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Violet Noir  作者: 江藤樹里
13/20

13 迎え


「あ……っ」


 思いの外大きく聞こえたチャイムの音に驚きすぎて、紫音は体をびくりと震わせた。


『何、今の。ちょ、紫音、大丈夫っ?』


 透子にも電話を通してチャイムが聞こえたのだろうか。透子が必死に呼び掛けて来るが紫音の頭には入ってこない。


「……どうしよう……」


 ピンポーン。


「紫音さん、私です。大丈夫ですか?」


 控えめなノックと共に霧黒の声がした。薄い扉一枚を隔ててもう其処にいる。


『出ちゃ駄目よ! とにかく時間を稼いで──お兄ちゃん急いで!

 いい、紫音? 電話を切っちゃ駄目よ!』


 コンコン、と扉が再びノックされた。リビングと玄関を繋ぐ扉は今、開かれていた。紫音がいるリビングから玄関扉まで続く廊下は真っ直ぐで、扉がなければ紫音と霧黒は恐らく向かい合っている。紫音はふらふらと足を一歩出した。


『紫音、何もしないでじっとしてて。ちょっと、どうして赤になん──』


 ブツ、と透子との回線が切れた。紫音が驚いてスマホのディスプレイを見ると“充電して下さい”の文字が表示されている。電池が切れたようだ。昨夜帰って来てから充電しないで眠ってしまった上に霧黒、透子と電話をしたせいで充電がもたなかったのだろう。


 自室に行けば充電器はある。だが玄関から離れるのは不安だった。


「紫音さん? 私です、霧黒です。大丈夫ですか?」


 ノックされ続ける扉に吸い寄せられるように、紫音は玄関へと向かった。


 何も怖れることはないと紫音は自分に言い聞かせる。霧黒に事実を確認すれば良いだけだ。すぐに安心出来る。簡単なことではないか。


「霧黒、さん……?」


 扉にそっと両手を添えて紫音は呼び掛けた。向こう側で息をつく音が聞こえた。


「良かった、いらっしゃったのですね」


 全て、透子の思い過ごしではないのだろうかと紫音は思った。大体、透子のような、集団の中心になるような人間が、紫音のような“異端”を本気で心配する筈がない。


 共通点などないのに透子はどうして自分を気に掛けるのだろう。からかって遊んでいるだけではないのだろうか。紫音はそう思って胸の不安を追い出そうとした。だが。


「? どうかしましたか?」


 扉を開けない紫音を疑問に思ってか、霧黒が問う。


「お訊きしたいことがあるんですけど、良いですか?」


 どうしても不安は拭えない。


「……良いですよ。何を吹き込まれたのです?」


 その言葉に紫音はドキリとした。ハッと顔を上げ、見えない霧黒を見ようとでもするみたいに扉を見つめる。


「吹き込まれただなんて……ただ、不安になって……」


 クス、と扉の向こうから霧黒の笑う声がした。


「透子さんですね? 鋭い方だ……。安心して下さい、私は貴女を迎えに来ただけですよ」


「む……かえ……?」


 すうっと紫音の背筋が寒くなった。迎えに来たとはどういう意味だろう。


「貴女は、吸血鬼に憧れていると仰った」


 唐突に霧黒は言った。紫音は戸惑い、咄嗟に返答できずに言葉を飲み込む。


「だから実際にいるなら会いたいと」


 霧黒が何を言いたいのか分からず、紫音は二の句が継げずにいた。


「もしも現代に、エグゼクラーブル・ラス──忌まわしい種族と呼ばれるヴァンパイアがいて、貴女に会いたいとしたら、どうしますか?」


「そ、れは……」


 こんな時でも真っ先に会ってみたいと思う。紫音の長年胸に秘め続けてきた気持ちはいの一番に口を衝いて出そうだった。だがそう正直に答えるのは恐ろしかった。


「分かりません……」


「……怖れるのですか?」


 責めるような、口調だった。


 意外さに驚きつつも、紫音は俯いて答える。


「怖い、です。会ってみたいとも思います。でも、もしも私の憧憬が壊れたらと思うと、すぐに『会いたい』なんて、そんな軽薄なこと言えません」


「……吸血鬼そのものは怖くないのですか?」


 紫音は顔を上げた。いいえ、と否定する。


 恐いのは、自分の思い描いていたものとどれだけの乖離があるかだ。伝承がどれだけ真実を残しているかは判らない。様々なフィクションに触れてきたことで、見当違いのイメージを持っていることだって考えらえる。


「貴女を、襲うかもしれないのに?」


「襲うほどの価値が私にあるかどうか」


 思わず苦笑した紫音に、扉の向こうで霧黒が一瞬言葉を失ったような間があった。それから霧黒が続けた言葉は気迫が伝わるほど真剣みを帯びていた。


「開けて、下さい。貴女にお話したいことがあります」


 紫音はゆっくりと後退った。頭の中で透子の声がする。開けては駄目だと言った、透子の声が。


「お話なら、此処で聞きます。何ですか?」


 そう言えば、霧黒が扉の向こうで笑った。クツクツと、喉の奥でいつものように。


「ヴァンパイアというのは、とても体が丈夫でしてね」


 紫音は眉根を寄せる。何を言おうとしているのか判らなかった。


「過去に比べて随分と体質変化をし、血液だけではなく人間と同じ食でも生きて行けるのですよ。老化はすれど非常に遅く、そのために人間の目には不老不死に見える」


 紫音は霧黒の言葉を聞きながら時間が気になった。何分経ったのだろう。すぐ其処まで透子は来ていないだろうか。


 けれど時計は此処からは見えない。


「おかげで幼い頃から何度も死にかけた私が、こんなにも長生き出来ました。貴女のような方に会えるなら長生きはするものですね。

おまけに力も強くなったのですよ──獲物を逃さぬように」


「ひっ!」


 金属の扉が、固いものとぶつかって衝撃で震えた。大きな音に紫音は驚いて両手で耳を塞ごうとする。思わず閉じかけた目に、ドアノブの横から片手が突き出すのが見えて更に驚いた。それなりに厚さのある扉は、金属でできているのに工具で突き刺したように穴が開いていた。そこから出ているのが怪我ひとつない白い手でなければ紫音もそこまで驚かなかったかもしれない。


 白く細いその優美な手は、間違いなく霧黒のだろう。まるでその手だけの生物であるかの如く艶めかしささえ覚える動きをして、指が鍵を捉えた。


 一瞬の、沈黙が降りる。


 紫音には扉の向こうで笑む霧黒が見えた気がした。


 カチ。


 鍵が、回る。それを見て紫音は踵を返してリビングへ走った。あそこにはまだ、妹がいる。


 紫音がリビングへ駆け込み妹を抱き上げた瞬間に玄関のドアが開く音がした。


 だが紫音は振り返ったりはせず、左に走った。そちらにはキッチンがあり、キッチンから浴室へ続く扉がある。更に浴室からは玄関へ続く廊下への扉があった。霧黒がどちらから来ようと、上手く撒けば外へ出ることができる。


 文字通り背後から、霧黒の足音が近付いて来る。霧黒からは玄関からすぐの浴室の扉がキッチンと繋がっていることは分からない筈だ。


 紫音はじりじりとキッチンへ寄って行く。その時ふと、霧黒の足音が止まった。


「……」


 突如霧黒は玄関へ戻る。帰るのかと一瞬だけ期待したが、紫音の期待は外れた。


 鍵をかけに行ったのだ。ドアチェーンまでかけている音が聞こえてくる。脱走と侵入を防ぐ為だろうか。


 ギュ、と紫音は妹を抱き締めた。妹の滑らかな頬に触れ、守らなくてはと震えながら勇気を出す。霧黒がまたやって来た。


「紫音さん? 何処に隠れたのです?」


 廊下のある右手から霧黒の声がする。紫音は身を縮めた。


「出て来て下さい。一緒に行きましょう、下で皆待ってますよ」


 仲間がいる。運良く部屋から出られたとしても逃げることが出来るだろうか。


「……おや……これは……」


 霧黒が何やら呟いた。何をしているのか紫音には分からないが、とにかくこの間にでも考えを纏めなければと頭をフル回転させる。だが。


 着信音が流れ始める。紫音は自分のスマホを何処に置いたか思い出していた。リビングに置きっぱなしだ。


『もしもし紫音? 良かった、通じた!

 まだあの人入れてないでしょうね! そっちに向かってるから、後少しで着くからそれまで絶対に霧黒さんを入れちゃ駄目よ! もしもし、聞いてるの?』


 透子の声だ。電話が通じている──?


 紫音はハッとした。電池が切れて電源を切られたことで、一時的に電池が回復したのだ。そしてその電源を、霧黒が入れた。


『あたしの勘があの人が事件に何かしら関わってるって言ってるの。今回はアリバイがあるけど、アリバイがあるからって白じゃない。

 ねぇ、もしもし、聞いてるの、紫音? 紫音、返事して!』


 透子の、息を呑む声がした。今電話口にいるのが、通話ボタンを押したのが紫音ではない可能性に気付いたのだろう。怯えた声がした。


『……貴方、誰よ……?』


 ブツッと通話が切れ、またも充電を催促する電子音が響く。クス、と霧黒が笑って電子音を止めた。


「思った通り……本当に鋭い方だ、彼女は。泳がさずに失墨にあげてしまった方が良いでしょうかねぇ。

 私は、ローズベルトの領主であるヴァンパイアですよ、透子さん──」




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