第1章 豊田の十郎(2)
三、
「今度はおまんが大将か、ようし、私を打ち倒して見やれ」
緑川のほとりの野で子供たちとうら若い娘、美夜受(一六歳)が遊んでいる。
摺姿をラフに着こなして、武家の娘か百姓かは定かでない。
美夜受は竹馬が大得意で、子供たちに交じってむきになって戦う。
体当たりを食らわせて相手を倒しては逃げ、安全なところまで逃げるとそこでくるりと向き直り、男の子たちの方に突っ込んでいく。
体当たり合戦だ。美夜受は次々にふんどし姿の男の子たちをつっ転ばしていく。
きゃあきゃあと女子たちは大喜びだが、男の子たちは悔しがる。
「虎姫の美夜受、おなごのくせに、十郎の真似か」
「十郎には私が戦い方を教えたんじゃ」
「嫁の貰い手がなかぞ」
「ちっとはおなごらしうせえ!虎姫め」
「ふふん、嫁ぐ先は決まっとるわ、要らん世話、ほれほれ!」
と、けたぐりをかけて、また男の子たちを転ばせた。
けらけらと笑うその姿はまだ子供のように見える美夜受だが、駆け寄ってきた騎馬の十郎を見上げた途端、その目に妖しいまでの欲望が浮かび上がる。
「美夜受」
「十郎、帰ったか」
十郎ももはや股間をたぎり立たせていて、いきなり美夜受の腕を掴むなり颯天に引き上げて背後に座らせ、子供たちから美夜受をさらうようにして連れ去る。
「美夜受はもろうて行くばい」
去り際に袋に入れたおのれの弁当を子供たちに投げた。
干飯と干魚のほぐし身がいくつか入っていて、毎度のことにわっと子供たちが群れかかった。干飯を奪い合いながら、年長の悪ガキが十郎の背に叫ぶ。
「やるんか、あれを!」
「まぐわい十郎!」
干飯を口いっぱいにほうばりながら、囃し立てる子供たち。
「こら!菊池の若さまになんごつ口きくか!」
「しょうちせんど!」
伊右衛門と矢兵衛が叱り付けるが、本人たちも笑っている。
と、馬上でくるりと見返った十郎、思い切りあっかんべをして見せた。
「ばかたれーっ」
叫びながら、子供たちの顔には笑顔が浮かんでいた。
十郎が颯天を促し、颯天は二人を乗せて疾走した。
これが解散の合図と知っており、やれやれとわが家へ向かう侍たち。
「やっと家じゃ」
「汗を流してゆっくり寝ようわい」
伊右衛門や弥兵衛が郎党を引き連れ、それぞれ家へ向かう。
「よかのう、若は相手がおって…」
太郎は羨ましそうに駆け去る十郎を見送る。
「美夜受」
そう呟いた太郎の顔は泣きべそをかいている。
村の共同納屋の前の杭につながれて、草を食んでいる颯天の姿がある。
十郎が荒れた納屋で藁にまみれながら若いたぎりを美夜受にぶつける。
「十郎…」
睦みごとの経験は美夜受の方が上手で力任せになりがちな十郎をうまくリードして登りつめさせていく。後の時代のように女が貞節に縛られるようなことはなく、誰でも思うさま好きな異性と結びついたり離れたりできる自由闊達な世の中だった。
美夜受は近在ではその気の強さから、虎姫のあだ名で呼ばれた。
美夜受は美しく勝ち気で、選ばれるのではなく男を選んで、その対象が今は十郎なのだった。いくさから戻った十郎はいつも狂ったように美夜受を求めた。
美夜受もまた激しく応えた。
白くきめの細やかな肌が上気しながらわずかに汗ばんでのたうつ。
浅黒い十郎の肌と白い美夜受の肌が際限なく絡まり合って、美夜受が声を漏らす。
人は死に直面すると、種の生存本能が働くのだろう、異様に性にのめりこむ。
戦場で兵士が里の女を犯し回るのには生物学的な理由があるのだ。
「なんでこがいに果てしがないのじゃろ、お前とは」
のぼせた境地からゆっくり静まっていく虎姫が、荒い息をついて仰向いた十郎をまだまさぐりながら、胸をなめて余韻を味わう。
現代では十六と言えばまだ子供とみられるが、一〇歳は加算しなければ当時の水準が理解できないだろう。美夜受は今でいえば二十六の女盛りなのだ。
十郎はひょうきんもので、土地の娘たちにはモテた。
精力は有り余っているから適当につまみ食いしていたが、美夜受は独占欲が強く、悋気を起こすので、近頃は他の女とは遊ばない。
それだけ美夜受にのめりこんでいた。
やがてふと、顔を上げ、また一騎掛けで突っ込んだという噂を聞いたぞ、無茶ばかりする、と、美夜受が笑った。戦場の様子はもう地元へ聞こえている。
「無茶ではなか、颯天となら、誰に打ち取られる気づかいはなか」
「お前は菊池の子、いずれ将になる身じゃ、采配を学べ」
「ああ、…おじき殿のような采配はまだ振れん、じゃが、いずれ」
と、十郎は戦場での恵良惟澄をイメージしている。
十郎は領地が近接していて幼い頃から可愛がってくれた恵良惟澄と気が合った。
恵良惟澄は甲佐社領、守富庄の領主で十郎の豊田の庄とは隣合わせだ。
早くに亡くなった十郎の母は阿蘇の類縁者だという説もあり、親戚だったかもしれない。
なぜそんな飛び地を地下の侍に管理させず、一門の端くれとはいえ十郎に管理させるのかと言えば、一番大きな理由は阿蘇大宮司家とつかず離れずにしておきたい菊池主家の思惑だった。阿蘇家の領地の中に一応菊池庶子家の十郎を置いておくのは人質の意味にもなったからだ。恵良惟澄がその気になればいつでも十郎を殺せる。
無論戦いはしないという何の保証にもならなかったが、危ういバランスを取ろうとする当時の豪族たちの精一杯の工夫だったろう。
飛び地である豊田からは菊池の内部事情は測りがたい。
連絡もなければ一族の動向についての相談もない。
だから十郎の胸の内には菊池一族に対する反発心がある。
むしろ阿蘇家のはぐれもの恵良惟澄を叔父と慕っていた。
阿蘇家は阿蘇神社の大宮司職であり、神職でありながら豪族として武辺に生きる一族だ。
近年は分裂気味で、現在の棟梁惟時と庶子家であり惟時の娘婿である惟澄とは互いに反発しあって一族内に不穏な空気を醸し出している。
多々良ヶ浜の戦いで菊池一族と共に足利尊氏と戦い、二人の従弟を失って以来、惟澄は尊氏嫌いだった。阿蘇大宮司家の分裂工作を仕掛けるなど、尊氏の細密な性格を嫌悪した。
なのに、惟時は巧妙な尊氏の誘いに乗り、足利尊氏側にぶれている。
惟時は浅い、と、気に食わない惟澄だった。
一方、十郎は父武時が後醍醐帝に忠誠を尽くして死んだと思っている。
半分はおっちょこちょいな軽挙妄動だったが、十郎には英雄と見えている。
その後醍醐帝と敵対する足利尊氏は問答無用で宿敵と認識している。
反尊氏で惟澄と十郎は結ばれている。
「…とはいえ、…実のところ、お前、宮方対武家方の区別なんぞ、どうでも良いのじゃろうが、いくさが好き、それだけのくせに」
言われて笑って再び美夜受を組み敷いた十郎は、そうよな、と呟く。
確かに今の十郎にはなんのために戦うか、何のために生きるかがまだ明確ではなかった。
ただ、一つのイメージがしばしば甦る。
炎を背に悪魔のように笑う少弐貞経。
十郎はあの夜の貞経への憎悪を未だに内部に飼っていた。
「ところでおまんは寝言を言う」
「ほう」
「父上、と呼ぶのを何度も聞いた」
「そうか」
「博多の夜か?」
武時は夢の中からいつも十郎に声をかけていた。
「十郎、菊池を頼むぞ」
夢の中の武時の言葉は聞こえずとも、美夜受は、父の無念に無力だった自身への秘めた怨念が十郎を意固地にさせている、と見抜いている。
「お前の親父様、武時公の仇はもう、兄者の武敏さまが討たれたのであろう、…少弐貞経は死んだ、…そげな暗い目をするな」
「暗い目をするか?…わしが」
武時を殺した裏切りの主役少弐貞経妙恵は既に多々良ヶ浜の戦いにおいて十郎の兄にあたる菊池武敏が打ち取っていた。だが、十郎には何の意味もなかった。
自分の手で恨みを晴らす、怯えて逃げた自分の誇りを自分自身に回復する。
それが成し遂げられなければ、十郎の悪夢は終わることはない。
少弐貞経は常に悪魔の笑いを夢の中から放って来るのだ。
しかし、今のままでは十郎が菊池で活躍する余地はない。因縁の対決は望むべくもなく、それを果たす機会はない。
乙阿迦丸という幼名で十四代武士の次に後継順に来るとされている文献もあるが、それは別人だろう。本稿ではその説を採らなかった。
十郎は菊池の未来に資する数には入れられていなかった。
そこへつぶてが投げ込まれた。
「あら?」
と、美夜受が拾った石に墨で「築」と書かれてある。
そこで美夜受は覗かれていたかもと気が付き、「均吾の馬鹿たれ!」と赤い顔で叫び、脱いだ着物をかき集めて前を隠すが、十郎は笑った。
「颯天を連れて先に帰れ」
十郎が納屋を滑り出していく。
四、
「美夜受の身体を見たか?綺麗かじゃろ?」
「見とらん」
緑川の川べりに止められた小舟に、釣り糸を垂れた均吾(二〇)がいる。
均吾の頭巾とすずかけ姿は修験道の行者であることを示しており、武装を解いて破れ烏帽子に一張羅の小袴姿の太郎と合流していた。
「おいも見たかのう美夜受の肌」
太郎が立てた膝に顎を乗せながら思いを巡らす。
黒い人影が来る。
水干姿の十郎だ。
素早く船に乗り込むと、釣り糸をしまった均吾が竿を刺して流れの中に船を出す。
それでもう誰に話を聞かれることもなく、そこは三人だけの天地だ。
十郎が途中で獲ってきた野ウサギを投げ出した。
石礫で倒したもので、太郎が喜んで皮を剥ぎにかかるが、十郎は奪い返す。
「お前は不器用で、皮も肉もぐちゃぐちゃになるばいた、わしがさばく」
太郎がむくれて口をとがらすのに構わず、十郎が脇差で皮を剥いでいく。
船底に敷かれた石の火どこに均吾が手早く火を起こしていく。
それへ十郎が言う。
「此度は長かったの、均吾、いや、筑紫坊じゃった」
均吾は今は山岳修験者の格好をして筑紫坊と名乗っている。
「色々歩いてきたわい、山伝いなら平地の三倍早く、五倍の土地へ回れるでの、肥前も見てきたし、築後も、博多と大宰府もじゃ、博多の賑わいはすごかぞ」
「賑わうそうじゃのう、ひひひ、よかおなごもおるとか、異人の女はどがいじゃ?」
「太郎、ひっこんじょれ、ぎゃんこつより少弐や大友の動向じゃ、聞かせろ」
「少弐も大友も足利尊氏と密に連絡を取りおうておるようじゃ、やはり修験者の一団をつこうておるな、京の形勢で兵の動かし方が変わるとみた」
最近は大友軍が菊池鞍岳に攻め寄せ、武重の軍が防衛した、話はそんなことにまで及び、十郎は知っておるわと遮った。興味の的が違う。
「わしが知りたかつは奴らの領地経営じゃ、例えば少弐、奴らはどげな風に兵を養い、民を従わせておるのか、いくさをするには地力が要ろう」
「少弐は大宰府を荒れ果てたままにしておる、余計な金を使いたくないのじゃろうな、それより商人どもと連携し、博多からの船運で儲けようとしておるな」
「船運か…」
「対馬)、壱岐一円の海洋族は奴らの手のうち、海の衆をつこうて大陸と貿易しよるが、その上がりが莫大じゃ、あの資金力がある限り、少弐は侮れん」
博多港を管理することで領地経営には利があり、少弐はそれを生かしている、という。
「これを見てくれ、船商人どもの尻を叩いて港を整備し、少弐はさらに船便を増やそうと」
博多港や近辺の海の島々まで絵図面に起こして来ている筑紫坊だった。
「お、これが博多か、すごかねえ!」
太郎が目を丸くしたが、十郎は唸って見入り、考え込む。
「…海の取引か、…それが少弐を支える、…海は菊池になかもんじゃ」
ごろりと仰向いて、国を大きくするにはいくさの力と金の力が必要だと思いを巡らす十郎。
「修験者か、銭にはなるのかえ、均吾?」
太郎が目を輝かせた。
「ならんな、…じゃが」
と、肉を木の小枝で串刺しにして火であぶりながら、均吾は十郎を見やった。
「十郎、…おいは親父について英彦山の修験道場に学び始めた時は、ただ信仰の為かと思うた、じゃが実のところ、山岳伝いに常人の数倍の速さで移動をし、諜者としての力を養うためであったと、つい先だって親父から明かされた、…俺を買え」
じろりと均吾の筑紫坊を見やった十郎。
「仲間の修験者と組んで、鬼面党という間諜の組織を作る、雇え」
均吾は博多合戦のあの時、十郎と共に豊田へ帰った後、父に連れられ英彦山の修験道行者となった。九州の修験道は豊前の求菩提山に始まり、英彦山、筑豊の宝満山があり、耳納も阿蘇の修験道者の修行場だった。
山に入った修験者は擬死再生を目指し、十界行の荒行をこなし、即身成仏を目指す。
しかし山岳地帯を縦横に駆け巡って修行するという性質上、その神出鬼没性で情報収集の力をつけることになり、役小角が日本の忍者の祖であるとされるように、忍びの役目を負わされることが多かった。
各地に山岳修験の地はあり、中央から地方から、修験者たちは自然にネットワーク網を築くことになり、情報収集とその売買で副収入を得る道を持ってしまった。
彼らは派閥の違う誰それの配下となるという事も少なくなかったが互いに不問に付し、情報を交換し合った。その為様々な形で各地の武装勢力の情報源となれたのだ。
さらに情報面だけでなく、実地にテロ工作もしたし、偽情報を流したり、誰かを狙う工作なども行った。そんな諜者として世に立とうとしている均吾、改め筑紫坊だった。
「買う」
「本当か?よし、役に立つぞ」
「が、…今は金がない」
「ないなあ、…豊田の庄からの上がりは大半が菊池本家に収められる、からっけつじゃ」
と、太郎が主人を見やって苦笑した。
金吾が小枝に刺してあぶった肉が焼けてきて、真っ先に太郎が手を出して食い始める。
十郎と金吾も半焼けのまま食いだした。
太郎は相変わらず十郎の屋敷の奉公人で、十郎の身の回りの世話に追われている。
いくさとなれば轡取りで十郎に随身するが、よほどの手柄でもたてぬ限り、家持ちの侍にはなれず、なれなければ嫁は取れない。目端が効くなら女をたぶらかせて抱くことはできるが、力自慢が取りえで口下手な太郎ではそれもかなわず、うだつの上がらない日々だ。
「掛にしておく」
という均吾はいずれでかい山を当てて、報えと笑う。
「ふふ、わしを信用するのか?…金を手にする前に、途中で死んだら取りっぱぐれるぞ」
「お前ならやれる、気がする、…お前は何かでかい、そんな気がするのじゃ」
十郎、笑って肉を食い終わった串を投げ捨てた。
「楠木正成様のことを知りたか、…あんお方は山城の使い手じゃった、…多勢に攻められた時、山城に籠ればわずかな手勢でも張り合えるという、 見当はつくが、実際の理屈が知りたか、なんとかならんか?」
「こりゃあ軍学や経済学まで仕込んでこねばならぬな、お前は要求がおおか」
と閉口するが、笑う筑紫坊。
魚がはねた。
「…菊池の周りに敵勢は多く、それぞれに強い、今のままではいずれ菊池は滅ぶ」
と十郎、苦い顔を見せた。
「えらいこと言うな、菊池が滅びたら、ぬしもわしらも生きてはいけんじゃなかか」
太郎が身震いするが、十郎は鋭い眼差しとなって船底の石ころを拾い、魚を狙った。
「…今の菊池は無様たい、…出るべき棟梁が出ぬなら、滅びればよい」
と、つぶてを魚に向けて放った十郎。
魚はぴしゃりと尾びれで水面を叩いて姿を消した。
十郎は苛立つように何かに焦れている。
筑紫坊には十郎の鬱屈が理解できる気がしている。
そこに期待感もあった。
太郎は一人でほとんどの肉を平らげた。
豊田の荘の自宅は武家屋敷というにはあまりに粗末な家だった。
周囲を堀で囲んではあるが、母屋と納屋の大きさは村長の家より小さい。
奉公人が三名いるが、郎党は太郎一人で、家族はいない。
菊池氏へ納める年貢からわずかな取り分を割り当てられているが、その収入の大半はいくさの度に伊右衛門や弥兵衛たちに報酬として支払ってしまうので、残りはいくらもない。
母親は十郎を生んですぐに産後の日立ちが悪くて死んだ。
戻った十郎の仕事はまず颯天の世話だった。
川で汲んできた水できれいに流してやり、布で丁寧に拭っていく。
この仕事だけは太郎にも誰にもやらせない。ひずめの様子を見てこれからじっくり治してやる段取りを考える。摘んできて貯めてあった稲の干し草に穀類を混ぜて与える。いっぺんにやると下痢してしまうので、わずかずつを何回にも分けて与えるようにしている。
貴重な穀類を自分が食わなくても颯天には与えた。
武士にとって太刀より鎧より、一心同体になれる馬こそが最大の武器だった。
世話をしてやりながら、目で颯天に語り掛ける十郎に、颯天もまた目で意思疎通をしてくる。
「太郎、飯はできたか?」
颯天の満足を見届けてから、太郎相手にやっと飯を掻き込む十郎だった。
弾む話があるわけでもなく、太郎は飯を食いながら舟をこぎ始める。
「太郎、納屋に上がって寝てしまえ」
「そうはいかぬわ」
太郎は納屋に部屋をあてがわれており、いくさのあとは十郎の刀や鎧の始末があって、眠れない。十郎は奥の板の間の居室へ引き取るが、一旦破れ布団の寝床に入ったものの、いつものことで寝付かれず、起きだしてしまう。
太郎がやっと全部の仕事を終えてわらの寝床に入って間もなく、そのわらの中へ何かが投げ込まれた。投げ込まれたものが三つ四つ、くねくねもがきながら太郎にまとわりつく。
眠い目で怪訝にそれをつまみ上げた太郎が、ぎゃあーっと悲鳴を上げて跳ね起きた。
烏蛇の若いのが慌てて逃げ惑う。
けたけたと笑う声が響いて、太郎が泣き声で叫ぶ。
「十郎、いたずらはたいがいにせえ!」
十郎が笑いながら駆けてくる。
眠れない腹いせに太郎をからかった後は緑川沿いの岩の上に出て座り込む。
十郎は毎夜座禅をしていた。
眠れなかったからだ。一〇代にして不眠症だった。
博多合戦以来、父の死んだ夜のあの恐ろしい地獄絵図を忘れたくて、博多聖福寺の大方元恢の言ったことを頼りに、すべてを忘じよという座禅に救いを求めていた。 しかし座れば脳裏にあの日のことがよみがえる。
「首がさらされておる!」
聖福寺内で作務をしていた十郎と太郎が見返った。
使いから戻った均吾が駆け込むなりそう叫んだからだ。