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プロローグ前編『嘘つきの始まり』

何度でも読み始めよう。

何度でも物語を楽しもう。

何度でも終始を見届けよう。


──これはいったい何度目だろう。

 この世は嘘で満ちている。

 そこらかしこで嘘が蔓延り、嘘で嘘を隠す、それもまた嘘の世界。


『あの子があなたのこと嫌いって言ってたよ』(本当は私が言った)

『僕はそんなことやってない』(本当は僕がやった)

『あいつに酷い暴行を受けました』(本当はちょっと叩かれただけ)

『私どもの責任です』(本当はお前たちが悪いんだ)

『一生愛してる』(保証はできないし、飽きたら違う人がいい)


 等々。少し、思いつく限りを挙げてみたが、こんなものでは収まらないだろう。

 どうだ? 少し考えてみて欲しい。


 本当に自分は正直者か?


 嘘は悪だと断言できるか?


 嘘をついてはいけない。嘘つきは泥棒の始まり。

 大人たちはいつもこう言って、子供たちを教育(・・)する。

 本当は、自分たちが嘘つきだというのに。正直者であるなら、全てを曝け出すといい。

 会社で取引先に下げたくもない頭を下げる姿、ご近所付き合いで参加したくもない井戸端会議に参加する姿、今後の子育てについて話し合う姿、金に目を光らせる姿、肉欲に溺れる姿。


 何も、嘘をつくことを肯定したいわけではない。

 しかし、あまりにもズルくないか、と言いたいのだ。

 正義でも悪でもなく、誰もが無意識に行っている『嘘をつく』という行為を絶対悪とし、嘘がバレてしまった者を、他の運がいい(・・・・)嘘つきが袋叩きにする。


 まるで『仮面舞踏会』だ。

 誰もが自身の本性を晒すことなく、嘘という仮面をつけ、日常を踊る。

 仮面を外したら仮面舞踏会に参加すらできない。途中で外れてしまった者も同様だ。

 仮面のない者を異端とし、その場にいる参加者全員で非難するのだ。


『お前はこの場に相応しくない』


 本来の姿であるのにも関わらず。

 嘘をつき、本性を隠し、周りにずれないよう、周りからはみ出ないよう、不快な思いをさせないように上手く踊った者のみが生き残れる世界。まるで仮面をつけている方が本来の姿だといわんばかりの態度ときたら、それは立派な貴族様だろう。


 仮面をつけているのは人? いいや、世界もだ。世界が丸ごと仮面で覆われているのだ。


『我思う、故に我あり』

 それでは、その()がいない場合はどうなるというのだ。本当はこの世に我なんてものは存在しないのではないのか。

 何故なら、誰も『思って』いないからだ。誰もが仮面のままに、音楽のままに、何も思わず考えず、ただ支配されて踊っているだけなのだから。




 ──オオカミ少年は笑う。

 あぁ、そんな世界、誰が望んだ? 奇怪な音楽とダンス、仮面に支配される世界。




 ──オオカミ少年は見下ろす。

 あぁ、それでも世界は仮面をつけろと強要するのだ。正直であってはならない。正直であるならば、世界の均衡が保てないから。




 ──オオカミ少年は見上げた。

 あぁ、目下に広がる仮面の人形たちは、誰が作ってしまったのだろう。そして、仮面を持たない私は不良品か。誰が人形遊びをしているのだ。私にも創作物になれというのか。




 ──オオカミ少年は再び笑う。

 あぁ、いいだろう。それならばお前たちの言うように、私も嘘をついてやる。『仮面をつける』という嘘を。いつまでも踊っているがいい。いつまでも仮面に寄生され、思考を止めているといい。




 ──オオカミ少年は、私はいつまでも支配されない。生き残ってみせる。


 ◆◆◆


 朝。チュンチュンと雀の鳴き声が窓から流れてくる。爽やかな日差しが差し込む。やけに乾いた風がカーテンを揺らした。

 瞼の裏が真っ白な状態で、辰巳(タツミ) 狼牙(ロウガ)は目を覚ました。


「……」


 白い天井をしばらく眺める。彼の体は海に沈む鉄のように重いのに心はからっぽの箱のようだった。倦怠感と、喪失感。このような朝もあるのだなぁと感じる。


 横のミニテーブルのカレンダーにゆっくりと目をやった。今日は月曜日だ。今の優れない感情の正体は、月曜日にあるのだと適当に結論づけ、自身の単純さに自嘲しながら起き上がった。ふわっと、体が軽く感じられた。思わずよろけてしまった。


 父は単身赴任で遠くにいる。母は仕事をしているが、現在は忙しくしているようで家にほとんどいない。台所へ降り、朝ごはんを作る。今日はパンとベーコン、目玉焼きだ。トースターの可動音、卵を割る音、ベーコンのパッケージを開く音、油の弾ける音、食器が擦れる音。ただそれだけが、この空間にどこまでも広がった。


 朝食を終え、身支度をして、学校へ向かう。現在七時五十分。自転車ですぐに着く。


「おはよう辰巳くん!」


「たっちゃんおっは!」


「辰巳、おはよう」


「辰巳くん……お、おはよう!」


「たっつー! おはちゃん」


 教室に入り、クラスメイトに宿題を見せ、自身は一時間目の準備をする。普段通りの朝だ。

 普段通りの授業を受け、普段通りの昼休み。

 四時間目は世界史だった。教科書、資料集を見ながら、授業の補足を数点ノートに書き込む。配布されたプリントを整理して、それらを全て片付けた。

 さて、購買に行こうかという時、女子三人組が狼牙に近づく。


「辰巳くん、その、ちょっといいかな?」


 そのうちの一人が声をかけた。ショートカットの女子だ。他二人は笑っている。


「どうした?」

「あの、私前回のテスト……世界史が全然できなくて、そのよかったら──」

「あぁ、ノートね。はい」


 彼女が言い終わる前に、狼牙はノートを差し出した。狼牙のノートは見やすい、分かりやすい、点が取れると好評なのだ。だから、いつもテスト前や復習勉強のために貸し出されることが多い。


「あ、ありがとう。いや! 違くて!」


 そんな狼牙の予想とは裏腹に、彼女はノートを突き返す。

 モジモジと何か言いたげな様子に、痺れを切らしたのか後ろの二人がツンツンと脇腹を突いて催促しする。彼女は意を決して続ける。


「よかったら次の学期末テスト一緒に勉強しない!?」


 時間が止まったようだった。その会話を特に盗み聞きしているわけではないのに、前に座る男女にも緊張が走った。さながらPK前のキッカーの気持ちだ。

 一拍置いて、狼牙。


「あ、そういうことか! んー、ごめん! 俺さ、テスト勉強は一人でやるって決めてんだ」


 一転、ゴールポストはるか上空をボールが通り越した。前の男女も頭を抱える。辺に注目されてしまったがために、非常にバツが悪い。彼女は顔を赤くした。申し訳なさそうにい言う。


「え、あ、そっか、そう…だよね! ごめんね、邪魔だよね」

「いやいや、そうじゃなくってさ。これ誰にも言わないでね」


 狼牙は口に指を当てながら、少し小声で言う。


「中学の時、友たちと勉強した結果、全滅だったのよ。一緒に勉強しちゃうと楽しくなっちゃってさ」

「あ、分かる気がする。友たちと一緒にいると、どうしても遊びたくなっちゃうよね」

「仲良くしたい人なら特にね。だから、一緒に勉強はごめんね。テストが終わったらどこか遊びに行こう! また誘ってよ」

「え、あ、うん! テストお疲れ様会だね!」


 それから軽い会話をした後、三人は行ってしまった。

 再び、購買へ行こうと立ち上がった時。


「たっつみー、今平気?」


 今度はロングの女子が話しかけてきた。比較的、目立つ部類のグループにいる子だ。狼牙とはよく話す。特に趣味が一緒だとか、そういうわけではないのだが、なぜか気にかけてくる。

 彼女は、隣の席の椅子を、近くまで引っ張ってきて座る。いつもの調子で笑いながら狼牙。


「なんだ今日は。すごく話しかけられるな。もしかしてモテ期!?」

「はいはい、だったらいいね。そんでさ」

「そんな邪険に扱わなくても」

「聞けって。今週末、みんなで遊び行こって思ってんの」

「いいじゃん、どこ?」

「未定!」

「メンツは?」

「ほとんど未定! でも、とりあえず今のところは、ナツミでしょ、アキでしょ、ハルナでしょ。ここら辺はもう確定よ! 野郎だったらマモルとかシュウヤとか、あとユウトとか誘おうかなって。辰巳もおいでよ」

「いいメンツじゃない。すっげー面白そう。ちょっと待ってねー」


 ポケットからスマホを取り出し、スケジュールアプリを開いた。ロングの彼女は画面を見ないように、少し身を引いた。こういった所は彼女のいい所だ。人のプライベートを覗こうとしない所。

 画面としばらく見つめ合って、狼牙は渋い表情を浮かべた。それだけである程度返答は予想できるが、彼女は顔を傾けながら続ける。


「ダメ…かな?」

「うん、悪いけど土曜日に久しぶりに父さんが帰ってくるんだ。日曜日も母さんが珍しく休み取れたって言って、家族で過ごすことになってる」

「そっか、そりゃダメだ! 家族優先しな! 私らとはいつでも遊べんじゃん」

「ごめんなぁ、また誘ってよ」

「あたぼーよ!」


 普段絶対に使わないような言葉を残して、友人らの元へと戻って行った。いつも一緒にいるアキやナツミたちだ。彼女らはおそらく狼牙の返答を話題に会話を繰り広げている。「ダメだったか」「どんまい」等の言葉が嫌でも耳に入る。


 時計を見た。昼休みが始まって既に十分が経っている。狼牙は財布を片手に、やや早足で購買へと向かう。購買のパンは美味しいのはもちろん、どのパンが売られているのかは当日にならないと分からないというギャンブル性により非常に人気なのだ。

 もうすでにピークの時間を過ぎているからか、レジに並ぶことはなかった。


「すみません。卵サンド一つお願いします」


 黄色が分厚いサンドイッチを受け取ると、中庭のベンチへ腰掛ける。ここは狼牙のお気に入りの場所だ。大きな一本の木を囲うようにベンチが置かれているが、木陰となっていて涼しい。木々の擦れる音も心地よい。他の生徒は教室で友人とのお喋りに耽っているため、なかなかこの場には来ない。来たとしても、中庭奥のテーブルがある場所だ。


 サンドイッチの封を開け、一口目を頬張る。ふんわりとした食感が口に広がった。


「ふぅ……」


 もたれながらため息をついた。いや、ため息というよりも、ランニング中にスピードを緩め、呼吸を整える行為のようだった。学校という空間において唯一の休憩時間(・・・・)だ。

 目を瞑る。目に涙が染みる。痛みがこの休息をより実感させる。


 そよ風が吹く。優しい風が、狼牙の頬を撫でるように通り過ぎた。今日は少し暑い。今の風をもう一度望む。

 葉の擦れる音がハッキリと聞こえる。更に耳を澄ますと、学校中の音が聞こえそうだ。

 廊下を走る音。

 話す音。


 視界は真っ暗、心地よい空間、口の中には甘い卵の味。周囲の音がこもって行き、やがて聞こえない。


 深い闇に落ちていく感覚。寝る直前の感覚にも似ている。真っ暗で、どこにも手足をかける場所がなく、声も出せない、救ってくれる者もない、底の見えない奈落。狼牙はただ落ち続ける。不安や恐怖が迫っているのを感じる。しかし、そこに希望はない。光がないのだから。いつまで落ち続ければいいのだろう。いつまで争えばいいのだろう。


 ──このまま落ちてしまおうか。


 ──このまま何も考えなければ楽なのだろうか。


 ──このまま同じになろうか。


 ──このまま、俺が俺でなくなったら、俺はどうなるのだろう……


 ──…………


 ──……


『見 つ け た ヨ』


「ッ!?」


 ふと耳元に囁かれた声に、体がびくりと跳ねる。すぐに左右や後ろを確認するが誰もいない。しかし、夢にしてはやけにはっきりと耳元で聞こえたあの声に、体の底から何とも言えない嫌悪や畏怖を感じた。


「なんだったんだ……?」


 腕の鳥肌を擦りながら、卵サンドを頬張った。


 放課後になり、クラスメイトと少々雑談をした後で帰路に着く。

 家には、ほんの十分で到着した。

 自室に入った途端に、糸が切れたように疲れがドッとのしかかってくる。

 さほど疲れるようなことはしていないはずなのに。いつも通りの生活をしただけなのに。


 倒れ込むように、眠りに落ちた──


 ◆◆◆


 ──目が覚める。相当疲れていたのか一瞬で時間が過ぎていた。時計を見ると十二時前を指している。寝すぎたために頭痛がする。体もまるで錆びているのか上手く動かない。


「うっ……くぅ」


 寝転びながら体を伸ばすと、ポキポキと背骨が鳴った。しばらくの沈黙。

 そして、フッと息を吐いて夜ご飯を食べるために立ち上がろうとした時、ピタリと体を止めた。いや、動けなかった。

 誰かがいる(・・・・・)


 月光が窓を照らしているのだが、どう見ても人影が映し出されている。狼牙の部屋は二階だ。そのベランダの手すりに誰かが立っている。

 恐怖や焦りなど、様々な感情が湧き出る。しかし、深呼吸を一つ置いて、狼牙はゆっくりと胸ポケットのスマホを手に取った。悟られないよう布団に潜り、ロックを解除する。スリープモードになる直前に開いていたのはスケジュールアプリ。全く予定のない・・・・・・・真っ黒なカレンダーから、すぐにホーム画面へ戻り、電話アプリを開く。


 瞬間。ドアがガララララと開き、風が吹き込んだ。

 机の上の本や教科書はページはめくれ、プリントは吹き飛び、キャスター付きの椅子は流されてしまう。布団もめくれた。襲われたと勘違いした狼牙は、すぐさま反撃のために腕を振るったが空を切る。そこでやっと風が吹き込んでいることに気がついた。


 そして、ベランダに立つ彼を前にした。

 緑色の服に身を包み、月光に照らされる金髪が夜風に吹かれて妖しく揺れる。端正な顔立ちは日本人ではない様子だったが、むしろ今は人間かどうかも疑っている。


 数秒間、目が合う。彼の緑の瞳は、全てを吸い込んでしまう宝石のように狼牙を釘付けにした。言葉を奪われた。狼牙と対照的に、まるでテーマパークのアナウンスのように彼は口を開いた。


「ヤァ、こんばんハ!」


 狼牙の理解が追いつかない。追いつかないままに電話の画面だけが薄暗く灯っている。

 弾むような少年の声だ。青白い月光を背景に、彼の声は狼牙の耳に突き刺さる。緊張と恐怖、困惑。様々な感情が混沌となって、脳のキャパシティを簡単に凌駕した。


「アレ? 何か間違ったかナ。こんばんハ!」

「こ、こんばんは……」


 彼の言葉に半ば無意識的に返答する。

 狼牙の挨拶を受け取ると、緑色の彼は「ウンウン」と語尾に音符でも付いていそうな声色で、手すりから降りた。着地の瞬間に体が一瞬ふわりとしたことなど、狼牙が気付く訳もない。なにせ、未だ理解できないのだから。


「キミは、狼牙クン、だよネ!」


 再び、底抜けの明るい声が青白い部屋に弾む。


「あ、あぁ」

「色々聞きたいことはあると思ウ! ボクは一体誰なのカ、ボクはどうやってここにやって来たのカ、何が目的なのカ。何故緑色の服を着ているのカ! 最後に関してはボクの趣味!」


 狼牙はしばらくして、我に帰る。時間は人を冷静にする。超常的なことが起こっても、時間が経てば冷静になってしまうのだ。

 狼牙は考える。今自分のすべきことは、目の前にいる頭のおかしい緑色の人間から逃れることだ。先程まで見開いていた目は、途端に獲物を狙うハンターのように彼を睨んでいた。


「ワォ! そんな怖い顔しないでヨ!」


 両手を上げて、いかにも、というポーズに苛立ちすら覚える。目的が分からないが故に、恐怖はなおも続く。しかし、関係ない。狼牙は手元を見る。ドアの方へ跳びながら、握られているスマホの番号パッドにすぐさま110番を打ち込もうとする。時間はかからない。

 後は0を打つだけ。その瞬間にスマホが視界から消えた。いや、違う。


「まぁまぁ、落ち着いてヨ」


 緑色の彼は、狼牙の腕を掴んでいた。0を押されないよう、スマホを持っている腕を。

 瞬間、全身から汗が噴き出るのを感じる。身体中の血が足元へ向かっている感覚。恐怖や焦りなんてものではない。これは明らかに、もっと別の次元の話だ。


「とりあえずこれはここに置いておくネ」


 優しくスマホを取り、机の上に置いた。抵抗すらできない。いや、しようという気にならないのだ。一瞬で目の前に移動し、ケータイを取り上げて来た謎の少年。張り詰めた空気を作り出したくせに、その空気を一瞬で壊す少年。それだけで、狼牙は無力であり、彼には何か大きな力があることは火を見るよりも明らかだった。


「まずは自己紹介でもしようかナ! ボクの名前は──」


 狼牙をベッドの上へ座らせると、彼は腰に手を当て言い放つ。


「ピーターパン! キミをコチラ側へと連れて行きたイ!」


 空いた口が塞がらないままに、更に口を広げさせるようなことを言う。一周回ってふざけているのではないかとも思う。

 何せ──


「『ピーターパンは物語の題名じゃないか!』とか考えているだろウ!」

「……ッ!」


 ピタリと思っていることを当てられ、目を見開く。この少年もといピーターパンには、やはり何か不思議な力があると根拠づけられた気がする。


「その通リ! キミの考えは正しイ! それじゃあ何故、物語の『ピーターパン』が目の前にいるのカ! それはネ、ボクが『物語の世界』からやって来たからサ!」


『物語の世界』などという言葉。それは到底信じられるようなものではなく、そして、全くもって大真面目に聞けるような話ではなかった。


「物語の世界……? ハッ」


 思わず笑いが溢れた。この超常的な少年の喋る言葉は全て、現実味のないフィクション的なことばかりなのだから。いや、少年自体がフィクション的か。それならば、この状況は夢か。夢だとすれば納得がいく。そうだ、夢なのだ。明晰夢なのかもしれない。

 それならば、夢ならば少し話でもしてみるか。精神的に参ってしまった狼牙自身が作り出したもう一つの自由で無邪気な人格。逃避するための世界。そう考えた方が気が楽だった。


「一体なんなんだ、その物語の世界っていうのは」

「お、話ができるようになったみたいだネ! よかったヨ!」

「うるせーよ。こうでもしないとやってけないんだよ」

「そうかイ。でもね、その話はまた後で。ボクが今から話すのは、キミについてダ狼牙クン!」

「俺……?」

「キミ。特に、キミの考え方や望みについてダ」


 狼牙を指差しながら、ゆっくりと瞼を開く。まるで貫かれるかのような眼差しに気圧される。いつまでも見つめあっていたら、本当に吸い込まれそうなほどに視界が狭くなる。

 紛らわせるように言葉を続ける。


「アンタが俺の何を知ってるんだ?」

「知ってるヨ。キミが『嘘つき』だってコ・ト!」


 ギュッと心臓が縮んだ気がした。

 何故、少年がそのことを知っている。

 何故、少年が今、その話をする。

 様々な疑問が浮かんだ。しかし、表情には出さない。冷静に対応する。


「俺が嘘つき? 俺は優等生だよピーターパン。学校での俺は──」

「成績優秀、スポーツ万能、友ダチ多い、先生人気も高い、そう言いたいのかイ? イヤイヤ、僕が言いたいのはネ」


 再び、言いたいことを当てられた狼牙。バツを悪そうにする彼にピーターパンは迫った。笑顔な彼は、腰を折る。そして、近距離ではっきりと両目を合わせて言う。笑顔はなかった。


「もっと根本にあるものだヨ」


 パッと振り返ると、数歩歩いた。


「キミは『嘘つき』ダ。しかし、同様に『嘘つき』を嫌悪していル!

 それじゃあキミは何なんダ!? キミは自分を『嘘つき』だと偽る『嘘つき』ダ!

 キミは何を望んでいるんダ!? キミは誰も嘘をつかない世界を望んでいる!

 違うかイ?」

「……」


 俯く。

 誰もが嘘をつく世界で、決して嘘を許せなくなってしまった狼牙。

 同調や非難、他者を騙し、傷つけて、利己的になる人間が心底嫌いだ。

 誰もが仮面で本性を隠しているのは気持ち悪い。

 誰も本性を出さず、仮面をつけながら日常を踊る姿を異様に思う。

 しかし、世界はそんな彼を認めないだろう。何故なら、仮面をつけることこそが普通(・・)だからだ。普通に押しつぶされてしまうくらいなら──


「大丈夫。ボクならこの世界から連れ出してあげられル!

 偽装や嘘のない、全てが決められた真実のみの世界へト!」


 ピーターパンは手を伸ばす。


「キミの意思を聞こウ。来るかイ?」


 狼牙は考える間もなく、自然と、ただ当然かのように、あるいは逃げるかのように彼の手を掴んでいた。少しだけ狼牙が手に触れた。強く握り返された。ハッとピーターパンを見上げる。


「行こウ! 新たな世界ヘ!」


 ピーターパンの周囲に、金粉がひらひらと舞い始めた。金粉は狼牙の体も包むと、その瞬間、彼らの体をふわりと浮かび上がらせた。


「うおぁ!」


 上手くバランスが取れないが、ピーターパンの握る手だけは動かない。ピーターパンは振り返り、にこりと微笑みかけた。この笑みが意味するところはわからない。しかし、嫌な予感はしている。

 理解は追いつけず、狼牙の様子などそっちのけで、外へと勢いよく飛び上がった。


「うわぁああああああああ!」

「アハハハハハハハハハハハ!」


 目下には慣れ親しんだ住宅街やコンビニ、学校が写っている。自身を通り過ぎていく風が、なお空を飛んでいる状況を認識させてくる。

 月へ向かって、グングンとスピードが上がっていく。

 青白い月がどんどんと近づいてくる。近づく程に大きくなることを視認した時、やっとそれは月ではないことに気がついた。青白い円は渦巻いており、流星のような筋が動いている。時折ぶつかり合い、綺麗な火花を散らしていた。


「おいおいおい、嘘だろ……!」


 そんな狼牙の言葉を残し、円は収縮し小さなしずくとなって落ちた。

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