第四十六話 仲直り
前回までのあらすじ!
リリィに眷属ができたぞ!
大蜥蜴の旦那と邂逅を果たしたあと、おれたちはギーの住処でやつの嫁さんの手料理を馳走になった。
渓谷の魚を焼いたものと木の実だ。
やつらの顔つきからして虫なんかが出てくるんじゃあねえかと戦々恐々していたが、どうやら気を遣ってくれたらしい。丸めた虫団子なんざ食わされた日にゃ、腹ぁ下して尻の穴まで真っ赤っかってなもんだ。
助かったぜ。よくできた嫁さんだ。
旦那の腕が一本消えていたって、戸惑い一つ浮かべねえ胆力も気に入った。
さぞや器量好し、と言いてえところだが、おれにはリザードマンの顔の違いがよくわからなかった。微妙な模様の違いくらいのものだ。首筋に稲妻のような線があるとか、顔に斑模様があるとか。
ああ、だが性別はわかる。かろうじて。
鎧を着ているのが男で、申し訳程度に布をまいているのが女だ。もちろん男が鎧を脱いで布をまいたら、わからない。
要するに、肉体があきらかに大きな長とギー・ガディア以外は、リザードマン族にはほとんど違いなんてない……ように見える。
両手を挙げて、おれは大あくびをした。
「今夜は久しぶりにゆっくり眠れそうだねェ」
「……」
やや手狭だが空き家を間借りし、おれは再びリリィと二人きりになった。
木材で造られた簡素な小屋だ。もちろん中には何もない。空き家だから家財はおろか食器、衾もだ。ああ、レアルガルドでは衾とはいわず、毛布や布団というのだったか。とにかく寝具だ。
行灯――おそらく正確には違うのだろうが、行灯のようなものの中で薄明かりだけが揺れている。匂いからして菜種油だろうか。
な~んもねえ。いやまあ、何が欲しいってわけでもないんだが。
「……寝るか」
おれは菊一文字則宗を両腕で抱え、壁に背中を預ける。
寝具がなけりゃ、さすがにリリィも一緒に寝ようとは言い出さねえはずだ。
というか。
また視線を合わさなくなった。ギーの嫁さんとは楽しげに話していた癖に。これだから女は難しい。
リリィが部屋の隅で光の粒子を散らし、ネグリジェ姿に変化する。
闇の中、ぼんやりと揺れる炎の明かり。半透明のネグリジェをまとったリリィの影が、板で造られただけの壁で揺れていた。
おれはぼうっとそれを眺める。
菜種油の匂いが懐かしく――。
虫の声が響いていた。あの頃と同じ虫の声が。ほんの少しの肌寒さは、江戸にたとえるなら季節は秋だ。
わずかな郷愁に駆られた。もう慣れ親しんだ江戸はなく、もはや仲間も待ってはいないというのに。
寂しいねェ……。
「リリィ」
「……」
リリィが視線だけをこちらに向ける。
半透明のネグリジェはいかにも刺激的だ。とんと見慣れなかった大きな胸も、よくぞそこまで育ったと今では微笑ましく思う。
欲がないわけではない。リリィの肢体に思うことがないわけでもない。
だが奪い背負った命の重さが、我欲を圧し潰す。肉体に染みつく穢れの臭いが、幸福に向かおうとする己を強く縛りつける。
枯れているのとは違う。
「……そばに来ちゃくれねえかい」
「……」
恨みがましい瞳。絶命の際に向けられる眼とは別種の甘やかなもの。だから余計に動けなくなる。商売女ならばともかく、だ。
視線を逸らし、しばしの逡巡。
リリィは長い銀髪に手を入れた。
「……………………なんですか……?」
「来い」
ぴくり、とリリィの目もとが引き攣る。
「……ずるい」
そうしておずおずと近づいてきて――おれの目の前に突っ立った。高圧的に片手を腰にあて、刺激的な姿で、恥ずかしげもなく。
陰部こそ三角の布っきれで覆われちゃいるが、その他は透けてみえている。
悪かねえ。いかに自縄自縛の鎖に繋がれているとはいえ、これがとても魅力的でよいものであるということくらいは感じている。
比して惨めなるは、己が穢れた手よ。
「隣に座れ」
「そんなふうに軽々しく古竜の盟約を使わないで!」
怒りながら、リリィがおれの隣に腰を下ろした。長い脚を両腕で抱え込み、空色の瞳をこちらに向けてぎろりと睨む。
「なんですかっ」
「手を……」
「手? 手をなんなんですか!」
憚られる言葉に、おれは黙ったままリリィの手を己の手でつかんだ。
「は、え?」
左右の眉の高さを変えて、リリィがあからさまに探るような目を向けてきた。
おれは背中を壁でずるずると滑らせ、そのまま横になる。リリィに背を向けて。
「寝る。朝までそうしていてくれ」
「は? ええ? な、なんなんですか……」
行灯の懐かしい匂いに、やけに寂しくなった。それだけだ。それに最後のは盟約じゃあない。嫌なら手を解いて離れればそれで済む話だ。
だが、リリィは――。
大きなため息をついて、おれの隣にころりと身を倒した。そうしてしばらく。
うわごとのように小さく呟く。
「……もうっ。子供みたいですよ、マスター」
「子供。子供、か。ああ、そうだ」
おれは手を繋いだまま、リリィのほうへと身体を回転させた。
「――!」
瞬間、リリィが大あわてで頭を振って、長い銀髪を自らの顔へと流して表情を隠す。
「な、なんですか……?」
「宗次郎だ」
銀髪の隙間から、リリィが眉をひそめたのが見えた。
「はあ」
「産まれたときに両親からもらった幼名――ああ、つまり宗次郎はおれの一番最初の名だ」
「ソージロ……」
まさか幼名を今さら名乗る機会があるとは思いもしなかった。
「そう、お呼びしても……?」
リリィが微かに笑顔を浮かべる。銀色の髪の隙間で。
おれは笑顔が見たくて、リリィの頭に手を伸ばした。長い銀髪を指先で絡めて、少しずつ彼女の背後に流してゆく。
「……はは、そいつはちょいと勘弁してほしいねェ。幼名なんざ知られるだけでも、たまったもんじゃあねえ。それになァ」
リリィはほんのりと頬を桜色に染めていた。
どうやら機嫌は直ったらしい。物好きな竜だ。自らは神にも等しき存在であるというのに、人間の、それもこんなに穢れた侍なんかの、どこに見所を感じているのか。
まあ、いいさ。
「それに?」
「オキタってのぁ、おれが最も信頼を置いていた仲間たちが、おれを呼ぶときに使っていた名だ。だからてめえの命を預けるおまえさんにも、そう呼んで欲しい。あ~まあ、要するにだ。……同じくらい気に入っちまってるのさ」
その呼ばれ方も、目の前にいる銀竜の女も。新撰組と同じくらい。
蛇足だ。そんなことを口に出せるほど、侍って人種は素直じゃねえ。
動乱の時代。あの時代を共に駆けた新撰組の仲間たちを思い出しながら告げた言葉に、リリィは素直にうなずいてくれた。
嬉しそうに。
「わかりました、オキタ」
リリィがおれの手を両手で包み込み、自らの頬に寄せて微笑む。
「それでは……おやすみなさいませ、オキタ」
「ああ。おやすみ、リリィ」
そうしてしばらく――。
深夜にふと気づけば、枕代わりにされたおれの手は、涎塗れになっていた。
こんにゃろ~ぅ……。飲むぞ、てめえ……。
ドラ子の雑感
ああ、よかった~。
たぶんオキタは男も女もどっちも好きなんだ~。




