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BLACK〜オオカミ少年の嘘と真実の物語〜  作者: 勝友 幸
第一章『始まりの嘘と真紅の少女』
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page 5『お嬢様、純粋につき』

 花の蕾が膨らむ頃、爽やかな風と生き生きとした緑が生命の躍動を感じさせる。しかし、それは自然なものではなく、周囲を煉瓦造りの壁に囲われていた。灰色の壁はいかにも無機質である。それは建物であった。窓からは赤い服を身に纏った召使いが行き交っているのが分かる。


「お嬢様、紅茶でございます」


 そして、その場所は中庭であった。

 文明と自然の狭間のような場所に不自然とも思えるような純白のテーブル。花柄の装飾がある。

 召使いが用意した紅茶。彼女は嬉しそうな表情を浮かべて、カップを手にする。

 彼女は赤かった。剣のように真っ直ぐに伸びた赤い髪、ルビーのような赤い瞳、そして、『赤ずきん』領を象徴する赤いスカート。


 通称《真紅》、『赤ずきん』領領主スカーレットとは、彼女のことである。


 丁寧な動作で紅茶を一口。喉を通る爽やかな香りとフルーティーな風味。彼女はたまらなくこれが好きなのだ。現実とは乖離したような場所で紅茶を飲むことが彼女の数少ない自由での楽しみだった。


「美味しい」


 召使いの彼は笑みを浮かべながら、皿にクッキーを並べる。


「それは良かった。練習した甲斐がありました」

「えぇ、本当に美味しいわ! この屋敷で一番上手になったんじゃない?」

「そうなれるよう努めます。紅茶のお供にクッキーをどうぞ」

「ありがとっ!」


 イチゴをジャム状に煮込んだジュレを中心に焼いたもの。

 桃の果肉を食感が残るままに共に焼いたもの。

 しっとりとした食感の柔らかいもの。


 三種類のクッキーをそれぞれ楽しんだ。その表情はまさしく愉悦であった。スカーレットは食事に対し、非常に高い幸福感を得るタイプの人間だった。

 この場所で紅茶と共にクッキーを食べることもまた、彼女の楽しみだった。


 しかし、それはいつだって長い時間楽しむことはできない。領主という立場上仕方のないことなのかもしれないが。


 中庭へ続く通路に人影が一つ。

 いや、人影と表現するべきなのだろうか。

 それは人というにはあまりにも大きく、毛むくじゃらだった。

 身の丈は二メートルをゆうに越えようかというほどの巨漢。身につけているシャツは筋肉の張りによりタイトサイズかと勘違いする。鋭い爪を揺らし、口元からは牙が覗いている。青い瞳は静かだった。


 改めよう。彼は人というにはあまりにも人の姿からかけ離れていた。彼は狼だった。

『赤ずきん』領領主補佐、《迅狼》リル。


「ティータイム中失礼する」


 礼儀正しく一言詫びを入れてから、彼女へと近づく。召使いは一歩下がった。


「スカーレット、少し良いか?」

「ダメって言っても始めるんでしょ。もう少し待って、すぐに行くわ」

「いや、ここで良い。急ぎという訳でもない」

「じゃあそうするわ! ごめんね、紅茶もう一杯頂ける?」


 彼女の差し出すコップに、召使いの彼は「もちろん」と笑みを浮かべた。


「一ヶ月程前、領の外れにある『ラーイ村』が何者かに襲撃されていたのを覚えているか? 村人十人、旅人二人が保護された」

「えぇ、彼らの様子は酷かったわ……それで? それがどうしたの?」

「先日、村人の一人が自白した。彼らは人身売買を行っていたそうだ」


 スカーレットの目の色が変わった。カップを置く。無機質な音。一呼吸置いて、リルは続ける。


「彼らは末端も末端だ。村に訪れた、あるいは引き込んだ旅人を捕らえ、それを闇市へと売り捌く」

「末端……ということは、他にも沢山似たようなことをしている奴らがいるってことよね?」

「あぁ、今調査しているが、旅人が宿泊した後、消えたという噂がある町が見つかった。先週から憲兵に監視させている。いずれ尻尾を出すだろう。しかし、俺が気になっているのはそれじゃなくてだな……」

「え? 今のことじゃないの?」

「あぁ、あくまでも俺が気になっているだけなんだが……ラーイ村には『もう一人』いたんじゃないかと思う」


 スカーレットへ資料を渡した。ラーイ村の資料で、村の構造や家の配置等が図示されていた。


「彼らは旅人と共に広場で宴会を開いていた。置かれていたカップは十。その場にいた村人七人と旅人二人を合わせても九人。一つ余ってしまう。他にも何者かと戦闘を行った形跡があった。村人旅人共に何かに怯えていた。それも何か邪悪な悪魔でも見たかのように」

「その『もう一人』は、人身売買にも何か関わっているかもしれないわね」

「本当に俺が気になっただけなんだがな」

「あなたの勘はよく当たるじゃない! 私は信じてるよ。人身売買に闇市……大事になる前に調査しておいた方が良さそうね」

「そうだな。先行して俺が調査しておく。周辺の町村を見回ってくる」


 彼は去った。どうやらティータイムを楽しむ気分でもなくなったらしく、スカーレットも屋敷へと戻った。残されたテーブル、イス、ティーセットを片付けるのも召使いの仕事だ。


「タツミ君、上手くできてるかい?」


 彼の後ろから声が聞こえた。

 赤色のメイド服を纏った中年の女性。


「紅茶を上手く注ぐことができました! 褒められましたよ!」

「おぉ! 良かったねぇ。ついこの間までのことが嘘みたいだよ」

「センスありってことですよね!」

「調子に乗らない」


 軽く頭を叩かれた。


 彼女は名前をアリアという。タツミとアリアが知り合ったのは三ヶ月前だった。夜道で狼に襲われているアリアを間一髪の所でタツミが助けた。恩を感じたアリアは彼に夕食をご馳走した。その時に、彼が仕事を求めて田舎から出てきたこと、将来は屋敷で領に貢献したいことを聞いた。すぐさま彼女はスカーレットに掛け合い、スカーレットもそういうことならと彼を快く受け入れたのだった。アリアも実家を飛び出して屋敷に転がり込んだ身であるため、シンパシーのようなものを感じたという。


「いてっ」

「でもタツミ君の飲み込みが早いのも事実だしねぇ」

「ほらぁ。あれ? なんで僕叩かれたんですか?」


 働き始めた当初は何もできなかった。礼儀作法は中途半端、田舎出身にしてはよくできているレベル。料理は焼き物のみ。洗濯をやり切るだけの体力はなく、領のことについても一般常識レベルのことしか知らなかった。屋敷に貢献するどころの話ではなかった。

 そんな彼の教育係に抜擢されたのがアリアだった。彼女が引き入れたのだから妥当だろうとのこと。彼は一生懸命だった。分からないことはすぐに聞き、実践し習得する。及第点であってもアドバイスを求め、常に向上心を持っていた。故に彼は屋敷の人間に可愛がられた。それらが彼の成長を促したのだ。


「調子に乗らないための罰よ罰。調子に乗りすぎて、止まれなくなっちゃう人もいるのよ」

「僕は止まれますもん」

「ほら調子に乗っちゃって。そうだ、今から買い出しに行くけど着いてきてくれる?」

「もちろん」


 すぐに自室へと戻る。『赤ずきん』の屋敷は召使いの寮があり、一人一人に部屋が用意されている。屋敷外へ家庭を持つ者もいるが、若い者や古くから仕えている者はこちらを利用する。

 タツミは上着を羽織る。屋敷の人間は領主、領主補佐を含め、赤を基調とした服を充てがわれている。これを着て市街地を歩くと目立ってしまうが、これが領主に仕える者の象徴となるのだ。


 玄関へと向かうと、既にアリアは準備ができているようだった。


「アリアさん、早いですね」

「ちんたら準備しているようじゃまだまだね」


 そんな彼女の額にはうっすらと汗が反射していた。


「それじゃ行きますか」

「えぇ、行きましょう」

「行こう!」


 聞こえるはずのない三人目の声。一瞬の沈黙。いやフリーズか。情報を処理した後、タツミとアリアは目を合わせて首を傾げた。振り向くと、そこにはスカーレットが満面の笑みで立っていた。


「お嬢様!?」

「はい、お嬢様です!」


 腰に手を当て答えた。返す言葉がない。

 驚きを収めることのできないタツミに対し、アリアは普段通りの優しい笑顔で問う。


「お嬢様も一緒に行かれますか?」

「行くわ! 部屋にずっといたら潰れちゃいそう。気分転換よ気分転換っ」


 大いに楽しそうである。

 タツミはアリアの腕を引いてスカーレットへ背を向ける。小声で話す。


「こんな簡単に街に出て良いんですか? あんなでも一領の領主ですよね?」

「あんなでもって……街に行っても大丈夫よ。着いてくれば分かるわ」


 平然とそう言い退けて、彼女はスカーレットと共に玄関を出た。残されたタツミは玄関先にいる召使いと目を合わせて苦笑い。慌てて二人を追いかけた。






 首都の街は平和だ。石畳の通りの上を大勢の人が行き交う。コツコツと弾く足音がいつもどこかから聞こえてくる。『赤ずきん』は領を通して平和だ。それには『赤ずきん』の領主と領主補佐の存在が大きい。

 二人の領主補佐のおかげで、領は秩序と規律を保っていた。秩序を司る《迅狼》リルは決して悪意の匂いを見逃さない。規律を司るもう一人の領主補佐《狩人》フェアラートは如何なる場合も領の均衡を崩さない。

 領主のおかげで、領は希望を絶やさなかった。《真紅》スカーレット。彼女は領の象徴だった。


 その片鱗を垣間見る──


「何を買うんです?」

「お夕食の材料よ。ジャガイモがなくなっていたのよ。それと、お嬢様の寄り道」


 二人の後を歩くスカーレット。まるで子供のように周囲をキョロキョロと見渡し、目を輝かせている。一方で、別の意味でタツミはキョロキョロとあたりを見回す。


「本当に大丈夫なんでしょうね? ほら、こういう位の高い人はよからぬ連中に狙われるってことも……」

「大丈夫って言ってるでしょ。そんなに気になるなら一緒に回ってなさい。お買い物は私でやっとくから!」


 そう言い残し、彼女は人混みの中を行ってしまった。心なしか、面倒を押し付けられた気分になった。彼女の言い草からして、過去にも共に買い出しに来たことがあるのだろう。そして、寄り道という言い方からして帰る時間が遅くなったか。


 タツミはため息をつくも頬を叩き、スカーレットの方へと寄った。


「あれ? アリアは?」

「お買い物をちゃっちゃと済ませたいとのことだったので先に行ってしまいました」

「タツミ君は?」

「私は……お嬢様にもしものことがないよう、共に行動させていただきます」

「それじゃ行きましょう!」


 彼女はタツミの手を引いた。彼は目を丸くしながら引かれるがままに歩いた。彼女は意外と歩くスピードが速い。人が次々に後ろへと飛んでいく。景色が早送りのように変わっていく。

 商店街に着く頃には息を切らしてしまっていた。呼吸が乱れている様子を見て、彼女は小馬鹿にするように言う。


「タツミくーん、ちょっと体力が足りないんじゃなーい?」

「ハァ…ハァ……すみません。お嬢様がこんなにもわんぱくだったとは……ここは?」

「ここはね、私のお気に入りの場所! この街一番の商店街よ!」


 彼が顔を上げると、目の前には人の波が畝っていた。

 むせ返る程の人。しかし、流されるのではなく流れているのは目に見えて分かった。まるで楽器を出鱈目に引いたような騒音は、よく聞くと人の声である。客寄せの声、競りの声、喧嘩の声、ただの談笑の声に至るまでが同じ音量で再生されている。


「さ、行くわよ!」


 人波に飛び込む彼女を必死に追いかけた。

 彼女は店に寄った。青果店だ。


「おじさーん! 元気ー!?」


 彼女の大声に、店の奥にいた強面の男性は顔を明るくした。


「おぉ! 誰かと思えばスカーレットちゃんかい!」

「腰は大丈夫なの? この間、奥さんから痛めたって聞いたけど」

「おうよ! この通り! んッ! いててててて…」


 心配して彼に手を添える光景。それは異様だった。

 あくまでも一般常識に当てはめると、だ。領主とは本来、貴族よりも高貴な位であり、領の中で最も尊い存在であるはずである。故に、恐れられる者、崇められる者、羨望される者がほとんどであるはずなのだが、目の前で繰り広げられている会話は下町の女の子とおじさんだ。


 彼女は別の店に行ってもそうだった。


「おばちゃーん!」

「スカーレットちゃん! よく来てくれたねぇ。そうだ、これ食べてってよ。ウチの新商品のクッキー! そっちのお兄ちゃんは連れかい? じゃあお兄ちゃんにも!」

「あ、ありがとうございます」

「美味しい! 美味しいよこれ! 絶対売れるよ!」

「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 他の店でも。


「私に似合うアクセサリーはあるかしら?」

「これはこれは絶世の美女ことスカーレットちゃんじゃないか。そうだね……これなんか良いじゃないか? 赤い宝石の……ドクロ!」

「またドクロ、出たドクロ、やっぱりドクロ。ドクロ以外も扱いなよー」

「ドクロこそ一番かっこいいんだ! それが分かんねえようじゃガキだな」

「ガキっていう方がガキよ!」


 次の店でも。


「おばあちゃーん! 聞こえるー!?」

「あぁ、聞こえるよ。聞こえるからゼロ距離で大声出すのはやめてくれ。ほんとに聞こえなくなる」

「そっか、えへへ。ごめんね!」

「あんたのお転婆ぶりは飽きないねぇ。あ、今でも耳がキーンと……」


 その次の店も。


「こんにちは!」

「あら領主様。こんにちは。ほら、坊やも」

「あうあうあー」

「可愛いねぇ! 上手だねぇ! 一緒にお喋りしましょうねぇ」

「うふふ、お喋りがもっと上手になったらすぐにご連絡しますよ」

「やったぁ! 楽しみにしてますね! ばいばーい」

「だー」


 それは店だけでなく、空き地においても。


「あ、領主姉ちゃんだ!」「姉ちゃん!」「お姉ちゃん!」

「皆んな元気に遊んでたー?」

「遊んでた! 聞いて聞いて! 姉ちゃんの絵描いたんだ。リル様とフェアラート様と一緒にいる絵! 結構上手くかけたからさ、そのさ、貰ってくれない!?」

「もちろんよ! ありがとう」

「じゃあ俺取ってくるよ!」

「お姉ちゃん、私ね──」


 スカーレットは行く先々で話に花を咲かせていた。商品をお薦めされれば買っていたし、サービスまでされていた。タツミもそのおこぼれを頂戴したが。タツミは彼女についていくのに精一杯だった。気が付けば上着を脱いで、袖をまくっている。汗がにじんで息切れをしていた。


「休憩しましょうか」


 そんなタツミの様子を見て、スカーレットは言う。

 彼女と共にベンチに座る。タツミの手には彼女が購入した商品の袋が沢山ぶら下げられていた。ベンチに置くと肩が羽根のように軽くなる気分だった。スカーレットは問う。


「重かったよね。私半分持とうか?」

「いえ、お嬢様に持たせる訳にはいきません!」

「なーんてこと言いながら、お嬢様と同じベンチに座って休んでるんだぁ」


 いたずらにいう彼女に、タツミは慌てて立ち上がった。その様子がおかしかったのか、スカーレットはカラカラと笑う。


「はははは、冗談だよ。良いよ、座って座って」

「も、もう、やめてくださいよ。割とそういうところ敏感なんですから僕」

「あんまり気張りすぎてもしんどいよ。少しくらいの息抜きも大事」

「僕はお嬢様と一緒にいる間は気張らないと」

「とか言いながら、さっきから自分のこと『僕』って言ってるし」

「あ」

「うふふ、良いよ。聞かなかったことにしてあげる。そうだなぁ、私は優しい領主様だから許してあげる。私と二人だけの時は今みたいに砕けて良いよ。むしろそうしなさい」

「え、あ、分かり…ました。ありがとうございます……で良いんですかね」

「良いのよ」


 それから二人は会話を楽しんだ。タツミは、アリアの指導が厳しかったこと、頑張って色々なことを習得したこと、これまで住んでいた村のこと。スカーレットは、リルが意外と抜けていること、リルは意外とノリがいいこと、領主の大変なことを話した。


 アリアの言っていたことが分かった気がする。

 タツミは危惧していた。何せ領主なのだから。いつその身に危険が訪れてもおかしくない。しかし、その心配はほとんど要らなかった。恐らく、何か事件があっても彼女のバックにはリルがいることの安心感も強いだろう。しかし、それ以上に彼女は民に愛されていた。彼女を傷付けようなど、微塵も思わないような者ばかりだった。


「リルはねぇ、ツッコませてこそだと思うのよ」

「えー、本当に想像できない。ツッコんだら相手が血飛沫上げてそうですけど」

「リルが話してる時に変顔するのにハマってたことあってさ、リルったらね。自分も変顔しながら喋り始めるのよ!」

「ははははは! え? 本当に? めっちゃ面白いじゃないですか」


「きゃああああああああああ!!」


 その時、誰かの叫び声が聞こえた。

 喧騒に紛れた声ではない。明確な恐怖の悲鳴である。

 すぐさま二人は立ち上がり目を合わせる。


「今の……」

「向こうからです」


 彼も指差す方向へ、彼女は有無を言わずに走り出していた。あまりにも速いスタートに、一瞬反応が遅れながらも荷物を持って追いかけるタツミ。

 人混みの流れが滞っている。ある一点に広い空間が見えた。前を走るスカーレットへ声を飛ばす。


「あそこで何かが起こってるっぽいです!」

「そうみたいね! みんな! どけて!」


 彼女の大きく通る声は商店街を吹き抜けた。彼女は領主、やはり紛れもないカリスマだった。彼女の声は人を動かすためには最適な声色だったらしく、海が割れたように道ができた。


「おいおい! 勝手に動くんじゃねえ!」


 男の声が聞こえる。しかし、関係ない。

 スカーレットは野次馬が作り出した空間へと滑り込んだ。彼女の後に続いてタツミ。


「んが!? なんだ!?」


 男が三人。それぞれがナイフを所持していた。しかし、問題はその内の一人が手にしているもの。いや、手にしているというのは語弊がある。彼の腕の中で震えているものが問題だった。


「姉ちゃんッ!」


 子供だった。それもスカーレットと仲が良かった子供。手に画用紙を持っていたことから、絵を取りに帰った子供だということを瞬時に悟る。スカーレットの視線が彼の絵と彼の顔を行き来する。恐怖に怯えた表情。彼女の拳に力が入る。


「その子を離しなさい!」

「お嬢様! あまり大きい声を出して刺激するのは……」


 そんなタツミの心配とは裏腹に三人組の表情は青ざめていた。


「おいおいおいおいおい! やべえよ! 領主だよ!」

「どーすんだよぉ。領主が出てくるなんて聞いてねえぞぉ!」

「うるせーよ! 元はと言えばお前が盗みでヘマするからだろ!」


 どうやら強盗に失敗した挙句の突発的な犯行らしい。計画的でないこと、何故か領主が駆けつけていることにひどく困惑している様子から、意外と大事には至らないのではないかと思う。タツミはスカーレットへ耳打ちする。


「お嬢様……奴らは手慣れじゃないと思われます……リル様が来るまで……」

「うん」


 返事一つ。 

 しかし、何故かスカーレットは一歩歩んだ。小さく声が漏れた。

 彼女は凛々しい表情をしている。それはタツミの思惑とは正反対の行動だった。


「その子を離しなさい」


 彼女の声色は力強かった。唖然とする。タツミの言葉が聞こえなかったのか。否、彼女は返事をした。そのことが余計にタツミを困惑させた。

 彼女の言葉に男たちは威嚇をする小動物のように答える。


「そ、そんなこと言われて『はい、ごめんなさい』ってやるくれえなら最初っからやってねえよ!」

「お願い! その子に罪はない! 私のために絵を描いてくれた優しい子なの!」

「知るかよ! んなことは関係ない! もう引き下がれねえぜ!」

「……分かった。分かったわ。それなら──」


 そして、彼女は更に足を踏み出した。男たちが走り込んでナイフを振ろうものならば、容易に彼女の首を切り裂くのは容易な距離。タツミは困惑していた。彼女は一体何をしようとしているのか、理解できなかった。


 スカーレットは胸に手を当て、言い放つ。


「それならッ! 私を攫いなさいッ! その子の代わりに私があなた達に捕まるわ!」


 彼女の言葉は、この場にいる者全ての心を掻き乱した。大勢が彼女を止めるために言葉を投げた。もはや言葉の暴力とでも言えるような発言も中にはあった。しかし、彼女は手を横に出し、彼らを止めた。そして、再び言う。


「私なら大勢の人が大金を叩いてでも取り戻そうとするわ! オマケにあなた達が心配しているリルは今出払ってる。よっぽど合理的よ!」


 三人は顔を見合わせながら話す。汗が滴り落ちた。


「どうする?」

「どうする?」

「どうする? って全員他人任せか! そうだな……ガキよりよっぽど領主の方が価値がある。犬もいねえんだ。これは……神からのチャンスじゃないか!? 神が俺たちに攫えと言っている気がするぞ!」

「確かに! 千載一遇のチャンスたぁこのこと!」

「あ、思い出した! 知り合いのツテで闇市の話がありましてね──」


 しばらく三人で離しているかと思いきや、腕組みをしてスカーレットの方へ向いた。そして、少し上擦った声で言う。


「いいだろう! その取引に乗ってやる! お前を縛るからこちらへ来い!」


 スカーレットは彼の言う通りに行った。ザワザワと誰もは口々に声を出している。何を言っているのか分からないが、確かにそれは心配や困惑だった。何せ、タツミも同じことを思っていたのだから。


 何故、スカーレットは自ら進んで人質の取り替えを提案したのか。

 第一に、同時に取り替えなければ三人が子供を解放するとは限らないだろうに。

 いや、考え無しにそのようなことをする筈がない。きっと何か策があるはずだ。


「縛ったぜ!」

「それじゃあその子を……」

「あー、悪い。解放する気なくなっちまったぁ」


 男は子供も縛ると、近くの馬車の荷台へ二人を投げ入れた。


「え? 嘘でしょ。お嬢様?」


 何故、スカーレットは見え見えの罠に捕まったのか。

 いや、一度立ち止まって考えてみる。そうすると全てが繋がり、答えが導き出された。

 スカーレットは『赤ずきん』の領主。つまりキャラクタだ。彼女には特殊能力がある。きっとそれを使用するために近づいているのだ。あるいは子供の安全を自らの手で確保するためか。


「だ、騙したわね!」


 騙したわね?


「うるせー! っしゃあ! 行くぜぇええ! もう後戻りはできないぞぉおお」


 馬車は走り出してしまった。ただ呆然とそれを見送るように立ちすくむ。両手の荷物を落とした。


「あれー? お嬢様。なんで行っちゃうんですか? あれれれ?」


 いや、まだ分からない。彼女はキャラクタなのは事実だ。きっと大きな衝撃波等で周囲に危害を与えてしまう能力なのだ。だから、人のいない場所へ一旦離れる必要があるのだ。きっとそうに違いない。


 そんなことを考えていると肩を叩かれた。アリアだった。


「なんの騒ぎ? お嬢様は?」


 決まりが悪そうに顔を強張らせながら答える。


「えーっと。攫われました」

「え?」

「人質になっている子供の代わりになるって交渉したら、子供ごと攫われました」

「代わりに!? 嘘でしょ!? ええええ!」


 彼女の驚嘆が喉の奥より飛び出た。その反応に疑念を含みながらタツミ。


「で、でも大丈夫ですよね! スカーレット様は領主、つまりキャラクタな訳なんですから……」

「違う……違うのよ。すぐに追いかけないとッ!」


 アリアは血相を変えた。慌てるというよりも、血の気が引いたように顔を真っ青にして荷物を置き、走り出した。タツミも慌てて追いかける。一応、近くの人に荷物を屋敷まで届けるようお願いした。

 冷や汗を浮かべている彼女の横顔。嫌な予感が気配を感じさせる。


「そんなに焦ってどうしたんですか! 能力ですぐにでも抜け出せるんじゃないんですか!」

「……よく聞いてタツミ君」


 深刻そうな声。次に吐かれた言葉に、タツミはドクンと心臓を打った。


「お嬢様は……『赤ずきん』領領主スカーレットは…キャラクタ能力が使えないの」

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