旅人たちの夜
とりあえず部屋に入り、軽く荷物をまとめてからまず夕食を採ることにした。
満室だという割にエリーの部屋が用意されていたのは、そもそも定期利用の商人は、年間契約で部屋を確保しているそうだ。
「私、商会に所属してるんだけど、その商会で一部屋用意してもらってるの」
ちなみに同じ商会に所属する商人同士がこの駅で鉢合わせないように、日程は調整してあるらしい。
つまりそれだけ、クレーバーとウバルの間は、交通が盛んだということになる。
案内された部屋は、さほど広くはないビジネスホテルのシングルルーム、といった感じだ。
もちろん俺が知っているようなビジネスホテルほど、近代的ではない。
内装品はほとんど木製で、かつ簡素。照明もランプだ。
俺はまとめるほど、というより全く荷物がないので、エリーが支度を終えるのを待つ。
といっても、エリーも大した荷物は持っていない。
精々、手荷物が入りそうなショルダーバッグと、腰に巻いたポーチを下ろし、革のジャケットを脱いだくらいだ。
すると、ジャケットの下に、革の鞘に収まった大ぶりのナイフが見えた。念のための武器だろうか。
チェックのシャツとボトムスだけの衣装になったエリーは、旅の商人から、普通の女の子に戻ったようだった。
「お待たせ。行きましょ」
「お、おう」
誘われるまま、エリーと共に一階のレストランまで戻る。
なるほど、満室というだけあって、こちらも賑わっている。あちこちで、旅人や商人といった感じの男たちが、酒を飲み、談笑している。
さしずめ、旅人たちの憩いの場、といったところか。
「さあ約束通り、たらふく食いな!」
席について間もなく、注文もしていない内に、マスターが料理を運んできた。
どうやらここにはメニューというものはなく、おそらく今ある食材で提供できる料理を出しているのだろう。
「わあ、旨そう……」
考えてみれば、この世界に来てから初めての食事だ。
大して時間は経っていないはずなのだが、けれど俺は、限界まで空腹だった。
しかし、それを差し置いてみても、出された料理はどれも魅力的だった。
メインディッシュは川魚を蒸したもの。これはおそらく、裏の川で捕ったものだろう。何の魚かは分からないが。
固く焼いたパンは、自家製だろうか。スープには、野菜や肉がたくさん入っている。あとは、副菜がいくつか。そしてデザートに、これまた見たこともない、柑橘系のフルーツ。それらが、これでもかという量でテーブルまで運ばれてくるのだ。
どれもこれも素朴な料理なのだが、けれどどれも、実に旨そうだ。
「さあ、頂きましょう!」
そう言うとエリーはさっそく料理に手を付ける。
俺も続いて、まず魚をつついた。
「うん、旨い!」
「でしょ? マスターの料理は絶品なんだから!」
ほかの皿も、シンプルながらもしっかりとした味付けで、旅で疲れた胃に沁みる。
食べきれるか心配な量だったが、けれどエリーと二人で、なんだかんだで十分少しで完食してしまった。
というか、意外にエリーが食べる。華奢な体のどこに収まっていくのかという勢いで。おそらく、俺と同じくらいの量は食べている。
馬車移動でも、思っている以上にカロリーを消費するのだろうか。
「ここは食べ物がおいしいから、つい食べ過ぎちゃうのよ。ウバルだと、ろくなもの食べられないから」
「へー。例えばどんな?」
「ほとんどパンか干し肉ね。あとは豆とか山菜になっちゃう」
地域によって食べ物にも違いがあるのか。
理由を考えて、すぐに分かった。輸送時間だ。
クレーバーから一日で来れるここまでなら、割と新鮮な状態で食材を運ぶことができる。
けれどウバルまでだと、さらに一日かかる。そうなってくると、野菜や果物、肉類なんかは現地調達するか、日持ちするように加工するしかない。
「なるほどね」
一人納得していたところに、マスターが瓶を持ってやってくる。
「さあ、食い終わったなら、一杯どうだ? もちろんサービスだ」
瓶の中身は、赤紫色の液体が満たされている。
これって……。
「マスター、分かってると思うけど、私は飲まないわよ」
「もちろんだ。エリーに飲ますと、始末が悪い」
ということは、やはりこれは酒か。
この世界の常識では、この歳で飲酒しても構わないのか。
初めての酒に興味が無いわけではないが、けれど俺は、丁重に遠慮することにした。
「せっかくですけど、俺も遠慮しときます」
「あら、ケータも飲まないの?」
「なんでぇ、連れねぇな」
そう言いながらマスターは、代わりにティーセットを持ってきた。
「こいつなら飲めるだろ!」
ポットの中に入っていたのは、やや青みがかった緑色の液体だ。……ハーブティーの類いだろうか。
エリーが、俺の分もティーカップに注いで渡してくれた。
「これ、この地方だと普通に飲まれてるお茶なんだけど、初めて飲む人にはちょっとクセが強いかも」
「どれどれ」
ものは試しだ、お茶くらいなら飲んでも平気だろう。
そう思い、一口舐めてみる。
……うん、非常にコメントし辛い味だ。
渋みも強いのだが、それ以上に何とも言えない甘みがある。
しかしまあ、郷に入っては郷に従う精神で、これに慣れるしかないだろう。
二杯目を飲み終わる頃には、美味しいとは思えなくても、味には慣れてきた。
そして気がつくと、その頃には旅人同士での大宴会が始まっていた。
初めのうちは大声で談笑するだけだったものが、酒が進むにつれてたがが外れたように盛り上がっていく。
そこいら中で、旅人たちの笑い声が上がっている。
そのうちに、歌いだすものまで現れた。長いこと、旅を続けている行商人の三人組、といった感じの男たちだ。
一人が歌い、一人がコーラスを、そして一人が民族楽器らしい笛を吹く。
不思議な旋律だった。
当然初めて聞く曲なのだが、どこか懐かしい、哀愁を感じさせるメロディー。
生まれ故郷に思いを馳せながらも、新天地への期待を込めた歌詞。
いつしか旅人たちは、静かにその歌に聞き入っていた。中には、涙を浮かべているものも。
歌が終わると、自然と拍手が沸き上がっていた。
俺もつられて、手を叩く。
「俺たちの国じゃ、この歌を歌って、旅人を送るのさ。そして旅人も、この歌を歌って故郷を懐かしむ」
歌っていた男が、照れくさそうにそう言った。
そこからは、旅人たちの歌自慢大会が始まった。
思い思いに、故郷の歌を歌う。
旅の安全を祈る歌。
遠い故郷を懐かしむ歌。
辛い旅路の果て、新たな世界を目指す歌。
どれも、遠い異国の歌だ。
皆、見知らぬ異国の歌に聞き入り、そして代わる代わるに歌い出す。
「ケータも何か歌ってよ」
エリーがそんなことを言い出した。
「え、俺はいいよ」
「ケータの国の歌、聞きたいな」
すると、周りの旅人たちもはやし立ててくる。
「兄ちゃんもずいぶん遠くから来てるんだろ? 聞かせてくれよ」
「そうだな、あんまり東から来る奴はいないから、ぜひ何か歌ってくれ」
そう言われても、俺は歌には自信がない。
それに何を歌っていいのかもわからない。
俺は最近のヒットナンバーには疎いし、そもそもそんなものは求められてはいない。
少し考えて、一曲思いつく。
「じゃあ、一曲だけ」
そう言って俺は、童謡を歌う。
日本人なら誰でも知っている、遠い故郷を懐かしむ歌。そして、いつか帰りたい、と願う歌。
俺は果たして、元の世界に帰れるのだろうか。
駅での旅人たちの夜は更けていった。
「さあ、そろそろ部屋に戻って寝ましょう。明日も早いし」
そうエリーが提案したころには、宴会は概ね終わり、レストランスペースに残っている者は半分以下になっていた。
促されるまま、部屋に戻る。
「ケータ、先にシャワー使っていいわよ」
見ると、意外なことに部屋にシャワールームがあった。
さすがにバスタブまではないが、まさか異世界の、しかも町の外にある宿でシャワーがあるとは思わなかった。
「いや、俺は後でいい。エリー先に使いなよ」
「あらそう? じゃあ遠慮なく」
そう言って、エリーは着替えを手にしてシャワールームに入った。
少ししてから、シャワーの水音がドア越しに聞こえてくる。
それを聞きながら、今更ながらドキドキしてくる。
いや、うん。
寝るだけ。
隣で寝るだけ。
分かってはいるのだが……。
冷静に考えると、この部屋にはベッドは一台しかない。
もちろん小さなシングルベッドだ。
毛布はマスターが一枚余分に貸してくれたのだが、どう考えても二人が寝るだけのスペースは無い。
いや、頑張れば二人寝れないこともないのだろうけれど、けれどそれは俺の理性が保つ自信がない。
意味もなく、部屋をウロウロしてみたりする俺。
とりあえず気を紛らわせるために、俺はポケットの中身を確認した。
今の自分の、すべての持ち物だ。
まず、財布。バイト代が入ったばかりだったので中身は多いが、けれどこの世界では使えない。雑多なポイントカードや交通系電子マネーの類は、それこそ役に立たないだろう。
そして現代人の必須アイテム、スマートフォン。しかし、当然のように圏外だ。通信を必要としない機能は役立つかもしれないが、けれどここでは充電ができない。だとすれば、使えなくなるのも時間の問題か。とりあえず電源を切ってバッテリーを温存しておく。
本当ならば他にもいろいろ持っていたはずなのだが、それは全てカバンの中。そしてそのカバンは、神がこちらに送らなかった。
だめだ、どれもこれも役に立たない。
だとすると、必要なものは現地調達するしかない。しかし俺には金がない。
こうなれば、俺も何かしら仕事をする必要があるな。
他にも考えることはたくさんある。
例えば、神は俺に能力を与えると言っていたが、けれどそれがどんな能力なのか。そしてどう使えばいいのか。
この世界では役に立つ、と言っていたが、それはここの世界観が見えてくれば、ヒントになるだろうか。
そして。
これは今の俺がどんなに考え、悩んでも答えの出ることではないけれど。
俺が死んでしまった、元の世界のこと。
突然息子が死んだと聞かされ、両親はどう思っているのか。
不出来な息子が、最期に人助けをして、死んだ。
命を救ったことを、誇りに思うのか。それとも、自殺志願の少女をなじるのか。
あの少女は、今何を思うのか。
助けた俺に、感謝しているのか。それとも恨んでいるのか。
死のうと思った理由は知らないが、けれど助けてしまった立場として、元気に生きてほしい、と思うのは俺のエゴだろうか。
「あがったわよ、お待たせ」
エリーがラフな部屋着姿で、シャワールームから出てくる。
風呂上がりで上気したその姿に、落ち着き始めた思考が、再度暴走しだす。
「あ、ああ」
余計なことを考える前に、貸し出しのガウンを片手に、シャワールームに立てこもる。
学生服を脱ぎ、手早く全身を洗うと、冷静さを取り戻すために頭からシャワーを浴びる。
落ち着け、俺。
寝るだけだから。
そう。
別に俺は床に寝てもいい。
なんとでもなる。
別に俺とエリーは、今日たまたま知り合っただけで、別にそういうんじゃないんだから。
だばだばと降り注ぐ熱湯と共に、煩悩を全て排水溝に流す。
「……よし」
シャワーのバルブを締め、タオルで体を拭き、ガウンを羽織って部屋に戻る。
「あら、早かったわね」
「そう? 俺、いつもこんなもんだけど」
普段は長風呂だし、今日は余計に長く入っていたつもりだったが。
「じゃあ寝ましょ。私床に寝るから、ベッドはケータが使っていいよ」
そう言いながらエリーは床に毛布を敷こうとする。
「いや、そういう訳にはいかないって。俺が床で寝るよ」
まさか女の子を床に寝かせるわけにはいかない。
もちろん一つのベッドで二人で寝るわけにもいかないが。
「だめよ、ケータ長旅で疲れてるでしょ?」
「そりゃ、エリーだって変わらないでしょ」
んー、とエリーは考え、言った。
「じゃあ、こうしましょう」
エリーはベッドの上に敷いてあった毛布を剥がし、床に並べて二枚敷いた。
「これなら文句ないでしょ?」
こうして、エリーと二人で床に並んで寝ることになった。
もちろん床がそんなに広い訳もなく、ベッドで並ぶよりかは少しマシ、というレベルだ。
こんな状況で眠れるわけがない、と思っていたのも最初のうちだけ。
気が付くと、いつの間にか眠りに落ちていた。
それだけ疲労が溜まっていたのだろうか。
こうして、俺の異世界での一日目が終わっていく。