10 回転木馬
「あ……これ……」
古びた回転木馬の前、紫音は足を止めた。相変わらず誰も乗っていないのに、陽が傾いた今はライトアップされ廃退感を顕著に主張している。
その無言の佇まいが圧力をかけるようだ。
「メリーゴーラウンドがどうかしましたか?」
霧黒も足を止めて紫音に問う。紫音は動かない回転木馬を見上げながら何故だか切なさに胸が痛くなった。
「どうしてこれだけポツンと孤立してるんでしょう……」
口に出して紫音はこの回転木馬が気になった理由を悟る。ああ、そうなのだと。
孤独だからだ。自分を投影したからなのだ。
近代の物体が溢れる中に、たったひとつだけ違う物があった。それは、自身と同じ異端であり、異質であった。
「……貴女のような方に、気付いて貰うためではないでしょうか」
霧黒も紫音の横でそれを見上げながら呟くように言った。
「これは何処だかの随分と年季が入ったメリーゴーラウンドだったと聞いています。長期間の風雨に外見も中身も錆び、剥げ、もう動くことはありません。
ヴィオレノアールのテーマには合っているからと導入されたのですが、誰一人見向きもしませんでしたよ。
汚い、古い、動かないなら用はないと、今までの人々は口にして来ました。貴女のように、此処にあることの存在理由を考える方など、いなかった」
紫音は回転木馬に触れ、耳を押し当てた。そうすれば過去の音楽が、この回転木馬が聞いてきた喚声が聴こえるような気がした。
「貴女に見付けて貰うためにこのメリーゴーラウンドは此処まで来たのかもしれません。長い長い年月を、ただ貴女に会うためだけに……過ごして」
もしも霧黒の言うように、それだけのためにずっと佇んでいたのならば嬉しいと紫音は思った。こんな自分でも、何か意味があるのなら。
「……乗りますか? 動きませんが、写真を撮るくらいにはこれも使われているのですよ」
霧黒の白く細く優美な人差し指が紫音の目元を拭った。知らない間に涙が流れていたのだと紫音はそれで気付く。そして言葉を返した。
「……乗ります」
恭しく霧黒は片膝を着き、紫音に片手を出す。紫音は自らの手を霧黒の差し出された手に重ねた。
ゆっくりと霧黒は回転木馬の入り口階段の所までリードする。スタッフが二人に気付いて手で回転木馬のステップを示した。
霧黒はそのまま進み、紫音を馬車に座らせた。自分はその傍に立ち、紫音を見下ろす。
「いかがですか」
「……夢の中みたい……残酷な、夢物語……」
紫音は微笑し、霧黒も微笑を浮かべた。霧黒はハットを取ると、身を屈める。
「さぁ、お姫様。そろそろ貴女にとっての十二時の鐘が鳴って魔法はとけてしまいます。夢からは目覚めなければなりません」
眠り姫も、白雪姫も、王子の口付けで目を覚ました。
「けれどどうかお忘れにならないで下さい。灰かぶり姫の魔法は、とけても尚続いたことを」
眠り姫にも白雪姫にも、一瞬の悪夢の後に幸福が訪れたことを。
紫音がゆっくりと目を閉じる。それに合わせて霧黒は紫音の唇を啄むように口付けた。
「おやすみなさい、紫音さん──」
紫音の狭まる視界の中でハットを被り片手でハットを押さえ口元しか表情の見えない霧黒がそう呟く──と同時に紫音は揺り動かされた。
「紫音! 紫音! やだもう、こんな所で眠って!」
目を開いた紫音の目に飛び込んで来たのは透子だった。一緒にヴィオレノアールへ来たメンバーも紫音を心配そうに覗き込んでいる。
「え? 透子……あれ?」
「もう、寝呆けてるのね。紫音てば、このメリーゴーラウンドの中で眠ってたのよ。約束の時間になっても来ないから心配して探したんだから」
透子が怒ったようにそう言った。まぁまぁと透子の兄が妹をなだめる。
「でも変な事件に巻き込まれたとかじゃなくて良かったよ。まだ七時前だし、今すぐ出れば明日にも支障はない筈だ。
帰ろうか」
まだ寝呆け眼の紫音は透子に促されるままに起き上がり、駐車場まで歩き、車に乗り込んだ。そして白いバンは来た時と同様に約三十分走って朝集合した駅まで戻る。
紫音は皆と別れ、来た時とは全く反対の道順で家まで帰った。そして其処で紫音の記憶は途切れた。




