第三十五話 脱獄
前回までのあらすじ!
ぐだぐだ話長いぞ、ダークエル子!
退屈させてごめんね!
しばらく――。
やがて長い息を吐いたライラが口を開く。
「オキタ、とか言ったな。おまえ、アラドニアの軍用飛空挺がどうやって飛んでいるか知っているか?」
「大魔導機関だろ。魔素を吸収して推進力に変えているとかなんとか言っていたっけか。あんな重てえもんが、不思議だねェ」
ライラが嘲笑を浮かべた。
「はっ。魔素を吸収? あれほど巨大な魔導機関を動かすのに、自然界から溢れ出す魔素だけでどうにかなると思っているのか。ましてやその自然すら破壊して魔導技術を発展させてきたアラドニアが」
「まわりくどい言い方は好きじゃあないねェ。……いや」
リリィの言葉を思い出した。魔素は生物からも発生している、と。
そしてエルフ族は、人間が魔術を生み出すより以前から精霊魔術を扱っていた。それはつまり生み出される魔素の量は、他の種族とは比較にならないほどに多いということではないだろうか。
「――ダークエルフから搾り取っているのか? 軍用飛空挺のエネルギィを?」
「そうだ。あたしたちダークエルフ族は何千年も生きる不老種族だ。アラドニアの地下に未来永劫繋がれて、喉から栄養を流し込まれ、糞と魔素を垂れ流すだけのナニカにされちまってるんだ」
おれの腕をつかんでいたライラの手が、するりと滑り落ちた。長い両耳を垂らし、目もとを袖で拭う。
惨めにすすり泣く声だけが、夜に響いていた。
気づけばおれは、奪い取った矢をライラの首筋から下ろしていた。
なんでこんなことをしちまったのか、今以て不明だ。他者に命を預ける行為など、愚か者のすべきことだと、嫌と言うほどにわかっていたはずなのだが。
けれどもライラがおれたちに対し、再び殺気を放つことはなかった。
おれは感情を圧し殺し、低い声で囁く。
「おれたちをここから出せ、ライラ。そうすりゃアラドニアの軍用飛空挺をすべて叩き斬ってきてやる」
格子にかけられた魔術を掻き消すことくらい容易いはずだ。なぜならライラは、たった一人で迷いの森全土に魔術をかけていたほどの精霊魔術師なのだから。
涙に濡れた瞳を歪ませ、ライラが叫んだ。
「できるわけないだろっ! もうアラドニアに対抗できる勢力なんて、“世界喰い”しかいない! あいつがアラドニアに現れるのを待つ以外にないんだ!」
「でも、それでは囚われのダークエルフ族は救われませんね。たとえアラドニアが滅んでも、根こそぎ魔素を奪われて黑竜病の喀血で死に至るだけです」
ふと気づくと、リリィが身を起こして正座をしていた。
ライラが格子を両手でつかみ、額をあてる。
ひでえ顔だった。屈辱と悔恨、恥辱と憎悪をそのまんま表情にしたような顔だ。
「それでも、もうあたしらは“世界喰い”に頼るしかないんだッ。あんな状態のまま生かされているくらいなら、いっそのことアラドニアごと――ッ」
おれは手に持っていた矢を格子の外へと投げ捨てる。
「へっ、腰抜けの阿呆が。“世界喰い”なんぞに頼るなよ。あんなもんはよ、操ろうったって操れるもんじゃあねえ。災害みてえなもんだ。それこそ、黒の石盤遺跡とやらから生まれた魔術以上に厄介なもんだ」
「だったら、どうすりゃいいんだよ……」
ライラのか細く震える声に、おれは歪な笑みで返す。
「ここにゃあ伝わってねえかい? 先日、アラドニアの軍用飛空挺が東の地で墜とされたって話はよ」
ライラが眉を歪めた。
「謎の竜騎兵の話なら届いている。どうせ竜騎国家セレスティのワイバーン乗りがやったことだろ。けど、あいつらじゃだめだ。軍用飛空挺を一機墜とすのに、ワイバーン乗りが何十人も殺されて、今じゃアラドニアの蛮行にもだんまりだ。自国を防衛するときじゃなきゃ竜騎兵だって出てこない」
「知らねえよ、そんなやつら。おれだよ、おれ。おれとリリィが墜としたんだっての」
一人と、一体で。
「そんなこと信じられるか――ッ!」
「……まあ、ふつうはそうだろうねェ」
おれはリリィと視線を合わせて眉根を寄せた。
リリィが空色の瞳をライラへと向ける。
「オキタの胡散臭い話の真偽はさておき、ライラはこのままで良いのですか?」
「胡散臭いってなんだ。おまえも当事者だろうが」
「うるさいです、マスター」
うん。もう慣れた。この扱い。
ライラがリリィを睨む。
「あたしだってこのままでいいだなんて思ってないッ! でも、軍用飛空挺を相手に何ができるッ?」
「力が欲しくばご自身を磨けばいいと思いますよ。空を飛べなければ竜を従えればいいだけのことです。やれることはいくらでもあるのでは?」
ライラが絶句した。
正論で諭されたり図星を突かれた人間ってのは、どいつもこいつもこんな顔をしやがる。
それにしてもリリィのやつ、名もなき国の宿屋でも思ったことだが、ずけずけと厳しいことを言うもんだ。ライラに同情するね、おれは。
「……あたしがここを出ることを、ハイエルフたちはゆるさない。隠れ集落の場所が人間たちに漏れることを、あいつらは恐れているから」
「わたしとオキタならば、あなたを外の世界まで連れ出せます。格子にかけられた魔術を解いてくれれば、ですが」
拳を握りしめたライラが、格子を強く叩いた。
ぎしり、と格子が軋む。
「……本当か? 失敗したら、ハイエルフたちに殺されるぞ。あたしが牢の魔術を解除した瞬間に、この牢に術をかけたハイエルフには脱獄がばれる。失敗はゆるされない」
「ぐだぐだとめんどくせえやつだ。威勢だけなら死ぬまで座って泣いてろ」
おれが外連味たっぷりに挑発すると、ライラが初めて笑顔をおれへと向けた。黒髪を揺らし、瞳を細め、口角を上げて。
「バァ~カ。さっさと出ろよ。術なんてもう解いてる」
おれはリリィと顔を見合わせて、同時に相好を崩した。
笑えたね。笑えた。さっき格子を殴ったときか。覚悟なんざ、こいつの中ではもうとっくの昔に出来上がってたってことさ。
「へっ、上等だ。――リリィ」
「はい」
リリィが格子に右手をかけて、まるで引き戸でも引くかのように薙ぎ払った。まるで楊枝でも折るかのように、パキパキと格子が折れて吹っ飛ぶ。
リリィが牢の大樹へ踏み出したことを見計らってから、おれも折れた格子をくぐった。
「ライラ、菊一文字則宗はどこにある?」
「キクイチ……キクチ……ノリスケ?」
誰だそれ。
「違ぁ~う! 則宗! 刀だ、刀! おれの刀!」
「カ……タナ……?」
ああ、そうか。文化の違いってやつぁめんどくせえな。
リリィやライラにおれが散々莫迦にされた理由が、なんとなくわかった気がした。
「剣だよ、剣! 早く言え!」
「あ、ああ。あの金属器のことなら、ハイエルフの長、エトワール公が持ち帰ったが……」
「案内しろ。奪還する」
森の集落のあちこちに、炎とは違う白の光が次々と灯ったのはこの瞬間だった。
ドラ子の雑感
まるで眠っていなかったかのように自然に会話復帰!
うふふ、これぞできる女っ。




