旅の途中
駅を出てからクレーバーまで、街道は川沿いを通るらしい。
昨日までの道より立木が多く、道沿いの茂みの間から、川面が見え隠れしている。
道も川も蛇行しているが、けれどお互い、つかず離れず、といった感じで距離感を保っていた。
馬車の旅は、移動時間でいえば徒歩での旅とさほど変わらない。
速度も歩きとそう変わらないし、当然馬も疲れるので、休憩の頻度もやはり人間と同じくらいだ。
違いと言えば、荷物を大量に運べることと、自分自身で歩く必要がないことくらい。
一時間に一度くらいのペースで休憩をはさみつつ、移動を続ける。
駅を出てから何度目かの休憩で、エリーが言う。
「そろそろお昼にしましょうか」
時計がないので正確な時間は分からないが、太陽の高さと腹の減り具合からすると、正午を過ぎた頃だろう。
街道の脇、少し開けている空き地のような場所に馬車を停めた。
「うん、ちょうどお腹減ってきたところだったんだ」
ちょっと待ってて、と言いつつ、エリーはまず馬に給餌する。
荷台に積んであった干し草を掴み、ハルとウララの前に用意する。
人間の代わりに歩いてくれているのだ、当然先に食事にする権利があるだろう。
馬を一通り撫でてから、エリーも馬車の荷台に飛び乗ってくる。
そして俺のすぐ隣に木箱を置き、それに腰掛ける。
「私たちは、これ」
そう言いながらエリーは、俺に大ぶりのビスケットのようなものを差し出した。
エリーのカバンに入っていたものだ。
受け取ってみると、これはビスケットというより、乾パンに近いだろうか。
昨夜と今朝、駅で出されたものよりも、より固く焼いてある。
おそらく、長期保存を考えると、こうなってしまうのだろう。
「旅の途中は、いつもこれ食べてるの?」
「必ずじゃないわね。行きがけはサンドウィッチとか作って持っていくけど。今は帰り道だから、これしか残ってないの」
そうか。ウバルとクレーバーは二日かかるから、エリーが出発してから、今日で四日目だ。
ウバルで食料を調達していないとすれば、もうこのパンしか持ち合わせがないのか。
ということは、これを俺が食べちゃうと、エリーの分が無くなるのでは?
「ああ、心配しないで、ちゃんと予備があるから。場合によっては、予定通り帰れないこともあるしね」
なるほど。
確かに、道中何が起こるか分からない。
これは旅人の常識といったところか。
ちなみに出てきた食べ物は、これだけだった。
あとは、昨夜も飲んだ、例のクセの強いお茶。
携帯コンロでお湯を沸かして、ティーバッグをポットに落とす。
「ちょっと待っててね、すぐ沸くから」
何気なしに見ると、ポットもカップも、金属製だった。ブリキだろうか。
どうやらこの世界でも、金属製品はそれなりに普及しているようだ。
ならば俺の能力を使っても、大して怪しまれることはないだろう。
固いパンだかビスケットだかをかじっている内に、お茶が沸いた。
そしてお茶をカップに注ぎながら、エリーが一瞬固まる。
「……あ、カップひとつしかない」
それもそうだ。エリーは一人で旅をしているのだから、二人分のカップを用意しているわけがない。
一瞬、俺の能力を使ってカップを作ってみようかと思ったが、思いとどまる。
さすがに手ぶらでここまで来たのに、いきなりカップを持っていました、と言っても、怪しまれるだけだ。
「じゃあ俺はお茶はいいよ」
しかしエリーは食い下がる。
「だめよ、このパン固いから、何か飲みながらじゃないと食べられないよ」
実際、固いパンのせいで、口の中の水分量はゼロに近い。何か飲まないと喉が詰まりそうだ。
とすれば、残された道は一つ。
エリーと一つのカップでお茶を回し飲みするしかない。
またもや、気まずい沈黙が流れる。
ペットボトルなどと違って、マグカップは口が大きいのだから、大して気にする必要はないのだが。
こういった場合に、気にせず女の子と回し飲みできるかどうかが、モテる奴と俺みたいにモテない奴の違いなのだろう。
「……じゃあ、遠慮なく」
意を決して、カップのお茶を飲む。
そしてエリーは、その様子をじっと見ている。
クセの強いお茶なのだが、全然味なんてわからなかった。
二口くらい飲んでから、残ったお茶をエリーに渡す。
するとエリーはそのお茶をしばらく眺めてから、ぎこちない動きでカップに口をつけた。
俺が飲んでいたあたりに口をつけて。
その様子を眺めていたら、エリーと目が合った。
「…………」
「…………」
別にお茶の回し飲みをしただけだ、どうってことはない。
そうは思いつつも、心拍数が上がっていく。
「……俺、ちょっとトイレ」
たまらず、この場を離れたくなった。
エリーさん、カップの反対側から飲むとかできなかったんでしょうか?
そんなことを考えながら、街道から外れ、茂みの裏手に回る。
茂みの裏側はちょっとした土手になっていて、人の背丈くらいの高低差がある。
その下はすぐに河原だった。
用を足そうと思い、真下の河原を覗く。
するとそこに、斜面に背を持たれるように倒れている「何か」があった。
……なんだこれ?
岩の塊にも見えるが……。
妙に気になったのは、それがこの景色の中で、妙に異質に映ったからだ。
周りを見渡しても、草木が茂るだけの原野に、広い川がゆっくりと流れているだけ。
そんな大自然の中で、それは明らかに人の手が加えられているように感じた。
自然の岩にしては、妙に四角い。まるで人間がその形に削って作ったような雰囲気すらある。
何かの記念碑とか、そういった類いだろうか。
上から見下ろすだけではよく見えないので、なだらかな斜面を下り、その何かに近づく。
そして。
「うわっ!」
思わず声を上げてしまう。
それは、人の形をしていた。
頭があり、胴があり、腕があり、脚がある。
巨大な石像のようだった。
座っていても、顔の高さは立っている俺の背丈より高い。
立ち上がれば、三メートルくらいにはなるのだろうか。
まるで巨人が腰掛けるように、そこで朽ち果てていた。
「ケータ、どうしたの!?」
俺の叫び声を聞きつけて、エリーが土手の上から顔を出す。
「これ……」
エリーの方を見上げながら、岩の巨人を指さす。
「これ、ゴーレムね。こんなところにもいたんだ」
エリーも斜面を降りてきて、俺の隣に並ぶ。
「ゴーレム?」
その名前を、オウム返しにする。
ゴーレム。
俺だって、聞いたことくらいはある。
岩でできた巨人の魔物だ。
とはいえ、そんなものはあくまで、ファンタジーの産物だと思っていた。
まさか目の当たりにするなんて。
やはりここは異世界だったんだと実感する。
「うん、ゴーレム。……多分もう動かないから大丈夫だとは思うけど、ケータ、あんまり近寄らない方がいいよ」
そう言いながら、エリーは俺の肩を引いた。
「昨日話したでしょ、魔物との戦争の話」
「ああ」
百年前に異世界から勇者が来て、魔物と戦った、という話だ。
「ゴーレムは、その時の魔物側の主戦力だったらしいの。それで、体が岩だから、倒されてもその場にいつまでも残ってるみたい」
なるほど、このゴーレムも、この場所に置かれてから相当な年月が経っているように見える。
ところどころツタが絡まり、苔も生え、足は半分ほど地面に埋もれている。
「ウバルの方には結構多いんだけど、クレーバーの近くで見るのは珍しいわね」
「ふぅん」
その言葉で、見たことのない戦場を想像する。
おそらくウバルは鉱山なので、人間からも、魔物からも重要地点だったのだろう。
ということは、ウバル付近では泥沼のような戦闘が起こっていたに違いない。
そしてクレーバーは港町。人間としては、最終防衛線といったところか。
このゴーレムは、その最前線に出ていた。
前線を守る人間に倒されたのか、はたまた孤立無援で補給も絶え、力尽きたのか。
さしずめ、戦争遺産といったところだろうか。
「まあ、このあたりの人は、あまり近寄らないようにしてるわ。動くわけはないんだけど、ちょっとね……」
確かにこいつが、今更動き出すことはないだろう。
けれど忌諱したくなるのは道理だ。
百年前と言えば、直接その戦争を知っている人間はいないだろうが、けれど伝承を聞かされて、わざわざ近づこうと思う人間はいないだろう。
そんなことを考えながら、ゴーレムの表面を眺める。
砂埃にまみれているが、うっすらと輝いているようにも見える。
はじめはただ岩かと思っていたが、意外と金属でできているのかもしれない。
「とにかく、もう行きましょ。私もちょっと、あんまりゴーレムの傍にはいたくないかも」
言われて気づく。エリーは少し、怯えたような表情をしていた。
あまり俺には理解できないのだが、俺の元居た世界で例えれば、戦闘機の残骸だとか、不発弾が見つかったとか、そういった時に感じる感覚に近いのだろうか。
どちらにせよ、長居は無用だ。
ゴーレムの、虚無の眼窩に見送られながら、その場を去ることにした。
休憩を終え、一路クレーバーを目指す。
ゴーレムの河原を過ぎ、太陽がだいぶ傾いてきた頃から、少しずつ文明の香りがしてくる。
道沿いに、田畑が広がり始める。
そしてまばらに、民家も見えてくる。
隣を流れる川の幅はだいぶ広く、河口が近い事を示している。
ということは、俺はそろそろ今夜の宿を考えなければならない頃だ。
まさか、本当にエリーの家にお邪魔する訳にもいかない。
かといって、このままではそれ以外に手段もない。
どうしたものか……。
結局考えがまとまらないうちに、完全に陽が落ちてしまった。
その間も、進むにつれて少しずつ民家が増えてくる。
どの家も、明かりが灯っていた。
「やっぱり夜になっちゃったね。もっと早く着きたかったんだけど」
出発が遅れたし、ゴーレムの河原でも長居をした。
どちらも俺のせいなので、返す言葉はない。
かといって、エリーは別に俺を責めているわけでもなさそうだ。
どちらかと言えば、少し楽しそうでもある。
それは自分の町に近づいているからなのか、それとも……。
「ケータ、悪いんだけど、少し寄り道していいかな?」
「うん、全然構わないよ」
ただ乗せてもらっている俺には、拒否権なんてない。
あったとしても、断る理由もない。
「知り合いのところなんだけどね。早く行かないと、お店閉まっちゃうから」
買い物でもしていくのだろうか。
もしくは仕入れか。
知り合いというのであれば、ただ顔を見せに行くだけなのかもしれない。
「クレーバーまではまだ遠いの?」
「ううん。この丘を越えれば、もう見えてくるわ」
馬車の進む先は、わずかに上り坂だ。
ハルとウララが、やや苦しそうに地面を蹴る。
それでも少しずつ、丘の頂上を目指す。
丘の頂上付近まで進むと、稜線の先に巨大な建造物が見えてくる。
時計塔だ。
文字盤がライトアップされていて、遠くからでも時刻が読み取れる。
そしてその周囲には、比較的大きな建物が群生している。
丘を登りきると、薄暗いのでよくは見えないが、けれどそれは光の塊となって目の前に広がっている。
かなり大きな町のようだ。
グラデーションのように光が寄り添い、天体望遠鏡で見た銀河のようにも見える。
「あそこが、クレーバーの町よ!」
エリーが指さす。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「ようこそ、クレーバーへ!」