらいはあるかなと思っていたからだ。
「何って……?リディアの件ですか?あのような事を父上が認めていたとは思えませんので正しく処理しておりましたが?」
「………そうか、わかっていないのか。すまないな、私がお前にちゃんと教えていればよかった事だ。取り敢えず先方や辺境伯には謝罪しておいた。お前は顔を出す必要はないが、心労を増やす事はしないでくれ」
ボハーチュ公爵は息子を見て呆れた様子でやんわりと窘める。
「何で父上が誰かに謝るという話になるのですか?」
「リディアは辺境伯の孫娘であり、我ら同盟の中核だった。ヴィクトール殿下以上の適役が現れたし、リディア本人の意向もあって殿下との婚約を解消する予定だったがな」
「え?リディアと殿下の婚約は解消する予定だったのですか?」
初耳だった言葉にミランは顔を上げて父親を見上げる。
ミランは完ぺきだと思っていた断罪劇が、微妙につじつまが合わない事に気づいてしまい、慌てて父親を見上げる。
「無論だ。娘を大事にしない婿なぞに嫁に出す予定はない」
「で、ですが父上。リディアの事なんて特に関心がないのではなかったと思ってますが…」
別邸で本妻の話なんて聞いたこともなかった。ミランはリディアがどうなろうと父親は関与しないとばかりに思っていた。
「誰がそんな事を……。確かに本邸での事は仕事だ。だが、仕事であるからこそ、正妻を大事にするし、息子や娘を我が子として育て政略に使う。お前達が何もせず裕福に暮らせるのは、私が公爵として正妻を大事にし、息子を立派な次の公爵に育て、そしてリディアを良い嫁ぎ先に送り出す。それが出来て私は公爵として務めを果たしたと言えるだろう。それともお前は仕事に手を抜くのか?」
「……い、いえ。そのような事は…」
ミランはふと言葉の意味を考える。
だがそこで自分が想像以上にまずい事をしたのでは?という思いに駆られる。
それはボハーチュ公爵が仕事人間だからだ。本邸や正妻の事が仕事だというのであれば、それは私生活のある自分たちの住む別邸の事よりも重要だという事だ。
ミランはリディアを蔑ろにしても問題ないという考えが間違っていたのではと感じているときに、ボハーチュ公爵は重い溜息を吐く。
「仕事というのは大変なんだ。甘やかしすぎたかな、お前を…。王子殿下の近くに侍らせる事になった時点でもう少し厳しく育てれば良かったと後悔していたが、出来なかったのは自分の落ち度だな」
父親は育て方を失敗したという態で首を横に振る。
「で、ですがリディアは殿下の想い人を害した事が元の発端で………悪いのはリディアです。そして王子殿下の婚約者を守る事が私の仕事です。それの何が悪いのかご説明ください、父上」
ミランはどちらにせよ正義は自分にあると信じて父親を見る。
確かにリディアの名誉を地に落としたのは自分だが問題は無いと思っていた。
「お前の話は誰が悪いとかそれ以前の問題だ。そうなる前にどちらかを諫めればいい事で公にすべき事ではない。それに、私は別に殿下に対して怒っている訳でもない。男女の事だ。そういう事もあるだろう。だが、政略を理解してない男を次代の王に推す事はせぬ。今後、気分で我が家を切り離すかもしれないからな。それに公爵家が一番強いと言われているのは軍閥の強い辺境伯と組んでいるからだ。リディアの母親は辺境伯の娘だ。それは知っているな?」
「え?」
いきなり当然の事のように聞かれて、ミランはこの家の正妻が高位の貴族なのは知っているが、どこの誰とまでは覚えていなかった。
一切、興味がなかったからだ。
そんな息子の様子に、公爵は自身の眉間を押さえ、首を横に振って嘆く。
「……そうか、知らなかったか。まあ、興味が無ければ知る由もないか。ヴィクトール殿下の側近になっていたのであれば、政治に関わるのだし、私が教育係をつけるべきだったな。すまぬ」
父親が自分に頭を下げ、ミランは自身に激しく警報が鳴り響くのを感じる。
そう、父親は徹底して自分たちに優しい。故に、非常にまずい事をしでかしたという事実だけがミランの中に響く。
父が自分たちに謝るという事は、公爵の力をもってしても自分に被害が行く話なのだと理解するからだ。
「え、ええと……それがどのような問題なのでしょう?」
「そうだな、まずリディアは辺境伯の孫娘だという事。我らの同盟は私が辺境伯の娘や孫たちを正しく公爵家の人間としてどこに出しても恥ずかしくない子供として育てなければならない。そしてリディアは学園に入学前から妃教育を終えるほど優秀に育った」
と満足そうにうなずく父親にミランはふと首をひねる。
「リディアはいつも成績は下の方だと聞いていますが」
「ん?何を言っているんだ。ヴィクトール殿下に自分よりいい成績を取って目立つなと言われたために、学園の教師には殿下と同等程度の成績になるよう頼んだだけだ。そのせいで常に赤点ギリギリだった時には少々殿下に呆れたがな。まあ、その頃には婚約解消を考慮していたから問題なかったが、実際にリディアは入学してから常に首席だった。今年は帝国からの留学生が来ているから成績は二位に甘んじていたそうだがお前よりもいい成績だったぞ?」
「え、……」
本妻の娘より自分の方が上だと誇り、リディアはいつも悪い成績だからバカにする事も多かった。実際の成績は、リディアの方が上だという事を、リディア自身も知っていた事になる。
お兄様は凄いですね、と嫌味もなく尊敬している様子で自分を称えていた妹である。
実は笑顔の裏に蔑みがあったのではと思うと、ミランはあまりにも恥ずかしい自慢をしていた事実に急に恥ずかしくなるのだった。
「まあ、それは良い。リディアは政略として、言わば私と辺境伯からの殿下へ送る貢ぎ物だ。ミラン、自分たちの大事な貢ぎ物を足蹴にされたらどう思う?しかも王家からよこせと言われて差し出したものだ」
「そ、それは………」
ミランはそこで初めて気付く。ヴィクトールのやっていた事がリディアに対してだけではなく、辺境伯や公爵に対して喧嘩を売っているような事だと。
王座に就けてくれる友軍の送った物資を蹴り飛ばしているのだ。
政略を理解しないガキを玉座に就けない。父上と辺境伯が今まで推していたヴィクトール殿下に愛想を尽かしたから切り捨てる。
ヴィクトールがリディアとの月例のお茶会をすっぽかしても、別に構わないと一緒になってミランも彼と遊んでいた。父からは何も言われる事は無かったから問題ないと思っていた。
「私はな、殿下を貶める気はない。だが、辺境伯はリディアの状況に見限って軍閥系の第二王子にもう一人の孫娘、次期辺境伯を継ぐ男の娘を嫁がせた。向こうは上手くいっているらしい。辺境伯が気に入らないと言えば、私もそこに乗るしかない。わかるか?政略だ。政略を使わないどころか相手をも気遣えない国王なんて我ら貴族も不安になる。見限るしかないんだよ」
ミランは一気に顔色が悪くなる。
「で、では私は…その、どうすれば……」
公然と妹を切り捨てたが、既に自分の乗っている船は父親から切り捨てられた船だった事実に気づき慌ててしまう。
そこで真っ先に出てくる言葉が、自分の未来を案じる言葉だった。
そこで自分の主である第一王子ではなく自分を案じる息子の姿に、ボハーチュ公爵は仕方ない子供だと苦笑する。
「継ぐのは本邸の長男、これは最初から決めていた通りだ。お前は家の外に出るしかないが、文官になっても厳しい立場に立たされるだろうな。あの場で殿下についていたお前の出世は厳しくなる。良いか?貴族は信用を買う事で立場を強くしているんだ。それは王家も同じだ。せめてお前は殿下を諫める側に付くべきだったな」
「だ、大丈夫、なのですか?こ、公爵家は…」
ミランは自分を守ってくれるのは王子ではなく父親しかいなくなっている事実に気づく。
その父親である公爵が失脚したら自分は生きていけないと気付いたのだ。優秀な成績を修め自分は公爵令息で将来は明るいと自負していたが、王子に付いたばかりに梯子が外されたのだ。
成績優秀な自分は政治なんて余裕で行けると思い込んでいて、自分は王子を助ける立場だと勘違いしていたが、そうではないという事実を知らされたのだ。
「問題ない。リディアの次の嫁ぎ先だが…」
「え、もう決まっているのですか?」
父は既に殿下に次ぐリディアの婚約者を決めていたという。
「元々、殿下と婚約解消する予定だったんだ。陛下もヴィクトール殿下を見限っている。殿下に婚約破棄を公然とされてしまったが、実際には殿下の有責として婚約解消の準備をしていた。パーティ後にその話をする予定だったんだ。婚約解消されて次期王位を失った存在として卒業式を迎えるのは哀れだろうとリディアが殿下を慮っての事だ。温情を掛けた我らの顔に泥をかけてくれたがね」
その大人たちの顔に泥を塗りつけたのは自分も入っている事実に気づき、自分のしでかした事が取り返しのつかない事だと気付く。
「紅の英雄が声をかけてくれた。巨大なプレゼント付きでだ」
「紅の英雄?あの帝国皇帝の甥ですか?」
「ああ、あの英雄だ。5年前にも彼から話はあった。彼は既に婚約者がいて妾になるがそれでもよかったらと言ってくれた。あの時は友人の婚約が上手くいっておらず、我らに警告を促すと同時に、いつでも自分が手を差し伸べるという意味で道化になってくれたんだ。当時、既に彼は気遣いも出来るし政略の意味も知っていた。彼は若いが我が国の貴族よりも遥かに優れた政治家だった」
その言葉にミランは6年前に決まった婚約だが、殿下は最初から嫌な顔をしていた。親に宛てがわれた相手なんてどうでも良いと、プレゼントやデートの為の資金を友人達で遊ぶのに使っていた。
だが、5年前に既にそんな事があったのかと驚かされる。自身の父も辺境伯もその時点で見限る為の準備を始めていたのかと感じてしまう。
「紅の英雄がリディアを知っていたのですか?」
「私も知らなかったが、サミットで帝国に行ったとき、市井で会ったらしい。晩餐会でも一緒にダンスを踊っていて、リディアは彼の婚約者とも仲良くなっていたそうだ。どちらも友人としてリディアを心配していたそうだよ。私がリディアに無理強いしている訳でないと知って彼も安心していたからな」
「では紅の英雄に切り替えると?」
「うむ。彼と縁続きになる事で長らく中南連合との小競り合いをしていた辺境伯は、そんな話があるならさっさとヴィクトール殿下を切り捨てたのにと苦情を言っていたほどだ。紅の英雄は中南連合で他国民なのに平和会議の議長をした男だからな」
「中南連合は一枚岩じゃなかったから、小競り合いの余波が辺境伯領を巻き込む度に振り回されますしね」
辺境伯にとっては孫娘の嫁ぎ先としては最高の場所だろう。一枚岩じゃなかった中南連合を一つにした事のある男だ。交渉の窓口になる。
「紅の英雄は我らの持つ魔大陸の領地を購入すると言ってきている」
「あの赤字続きの領地ですか?」
「それでもコロニア大陸から魔大陸に上がれる唯一の土地ではあったんだがな。彼も最初はそこから渡っている。彼はそこを買い取り、我が領地との間にトンネルを掘るというのだ」
「ちょ、ちょっとお待ちください。そんな長いトンネル聞いたこともない。500キロはあったはずですよ?」
「そうだ。そのプロジェクトを持ってきた。我が領地の海沿いの街から魔大陸の港にそのままつなげるとの事だ」
「そんな誇大妄想を信じたのですか?」
ミランは呆れた様子で溜息をつく。詐欺にしても夢物語の産物で鼻で笑うレベルの話だった。
だが、公爵は首を横に振り、自分の机の引き出しを開けて分厚い紙束を置く。
「英雄が口にする絵空事ではなく、国家間での交渉として本気の内容だ。帝国皇帝も紅の英雄が金を出せなくなったら帝国が払うとも言っている保証付きの国家事業だ。魔大陸の彼の領地まで、魔導列車をつなげる。陛下も私もそこでリディアを彼の妻に嫁がせる意味合いが大きく変わる事に気づいた。魔大陸の繁栄につながり、魔大陸と花国との和平にもつながるという事を。魔大陸の将来の繁栄の為の巨大な投資だ。そして誰もが得をする。断れない話だった」
あまりの事にミランはポカーンと口を開けていた。
話がデカすぎるからだ。
誇大妄想と鼻で笑った内容を、実現可能な能力を持っている相手に嫁ぐのだ。花国の国内しか見えてなかった自分とは器そのものが異なる。
帝国の英雄の息子であり、中南連合と魔大陸の騒動を収めた英雄でもある。その彼が莫大な資産を持つからこそできる事だ。
「花国も、ボハーチュ公爵が魔大陸の領土を売ってもリディアが嫁ぐ事で問題はなくなる。多くの労働者を雇う事で景気も上がる。この話を持ってきて、リディアを欲しいと頭を下げて頼んできた。彼の父親ではなく彼が主導したのだ。辺境伯も私も、国王陛下も諸手を挙げて送り出す事にした。何よりリディアは彼を慕っていたからな。誰もがこの話に喜んだ訳だ。政略とはこうやるのだと年下の子供に教わった気分だよ。気遣いも出来るし、あのいかつい辺境伯が小躍りしていたくらいだ。自身が英雄であられる陛下が英雄譚の勇者の話を聞こうと暇あれば彼と面会して話をしている程だ」
「…そ、それでは……あの婚約破棄は……」
「冤罪だろうな。やる理由がないんだ。ヴィクトール殿下は悲惨だろうな。お前にも言える。私が守ってやれるが、出世は望めないだろう。ヴィクトール殿下の側に付いていたのだから。証言した娘たちは元々リディアの持つ商会の支援でどうにかなっていたのだ。リディアは既に嫁ぐために手を引いて私に商会を預けている。商会の連中はリディアを崇敬しているからな。経済的に滞る事になるだろう。領地が干上がらなければいいがな」
「で、では、私たちは…ど、どうすれば………」
自分の未来が非常に拙いのだと初めて気付く。誰も困らない。自分達だけだ。殿下にも頼れない。今更リディアにもすがれない。本邸の長男はリディアを溺愛している。縋ったら殴られるだろう。
「子供がやる事に対して我々が揺らぐ事なんてない。ミラン、公爵令嬢を犯罪者として吊るし上げるなら証言一つを信用して王子の後ろ盾一つでどうなる話ではないんだよ。私なら…………王子を諫めて、腹違いの妹をかばう側に立つな。二人で密に話し合わせて、公になんて絶対にしない。殿下の状況は盤石じゃないのは知っていたはずだ。今後は学生ではなく大人になるんだ。自分の将来を大事にしなさい。これは君の人生なのだから」
父に哀れまれるような目で見られて、ミランは頭を抱えてうなだれるのだった。
そもそも婚約解消が知らない場所で丸く収まっていたのは紅の英雄のせいでもある。誰もが喜ぶ提案に引っ繰り返されて、自分たちは何も知らない道化となった。婚約解消の話があったにせよ本決まりでなければもう少し助かった部分はある。
自分達よりも年上であろう紅の英雄がリディアに目を付けなければ……。
「いくら紅の英雄が、社会に出て3年もなる我々の年上とはいえ、ここまでの事を成すなんて………」
「ん?何を言っている。帝国は15で大人とし、14で社会に出て見習いに付く。彼は14で社会に出ているから、年上ではなくミランより年下だよ。リディアと同じ年だ」
「は?え、…で、ですが……」
分厚いプロジェクト資料に目を落とし、再び父親を見る。
「一年留学生として花国の学園に来ていただろう?常にリディアよりも成績がよかったと報告を受けているが?」
「……い、いえ、確かに帝国から変な留学生は来ていましたが…。大きいヒヨコを連れた変な子爵令息が」
「子爵令息ではなく子爵だ。去年花国に来たときはヴァイスフェルト子爵だったな。1年前、帝国に差し出した魔大陸が帝国では管理できないとして、属国にする方向に舵を切った。彼が属国の王になると決まったのは半年前か。そもそもヴァイスフェルトといえば高級羊毛の産地でローゼンハイムに下賜されたのは有名だろう?8年前より文通をしていたリディアはともかく、本邸の息子はヴァイスフェルトが留学すると聞いて、直に紅の英雄だと気付いて、もう一年学園に通いたいと言い出して困らせていたからな」
学園全員が気付いていないのに、名前を聞いて本邸の父親の後継者は直にわかるのか、と驚きを持ちつつも、学校の成績は自分より悪かった筈なのにとも思ってしまう。
「ほ、本邸の兄は…その、私より成績は悪かったと思いますが…」
「ん?……ああ、ボハーチュ領の領地に起こる諸問題を私が丸投げしていたから、学園も休みがちだった。基本的な事は公爵家で教えていたし、領地経営をしながら学べば良い。学園の内容は実際に役に立たない事も多いからな。本邸でやった勉強の復習のようなものだから無理にやらせてはいない」
学園の学習レベル自体はそもそも父には眼中さえなかった。
自分が成績が良ければよく褒めてくれたが、社会に出る貴族としてはどうでもよいと考えていたのだ。父が別邸の自分たちを愛しているのは確かだが、貴族として一切期待をしていないという証拠でもあった。
子供として愛されていても、ボハーチュ公爵家の人間としては最初から見切られていたという事実を知ってミランは愕然とするのだった。
卒業後、ミランは文官として働き始めた。
学園では優等生だったが、その頭脳を活かせるかどうかはまた別の技術であった。公爵令息が地位を鼻にかけて傲慢にふるまえば、周りも仕事を渡し難くなり、当たり前だが業務実績が上がらず昇格もしにくくなる。
ただでさえ、第一王子派にいた事は明らかで、文官は第三王子派が多い為、後に回されるので不満をため込み、結局、同僚と喧嘩をして宮廷から追い出されることとなった。
まともな職に就くのも難しく、跡継ぎの長男がミランを雇う事にし、公爵家の持つ小さい仕事を任されたりしたそうだ。
第一王子派閥にいた中では、もっとも真っ当に生涯を過ごせた人物だったとか。
~ファルスキ子爵邸・大司教令息オスカルの場合~
突然、年の離れた大司教の父から婚約者から婚約解消の報告がされた。
「は、何故ですか、お父様」
老人になる大司教の父親を見上げてオスカルは唖然とする。
「先方から話があった。オスカルと婚約解消をしたいと。私は仕方ないので認める事をした。構わんな?」
「ソーニャがですか?僕にベタぼれだったのに、何でだろう?あまり構ってやらなかったからかな」
オスカルは不思議そうにする。
「ヴィクトール殿下やスヴァトショヴァ男爵令嬢とつるんで遊びに行ってばかりだったそうだな。デート資金は渡していたはずだがあれは何に使っていた?」
「あ、……それは……色々とだよ」
父の視線から目をそらし言い訳をしようとするが言葉が出てこない。
遊びに使っていたなどとはとてもじゃないが言えなかった。
「あれは向こうの家がデートで使う金を渡してくれていただけだ。まさかよそ事に使っていたとはな。愛想を尽かされても仕方あるまい。結婚している訳でもないから慰謝料などは存在しないが、流石にデートに行かなかった分の渡していた金は返して欲しいと言ってきた」
「そ、それはもちろんお父様が払ってくれ……」
「私も60になり後任に譲ることになる。もう、ポンと出せる金額ではない。……40を超えてやっとできた子供だからと甘やかし過ぎたな。妻も早く亡くなり放置しすぎたのが問題だったかもしれないが、それは自分でどうにかしなさい。もう大人なのだから」
「そ、そんな!?無理だよ!そ、それに殿下達と遊ぶのに金が掛かるんだ。……そうだ、殿下なら…」
とオスカルはふと殿下に頼もうと考える。ボハーチュ公爵令嬢を追い落とす事に貢献したのだからその位ポンと出せる筈と考える。
「殿下を当てにしない方が良いだろうね」
「な、何で……?」
これ以上ユリエに近づきすぎると流石に拙いだろうかとも考える。
「殿下は近々廃嫡される。第二王子か第三王子か、それが出来なければロセツキ公爵になるのではないかと言われている。まあ、ロセツキ公爵の娘は第三王子殿下と仲が良いらしいから、結局はどちらかだろうな」
「何でさ。皆言ってたよ。次の王はヴィクトール殿下だって」
オスカルは父親の言葉を否定する。
皆というのは学校の皆である。
だが、子供たちは政治の細かい話は知らない。学園に通う高位貴族は非常に少ない。9割が子爵以下、それ以外の1割が伯爵以上。実際、子爵はそこまで金がある訳ではない。伯爵の補助のような立ち位置にいるからだ。
伯爵くらいになると金はかなり持つようになり、政治の中枢に立つ事になるが。
つまり学生の中で流れる情報は下位貴族だけの情報しか知らないのだ。
「それは公爵家と辺境伯家が推していたからだろう?貴族達もそれに従っていた。だが1週間前に私は陛下に呼び出されてな。今日、卒業式が終わったらヴィクトール殿下を廃嫡し、リディア嬢とあの紅の英雄の婚約式を行ってほしいと言われていた。随分前から婚約解消を求められていたらしい。さっき、婚約式をして来た所だ。まあ、両人以外、帝国からの参加者で我が国は陛下とロセツカ公爵夫人、ハラツキー辺境伯とボハーチュ公爵令息だけだったがな。今日、何か問題が起こったそうでボハーチュ公爵は突如参加できないと連絡があった。学校で何かあったのか?」
大司教は貴族間のあれこれを知らない。子爵であるが清廉潔白な人物が故にその地位に立ったのだ。
息子に甘い以外は凡庸な人間だ。40も半ば差し掛かった頃にやっとできた子供がオスカルだった。難産で妻は病気がちになりそれから数年で儚くなったため、愛情の全てを息子に注ぎ、甘やかし過ぎた為にポンコツな貴族令息が出来上がったというのが事実である。
「………」
婚約解消?1週間前に決まっていた?じゃあ何でリディア嬢がユリエを害するんだ?
意味が分からない。
頭の上にクエスチョンマークがたくさん浮かぶ。
「あと1年でどうにかしなさい。来年は卒業だ。折角取り付けた婚約もなしとなった。無役のままでは結婚どころか生きていくのもつらいだろう」
「え、でもお父様、そこは大司教の力で教会の良い位置をコネで入れてくれるんじゃないの?」
オスカルはとことん甘やかされて生きていたので、それが当然とばかりに思っていた。
「ん?オスカル。お前は教会に興味があったのか?教義も知らないしてっきり興味がないと思っていたが。残念ながら女神教はコネが利くのは職務くらいで、教会への貢献度は私でも上げられないよ。慈善事業が趣味のリディア嬢やソーニャ嬢などは、あの年で助祭の資格を持っていて、結婚してこの地を去らなければ直に司祭になれそうなほどの貢献をしているからね。そういう稀な子達は学生時代に助祭になって社会に出て直に司祭になって、枢機卿や司教、私みたいに大司教にさせてもらえるんだ」
「え?無理なの?うそ……」
「教会は家職ではないからこそ、一介の法衣貴族である私が大司教などという立場になれたんだ。コネが利くなら子爵の私がなれる筈もないじゃないか」
ハハハハと父親は笑い飛ばすのだった。
当然の言葉にオスカルは言われてみればと納得する。そこで気付くのだった。
あれ、僕って学園を卒業したらどうするのだろうか、と。
社交は得意だけど、勉強は苦手だし武術も魔法も上手くはなく、神聖魔法がちょっと使えるだけだ。そこで、未来の展望が一切ない事に気づくのだった。てっきり大司教の父のコネで直に枢機卿になれると思っていた。そんなものは無いと言われてしまうと困り果ててしまう。
オスカルの破滅はこの日から始まる。
来学期にはヴィクトールの威光が失われ、彼らと付き合いのあったオスカルは皆から敬遠されることになる。
寂しい在学期間を終えると、無役の子爵令息として世に出る事もなく、大司教が病気になって引退し、教会で治療を受ける事になり家に帰らなくなる。
何もできない無役の貴族が借金をためこみ、年老いた父が教会で寝たきりになっている間に自滅した。
祖父が鬼籍に入った頃、借金奴隷として花国側から掘るトンネル工事の肉体作業者として働いているのを見た者がいたが、それ以降、彼を知る者は誰もいない。