第七話 竜
前回までのあらすじ!
長々自分語りをする男はモテないぞ!
穏やかな死を迎えるのは吝かではない。だが、得体の知れねえ怪物に喰われて、尻からひり出される糞にされんのぁごめんだ。
最速で最短距離を駆ける。
ああ、遅え。腐った手足じゃ、いつもの半分の速さも出せやしねえ。
怪物が前脚を持ち上げ、おれへと薙ぎ払った。暴風を巻き起こしたそれを頭を下げて躱すと、すぐ目の前で怪物が大口を開けた。
「ちぃ……ッ!」
鋭い牙が虚空を噛む――!
がきぃん、と剣呑な音が響いた。
間一髪、跳躍で躱し、下がった怪物の頸へと菊一文字則宗を叩き下ろそうとして、迫り来たもう片方の前脚につかまる。
――グガアアアァァーーーーッ!?
が、悲鳴を上げたのはおれではなく、怪物のほうだ。
おれの肉体を無造作につかもうとした怪物の右前脚から、血塗られた細い刃が生えている。菊一文字則宗。おれの愛刀だ。
振り払われるより早く、おれは怪物の前脚を蹴って刃を引き抜き、後方へと跳んだ。
追撃の地響き。怪物が大地を踏み鳴らして迫る。
おれは背後の入口に視線をやった。
外に出るか?
否、愚策だ。山肌には足を取る雪が積もっているし、やつには翼がある。空に逃れられては手に負えない。
舌打ちをして前に駆ける。怪物との距離が急激に縮まった。
おれはやつの噛み付きを勢いのまま屈んで躱し、大地を滑りながら股ぐらを抜け――ようとした瞬間、両脚の間から地面を掻いて振り上げられた尾に全身を弾かれた。
「ぐがッ!?」
あっさりと弾き上げられ、背中から大きく宙を舞う。
まるでバラバラになったかのような衝撃に、意識が飛びかけた。奥歯で頬の内側を噛みしめて強引に意識を戻し、空で後方回転して腐りかけの両足を大地につける。
洞穴入口まで吹っ飛ばされてしまった。
口に溜まった血液を吐き捨てようとした瞬間、咳き込んで喀血する。
「かは……ッ、ぐ、くそ、こんなときに!」
ぼたぼたと、赤い雫が足もとに垂れ落ちる。
それでも切っ先を大地に立てて怪物を睨むと、当然来るものと思っていた追撃が来ていないことに気がついた。
怪物は丸天井の下、洞穴中央あたりで、ぐるぐるとうなり声を上げているだけだ。
おれは口もとについた血を羽織りの袖で拭き取って呼吸を整え、歪な笑みを浮かべた。
「まぬけなやつだ。これ以上ない機会だっただろうに」
菊一文字則宗を再び持ち上げ、切っ先をやつへと照準する。
重い。持ち慣れたはずの愛刀が。
震えるな、切っ先。霞むな、目。
再び大地を蹴る。身を低くして駆け抜け、やつの前脚の薙ぎ払いを右側へと躱して壁面を走った。巨体の背後へと回り込むために。
――ガアアアァァァァーーーーッ!!
当然来るものと思っていた尾の一撃を、壁面を蹴っての跳躍で躱す。
間一髪。暴風とともに無数の石を弾きながら、巨大な尾が雪駄の底を掠めて通過した。
背後を取った――!
だが、腐った足先では踏ん張りが利かず、雪駄を滑らせた勢いそのままに、おれは白骨のある壁へと全身を叩き付けていた。
「ち、くしょ――」
なんて様だ! てめえの動きにてめえの肉体がついてこられねえ!
戦える肉体ではない。そんなことは最初っからわかっている。だからこそ、おれは戦の際に仲間に置き去りにされたのだから。
足手まといだ、と。
――ガギィァァアアァァーーーーッ!!
怒りの咆吼。壁を背にしたおれへと、怪物の牙が迫った。
「――ッ」
回避は間に合わない。
が、その瞬間は訪れなかった。否。迫り来てはいたのだが、勢いや速さが失われていたのだった。
どういうわけか怪物は、おれを襲う際にその勢いを殺したのだ。
鋭い牙の生えた口が閉ざされる瞬間、おれは跳躍で噛み付きを躱し、背後の壁を蹴っての一本突きで、怪物の右目へと刀の切っ先を突き立てていた。
どろり。
粘性の高い液体が怪物の潰れた目から流れ落ちた直後、そいつが悲鳴を上げた。
――ギャアアアァァァッ!!
鋭いかぎ爪を持つ前脚を、出鱈目に振るう。
けれど遠近感を失ったのか、通常時の半分以下の力しか発揮できないおれですら、簡単に躱せるものだった。
おれは怪物の脚を斬り付け、胸部の鱗を剥がし、その返り血を浴びながら必死で刀を振るった。
だが、どれだけ斬り付けようとも、怪物は動くことをやめようとはしなかった。
本来であれば、どれだけ獰猛な野生動物であろうとも、死に瀕すれば戦意は失う。それにあらがえるのは人間の精神力だけだと思っていたのだが。
知能が高い――?
やがて、おれの前には傷だらけの怪物が両脚を折って倒れ伏していた。それでも牙を剥き、喉を鳴らしている。
「そんなになっても、まだ動くのかい。おまえさん、おれと似てるねェ。あぁ、そっくりだ」
だが、だからといって見逃す道理はない。こいつはヒトを喰らった怪物なのだから。
肩で息を整え、とどめを刺すべく刀を持ち上げる。
「運が悪かったな。こんな閉ざされた場でなければ、膝を折っていたのはおれのほうだ」
――ガ……グルゥゥ……ッ。
ずるり、ずるりと、怪物は這う。必死でおれから距離を取ろうとするかのように。
「……?」
いいや、違う。違った。
おれは目を見開き、刀を下げた。
もはや立つことすらできなくなった怪物は、白骨死体の側まで這い寄ってから破れた翼を広げ、再びおれへと牙を見せたのだ。
おれは理解した。
「ああ……、そうかい……。そう……だったのか……」
間違えた。悪はおれだ。
こいつは人間を喰ったんじゃない。あの白骨を守っていたのだ。だから先ほど、白骨のある壁を背にしていたおれに対して噛み付きの勢いを弛めたのだ。
転がっていた鞘を拾い上げ、今度こそもう二度と使わぬであろう刀身を静かに収める。
「……謝って済む話でもねえが、悪かったねェ……」
おれが最後に見たものは、口を閉ざして威嚇の牙を収め、こちらを空色の瞳で不思議そうに眺めている血に塗れた怪物の、神々しいまでの美しい姿だった。
意識があったのは、ここまでだ。
ドラ子の雑感
こ、これはわたしの骨ですぅぅ!
とらないでくださぁ~い!
 




