第四十三話 姓名
前回までのあらすじ!
リザードマンを怒らせた人斬り侍!
大ピンチだ!
逃げるおれたちの目前に、容赦なくリザードマンが立ちはだかる。
まるで蛇が鳴らす音のように、そいつは気合いの声を発して大曲剣を大きく薙いだ。
「シャァッ!!」
「ぬへあ!」
おれはとっさに受けて流す。
つばぜり合いは分が悪い。力にゃ自信がねえし、こんなどでけえ曲剣を振るうような輩を相手に力比べなんてやってらんねえ。
腹を蹴って突き放し、鉄矢を躱しながら膝裏を打ち据えて転ばせる。
すかさずリリィがそいつの足首つかんで振り回し、出鱈目にぶん投げた。
「それぇっ」
鉄矢が雨のごとく降り注ぎ、おれたちは必至で逃走する。
厄介だ。何よりも鉄矢が厄介なのだ。どうにも防げない上に、重すぎて軌道を逸らすことさえ難しい。
おれは駆け抜け様に目前の一体の首を横一文字に峰で打つ。
「カ……ッ!?」
大きな鱗が弾け飛び、背後に倒れ込もうとするそいつを足場にして跳躍、その背後にいたリザードマンの脳天をたたき割る勢いで打ち据える。
「すりゃァ!」
白目を剥いて首を縮めたそいつの腕をつかみ、リリィが力任せにぶん投げた。
「ぽ~いっ」
おれが打ち据えてリリィが投げる。おれが弱らせてリリィがぶん投げる。おれが転ばせてリリィがぽい捨てする。
あれ、なんだこれ? おれのがしんどい役割してねえかィ? 力だけじゃなく、体力にもまるっきり自信がねえってのによォ!
「マスターッ!!」
「むぁ!?」
気づけばおれの斜め上から、リザードマンが降ってきていた。
一体目の一撃を身を低くして身体を回転させ、躱す動作に連動させて膝頭を打ち上げる。
「イァ!」
「――ッ!?」
そいつは着地に失敗して後頭部から浅い渓流に落ち、跳ね上がり――それを確かめる間もなく二体目の兜割りを菊一文字則宗の刀身を滑らせることで逸らす。
「莫迦力め……ッ」
びりびりと腕が痺れた。
鉄矢といい大曲剣といい、こいつらの力は侮れない。
もっとも――。
「えいさっ」
気の抜けた声。
二体目の着地と同時にリリィが蜥蜴の脇腹を蹴って吹っ飛ばした。派手に転がったリザードマンが、数体を巻き込んで水柱を上げた。
――うちの嬢ほどじゃあないがねェ。
三体目、おれは蹴った体勢のままのリリィの肩を借りて跳躍、空中で迎撃する。
そいつは菊一文字則宗の一撃を大曲剣で受け止めようとして――おれはとっさに峰を刃に反す。
キンと微かな音を響かせ、大曲剣が根本から真っ二つに斬れて飛んだ。
「――ッ!?」
驚愕。たしかに驚愕の表情を浮かべた。蜥蜴人間が。目を見開いて。交叉してすり抜けておれに視線をやって。
だが、それは大いなる間違いだ。こいつは選択肢を誤った。おれなんかを見ている場合かい、蜥蜴さんよ。
「いらっしゃ~い――ませっ!」
三体目のリザードマンが両足を地面に付ける直前、リリィの左拳がこの腹部に突き刺さった。
「~~ッ!? オゴェ――ッ!」
さらに目を見開き、口から舌と涎を出して、肉体をくの字に折られたリザードマンが錐揉み状態となって右側の岩壁にぶち当たる。
半身を岩に埋め込まれ、血を吐いたリザードマンを見て、リリィが呟いた。
「あ、殺っちゃったかも……」
微かに岩壁が揺れたと思った直後、おれの目の前に大量のリザードマンがぼとぼとと降ってきた。そいつらはろくすっぽ受け身も取れず、頭から、背中から、腹から、次々と地面に落ちて悶絶している。
「あ……?」
おれは岩壁を見上げた。
そこには本物の蜥蜴よろしく、大量のリザードマンがべったりと貼り付いていた。
き、き、き、気持ち悪~ぅ……。
むろん、反対側の絶壁にもびっしりだ。
これ、逃げ切れるのか……?
迷う。刃を反すべきかどうか。皆殺しにしても良いのであれば、鉄矢は厄介だが地上の一団を全滅させるのはそれほど難しくはない。
悪人と断ずることはできないが、問答無用で襲いかかってきたならば斬られても文句はないだろう。
だが、こいつらには黑竜の情報がある。
うだうだ考えていると、絶壁に貼り付いていたリザードマンたちが一斉に飛び降りてきた。それも、おれたちに剣を向けつつではなく、真下にゆっくりとだ。
地に足を付けた蜥蜴人間どもは、一斉に大曲剣を鞘へと収めた。
殺気は嘘のように消えていた。
「……?」
「?」
わけがわからずリリィに視線をやると、リリィも首を左右に振った。
抜き身の菊一文字則宗を持ったまま呆然と立っていたおれの前に、一際大きな肉体を持つリザードマンの戦士が歩み出てきた。
顔が疵だらけで片目は潰れ、ところどころ鱗が剥がれている。だが、他の個体とは一線を画する威圧だ。
ああ、強えな、こいつ……。
臭いやがる。奪ってきた命の臭いだ。
鉄矢も他のリザードマンどもの存在も忘れなければ、負ける。
おれは菊一文字則宗の柄を両手で強く握りしめる。そうして腰を落とし、刃先を右斜め前方へと向けた。
天然理心流、平晴眼の構え。
だが――。
「……我らは剣を収めた。どうか貴公にもお収め願いたい。小さきものよ」
「そいつはできねえなァ。手前勝手に襲いかかってきた挙げ句に、今さら信用しろってのは、ちょいと都合が良すぎねえかい? 蜥蜴の旦那よ」
「それはもっともな話」
すらり、と大曲剣――違う。刃先の存在しない長方形の巨大な刃物を抜き放った。大鉈だ。
おれは息を呑んだ。
大曲剣どころの大きさではない。刃の側面は傷だらけで、散々使い込まれているのがわかる。粗雑ではあるが、伊達ではない。
そいつが大鉈を高く持ち上げた。
おれはつま先で大地をつかみ――。
「――ッ!?」
再び息を呑んだ。
意外なことに、そいつは躊躇うことなく自らの左腕へと刃を叩き下ろしたのだ。ずしゅっと鋭い音が響いた直後、ぼとりと丸太のような左腕が地面に落ちた。
血溜まりが急速に広がる。斬り落とされた腕からも、そいつの肩口からも。
唖然とするおれの前で大鉈を背中に収めると、そいつは何事もなかったかのように右手で足もとに転がっていた左腕を拾い、おれへと投げた。
受け止めたおれの羽織が真っ赤に染まる。
「それで手打ちにしてはもらえぬか?」
ぞくり、と背筋が騒いだ。
悪寒ではない。殺気を感じたからでもない。
己では御せぬほどに口角が上がるのが自覚できた。笑ったのだ、おれは。
こいつが好きになった。おかしな言い方をしちまえば、惚れちまったのさ。無自覚ながら武士道を持つこの蜥蜴人間に。
だから、おれは菊一文字則宗を鞘へと収めた。
「感謝する。小さきものよ」
興奮を圧し殺し、おれは尋ねる。
「おまえさん、名前は?」
「ギー・ガディア。ギーでいい」
「そうかい。おれはオキタソウジだ。どうかおぼえていてくれ、ギー」
敬意を表して、おれはリザードマンの戦士ギーへと静かに頭を下げる。
背後で存在をすっかり忘れていたリリィが、素っ頓狂な声を上げた。
「…………? ……えぇぇぇ~~~~~~っ!? ……わたしソウジとか聞いてないぃ~……」
あ……っ。
ドラ子の雑感
…………………………くすん…………。
 




