第四十二話 逃走
前回までのあらすじ!
なんか得体の知れん集団に囲まれたぞ!
左右は絶壁に囲まれてる。その上には逆光で見えない人影が多数。おれたちのいる渓谷を流れる渓流は、上流から下流までぎっしりの蜥蜴人間ども。
「……地の利がありません。竜化して飛び立ちますか……?」
まあ、それが無難だろう――が、リリィが竜化するのにかかる時間は、おおよそ呼吸三つ分。それだけありゃあ、おれなら確実に殺せる。たとえ悪鬼の一撃を側頭部で止める女であろうとも、殺せる自信がある。
蜥蜴人間どもがどれほどの腕かは知らんが、少なくとも絶壁上に立っている人影どもが魔術ではなく矢を放ってきた場合には、呼吸三つ分の猶予はないだろう。
逆光じゃあ、さすがにおれも確実には迎撃できる自信がない。己に向かいくる矢ならばともかく、リリィに向かう矢までは。
ましてやリリィは竜化の際に懸衣を光の粒子として散らす。銀髪と懸衣は銀竜の鱗を変じたものだと言っていたのだから、その瞬間にはリリィの肉体は思うより無防備になっているのかもしれない。
ライラ並みの腕があれば、その瞬間を狙い撃つことも可能だ。
むろん、すべてただの予想に過ぎない。だが、試してみるにはちょいと分が悪い。
せめて逆光を遮る雲の一つも出てりゃあなあ。い~い天気だよ、糞ったれ。
おれは肩をすくめて菊一文字則宗の柄から手を放した。
「やめとこう」
とりあえず。
おれはできるだけにこやかな笑みを浮かべ、片手を挙げて挨拶をしてみた。
「やあ。ええっと――はじめまして、蜥蜴人間ども。なかなか、その、……いいね、おまえさんたち。何考えてっか表情がまるでわかんねえのが実にいい。ああ、誤解すんなよ。もちろん、いい意味でだ」
渓谷を風が吹き抜けた。ちりりと首筋の毛が逆立つ。
ほんの少し怒らせちまったようだ。ほんの少し。少しだぞ。
「……獣人種のリザードマン族です。わからなければ訊いてください……」
ごもっともだ。すまん。
ライラの言っていた常闇の眷属か。装備や陣形からただの魔物ではないと思っていたが、秩序だって行動する知能があるのは不幸中の幸いか。
「おれはオキタだ。リザードマン族の代表は誰だい?」
ざわつくどころか微動だにしない。無反応だ。哀しくなるね。
おれは隣のリリィに小声で尋ねる。
「……言葉は通じるのか……?」
「……たぶん……?」
リザードマンどもは、ぎょろりとした目の縦長の瞳孔でこちらを見ている。
う~ん。顔が怖え。感情の変化がまるでわからないだけに。
物盗りの類なら、問答無用で襲いかかってきているはずだ。もしくはせいぜいが「腰の物と女を置いて去れ」とかいう、三品特有の台詞を吐いているか。
ちりちりと場が焦げ付く。
敵意を持っているのはたしかだ。じゃなきゃ臓腑がざわついたりはしない。
だが、地の利のない今、できれば殺り合いたくはない。
「おいおい、話し合おうって言ってんだ。ああ、そうだ。おれたちは黑竜を捜しているんだが、なんか知っていることがあったら教えてくれねえ……か……?」
どうにも。どうにも運が悪い。
どうやらおれは、虎の尾を踏んじまったようだ。
気づけばリザードマンどもは、凄まじい速度で地を這うように迫り――!
「……ッ」
反り返った巨大な剣を跳躍して避けると同時に、菊一文字則宗を抜刀していた。
「……しゃあねえ……ッ。リリィ、上流に向かう! 正面突破だ!」
「はいっ」
着地。ばしゃんと水音が響く。
背後から袈裟懸けに振られた大曲剣を身を傾けて躱し、リザードマンの鎧に包まれた腹を蹴り押す。
「邪魔だ!」
リザードマンが水中に倒れた直後、おれを追い抜いてリリィが走り出した。
心底、ブーツで良かったと思う。雪駄だったら、脱ぎ捨てねばまともに走れたもんじゃあない。
おれはリリィを追って走り出す。
リリィが走りながらリザードマンの大曲剣を懸衣の袖に包まれた腕で払い上げ、鎧の上から右の拳を打ち込んだ。
「たあっ」
気の抜けた声に反して重く鈍い音が響いた直後、胸当てを割られたリザードマンが凄まじい勢いで吹っ飛び、後方の数体を巻き込んで水柱を上げた。
おれは走りながらリリィの手を引っつかみ、額を押さえて呟く。
「加減しろよ~」
「あ、斬らないのです?」
「ああ」
黑竜という言葉に過剰反応を示した時点で、こいつらは何かを知っている。友好的とはいきそうにねえが、殺しちまっちゃあ情報を得るのが難しくなる。
力だ。圧倒的な力の差を見せつけて屈服させる。
直上で輝く太陽。絶壁に配置されたらしきリザードマンたちが走り出した。
風切り音――!
水しぶきを上げて走りながら、おれは菊一文字則宗を頭上に振った。
「――のやろ!」
火花と金属音が響き、則宗の刀身が震える。
「どはっ!?」
腕が勢いよく弾かれ、軌道をわずかに逸れた巨大な鉄矢がリリィの目の前、渓流の川底に水を跳ね上げながら深く突き刺さった。
「きゃあ! び、びび、びっくりしましたっ!」
「金属製の大矢だとォ!? 糞ったれ、足止めンなッ、リリィ!」
「は、はい! こ、これはさすがに銀竜体でなければ貫通されちゃいます!」
最悪だ。魔術のほうがまだましだぜ、畜生め。
突き刺さった大きな鉄矢を越えて渓流から上がり、川辺を走る。
前方リザードマンの大曲剣を同時にしゃがんで躱し、おれは刃を反して刀身の峰でその頸部を打ち据えながらすり抜ける。
倒れ込むリザードマンを右手一本でつかんで、リリィがまるで紙くずでも投げるかのように後方に迫り来ていた集団へとぶつけた。
「えいっ」
鎧同士のぶつかる凄まじい音が響いて、五体のリザードマンが川辺に転がった。だが、そいつらを踏み越えてすぐさま次の集団が迫る。
それに一瞬でも足を止めれば。
連続する風切り音――!
走る側から巨大な鉄矢が川辺に転がる岩をも砕いて次々と突き刺さる。
「だっはぁぁぁ~~~~~~っ! 拙い拙い拙いっ!」
「きゃあああぁぁぁぁ~~~~っ! 死んじゃう! 死んじゃう~っ!?」
走り、跳ね、打ち、躱し、殴り、投げ、また走り。涙出そう。
逆光でなければ鉄矢といえども逸らすなり斬るなりできるが、こいつは本格的に拙い。
出鱈目に刀身をあてたところで、先ほど同様に弾かれるのが関の山だ。下手をすりゃ、菊一文字則宗が弾き飛ばされる恐れもある。
ずどどどど、と地面を抉って鉄矢の着弾地点が近づいてくる。
「たはっ!? 走れ走れ走れ!」
「ひゃん! ひぃぃぃん! どいてくださぁ~い!」
側方から飛びかかってきたリザードマンが、リリィの体当たりを喰らって派手に吹っ飛んだ。だが、そいつを踏み越えて別のリザードマンが追いすがる。
常闇の眷属ってやつらはアラドニアなんかの光の眷属に押されているとばかりに思っていたが、もうわけがわからねえ。
ダークエルフといいリザードマンといい、こいつらか~なり厄介だ。
ドラ子の雑感
オキタに刺さらないように後ろ走ってあげなきゃ……!
つ、つ、尽くしますよ~!




