第七十四話 竜騎兵
前回までのあらすじ!
人斬り侍、珍しく苦戦中!
男が不自然な動きで後退した瞬間を狙い、おれはブーツを脱ぎ捨てた。
土や草の上ならばともかく、鉄板のごとく滑る床では履き物は邪魔だ。指先に引っかけるものもなきゃ、本来の動きもできやしねえ。このままじゃあついてけねえんだ、魔術らしきものを使っているこの男の速度に。幸いにも、緑の突風が砕けた硝子片をあらかた隅に押し流してくれている。
とん、とん、と二度跳ね、右手に持った一文字則宗を肩へとのせる。
「さぁて、魔術兵くんよ。……仕切り直そうぜ」
「ふん――」
叩きつけるように殺気を放つと、男が地を蹴った。渦巻く緑の疾風に乗って、刺剣の剣先が迫る。先ほどよりも、さらに速度を増して。
風は緑。どういう魔術かは知らねえが、可視できる。さっきは驚いちまったが、砲弾銃弾を斬ってきたおれに見切れぬものではない。
視るべきは男でも切っ先でもない。風だ。
渦、飛び込む。逆らえば崩され、流されれば貫かれる。だからその隙間へと、おれは身をねじ込むのだ。
微かな暴風の隙間。本来ならばどれほどの達人であろうとも、そんなところに入り込むことなどできようはずもない。
だが、色。この緑色の風であるならば。
「――っ!?」
男の表情が驚愕に見開かれた。
おれは糸のように細い風の隙間を通り、男の右方斜め下から跳躍しながら菊一文字則宗の切っ先を、首筋へと向けて突き出す。
新撰組が得意とする剣術、一本突きだ。
とっさに首を傾けた男の皮膚一枚を斬り裂いて。
「な――ッ」
「まぁ~だだよ」
突きから斬撃へと軌道を変じさせ、おれは全身をよじりながら菊一文字則宗を振り抜く。ぎぎっと金属のこすれる音がした直後、かろうじて刺剣でおれの斬撃を受け流し損ねた男が吹っ飛び、床で足を滑らせて背中を壁へとあてた。
「おお。防ぐかね、今のを」
体が入れ替わった。
おれが操舵室通路側、男が砕けた窓側に立っている。
「が――」
つまり――。
おれは菊一文字則宗を持ち上げるや否や、側にあった船の舵を刃で斬り落とした。
ごん、と音を立てて木製の舵が床を転がり、その身を横たえる。
これで軍用飛空挺は操舵不能に陥る。あとは放っておいても自然と墜落するだろう。無論、予備の舵みたいなものがなければの話だ。
「目的は達成した」
取り乱すならばさっさと斬って捨てるつもりでいたが、男は――青年はふぅとため息をついただけだった。
「おや? 予備の舵でもあるのかい?」
「そんなものは存在しない。この船は墜ちるだろう。それはもはや何人にも防げん」
落ち着いてやがる。若えのに大した胆力だ。楽に殺れると思ったんだがなァ。
あてが外れたおれは舌打ちをする。
「それにしちゃ、ずいぶんと落ち着いてるように見えるがねェ」
「挑発に乗るつもりはないが、貴様の言葉はいちいち耳に障る」
ふうと小さなため息をついて、青年が不敵に笑った。
「ここで私があわてると事態が好転するか? せいぜいが貴様にいいように斬られて終わりだろう。だが、訊きたくばこたえてやる」
顔の前に右手で持った刺剣を立て、流れるような動作で切っ先をおれへと照準する。
「船の揚力が失われたわけではない。すぐに墜ちぬならば、貴様を殺してから高度が下がったあたりで魔術の風に乗って降下すればいい。それだけのことに過ぎん」
いやはや。こいつはすげえや。肝の据わりが半端ねえ。この若さで。
だからこそ思う。
残念だ。
おれは菊一文字則宗の切っ先を斜めにずらし、平晴眼のかまえを取る。
「名乗りな、坊主」
「死に行くものに名乗る必要などない。だが、自らの手で殺めた貴様の名はおぼえておいてやる、サムライ・オキタ」
互いの膝が下がる。
緑の風が青年の足もとで渦巻く。どうやら風の魔術とやらを剣速だけではなく、今度は加速に使うつもりらしい。
ちりちりと体毛が逆立つ。臓腑の底がざわつき、おれは――歪な笑みをこぼした。
「何がおかしい?」
「……一つ問う。おまえさん、もしもアラドニア本国からの命令で集落を一つ灼けと言われたら何を思う?」
「思うことなどない。従うまで」
「安心したぜ。いや、何、てめえが悪人かどうか知りたかったのさ」
「立ち位置によって如何様にも変化する善悪などという呼び方に意味などない」
「……そうかい」
古き良き時代が脳裏に甦りかけて、おれは頭を振った。江戸はもう存在しない。
「もういいぜ。話は了いだ」
「参る!」
莫迦正直にそう呟き、青年が床を蹴った。緑の風に乗っておれの眼球へと超高速で迫る刺剣の先を目掛け、おれは平晴眼のかまえから一本突きを繰り出す。
「――ッ」
寸分のずれもなく切っ先同士が激突し、火花が散った。
青年が肘を引いて二撃目を繰り出す。同じくおれも肘を引き、心の臓を目掛けて迫った切っ先を切っ先で防いだ。
再び火花と金属音が散る――!
「~~ッ!?」
困惑の眼。
次に互いが肘を引いた瞬間には、その差は歴然となっていた。
刺剣の先がせめぎ合う殺気の中央へと達する頃、菊一文字則宗の切っ先はすでに青年の喉を貫き、頸部から飛び出していた。
三段突き。おれの最も得意とする天然理心流の必殺剣だ。
「……ッ…………っ……」
勢いを失いながらも喉へと迫っていた刺剣を掌でつかんで防ぎ、おれは菊一文字則宗の刃を青年の喉からずるりと引き抜く。
ごぼり、と青年の喉から大量の血液が溢れた。
おれが刺剣の刃を軽く押して青年をその場に突き放すと、数歩よろけて後退した青年の膝が力なく震えて折れた。血走った瞳は困惑に見開かれ、こちらに向けられている。
おれは菊一文字則宗を一振りして血を払い、静かに納刀した。
「くたばる前に聞いとけ。善悪ってのはよ、立場によって入れ替わったりしねえのさ。――てめえみてえな力のあるやつが、権力なんざに誤魔化されてんじゃあねえよ」
背中を向けたおれの背後で、どさりと肉の崩れ落ちる音がした。
「……くだらねえ」
悪人が悪人を裁いて、何を偉そうに語るのか。権力の手先となって散々人を殺してきたのは、己も犯してきた過ちであろうに。
胸糞悪い……。
今殺したのは、今の自身へと続くはずの過去の己でもある。
砕けた硝子を踏みしめて暴風に手をかざし、おれは遙か下の甲板を覗く。魔術兵どもは甲板で呆然としたままだ。リリィの姿はない。
高度がずいぶん下がったな。墜落まであまり時間はなさそうだ。
『終わりましたか?』
「ああ」
空を見上げると、銀竜シルバースノウリリィが操舵室上部で翼を休めていた。その姿を見るとおれはなぜかほっとして、全身から力が抜けるのを自覚した。
ささくれ立っていた気持ちが、いくらかましになる。
「のんきなもんだね」
『状況が変わりました。残りの敵影――軍用飛空挺はすでに去りました。が……』
去った? なぜ?
「が?」
『ご自身の目でたしかめられたほうが早いかと』
おれは割れた硝子窓から首を出し、左右を見回して理解する。
ワイバーンの群れ。
「なんだこりゃ……」
否、正確には背中に兵を乗せているワイバーンの群れだ。それも十や二十ではない。桁が足りていないのだ。
すでに囲まれている。
『空の守護者、竜騎兵です』
「……竜騎国家セレスティの領内に入ったってことかィ?」
『どうやらそのようですね』
そこかしこから剣呑なワイバーンの鳴き声が響いていた。
ドラ子の雑感
……嫌なら殺さなきゃいいのに……。
不器用だなぁ……。




