第八話 ぬくもり
前回までのあらすじ!
骨っこをめぐって侍とドラ子が大げんかだっ!
何度も、何度も――。
まず最初に、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
そりゃそうだ。幕末で死に損ない、病床でくたばったかと思いきや、よくわかんねえ雪山に放り出され、今度こそ穏やかに逝けると思えばわけのわかんねえ怪物に襲われ、ようやく終わったと思ったのに、こうしてまた目を覚ます。
我ながらしつこい。あきれるほどに。
どうにもおれぁ、死神には相当愛想を尽かされているらしい。
「この肺病、ほんとに死に至る病なのかよ……」
暖かなぬくもりの中で身を起こす。
目を閉じてさえいりゃあ、布団の中にいるといわれたら信じてしまいそうな居心地のよさだ。雪山での出来事は夢だったってな。
ところがよ。
瞳を閉じ、静かな寝息を立てている傷だらけの怪物。おれはそいつの身体にくるまれるようにして眠っていたらしい。
菊一文字則宗で貫いた眼球は瞼に閉ざされているけれど、しゅうしゅうと蒸気のようなものが隙間から出ている。
よく見りゃ、斬り裂いてやった翼や、剥がしてやった鱗からもだ。
「助けられた……のか。こいつに……」
柔らかな鱗だった。
刀を突き立てた際には金剛石かと思うほどに硬かったというのに、今はふうわりと柔らかく、しっとりとした――そうだな、女の柔肌のぬくもりのようだ。
いつになく体調がいい。
ふと気づけば、腐り落ちかけていた手足の指が、血色を取り戻していた。
「……なンだい、こりゃ。治ってやがる」
指もわちゃわちゃ動く。
呼吸も、いつもであれば胸で一度引っかかるのだが、今日は喘鳴もなく静かなものだ。
江戸中の医師から見捨てられていたってのに、わけがわかんねえ。ま、この体調がいつまで続くのかは知らねえが。
おれは眠る怪物に視線をやってから、奥の白骨死体に目を向けた。
あれだけの戦いをしたというのに、白骨には傷一つない。それどころか、座った体勢のまま崩れてさえいない。
よくよく見れば、わずかに壁にめり込むよう、粘土で固定されていた。怪物の手では不可能、おそらくはヒトの手に依るものだ。
おれは怪物の羽下から這い出して、洞穴の奥へと歩く。
「おまえさん、先に逝くかね」
脱いだ羽織を広げ、白骨を、関節を固定していた粘土ごとそこに寝かせた。
そうして洞穴の入口まで運んで横たえる。次に手頃な大きさの石を探し、洞穴横に穴を掘り始めた。
幸い、雪で凍結した表層さえ突き破れば、それほど硬い地質ではなかった。もともと深く掘るつもりもない。
ヒト一人、眠れる程度の穴を空けるだけだ。
羽織から白骨を抱き上げる。からり、と音がして、腕の骨が崩れ落ちた。骨も粘土も風化し、かなり脆くなっている。
「あ~あ~……すまん」
羽織ごと埋めれば形も保てるだろうが、そうはいっても寒いのはごめんだ。永い眠りにつくまでは、可能な限り平穏でいたい。
「悪いねェ、一旦バラさせてもらうぜ」
仕方なく、おれは骨を一本一本丁寧に穴の中へと並べていく。ヒトの形に戻れるように。
半分ほど並べ終えた頃、突如として洞穴から怒りの咆吼が響いた。地響きを立てながら怪物が洞穴を飛び出してくる。
怪物は洞穴横にいたおれに気づかず、翼を広げて大空へ飛び立とうとしていた。
「慌て者め。ここだ、ここ」
翼を広げかけた怪物へと、おれは呼びかけた。
怪物はおれと白骨を見つけた瞬間、凄まじい形相で牙を剥いた。
「よせよ。何も悪さしようってんじゃねえ。人間ってのはな、死んだ仲間をこうして穏やかな眠りにつかせてやるもんだ」
牙。凄まじい鋭さを持つ上下の牙が、おれの胸と背中にあった。ただし、刺さってはいない。
思った通り、こいつは賢い。
「みんな土に還って草木となり、草木は獣の糧となり、獣はヒトの糧となる。そして女が産んで増やす。そうやって生まれ変わるのさ」
ろくすっぽ信じてもいない坊主の与太話を、平気で吐き出す。
しばしの沈黙は戸惑いか。
けれどおれの肉体を穿とうとしていた怪物の牙は、その首もろとも静かに引かれた。
また死に損なった。が、ここまで体調がよくなりゃ、それも悪くないと思えるから不思議だ。
おれは再び穴の中へ、白骨を並べ始めた。
怪物はじっとおれの埋葬作業を眺めているだけだった。最後に土をかぶせ、大きめの岩を置いて、目を閉じ手を合わせる。
坊主じゃねえから祈る言葉なんざ持ち合わせちゃいないが、ゆっくり眠れよってなことを心で想ってやるくらいはできる。
数秒。風は冷たいが、穏やかな時間が流れた。
おれは目を開けて振り返る。
「さて、と――?」
そうして眉を寄せた。
怪物の姿がなくなっていたからだ。
どこにも。影も形もない。羽音もなかったし、飛び立つ際の風もなかった。無論、洞穴からも気配はない。
そこには女がいた。
斬れ味鋭い刀身のように銀色に輝く長い髪、雪景色に溶け込むほどに白い肌、雲一つない晴れた日の空のような瞳。
ひどく整った異人だ。
そして何より。雪が舞っているにもかかわらず、なぜか薄着だった。白い襦袢のようなものだが、前を合わせるのではなく頭からかぶる貫頭衣だろうか。下半身を覆う部分は花びらのように広がっていて、そこから覗くのは素足だ。
なんとも面妖な服装。それに体つきも特異だ。
江戸じゃあ、とんと見ない大きな胸に、なだらか且つ激しい曲線を描いて下りる腰、脚の長さはこれまたおれの知る女って生物とは大違いだった。背丈もおれと同じくらいはあるだろうか。もっとも、異人となりゃおれのほうが小せえのかもしれねえが。
美しいと思った。性的なものよりも、その芸術的な造形美に目を奪われた。
女は雪に裸足を置いたまま、ぼうっと突っ立ってこっちを不思議そうな目で見ている。
おれもまた彼女をまじまじと見つめ、尋ねた。
「……誰?」
おれの問いかけに、女が躊躇いがちに艶やかな唇をわずかに開いた。
「シルバースノウリリィです」
汁……婆……? いや、だから誰?
ドラ子の雑感
骨っこ、うめられた……。