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Violet Noir  作者: 江藤樹里
1/20

1 紫音


1


 昔から、自分が他人と何所となく違うことを紫音(しおん)は解っていた。


 違和感、と言うよりも、感覚のズレに近い。


 可愛いと言われているキャラクターも文房具なども含めて、心から可愛いと感じたことはない。一体、それの何が魅力的なのか分からない。


 それよりも紫音は退廃的な物が好きだった。“良くない”物が好きだった。白よりは黒、天使よりは悪魔、英雄よりも悪者の方が。


 それが何故なのかはよく分からない。血が求めていると言うのか、そういう遺伝子を持って生まれたと言うべきなのだろうか。


 世間ではそれを“中二病”と言うことを、紫音は今なら知っている。大学生にもなって中二病だなんて人が知れば笑うだろうか。けれどそれは中学二年生になるよりもずっと前からで、それが“異端(へんなひと)”と思われることも、当然ながら幼い頃から知っていた。


 特に子どもは残酷だ。“自分とは別の生き物”と認識した途端、純粋な悪意を向けることを躊躇わない。違うことを排除するのが良いことだと思っている。


 中学校まではそれを隠していた紫音も、高校に入学して変わった。世間でもその精神からくるファッションが認知されて来たからだ。大学生になっても変わらず、紫音はそのファッションに身を包んでいる。


 ゴシックロリータと言う、いわゆるゴスロリだ。


 コウモリの羽の形をした枕カバーの上に置いた薄いピンクのスマホが着信を知らせた。液晶画面に映し出された内容で、ラインが来たことが分かる。


 鏡の中の自分もそちらを向く。右側だけ結んだ髪の毛をそのままに、左手を伸ばして電話を取った。


「あ……透子(とうこ)から」


 今日の約束のことだろう。タップして中身を開いて見れば案の定だった。


『紫音ーっ! 今日は皆でヴィオレノアールの日だよ♪ 九時に駅前でね☆』


 了承のスタンプを送って時計を見れば、丁度午前の七時半を指している。八時に部屋を出れば充分に間に合う。


 紫音は再び鏡と向き合い、左側の髪の毛を結ぶ為に黒いゴムと櫛を手に取った。


 前髪は真横に切り揃えられたいわゆるパッツンだ。それに耳の下で胸まである柔らかい色素の薄い髪を二つに結べば、ロリータヘアになる。染めなくても茶色っぽく見える紫音の髪は高校生の頃には色々と言われて黒く染めていた。だが大学に入ってからは髪の色でとやかく言う人はいない。


 服はシンプルに黒がメインの物を選んでいる。アクセントとして胸元で編み込まれたリボンは携帯と同じ薄いピンク色。裾のレースは白で、オーバーニーのソックスは濃いグレー。


 玄関に昨晩用意したのは少し底の厚い黒の靴だ。


 紫音はビューラーで睫毛を挟み、くるんとカールさせる。特別不細工なわけでも美人なわけでもないが、目だけはモデル並だと紫音は自負していた。だからか化粧を覚えても、アイメイクだけは派手になりすぎない程度にしかやらない。ゴシックやパンクなら派手な目元は印象的だろうが、ロリータの印象が強い今日の服ならケバケバしくなってしまうメイクは避けたい。


 どうせなら鼻も高ければ良かったのに、と紫音はいつも思う。そうすれば人形のようになっただろうと。


 だが生まれ持ったものは仕方がない。色々な角度から鏡の中の自分を眺め、紫音はスマホを黒いハート型のバッグに入れて立ち上がった。


 一度、姿見で全身をチェックしてから紫音は玄関に行って靴を履く。


 親の意向で高校の時から親元を離れて暮らしている紫音にとっては馴染んだ部屋だ。この部屋から通える範囲で大学も選んだ。二年生にもなれば同じ学部の学生にどのような人物がいるのか大体は把握できているのか、紫音に話しかける人間は少ない。透子くらいが今でも紫音に声をかけるが、不思議と煩わしくない。だからこうして遊園地に誘われても行ってしまうのだと紫音は思う。


 玄関に立て掛けていた白いレースの日傘を持って、紫音はくるりと振り向く。リビングに続く扉は開いたままだ。その向こうに見えるソファに座った小さな妹に声をかけた。


「行って来ます。お留守番よろしくね、スール」


 妹はゆっくりと微笑み、口を動かす。


「行ってらっしゃい、お姉さん」


 それを確認すると紫音は外へ出てしっかりと鍵をかける。小さい妹を残して行くのだから、かけ忘れなどあってはならない。


 何度も確かめて、ようやく紫音は自分の部屋の前から移動した。エレベーターで一階まで降りると、用意していた日傘を広げる。


 十月の末と言っても紫外線はまだまだキツい。雪肌を日焼けさせるつもりがない紫音の日焼け対策はバッチリだ。


 約束の駅は此処よりも三つ先だ。最寄りの駅までは三十分近くかかるが、ゴスロリータは馬車には乗れても人力車と自転車には乗れない。ゴスの欠片もない行為だ。当然、徒歩で行く。


 しかしそれは、時間はかかるがヘアスタイルは崩れないし日焼けもしないし、おまけに足まで細くなるという一石三鳥だ。ゴス服に身を包み、ママチャリに乗る生き物など紫音は見たことがない。


 パンキッシュならば、おしゃれな自転車もアクセサリーのひとつだが、生憎と紫音はゴシックロリータの精神しか持っていない。自転車など高校に入ってから半年でやめた。それからはずっと移動は交通機関か徒歩だ。


 坂道を下りながら紫音はヴィオレノアールで何をするのだろうと思考を巡らせる。


 今日は七人というメンバーで、ヴィオレノアールという最近出来たテーマパークに遊びに行くことになっている。男三人に女が四人という何とも仲間外れな人数ではあるが、それは透子が紫音もと誘ったからだ。


 何故私なんて誘ったのかしら。


 ゼミでも人気者の透子のことだ。別に誘うならノリの悪い紫音でなくとも良かっただろう。


 そうは思っても、変わり者の紫音にわざわざ休日にまで会って遊ぼうと言ってくれる存在など、そうはいない。招待券で入場料もかからないからと、紫音は頷いたのだった。


 駅のホームに着いて丁度、電車も到着し、紫音は日傘を畳むと電車に乗り込む。電車はホームに入って来た時と同様に、滑るように走り出した。


 ガタゴトと三つ先の駅まで揺られながら紫音は流れる景色を眺める。西洋的な街並みでもなく、かといって片田舎のような田園風景もない。現代日本に紫音のようなゴスロリファッションはどうしたって受け入れにくいのだろう。理解はしているが、だからといって一般的な服を纏うのは紫音にとって自分を偽る行為に等しかった。


 じろじろと好奇の目に晒されながら紫音は目的の駅で降りて改札を目指す。


「あ! しおーん!」


 改札を出てすぐに、大学でもよく通る聞き覚えのある声に名を呼ばれて、紫音は視線を声がした方へ向ける。


 明るいオレンジのシャツが左右に揺れていた。指先の銀が光る──女性の指には不釣り合いなほど大きな指輪をした透子の右手だ。


「おはよ、紫音。すーぐ分かったわよ、紫音だって」


 そんな服着てるのこんな田舎じゃ紫音くらいよね、と苦笑して透子は言う。


 まだまだカジュアルな服装ばかりの此処では、紫音のゴスロリファッションは何処の劇団かと思われるほどに異様で目立つ。東京ならばそういうことはないのかもしれない。だが此処では、二度見どころか三度見されることにも、油断すればスマホのカメラを向けられることにも紫音は慣れていた。


「まーたこんな可愛い格好して。男共の視線が紫音に釘付けよ」


 だがこの格好を可愛いと言ってくれる透子が紫音にとってありがたい存在であることも間違いはない。透子がいるところでスマホのカメラを向けてくる輩は、少なくとも大学構内にはいないからだ。


 そんなことは全く無意識だろう透子は早く早くと急かして紫音の手を引っ張った。


「紹介するわ、あたしのお兄ちゃん。こう見えて、彼女さんが急な出張で一か月いないから寂しくて帰りをずっと待ってる子犬みたいな人。で、この子があたしの話した紫音よ、お兄ちゃん」


 今日のプランは、元々はこの透子の兄が招待券を貰って来たことで成立している。


 ヴィオレノアールにあるアトラクションのオーナーと知り合いで、オープン記念にと渡されたらしいのだ。人気すぎて入場制限もかけられるほどのテーマパークで、入るだけで抽選に選ばれる必要がある。それをめざとく見付けた透子があの手この手で頼み込み、透子の兄が纏め役となり今回のプランが立ったというわけだ。


「余計なことを言うんじゃない。

 初めまして、透子の兄です。紫音さんのことは妹から色々聞いてます」


 スポーツでもやっているのだろう、筋肉質の腕が伸びて、紫音に握手を求めて来た。透子よりも七つ上だと聞いている。落ち着いた大人の男性は流石に、紫音の格好を見ても顔色ひとつ変えなかった。


「こちらこそ初めまして。透子さんにはいつも仲良くして頂いてます」


 その手に触り、力強く握られながら紫音も返す。その横で透子が、それにしても、と呆れたように紫音を見た。


「“ヴィオレノアール”なんておっしゃれな名前ついてるけどね、一応中身は遊園地なのよ? それなのにヒラヒラのスカートはいて来ちゃったのね」


「こういうのしか持ってないもの。これでも動き易さ重視なのに」


「その靴で?」


 透子は仕様がないわね、と息をつく。それを知りながら誘ったのは透子自身なのだ。文句など言えた義理ではない。それに。


「加藤さんとか山名さんも大して変わらない服装で来ると思うわ」


 紫音が透子に言うとほぼ同時に、紫音の背後から透子を呼ぶ声がした。


 改札を抜けて来たのは同じゼミの加藤広香と山名真理だった。大学でよく見るミニスカートではあるが、気合を入れてきたのかいつも以上に可愛らしい雰囲気だ。隣にいる同年代の青年は恋人なのだろう。


「透子おはよー! 今日は誘ってくれてありがとう」


 広香が恋人の腕に自分の腕を滑り込ませたまま透子に笑いかける。


 明日には十一月だというのに随分と薄着だ。ヒールの低めなブーツを履いてはいるが、たとえ足を挫いて転んでも隣の恋人が心配してくれるのだろうなと紫音はぼんやりと思う。


 私も王子様を探した方が良いかしら……。


 とは言っても実際にゴス王子がいるのかどうか紫音には分からない。大抵王子の服装をするのは女性だ。現に紫音はまだ街の中でも王子ファッションの男性を見掛けたことはない。そもそも田舎である此処にそれを望むことが間違っているのだろうが。


「それじゃ、みんな揃ったし、そろそろヴィオレノアール行っちゃう?」


「行っちゃう行っちゃう!」


 盛り上がる六人に外れていた紫音はハッと我に返った。透子が早速仕切っている。


「いよっし! お兄ちゃんに運転は任せた!」


「……おい、俺は送迎バスの運転手じゃないからな。忘れんなよ」


「分かってるって。お兄ちゃんはあたし達のリーダーですよー」


 紫音は日傘に手をかけて六人を眺める。どう考えても紫音が仲間外れのようだ。


 まぁそれも慣れてはいるから平気だと紫音は思った。紫音には紫音の楽しみ方がある。


 ヴィオレノアールには洋館のカフェテリアもあるという話で、まるで童話の世界だと聞いた。それだけを楽しみに行くようなものだ。ひとりでは絶対に行かない場所だからこうしてついてきている。


「それじゃぁ、出発ー!」


 知らない間に話が進んでいたらしく紫音は透子に手を引かれて透子の兄が運転する白いバンに乗り込んだ。


 約三十分後、田舎の更に田舎にある巨大テーマパーク、ヴィオレノアールの城門を模した入り口に白いバンが飲み込まれて行くのを、カラスの鋭い目が杉の木上から静かに捉えていた。




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