第五十四話 アリアーナの啓示
前回までのあらすじ!
二度目の飛空挺墜としを実行したぞ!
おれはわずかな逡巡の後、鞘に納刀した菊一文字則宗の柄に右手を置いた。
ちょいと距離がある。だがリリィの翼を足場に走れば、抜刀術で対処できねえほどでもねえ。妙な動きをすれば、斬る。
「アリアーナの聖女ってのぁ、礼儀も弁えねえのかい?」
女は柔らかな微笑みを浮かべたまま、指先で横髪を耳へとかけた。そいつが妙な動きの範疇に入るかどうか、おれには判断できない。
が――。
「これは失礼いたしました」
女は光り輝く剣を背負った鞘へと静かに納めた。
おれは息を吐いて右手を柄から下ろす。
実際のところ、最初っから殺気も何もなかった。礼を欠いていることを知らしめるためだけに、柄に手をのせただけだ。
「リリィ」
『はい』
銀竜シルバースノウリリィがゆっくりと降下し、ほんの少し前までリザードマンの集落だった灼け焦げた地に両足をつけた。
そうして光の粒子を散らし、赤の懸衣をまとった女性体へと人化する。
レアルガルド大陸にあっても相当に珍しい光景であったにもかかわらず、アリアーナの聖女はただそれを眺めていただけだった。
やがて聖女は羽馬を降りると、焦土の地に足をつけた。
羽馬がなぜか脅えるように聖女の背後へと回った。
「あら……」
四肢をばたつかせ、どうにか距離を取ろうとしている。だが、聖女がその首に手をあてて撫でると、やがて静かにその動きを止めた。
「いつもはこのようなことはないのですけれど、古竜種銀竜族を見て驚いたのかしら」
然もありなんといったところか。
どう見ても空を征く種族としては、銀竜族のほうが格上だ。むしろ地を這う種族も含め、リリィよりも生態系の上位にある存在などそうはいないだろう。
「……ぅじゅる……」
珍妙な音に振り返ると、リリィが長い銀髪を傾けて静かに首を倒した。
「どうかいたしましたか、オキタ?」
「いや、別に」
さて、と。
おれは聖女に向き直る。
白を基調とした清廉な服装。足首まで覆う長い女袴に、アリアーナ神殿のものと思しき紋様の入った藍色の前垂れが下がっている。そして腰には先ほどの異様な輝きを放つ剣。
「オキタだ。こっちは銀竜族のシルバースノウリリィ」
「わたくしはアリアーナ神殿のレーゼ・ルシフォルと申します」
ゆっくりとした、しかしくっきりと聞き取りやすい口調で聖女が言った。
穏やかで、透明。人には大なり小なり色というものがある。情熱の赤であったり、薄汚れた黒であったり、屈託のない黄色であったり、穏やかなる青であったり。
見えない。見えないのだ、この女は。想定できる色がない。少なくとも、おれの知識の中には存在していない。
厄介だ。こちらが敵意や殺意を抱こうとしても、このレーゼとか名乗る聖女の前ではあっさりと萎えてしまう。
人を斬るに躊躇いなどないが、この女に対してだけは躊躇ってしまいそうになる。敵には回って欲しくないと、思わされてしまうのだ。このおれのようなどうしようもない人斬りでも。
少々、気が抜けた。これがレーゼの罠だとしても、おれは間違いなくこの瞬間、気を抜いていた。
「先ほどの質問だがな、何者も何も、言った通りの竜騎侍だ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
「素敵な服装。ご出身はどこかしら」
「日本だ。知らねえだろ。遠く海を隔てた小さな小さな島国だよ」
たぶんな……。
だがレーゼは質問を重ねることなく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたままうなずいた。
妙な女だ。日本なんて知っているわけもなかろうに。
「なぜ、アラドニアの軍用飛空挺を?」
おれは肩をすくめて両手を広げた。
「気に入らねえからさ。やつらのあり方が。おまえさん、ここより東方に存在する名もなき国を知っているかい?」
「いえ、存じ上げません」
「だろうな。小さな小さな国さ。人口わずか一〇〇〇程度のな。つい最近、軍用飛空挺に灼き払われちまったがねェ」
レーゼの表情が曇る。
「その国に、オキタの縁者がいらしたのですか……」
「いんや。ちょいと一宿一飯の恩義があっただけさ」
「仇討ちでしょうか」
「……そういうわけでもねえなァ。ただ、気に入らんから斬っただけだ」
レーゼが口をつぐむ。何かを言いかけて口を閉ざし、艶やかな唇から吐息をもらす。
癖だろうか。また指先で耳に横髪をかけた。
どうにも艶っぽい。リリィやライラが小娘に思えてくる。
「あなたはずいぶんと恐ろしい力をお持ちのようですね。その腰のものを見せて、とお願いしたら素直に見せていただけるかしら」
その言葉に反応を示したのは、意外にもリリィだった。
「オキタ、それは!」
おれはリリィの警告に視線を返す。
むろん、わかっている。こいつを預けるほどには、心をゆるしちゃいない。
「手渡すわけじゃねえならかまわねえが」
「それで結構です」
おれは菊一文字則宗をゆっくりと抜刀する。そうして右手で柄をつかんだまま左手に刀身をのせ、レーゼの視線の高さにまで持ち上げた。
「…………軍用飛空挺を斬ったのは、魔導の技ではなかったの?」
「ああ。おれに魔術とやらは使えねえ。さっきのも勢いに任せてぶっ放しただけだ」
勢いなんかよりよっぽど技術のが重要だがね。これくらいの誤魔化しは別にいいだろ。原理を説明しろなんて言われても、おれもよくわかんねえ。
おれは菊一文字を取り回し、腰の鞘へと納刀した。
「悪ィな。こいつはちょいと恥ずかしがり屋でねェ。あんたのような美人にじろじろ見られるのぁ、どうにも耐え難いんだとよ」
皮肉を呟いてやると、レーゼは意外にも口もとに手をあてて笑った。
「あは、あはははっ。そう、そうなの。それは気がつかなかったわ。ごめんなさい。オキタからも謝っておいてくださる?」
「あ、ああ……」
逆におれが戸惑う始末だ。
「さて、こちらからも質問させてもらってもいいかい? 聖女さんよ」
「レーゼでいいわ、オキタ。こちらの本題もまだなのですが、後回しにしましょう」
「そうかィ。ありがとよ。莫迦げたことを問うが、アラドニアの軍用飛空挺を墜としたさっきの雷はあんたの仕業かい?」
リリィはあれを神の奇跡だと言った。そしてその場にいたのは天秤の神アリアーナの聖女ときたもんだ。
神の存在なんざ信じちゃいないが、この二つの要素がそろっていて無闇に否定できるほどは頭も固くない。ましてや古竜なんてもんがふつうに隣に立ってるような大陸だ。神とやらがいてもまあ、そんなもんだろうと受け入れられる。
「はい。天秤の神アリアーナ様のお力をお借りしました」
受け入れられるつもりではあったが、これにはさすがにちょいと驚いた。菊一文字則宗で神とやらは斬れるだろうか。
「実は今日、わたくしはアリアーナ様の啓示を受けてこの地に参ったのです」
「啓示?」
リリィが小声で囁く。
「聖女は神の言葉を受け取り、神殿に伝えるのが役割です」
「アリアーナ様の啓示では、今日この地に現れる存在は、いずれこのレアルガルド大陸の行く末を大きく左右させる恐ろしい力となる、とのことでした。わたくしは、それはてっきり軍用飛空挺のことかと思い攻撃をしかけたのですが――」
瞬間、おれは地を蹴ると同時に抜刀していた。
ドラ子の雑感
あああぁぁぁぁ……いきなり腰のモノを見せろなんて言うからぁ……、
……アリアーナの聖女は痴女なの!? って勘違いしちゃった……。




