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私が唖然としているなか早々にクロヴィスは退室していった。
その直後にジェイクがやって来た。
「シンジュ…。」
彼は明らかに申し訳なさそうな顔をして私を見ていた。
恐らく全て知っていて今まで何も言わなかったのだろう…。
「知っていたのですか?」
私がようやくそれだけ言うとばつの悪そうな顔でコクリと頷いた。
「あ、あぁ。」
「だから、私が修道院に行く事にあまり乗り気ではなかったのですね。」
ジェイクにとって私はハッキリと言って邪魔な存在だ。
態度には出さないけれど。間違いなく。
私が跡取りに直接絡まないとしても、本妻の娘である事には変わらない。
もしも、何かあったときは彼を押し退けて私が、というよりもその夫や子供が爵位を継ぐ可能性だってあるのだ…。
そんな私の行き場所が修道院に決まって安心しないわけがないじゃないか。
修道院にいる限りは結婚も子供を産むことすらないのだから。
だけど、クロヴィスから縁談の打診があれば話は別だ。
それは、立場上聞かなくてはいけない。
「それは少しあるけど、シンジュに幸せな生活をしてほしかったんだ。」
ジェイクは困ったように言うけれど長年の疑り深い自分が『そんなの嘘だ』と訴えかけていた。
どこまで私は身内というものを信じられないのだろう…。
あの日ジェイクが来た日からそうだ。
だけど、私はそれを知らないふりをするしかない。
彼は私に直接何かしたわけではないのだ…。
「あの、なぜ教えてくれなかったのですか?」
「あちらが、それを望んでいなかったんだ。その、恐怖心があるままパーティーに連れ出すのはよくないと話していたから。」
確かにクロヴィスならそう言うような気がした。
修道院に入る事を聞いて慌てて行動したのだろう。もう、私は諦めた事なのに。
少しだけ独り善がりな部分はあるが、とてもいい人だと思った。
「そう、ですか。」
「シンジュが修道院に行くと聞いたから今回は無理矢理にでも連れてこいと言われて…。まさか、突然求婚されるとは思いもしなかった。」
そう、まさか私もそんな事をするとは思いもしなかった。
「私も、罵られると思ってましたから。」
「そんな事はない。クロヴィス様はとてもお優しい方だ。あのパーティーの時も恐らく子供にとって不名誉な噂を流されたらいけないと思ってした事だろう。」
彼の性格なら十分に考えられた。
責任感の強さから注意がとても強くなってしまったのかもしれない。
「…。」
「後から、『ああは言ったが彼女がパーティーに次に来るときは温かく迎え入れよう。』と会場のみんなに話すつもりだったと言われたよ。」
後の事もきっと考えてあれをしたのだろう。
だけど、ジェイクの口ぶりだとそれが出来なかったように感じた。
本当にその後何があったのだろう?考えたくもないけれど。
「それはできなかったのですね?」
「あ、あぁ。その時の事はいいじゃないか。」
ジェイクは話したくなさそうに話を切り上げた。
きっと私の年齢と生まれの事を誰かに言われたのだろう。
だから、クロヴィスは余計に私への申し訳なさとどうにかしないといけないという思いが強くあったか…。
そして、突然の求婚に至ったのか。
全て無理矢理だが納得できた。
もしも、同格の相手との結婚なら父親もジェイクも喜んだと思う。
けれど、相手が悪い。
卑しい生まれの私がクロヴィスと結婚なんて…。
せめて、私が異国の血が目立つような外見でなければ喜んで受けることが出来たのに。
「クロヴィス様と結婚したら幸せになれる。だけど、わかっているだろう?」
「はい。」
「身の丈にあった相手を探すしかない。あの方はもしかしたら王族と婚姻する可能性もあるのだから。それをふいにさせるのは心苦しいだろう?」
ジェイクの言う通りだった。
クロヴィスなら私の事を愛してはくれなくても尊重してくれるだろう、だからこそ申し訳ないのだ…。
私なんかが公爵家の夫人になるなど間違っている。
「わかっております。」
「とにかく早く相手を見つけるしかないな。」
「そうですね。」
私達は顔を見合わせて途方にくれるしかなかった。
明くる日の昼に私達はクロヴィスの屋敷から帰ることになった。
私達程度の客なら泊まる事など何とも思いはしないだろうが、さすがに気が引けた。
「本当に帰るのか?しばらく滞在していっても何の問題もないし、どこか連れていくことも出来るが…。」
クロヴィスは眉を困ったように寄せて私を引き留めようと言葉を紡いだ。
あれから一度も会っていないのに、その言葉にはしっかりと心が籠っているのがわかる。
本当に彼は善良だと思う。
「そ、そんなお気遣いは…。」
「そうか、残念だな。『妖精令嬢』に色々と見せてやりたかったのに。」
私が断ると影で呼ばれている別名をクロヴィスは言った。
この、本来なら神々しく美しい女性につけられるような『妖精』の別名の本当の意味は『取りかえっ子』という意味だ。
これは、私が両親に全く似ていないどころか子供じみた外見を揶揄するようにつけられたものだった。
『妖精』じゃなくて『取りかえっ子』だとみんな私の事を嘲笑う。
子供の時からそうだった。
クロヴィスは何も知らないから…。
「『妖精令嬢』だなんて。違います。」
苦々しい気分を抑えて私が否定的な言葉を言うと、クロヴィスは緑色の瞳を楽しそうに細めた。
「確か、人助けをする可愛らしい妖精が居たな。」
ブラウニーか何かだろうか?
彼の口ぶりだとその妖精を可愛いと思っているようだ。
私の別名を揶揄するどころか、『可愛い』と好意的にとってくれる異性と初めて出会ったかもしれない。
「はい。」
「あれは、機嫌を損ねるとその者に厄災が降りかかると聞いた。君はそういうたちの人間だ。きっと自覚はないだろうが。」
彼の言葉の意味を理解できずに私は首を傾けた。
「え?」
「見ている人間はよく見ている。シンジュ…。きっと自覚はないだろうが。俺は君の幸せを願っているよ。また、遊びに来てくれ。友人としてでもいい…辛くなったらおいで。」
最後の一言は、私の今後を暗示しているような気がした。
もし、何かあったとしてその言葉の通りに彼の手をとっても大丈夫なのだろうかと私は不安になった。
クロヴィスは私の手をはねのけないだろう…。
だからこそ、彼に何か降りかかってしまったらと思うと怖かった。
「…。はい。」
「さぁ、いきなさい。」
クロヴィスは名残惜しそうに私の手を取って大きな両手に包んだ。
その手は温かく、かさついていて仕事を…。役割を果たしている人のそれだった。
私は今まで何をしてきたのだろう?
真っ先に思ったのはそれで、自分の役割りが何なのかよくわかりはしなかったけれど。
何もかもを自分の生まれのせいにして、なにもしてこなかった事が急に恥ずかしくなった。
「シンジュ。そろそろいいか?」
ジェイクの声が馬車のなかから聞こえた。
「はい。ではまた。」
私はそう言うとクロヴィスは手を離してくれた。
さっきまであった温もりが消えると急に寂しくなって、もう、二度と会えなくなるんじゃないかと不安になってきた。
『クロヴィス』の存在は私にとって幸せそのものなのかもしれない。
そう、今まで他人から向けられる無償の優しさなんてなかった…。
もしかしたら、本当に次に会えなくなるかもしれない。
とても、怖い…。
「あの…。また今度お会い出来るのを楽しみにしています。」
気がついたら私は決死の覚悟で彼に声をかけてしまった。
「俺も。楽しみに待っているよ。」
緑色の二つの宝石は私を映し出しながらキラキラと輝いていた。
私は瞳に映る自分を見てクロヴィスにとっては、誰も彼も人は同じで蔑むことなどないのだろう思えた。
だからこそ、この一瞬だけその瞳に映っている私は『取りかえっ子』じゃない卑しくない、特別な人のように思えた。
ずっと一緒に居られたらいいのに…。
何も望んではいけないのに私はいつのまにかそう思うようになっていた。
「じゃあ、また…。」
クロヴィスは私がその姿を見れなくなるまで手を振り続けてくれた。