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Violet Noir  作者: 江藤樹里
2/20

2 ヴィオレノアール


 見渡すばかりの田園地帯にヴィオレノアールはあった。


 一見、相反するように思える組み合わせなのだが、異国の城を彷彿とさせる風貌のおかげか違和感を覚えることはない。むしろ(あつらえ)えたかのようだった。


 澄んだ青い空が刈入れの終わった田んぼの水が反射して、テラコッタの赤い屋根でできた城が映えてとても綺麗だ。日本で有名なテーマパークはお城がシンボルになっているが、ヴィオレノアールも同じようだった。


「へぇぇー。テレビで見るのとじゃ、やっぱり全然違うね」


 何処のテーマパークよりも話題で入場者数も過去最高だと言うのに、入場制限のおかげか車の受付を済ませた後の道路はスムーズで渋滞の色など欠片も見せない。


 見る見るうちに駐車場へ近付く白いバンに乗った透子が周りを見ながら感嘆の声をあげた。


「見て見て、あの大っきな観覧車! あれに乗ったらヴィオレノアール全部見えそう!」


 キャピキャピと山名真理がはしゃぐ。横に座った恋人も窓にくっついている。


「最初の挨拶を済ませたら自由行動だからなー」


「良いんですか? やったぁ!」


 透子の兄の言葉に真理と広香は笑顔になった。透子も良かったね、と笑んでいる。


 だが紫音はただ、窓の外に見える城に目を奪われていた。


 中世の城がモデルなのだろうその大きな城は重厚な石造りで全体の色はグレー、尖塔の屋根の色はレンガのような赤。まるで本当に遠い異国へ来たかのようだと紫音は思った。


 遊園地らしくジェットコースターのレールがくるくると円を描いているが、紫音の視界には入らない。


 古いメリーゴーラウンドは認識出来たが、他の激しいアトラクションには興味がないからか、あることさえ分からなかった。


「行こ、紫音」


 突然、透子に肩をたたかれ紫音は振り返った。苦笑した透子がバンの外で待っている。


「そんなに気に入って貰えるなんて思わなかったけど、気になるならもっと近くに行こう!」


 紫音は日傘を差すとバンを降りる。両足を着き、黒いハート型のバッグのベルトを握る片手に僅か力を込めた。


 自分が緊張していることに紫音は気付く。


 青い空に、冷たく澄んだ空気、白い太陽に、赤い色をした城の屋根。全てがこんなにも美しいのに、自分は何を畏れているのだろう。あの夢の城には、何かが棲んでいるような気がするからか。


 だが一体、何が?


 有名なテーマパークとは違い、イメージキャラクターが住人というわけでもないヴィオレノアールに何が棲みつくと言うのだろう。考え過ぎだ。


 軽く頭を振って紫音は透子の後に続く。七人はヴィオレノアールの園内入り口に着いた。


 透子の兄が招待券を受付に渡すと、受付嬢はにっこりと笑んで七人を通した。


 園内は広いのだろうが、入場制限をされているとは言っても流石の人込みだ。この中で日傘を差して歩き続けるわけにもいかない。


 紫音は受付で足を止めたまま日傘を畳む。六人は紫音に気付かず僅か先を歩いていた。


 紫音が日傘を閉じた刹那。


「ようこそ、ヴィオレノアール──紫黒の夢へ……」


 そう囁かれた気がして紫音は背後を振り返った。


 其処には、シルクハットに右手を置いてその下から派手なオレンジの髪を覗かせた青年が口角を上げて笑んでいた。


 シルクハットによって押さえつけられた前髪の下から深いグレーの瞳が妖しい光を宿しながら紫音を見る。


「あ、の……」


 突然目に飛び込んで来た男が今まで見たこともないほどに美麗すぎたからか、人形めいた男の姿に紫音は言葉を失っていた。


「こちらへは初めてですか? 広いので道に迷われませんよう、気を付けて下さいね。お連れ様はいらっしゃらないのですか?」


 拘束具を連想させる服に身を包み、モノトーンで纏めたこの男が“同じ世界に住む者”だと紫音は直感で悟る。


「友人と……一緒に」


 だがそれに気付いてもそれだけ言うのがやっとだった。男がクスリと笑い声をもらす。


「では楽しんで下さい。貴女のような方向けの遊戯設備もございますからね」


 紫音は微かに返事をしたきり、人込みの中にそのオレンジが消えて行くのをずっと見ていた。透子が迎えに来るまで紫音は動けなかった。


「もう、紫音てば! 日焼けしたくないのは分かるけど、いつまでも受付にいたって楽しめないわよ?」


 透子に腕を引かれて紫音はグループ内に戻る。


 加藤広香や山名真理は紫音が気に入らないのか、紫音が戻っても苛々としているようだった。けれど恋人の手前、それは我慢しているように見えた。


「招待券を頂いたから、その人の管理してるアトラクションには全員で行くのが礼儀だ。その後は各自自由行動にしよう、もう大人だしな。

 閉園時間までは残ってられないから、大体七時くらいになったら受付に集まっていてくれ。で、何かあったら透子を通して欲しい。その方が気が楽だろう?」


 にっこりと笑んで透子の兄は言う。


 仲介を任された透子もそれを受け入れているのか、けろりとして不満そうな表情はしない。


「まずはあいつの店を探さんとな」


 遊園地も巨大化しては、ひとつひとつの店に従業員を配属させるわけにはいかないのだろう。テナント制にして土地料を取っているらしい。此処まで来ては実在する小国のようだ。


「お兄ちゃんの知り合いが招待券を送ってくれたんだよね? どんな店出してるの?」


 透子が当然の疑問を兄にぶつけた。透子の兄はスマホのメールを読み返しながら答える。


「色々こだわりがあるらしいけど、一口に言えばお化け屋敷だ」


 キャーとカップルの二人が嬉しい悲鳴をあげた。デートのお化け屋敷と言えば定番中の定番だ。


「こだわり?」


 透子が言い及ぼせば透子の兄は肯定する。説明が面倒だけど、と呟いてからメールを読み上げた。


「『今までの通路を歩くだけのお化け屋敷とは、一味違うんだ。脱出型アスレチックお化け屋敷で』──どんなんだよ──『落ちれば危ない場所だってあるし、ルートも幾つかある。勿論、危険だから入館制限はあるけどな』、だってさ」


 カップルの二組四人はもうそれだけで盛り上がっている。透子が不安そうに眉根を寄せた。


「入館制限? ブーツとかでも入れるの?」


 今日の透子は遊園地ということを考慮してスニーカーだ。広香や真理もヒールが低めの靴を選んでいる。男性達も歩きやすいシューズだ。残るは。


 は、と透子の兄も気付いたのかチラと紫音を見る。紫音はだが、かぶりを振った。


「挨拶だけなら中に入らなくたって出来るわ。何が何でも入りたいわけじゃないし、私には私の楽しみ方があるのだし」


 紫音のそれを遠慮ととったのか、透子の兄が、いいや! と否定する。


「あいつの靴を奪ってでも中に入れるようにするから。どうせお化け屋敷なら中は暗いだろうし、その時だけ靴が違っても誰も見てないから大丈夫だよ」


 そういう問題ではないのだが、紫音は答えなかった。曖昧に笑って誤魔化して、透子の兄の後ろに車の中から見たメリーゴーラウンドを見付けてそちらをじっと見る。


 この新しい遊園地ヴィオレノアールに何故こんなに古いメリーゴーラウンドがあるのだろうと紫音は疑問に思った。


 塗装は所々剥れているし、金属で出来た手すりは錆びている。どう考えても不釣合いで不自然だ。その証拠に、誰も乗っていない。制限はかけられておらず、近寄って良いようだ。スタッフの姿も見える。だからこそ回転木馬はその退廃感を一層強調して其処に佇んでいた。


「お兄ちゃん、そのお化け屋敷の名前って何? パンフレット貰ったから調べよ」


 受付付近で配っていたパンフレットを人数分受け取って来た透子が言った。それを受け取りながら透子の兄は、ああと呟く。


「『セルクイユ』っていうらしいんだが……」


「あ」


 紫音が小さく声をあげる。広げたパンフレットで一番先に目に入った文字と同じ言葉が聞こえたからだ。


 その場所を確認して、紫音はゆっくりと顔を上げ、指を差す。


「あったわ」


 古い回転木馬の向こう、石畳の地面の遥か遠くに夢の城ヴィオレノアールが建っている。


 此処からでもその巨大さは衰えることはなく、一軒の屋敷が前に建ってさえ易々と抱え込むかの如く飲み込んでいた。


 その屋敷の壁はくすんだ土色で、手入れがされなくなって何年も経ったような雰囲気を作り出している。異国の郊外にでもありそうな屋敷だ。“お化け屋敷”というだけはある。


「……すげぇ存在感……」


 真理の恋人が呟いた。狙ってではなく、本心でその恋人の腕に縋りつく真理は体をぴったりと寄せる。


 そのお化け屋敷は恐らく遊園地のほぼ中心部に近い場所にあるのにも関わらず、園内を走るジェットコースターのレールも、売店もない。だが城へ向かうには其処を通らねば辿り着けない。


「良い条件の場所に作ったなぁ」


 透子の兄は無理に笑おうとしたみたいに頬を引きつらせながら言う。


「……『セルクイユ』は当テーマパークの目玉のひとつです──そうやってパンフレットに書くだけはあるってことね」


 透子がパンフレットを覗き込み言った。それから兄の顔を見上げ、両手を腰に当てる。パンフレットがくしゃ、としわしわになる音がした。


「ほら、行くんでしょう? ちゃっちゃと行って堪能したらヴィオレノアール全部を楽しもう! この広いヴィオレノアールを後たった数時間で回らなくちゃならないんだから!」


 透子に励まされて七人は進み出す。


 紫音は駐車場で感じた、“何かが棲みついている”という感覚をあの城ではなく『セルクイユ』に、今度は感じていた。


 誰もが内心に芽生えた不安に気づかなかった振りをして屋敷へ近づく。澄んだ青空の下に佇む屋敷はかえってその異質さを際立たせているようだった。壁面を緑の蔦が覆い、窓枠を沢山の葉が囲っている。窓ガラスが反射していて中を窺うことはできないが、ところどころにステンドグラスが使われているのは認めることができた。


 本来であれば入口までは長い道を行くのだろうが、敷地の関係か、出入り口のすぐ前に鉄門扉が設けられていた。扉の前には青年がひとり、佇んでいる。


 門は錆びて古びた音を甲高く鳴き、七人はその音に驚きながらも通り過ぎた。透子の兄が代表して屋敷の前で佇む青年に声をかけようとした。


「ようこそ、セルクイユ──闇色の“柩”へ……」


「あ、貴方……」


 口を開いた青年に、紫音は思わず声をあげた。


 受付を出た所でそうしたように、人形めいた顔立ちのこの男はシルクハットに右手を置いて、その下から相変わらず目を引くオレンジの髪を覗かせ笑んでいたからだ。


「おや……貴女は先ほどの」


 彼も気付いたのか、深いグレーの瞳が紫音に向いた途端に柔らかく表情を変える。


「またお会いしましたね」


「……覚えて……いらっしゃったんですか?」


 これほどの人混みであればいちいち客を覚えたりはしないだろうに、と紫音は思って驚きを隠せない。


 男はにこりと口角を上げる。


「同趣者の顔は忘れませんよ。こんな所で貴女のような方にお会い出来るとは思っていませんでしたから、特に、ね」


「あのー……?」


()(くろ)様、女性を口説かれるのは宵闇が降りた頃が良いのではありませんか?」


 二人が顔見知りらしいと判断した透子が勝手に二人の世界を作り始めた雰囲気に割って入るのと、お化け屋敷からまだ中学生くらいにしか見えない美少年が出て来て口を挟んだのはほとんど同時だった。


「ああ、失礼」


 霧黒と呼ばれた男はその美貌を少年に向けてクスクスと笑う。


 肩の所で綺麗に切り揃えられた栗色の髪をした少年は、そんな霧黒に首を傾げて困った表情を浮かべて見せた。綺麗な栗色の髪がさらりと鳴る音が聞こえるようだった。


「そんな怖い顔をしてはお客さんが怖がりますよ、()(ずみ)

 屋敷の中で怖がって頂かなくてはならないのに外で怖がらせるつもりですか?」


 蠱墨と呼ばれた少年は紫音達を見ると頭を下げる。


「申し訳ございません。改めまして、セルクイユへようこそ」


 営業口調になってようやく紫音以外の六人の緊張が解けた。透子の兄が口を開く。


「体験してからで良いんだが、オーナーの竹中に会わせて貰えませんか? 実は今日の招待券を頂いたんで礼を言いたくて」


 顔を上げた蠱墨がまた困ったように眉根を寄せる。


「しかしわたくしどもは勿論、オーナーも業務中ですし……」


「いえ、良いんです。奴には後でメールでも入れておきますから。駄目で元々でしたし」


 透子の兄は謙虚に胸の前で両手を振る。


「……貴方がいらっしゃったことは分かる筈ですよ。オーナーも役に扮しておりますから」


 霧黒が人の良い笑みを浮かべてそう言うと、透子の兄は顔を輝かせた。


「あいつが俺達をおどかすんですか?」


 その顔に応えるように一層笑みを深くして、はい、と霧黒は頷く。それなら、と透子の兄は安心したようだった。


「それでは、当館の説明をさせて頂きます」


 透子の兄の友人で、此処のオーナーらしい竹中なる人物が自慢気にしていただけあって、このお化け屋敷は紫音が今まで体験したことのない仕様だった。


「まず、館に足を踏み入れたら鳥籠に入って頂きます。こちらは鳥籠を模したエレベーターになっておりまして、館の最上階まで全員で行きます」


「……お化け屋敷の中じゃあたし達は籠の鳥、ってわけね」


 透子の言葉に霧黒が笑った。ハットの下から覗く深いグレーの瞳が妖しく細められる。けれど、とその薄い唇が開いた。


 自ら望んで囲われるのでしょう?


 と。


「ホント、自分から進んで驚かされようなんて変な話よね」


「それが人間というモノですよ」


 透子に蠱墨が微笑を浮かべて言う。その美少年スマイルにか透子は僅かに頬を染めた。


「館の最上階より、皆様にはお好きなルートで階下を目指して頂きます。皆で集まって同じ道を行くも良しですが」


 霧黒が不自然に言葉を切り、口角を上げる。


「館に棲みつく怨霊はそれを許さないかもしれません。それでも、行きますか?」


 既に雰囲気作りがされているのか、霧黒が笑うと紫音の背筋にぞくりとした感覚が走った。他の面々もそうなのか、表情が少し引き攣っているように見える。けれど元々入るつもりで来たのだ。此処で帰るわけにはいかない。


「行きます」


 透子の兄が答えた。シルクハットを押さえて霧黒は唇以外の表情を隠して笑った。


「ようこそ、セルクイユ──“柩”の中へ」




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