第十五話 腹ぁ減った
前回までのあらすじ!
ドラ子の舌技に侍は昇天寸前だ!
一通り、この大陸の基礎知識を叩き込んだところで、おれの内臓が飢餓によるみっともない呻き声を上げた。
どうやらようやく、身体の内側にも銀竜の血液とやらが行き届いたらしい。散々弱っていた胃袋が、数年ぶりに活発に動いてやがる。
腹が減る感覚は、久しい。病床の身では、飯なんざ死なねえ程度に流し込むものだったのだが。
女の視線がおれの腹へと向けられる。
「お腹が空きましたか?」
「どうもそうらしいねェ。何か食べるものを分けてもらえると嬉しいんだが」
女が正座をしたまま両手を大きく広げた。
長い振り袖が地面を擦るが、やはり汚れはつかなかった。魔素ってのは存外に便利だ。
「岩か砂か雪でしたらいくらでもどうぞ」
「おまえさん……」
「冗談です」
真顔なんだよ、真顔。
「申し訳ありません。人間が食料とするものは、この山には何もありません」
そういやここは死の山脈だったか。
「おまえさんは何を食ってんだい?」
人差し指を頬にあて、女が少し考える素振りを見せた。
「……銀竜がその気になれば、なんでも食べられます」
「岩や砂や雪も?」
端正に整った顔が、わずかに引き攣った。その後、ゆっくりと首を左右に振りながら口もとだけに笑みを貼り付けた。
「無機物に栄養があるとでも思っているのだとしたら、マスターの頭は相当――ふふ」
「途中で言葉を切るな。冗談を冗談で返しただけだろうがよ」
不満を呟くと、女はしれっと真顔に戻った。
「わかってます。まあ、雪を食べることは稀にありますが、ほとんどは動植物です」
「こんな山奥に住んでるのに貯蔵はねえのかい」
「ありません。最後に食事をしたのは、もう一〇〇年も前のことですから」
冗談だよな、これ。
「銀竜に限らず、古竜族には本来、食事は必要ありません。大地から溢れ出る魔素を吸収して栄養分へと変換できますので」
「そうかい。そいつぁ、つまんねえやつらだな」
からかったつもりだった。だが女は神妙な表情で同意する。
「わたしもそう思います。できることならおいしいものを食べたいですから。栄養分としてではなく、楽しみの一つとして」
そうして最後に付け加える。
「人間である母にそれを教わりました。母の作る食事はとてもおいしかった。焼きたてのパンに猪肉のシチュー。炊きたてのご飯にふわふわの卵焼き。焼き魚の焦げ目や少し火の通りを甘くした獣肉。刺激的な香辛料や甘い果実はソースにして――あぁ~……」
細めた視線を丸天井で彷徨わせ、銀竜の娘が人差し指を唇にあてて蕩けた表情をした。
その面を拝んでるだけで腹が減りそうだ。
「わかった、わかったから」
「……はっ!? ぅじゅる……」
わずかに輝いた唇の端をあわてて拭い、女は再び表情を引き締める。
「要するにだ。本来、竜に食事の必要はねえが、食べられるものなら食べたいってことだよな?」
「さようでございます」
なんだ、その小馬鹿にしたような返事は。
「母が言っていました。食事というものは、一人で取るより皆で取ると味が数段上がるものであると。もしもマスターが食事をなさるおつもりでしたら、不肖このわたし、本来であるならば食事を必要としない銀竜ではありますが、お付き合いするも吝かではございません。どうしてもと仰るなら、命令なさいませ」
おれは腕組みをして女を見やる。
また涎が垂れてやがる。
もしかしたらこの女は、母の遺体を守るという盟約のせいで、翼はあれどもあまり遠くまでは飛んで行けなかったのかもしれない。
考えてみりゃ哀れなもんだ。
「とりあえず腹も減ったし人里に下りるか」
「マスターがそう仰るのであれば仕方がありませんね。さあ、いつまで座しておられるのですか。行きますよ。早く」
待ちきれないとばかりに立ち上がり、女はすたすたと洞穴の入口へと歩を進めた。おれは居心地のよい岩肌を離れて、その後に続く。
洞穴から出ると、女が振り返った。
「竜化しますので、わたしの背にのってください」
「ちょっと待て。竜ってのはこの世界にゃ山ほどいるのか?」
唇を歪めて、女があきれたようなため息をついた。
「ワイバーンなどの亜竜でしたら沢山いますが、銀竜や黄金竜、青竜、赤竜などの古竜ともなれば、ヒトはその一生に一度遭遇できれば幸運でしょう」
「……歩こう」
女が首を傾げる。
「……あ……」
パッと表情に花が咲いた。
「もしかしてマスターは女に乗るのがお嫌いな方ですか!? 殿方のほうがお好みなのでしょうか!? こ、これはあくまでも参考までになのですが、これまでマスターがお付き合いされた殿方のことを事細かに――!」
「男色の気はねえ。目ぇ輝かせて何を口走ってやがる」
勘弁してくれ。女がこの手の話題を好むのは、世界共通なのか。
「そんなことより、銀竜の姿を誰かに見られたら、血液を狙って厄介なことが起こる恐れがあるんじゃねえのかい? 銀竜族の最後の生き残りなんだろう?」
「あ……ぅ……」
視線を彷徨わせ、大きな胸もとで右手を拳にしてから上目遣いで尋ねる。
「わ、わたしのためですか……?」
「半分はな。残り半分はおれ自身のためだ。おまえさんがいなくなると困る」
我ながら誤解を与えかねない言い方だ。正確にはおまえの血が、と言い直そうとして、やめた。そのほうがみっともねえ。
「あ、はい……」
女が視線を逸らすと、急に照れ臭くなっておれも空に視線を逃がした。
鳥の一羽も飛んでいねえ、曇天から雪がちらついているだけの、おもしろくもねえ鉛色の空だった。
「あ、あの。それではマスター、ルナイス山脈を出るまで、その――わ、わたしの上に……お乗りください……。――ふあぁっ!!」
その言い方よ……。
「わ、わたし……えと、……殿方を騎乗させるのは、な、な、なにぶん初めてのことですので、不手際がございましたらご指摘くださいませっ。うぅ~……っ」
視線を戻すと、女は長い銀髪の左右の横髪をつかみ、己の顔を隠すようにして視線だけをおれへと向けていた。
なんともこりゃあ、ずいぶんとまたかわいらしくなっちまったもんだ。
ドラ子の雑感
やだ……このどろぼー、やさしい……。




