9 赤頭巾
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ。トリック・オア・トリート!」
小さな子どもが霧黒の服袖を引っ張って言った。五歳頃の可愛らしい少女だ。恐らくこのハロウィンコーナーでそう言うと学んだのだろう。だが親らしき者の姿はない。
「トリック・オア・トリート!」
少女はもう一度そう言う。紫音はお菓子がないかとバッグを開けた。ゴスといえどロリータでもある。チョコ一粒くらいならあるだろうと思ったからだ。
「あ、はい」
「……どうぞ、小さな妖精さん」
紫音がバッグからチョコを出すのと同時に霧黒もポケットから飴玉を発見して少女に差し出した。
「ありがとう! ね、お兄ちゃんがきゅーけつきで、お姉ちゃんはお姫様なの?」
「え?」
紫音がキョトンとしていると霧黒が屈んで少女の頭を優しく撫でる。
「おや、バレてしまいましたか。妖精さんは何でもお見通しですね」
「んふふー」
少女は楽しそうに笑うと小さな両手でお菓子を握った。遠くで少女のだろう名が呼ばれて少女は反応する。
「ママー! パパー! 今行くぅー!」
そう返事をして少女は霧黒の耳に何事か囁いた。そしてすぐに駆けて行く。
「何て……?」
立ち上がる霧黒に紫音は問う。霧黒もクスクスと楽しそうに笑いながら紫音を見つめ、ふと笑んだ。紫音は真面にそれを見て心臓が跳ねる音を聞いた。
「『お姫様の血を飲む時は痛くないようにしてあげてね』と仰ってましたよ」
クク、と喉の奥で笑って霧黒は目を細めた。紫音は霧黒から目をそらして少女が駆けて行った方を見る。
「すぐに対応して、霧黒さんは大人ですね」
「小児は向いているそうですからね」
紫音は霧黒を見て笑んだ。霧黒も微笑する。
「ハロウィングッズはそれでよろしいのですか? それでは『童話の森』へ行きましょう、お姫様」
霧黒が恭しく手を出すものだから紫音は恥ずかしさに頬を染めた。だが周りはハロウィンのムードに浮かれていてそういった行動も許容されているようだ。紫音はおずおずとその手を取って俯いた。霧黒は小さく笑うと紫音をリードして歩き出し、紫音もそれについて行った。
『童話の森』は有名な童話の主要シーンにある建築物がメインのコーナーだった。白雪姫ならば小人の家、眠り姫なら茨に囲まれた城、赤ずきんならば狼と会った花畑や祖母の家といったラインナップだ。
ドレスやらずきんやらも貸し出していて写真も撮ってくれるらしい。紫音も赤ずきんを被って写真を撮って貰った。
「これはこれは……狼が食べたいと思った理由が解りますよ」
霧黒がクスクスと笑って言う。紫音はずきんと同じくらい赤くなった。霧黒にすすめられて被ってはみたが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「何故、赤ずきんはこんなに目立つ色のずきんを被って危険な森へ入って行ったのだと思います?」
唐突に問われ紫音は面食らった。だが見当違いだろうかと思いながらも答えを弾き出す。
「家が貧しくてその色しかなかったから……?」
その割にはおばあさんへの見舞品が豪華だと紫音は思い直し、それが一番気に入っていたからと思えど親が止めるだろうと考え直し、紫音は降参した。
「赤ずきんは森に棲む怪物の生け贄だったから、ですよ」
紫音は瞠目する。生け贄、と呟けば霧黒は頷いた。
「童話ではそんなことは書かれず、怪物もただ狼とだけ書かれています。そして最後には狼は腹に石を詰められてしまい倒れて死んでしまいますが、それは童話特有の嘘なのです。子どもに不安を与えないように、勧善懲悪で物語が終わるように。
ですが狼はちゃんと、生きてますよ」
口角を上げてニヤリと笑む霧黒は、紫音が被っている赤ずきんをそっとめくり、その目を覗き込む。
「狼は吸血鬼でした。狩人はその名の通りヴァンパイアハンター。赤ずきんは祖母に作って貰ったビロードの赤ずきんを気に入り、目立つからとその格好で森に入れられたのです。
吸血鬼は赤ずきんを見付けました。可愛い可愛い少女だったと童話にはありますね。
吸血鬼は巧妙に赤ずきんを花畑で遊ばせ、その間に彼女を追って来たハンターを倒しました。吸血鬼としては若かったけれども、ハンターの方がまだ若く未熟でした。そしてハンターをも、吸血鬼にしてしまったのです」
ミイラとりがミイラになってしまったと言うのだろうか。紫音も霧黒の深いグレーの瞳を見つめ返しながら話の続きを無言でねだった。
「けれど人間は吸血鬼に負けたと認めたくなかったので嘘の伝承を残し、自分達を誤魔化しました。赤ずきんとハンターを送り込んだ後は二度と吸血鬼は現れなかったので嘘から出たまこととなったのです。
何故だと思います?」
再びチャンスを与えられ、紫音はおずおずと答えた。
「その吸血鬼が、赤ずきんちゃんを気に入ったからですか?」
はい、と霧黒が肯定した。
「違う意味で食べてしまったわけですね」
またも顔を赤らめた紫音にクスクスと霧黒は楽しそうに笑む。
「貴女の反応は全く……何と言いますか……良いですねぇ」
からかわれたのだと気付いて紫音はムッとした。だがそんなことは痛くも痒くもないのだろう霧黒は不意に紫音の赤ずきんを取る。
「そう、実に愛らしい」
霧黒はお化け屋敷や紅茶専門店などではなく矢張ホストクラブにいる方が似合うのではないかと紫音は思った。押すところは押して引き際も鮮やかである。
「『童話の森』もそろそろお終いですね。他に行きたい場所はありませんか?」
紫音はふるふるとかぶりを振った。完全に霧黒に振り回される前に離れた方が良いと感じたからだ。
ハマり込んだら、杭を打ち込んでも脱け出せない。
「そろそろ、透子達と合流します。受付の近くにいれば見付けて貰えると思うので」
そうですか、と霧黒は答える。ハットを片手で押さえ、では、と出口の方を見た。
「其処までが私の仕事ですね」