第二十一話 食卓
前回までのあらすじ!
オキタはメイド好き!
オキタはメイド好きッ!!
扉を叩く音がしたあと、アリッサが車輪のついた台を押しておれたちの部屋に入ってきた。
「あれまあ。ずいぶん早いね」
「あ、ご迷惑でしたか? もう少し時間を遅らせますか?」
おれは大あわてで首を左右に振った。
「とんでもねえ。むしろもう、むしゃぶりつきてえくらいだ」
「あはっ、よかったっ」
アリッサは長脚の卓に湯気の立つ料理の皿を次々と並べながら笑顔を浮かべた。
「早いですが、まだ温かいのでご安心くださいね。アラドニア兵たちは注文をしませんから、途切れないように出し続けるにはあらかじめ料理を作り続けるしかないんです。だから作り置きが多くって」
「そりゃまためんどくせえやつらだねェ」
「それで、なのですが――」
アリッサがキュっと瞳を閉じて、神仏に祈るように両手を胸の前で合わせた。
「わたしもここで食べさせてもらえないでしょうかっ」
おれは女と視線を交えてから呟く。
「おれたちゃかまわねえが……」
「どうかいたしましたか?」
女が尋ねると、アリッサがぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございますっ。父が、酔っ払ったアラドニア兵の前にはあまり姿を見せないほうがいいと……ね?」
少し頬を赤らめて、アリッサが苦笑いを浮かべた。
彼女の口から事情を説明させるには、まだ年若過ぎるようだ。だが、食堂にいた集落民らしき女とアラドニア兵の関係を見ていればわかる。門番の話では、アラドニア兵には逆らってはならないらしい。
「断れば国際問題に発展する恐れがあるからですか?」
女が尋ねると、アリッサが小さくうなずいた。
「この国はまだできたばかりで小さな国ですから。アラドニアのような魔導技術の発展した軍事国家に逆らったら簡単に潰されてしまうって、大人たちはみんな言っています」
「珍しくもねえやな。戦乱の世じゃよくある話だ」
「この国に魔術師はいないのですか?」
女の質問に、アリッサがわずかに口籠もった。
その様子に、女が微笑む。
「ご安心ください。わたしたちは魔術師ではありませんから」
「……あ、はい。えっと、もともとこの国を開拓し始めた理由が、魔術師による支配から逃れるのが目的だったそうです」
「アラドニアとかいう国を受け入れりゃ、結局は魔術師に支配されんじゃねえの?」
「オキタ……」
おれの軽口に、女が怖い顔をした。アリッサがあわてて口を開く。
「そうならないように交渉してみるらしいです。それまではできる限り穏便にって」
無駄だと思うがね、そう言いかけてやめた。おれにゃ関係のない話だ。
長脚の卓に備え付けだった椅子を引き、着席する。
続いて女が、最後に皿を並べ終えたアリッサが、踏み台のようなものを部屋の隅から持ってきて腰を下ろした。
「んじゃ、いただきます」
ぱん、と手を合わせたおれに習うように、女とアリッサが合掌する。
「いただきます」
「いただきま~す」
獣の骨付き肉を手に取ってかぶりつく。瞬間的に口内に広がる溶けた脂の香りが、香草の匂いと相まって鼻から抜けた。
「……ああ、うめえ」
「よかった! 父が作った子鹿の香草焼きです! 奥さんもどうぞ?」
「はい」
よどみのない言葉と返事だった。
思わずおれが笑っちまったくらいだ。どうやらアリッサの目からは、おれたちは夫婦に見えるらしい。
女は麦餅を手に取ると、指先で小さく千切った。切れ目から湯気とともに、焼けた麦の匂いがふうわりと広がる。
ごくり。女の喉が動いた。
女が唇の隙間に麦餅を押し込む。何度か口を動かして――口角を引き上げ、幸せそうに瞳を細めた。
「ん~~~~~~っ」
だらしのない表情だ。だが、いっそ清々しい気分になる。
おれの視線に気づいたとたん、はっと表情が真顔に戻った。
おれは顔を背けて笑った。
「アリッサさん。おいしいです、このパン」
「わっ、嬉しい! パンはわたしが焼いたの! バターたっぷりですよ!」
そう言ってから、アリッサがようやく食いもんに手を伸ばし始めた。
パン。麦餅じゃねえのか。それとも、ここは異国だ。麦餅と製法はほとんど同じで、呼び名が違うだけか。
編まれた籠に積まれていたパンに手を伸ばす。
蒸し上げと焼き上げの違いはあっても、やはりどう見ても麦餅だ。どうやらこの国ではパンと呼ぶらしい。
おれはパンを口に運んで食い千切った。
「ほう、うめえもんだ」
「えへへ、ありがとうございます!」
呼び名なんて細けえことはどうでもよくなるくらい、うまい。
おれは生野菜の盛られた皿に手を伸ばす。生野菜なんざ江戸じゃそうそう食ったこともなかったが、この分だと期待できそうだ。
「オキタ」
「ん?」
女がおれの名を呼んだ。珍しいことだ。アリッサに本当の関係性をばらさないためだろう。
「サラダにはフォークをお使いください」
女が木製の小さな三つ叉矛をおれへと差し出す。できれば箸が欲しいところだが、異国で文化の違いを口にしたところで意味なんざない。そのうち木でも削って作るか。
おれはフォークとやらを受け取って、皿に盛られた生野菜に突き立てた。何かしらの味つけがあるようで、どす黒い液体が滴っている。醤油だろうか。
口に押し込んでみると、生の野菜もそう悪くないものだと思えた。ちなみに黒い液体は醤油ではなく、甘辛く、そして酸っぱい、口にしたこともない味がした。
しばらくの後、おれたちの前にはすっかり空になった皿が並んでいた。
「ふぃ~……ごっそーさん」
「ご馳走様でした。とてもおいしかったです、アリッサさん」
アリッサが皿を重ねながら、ぐでっと椅子の背もたれに身を預けたおれを見て笑った。
「ふふ、お粗末様です。わたしのことはアリッサでいいですよ。――あ、お風呂は建物の裏手のほうに温泉がありますが……」
「アラドニア兵が使ってるから、時間をずらしたほうがいいってんだろ? おれたちゃ朝にでも入るさ」
大あくびをして手を振ると、アリッサがすまなさそうに「ごめんなさい」と呟いた。
「おまえさんが謝るこっちゃない。しっかしめんどくせえやつらだな。アラドニア兵はいつまでここにいるんだい?」
「彼らは斥候だそうです。本体は一〇〇人規模からなる軍用飛空挺で、二日後にやってくるそうです。……どうやらこの国の存在を知らなかったようで……」
「つまりは、この国がアラドニアにとって敵性国家かどうかを見極めるために軍隊を派遣したってことか」
「はい……。アラドニアは、この地はもともと自国領だったと言っているのです」
女が眉をひそめた。
「どう見ても手つかずの森に見えます」
「難癖つけて、食料や物資を徴収すんのが目的だろ。よくある話だ。くっだらねえな。アラドニアって国も、それに巻かれて偽りの平穏を享受しようとしているこの国も」
「オキタ……! ――申し訳ありません、アリッサ」
女がおれを睨む。気づけばアリッサは苦笑いを浮かべてしまっていた。
「ううん。その通りだと思います。――それでは、わたしはこれで失礼しますね。何かありましたらいつでもお声がけください」
アリッサはそう言ってエプロンドレスの裾を指先でつまむと、膝を曲げて頭を下げた。そうして来たときと同じように車輪のついた台を押し、空になった皿を運んでいった。
事件が起こったのは、その日の深夜のことだ。
ドラ子の雑感
……こ、この部屋……ベッドが一つしかありませんが……っ!?
どきどき……。




