第七十九話 神格
前回までのあらすじ!
火竜がぷっつんで人斬り侍大ピンチ!
拙い、竜化なんぞされりゃあ、ただでさえ薄い勝ちの目が消えちまう――!
イグニスベルが全身から光を放つと同時、おれはほとんど無意識に地を蹴っていた。
「させるかィ!」
最速で最短距離を駆け、やつの左胸を目掛けて切っ先を放つ。だが渾身の一本突きは竜骨剣の腹で受け止められ、金属音と火花を散らすのみ。
いいや。散ったのは火花だけじゃあない。イグニスベルから放たれていた光の粒子もだ。竜化の際に発生する光はイグニスベルに収束することなく、空中に散って消滅した。
「かかっ」
「く……!」
イグニスベルが剣呑な表情で力任せに竜骨剣を振って、強引におれを払い除けた。勢いよく吹っ飛ばされたおれは空中で後方に回転し、着地して距離を取る。
そうして菊一文字則宗の切っ先を再びやつへと向けて、渇いて割れそうな唇をひと舐めした。
「やっぱりそうかい」
竜化は防げる。でなきゃ、おれの背中を守るために地響きを立てながらラドの特大剣を素手で弾き続けている女が、いつまでも女性体のままでいるわきゃねえんだ。
つまり竜化には、斬撃疾ばし同様になんらかの溜めのようなものが必要ということだ。
推論のただしさは、イグニスベルの表情が物語っている。
「さぁ~て、神格狩りといくかね」
「吹かすな、小僧が……ッ」
意識をイグニスベルに向けたまま、おれは素早く視線を散らす。
ラドとリリィの戦いにも、おれとイグニスベルの戦いにも、竜騎兵らはまだ参戦していない。槍の穂先こそこちらに向けられちゃあいるが、超常の戦に巻き込まれることを恐れているのか、それとも王であるイグニスベルの矜持を重んじてか、近づいてくるものはいない。
腰抜けめ。だが都合がいい。ああ、実にだ。
勝ちの目がようやくこの眼に見えてきた。さて、もう一押しだ。
おれは唇をねじ曲げ、歪な笑みで呟く。
「イグニスベル。おまえさんの敗因は、人間であるおれを見くびり、おれの前で一度でも人化したことだ」
「たかが人間の分際で――ッ!」
「……滑稽だぜェ、今のあんたはさァ」
表情をねじ曲げて挑発する。
「……ッ」
舌打ちをしたイグニスベルが、おれを嫌がるように後方へと距離を取るべく跳躍する。
阿呆が。その行動は予想の範疇だ。
挑発したのはイグニスベルを逆上させるためだけじゃあない。詰めるか退くか、動きをこの二つに絞らせて単純化させるためだ。
おれはほとんど同時に地を蹴り、空中でイグニスベルの頭部へと追撃の刃を振り下ろしていた。
「――なッ!?」
「らァ!」
竜骨剣でそれを受け止めたイグニスベルが大地に背中から落ち、高く跳ね上がる。
「かは……っ」
ここ――!
この瞬間を待っていた。翼のない男性体が、己が意志に反して浮き上がるこの瞬間を。
いち早く着地と同時に納刀。おれは歯を食いしばり、わずかに力を溜める。
そうして、目の前に落下してきたイグニスベルへと。
抜刀――。
「アアアアアァァァァァァーーーーーーーッ!」
一閃。
菊一文字則宗の刃から発生した斬撃が、たとえば亜音速で飛翔するリリィですら躱せぬほどの速度でイグニスベルへと至近距離から襲いかかった。
翼なき男性体ではさしもの古竜種も、空に自由はない。
回避できないイグニスベルはとっさに左手からも竜骨剣を顕現させ、二振りの剣を交叉する――が、もう遅い。
断末魔の声すら、なく。
岩山の大地をその肉体で削り取りながら溶岩流のような血液の雨を飛散させ、糸の切れた糸繰り人形のように跳ね上がり、叩きつけられ、岩石を突き破って舞い上がり、包囲していた竜騎兵数十名を巻き込んでまた跳ね上がり、岩山の地形を変化させながら、遙か遠方に見える谷底へと呑まれるように落下していった。
真っ二つにぶった斬ってやるつもりだったが、やはりとっさの溜めが足りなかった。だが、手応えはあった。いくら古竜種とはいえ、ただでは済まねえはずだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で荒い息をし、おれは両膝をつく。
わずか数合、指折り数える程度に刃を交えただけでこの有様だ。今になって汗が全身からどっと湧いた。ぽたぽたと岩山の大地に黒い染みができる。
拙ィ。視界が二重三重に見えている。頭痛と耳鳴りもひどい。黑竜病のせいで呼吸もうまく整いやしねえ。
ぜぃ、ぜぃと、胸の中から喘鳴が聞こえている。
エリクシルの効果はまだ切れていないはずなのに、この有様だ。そもそも今回、斬撃疾ばしは使わずに済むなら使いたくなかった。もっとも、あのまま打ち合っていてはいずれ竜化されていたところだろうが。
ああ、糞ったれ。神格ってのぁ、とんでもねえやつらだな。
「ぬああああぁぁぁぁっ!」
ラドの特大剣がおれの頭部へと振り下ろされたのは、この瞬間だった。
だが、刃が頭髪に触れる瞬間、リリィが特大剣の腹を肘打ちで払い除ける。
「やあっ!」
まるで金属同士がぶつかり合ったかのような轟音が響き、ラドが数歩よろけて後退した。
「うぬぅ」
「させません!」
状況は重々承知しているというのに、おれは立ち上がることはおろか、ラドに視線を向けることさえできない。胸を押さえて空気を貪ることで精一杯だ。
ラドだけならばリリィがどうにかしてくれるだろうが、この地響き。
イグニスベルがああなって初めて己が責務を思い出したか、三桁もの竜騎兵が恐る恐る近づいてきている。竜化する暇すらないリリィだけではいかんともしがたい。
「かはっ、はぁ……く……はぁ、はぁ……」
おれは菊一文字則宗の切っ先を大地に立て、震えながら膝を起こす。
とにかくリリィを竜化させるだけの隙を作らねば、せっかく苦労に苦労を重ねてイグニスベルの野郎を吹っ飛ばしたというのに、この窮地を脱することさえできねえ。
そんなことを考えた瞬間だった。
イグニスベルが落下していった岩山の谷底から、怪物の怒気を込めた咆吼と、火山噴火のような火柱が噴き上がったのは。
おい、おい……。勘弁してくれよ……。
ドラ子の雑感
あわわわわ……すっごい怒ってる……。
なんかすっごい怒ってる気がするっ!!




