第百二十六話 悪
前回までのあらすじ!
一騎打ちを続ける狂王の口から、黑竜という言葉が飛び出した。
響かねえ。その口から吐き出された言葉が、たとえ人類の敵である黑竜であろうとも。
穴の空いた腹部を蹴られ、おれは血液を撒き散らしながら数歩後退した。不思議と痛みはなく、じんとした痺れだけだ。
すぐさま地を蹴り、おれはラヴロフの頸へと刃を払った。
「シッ!」
黒の刃で受け止めたラヴロフの胸部を、おれは刀の柄尻で抉る。鈍い音が響き、顔をしかめたラヴロフが黒の剣を持ち上げた。
「ゼァ!」
振り下ろしを刃を滑らせることで去なし、足を蹴りで払う。だが、身をひねりながらの跳躍でそれを躱したラヴロフが、おれの頸へと黒の刃を振るった。
ぎぃんと金属音が鳴り響き、おれたちは再び鍔迫り合いとなる。
「人を喰らい、動物を喰らい、樹木を喰らい、魔物を喰らい、土壌を喰らい、忌まわしき瘴気を振りまく化け物――否、災厄に等しいッ!」
「……ッ」
弾き、すぐさま頸を目掛けて一本突きを放つ。
皮膚一枚でそいつを躱したラヴロフは、舌打ちをして黒の刃を深く引いた。
「カァ――ッ!」
黒の刃にまとわりつく緑の風。とっさに後退して距離を取ったおれへと、まるで届かぬ距離でラヴロフが刃を薙いだ。
「~~ッ!?」
三日月形の緑の風が高速で迫る――!
魔術。そう認識した瞬間には、おれは限界まで身を逸らせて後方へと転がっていた。穴の空いた腹を掠め、羽織の一部を斬り飛ばしながら、三日月の刃が空中を流れてゆく。
生首の収められたいくつもの容器を中身ごと次々と斬り裂いて、三日月の刃は壁を抉って消滅した。
とっさに躱せたのは、おれが斬撃疾ばしの使い手だからだ。
「愛してたんじゃあねえのかい。てめえで殺してりゃ世話もねえ」
「もういい。犠牲を払わずして、おまえを殺せるとは思っていない。首どもの代わりならばそこの竜の娘を使えばいいだけのこと。古竜種の魔素含有量は無尽蔵だ。それに、近隣諸国にはまだまだ資源がいくらでもいる」
リリィの首を想像し、四肢を曲げられたメルの弟妹を思い出し、おれの手の中で菊一文字則宗の柄がぎしりと鳴った。
どこまで……こいつは……!
消えかけの命に炎が灯る。そいつは小さな小さな火だ。
だが、たしかな炎。太陽のように輝き、溶岩よりも熱い炎だ。
「人間は汚い。汚いのだ、オキタ。つまらぬ欲を満たすために同族を売るやつなど、無数にいる。そのくせ、己の命はすがって乞う。実に醜い」
噎せ返るような血の臭いに、転がる生首。
「それでも、俺は人間を愛している」
ラヴロフが割れた容器や裂けた生首を一瞥して、表情を歪める。
哀しげに。寂しげに。
そいつがひどく気色悪いと感じた。
「七英雄はもういない。今ここで俺を殺せば――今ここで魔導文明を滅ぼせば、人類は黑竜に抗う術を失うぞ、オキタ」
おれはかまわず、ラヴロフへと再び距離を詰めた。
「魔導文明の発祥地であるこの国は、三〇〇隻をこえる軍用飛空挺を保有している。一隻一隻が古竜をも超越する戦闘能力を秘めている。――異種族連合のあった二〇〇年前とは違う! 俺ならば、黑竜に打ち勝つことができる!!」
腹の血を片手ですくい取ってやつの目へと投げかけ、躱す方向へと刃を振るう。菊一文字則宗の切っ先がラヴロフの鼻先を捉え、一筋の線を引いた。
浅い。
「必要ねえ。おれが殺す。てめえも、黑竜も」
「この愚か者め! なぜわからん!」
再び緑の風を巻いた黒の刃に、おれはほとんど反射的に地を蹴っていた。
「アアアアァァァァァッ!!」
連撃。およそ出鱈目だ。
ラヴロフはおれへと向けて、何度も何度も剣を振った。そのたび三日月の刃が発生し、おれは地を蹴り壁を蹴り、容器を蹴散らして避け続けた。
刃は容器を断ち、柱を断ち、壁を抉って消滅する。
「死ね死ね死ね死ね死ねェェッ!」
腕を掠めても、頬を掠めても、耳が裂けても、痛みは感じなかった。
おれももう、あまり長くはないと、直感が物語る。
どこかを蹴るたびに腹からはぶしぶしと血が噴き出し、飛び回れば飛び回るほどに痛覚は薄れてゆく。視界もずいぶんと狭くなっちまった。
だがそれはやつも同じだ。魔術の刃を放つたび、足もとの血溜まりを広げている。
おれは放たれた三日月の刃をかいくぐり、地を蹴り、体捌きで躱して菊一文字則宗の斬撃を打ち込む。
「アァ――ッ!」
「オオオオッ!」
命と命がぶつかり合う――!
一際大きな金属音が鳴り響き、飛び散った血が中空で混ざり合った。
「黑竜を討つためだけにッ、俺がこれまでどれほどの犠牲を払ってきたと――ッ!」
「響かねえ。てめえの言葉は。――何一つ、おれに響かねえッ!」
弾けて後退する。また少し、黒の刃が欠けた。否。ひび割れた。
ラヴロフの視線が一瞬下がった。刃の欠けた剣へと。
「く、ぐ……っ、黒の石盤遺跡より削り取りし刃だぞ、これは……! おまえは――おまえはその一振りの剣だけで、魔導文明をも断ち斬るとでもいうつもりかァーーーーーーーーーッ!!」
ちりっと空気が焦げた。
おれはとっさに頭を下げて地を蹴る。
「魔導文明は人々を幸福に導く力だ! このようなところで消滅させてはならない! いかなる犠牲を払おうとも!」
直後、背後で爆発が起こった。それは生首を収めた容器を粉砕し、おれの全身を炎の渦に呑み込んで、リリィの身体を大きく吹っ飛ばした。
ラヴロフはかなぐり捨てたのさ。おれを殺すためだけに、これまで築き上げたものを犠牲にした。形振り構わず魔術を使い始めた。愛する生首どもを灼いてでも。
「人々の幸福を砕く悪はおまえだ、オキタ! ふは、ははは……はーっはっはっはっは!」
が――。
おれは全身に火を宿しながら炎の渦から飛び出し、獣となって真正面からラヴロフへと疾走する。
これが正真正銘、おれの最期の一撃だ。
ラヴロフが下段に黒の剣をかまえ、刃に風を巻き付けた。気づけばおれの片目は、もう見えていなかった。
足で避ければ距離感に狂いが生じる。
おれが殺られりゃ、こいつはリリィからエリクシルを採取し、生き返る。さらなる惨劇を生み出し続ける。
させねえ――!
「さらばだ、悪党よ!」
「ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
ほんの一瞬、視界の端にリリィが見えた。そいつは偶然だった。
だが、おれは救われた気分だった。笑えたね。笑えたよ。歪まず、まっすぐに。
倒れ伏し、目を閉じ、息をしているかもわからねえ。リリィはそんな状態なのに、おれは今を忘れて安堵したんだ。
無限に思える時間だった。未来を垣間見た気がした。
おれは――……。
三日月の刃が飛来する。まっすぐに走るおれの腹へと。
足では避けない。身体を傾け、脇腹を深く抉らせ。
「……ッ」
間合いへと、踏み込んで。
「お見通しだ」
嗤うラヴロフが、おれへと黒の刃を振り下ろした。
そいつぁこっちの台詞さ。
左肩から侵入しようとする黒の刃を、左腕で受ける。ずぷり、と肉が裂かれ、骨にあたった瞬間、おれは左腕を強引に左方へ払い除けた。
「――!?」
そいつは、おれが左腕の肘から先を失うと同時、そして、黒の刃がおれの左半身からわずかに逸れたと同時だった。
右手一本で振るった菊一文字則宗の刃は、ラヴロフの胴を横一文字に断っていた。
――おれは、生きるよ。
狂王、崩れる。
大量の血液を噴出させながら、脇腹から上をずるりとずらして。
最初に折れたのは足だ。両足の関節が折れ曲がり、断たれた上半身が血溜まりの中へと落ちた。
やつは左腕を失ったおれを睨み付ける。
「……く……くく……。……悪が……悪を断つ……か……」
おれはふらつく足取りで左腕を拾い上げ、懐から小瓶を取り出した。指先で栓を抜き、一息に煽る。
右手で左腕を接合し、倒れ伏したままのリリィのそばでようやく膝を折った。
「てめえと交わす言葉なんざ、持ち合わせちゃいねえ」
エリクシルの効果はすぐに現れた。視界はほとんどなくとも、己の肉体から白煙が立ち上っているのがわかる。だが、正直なところ微妙だ。
目がほぼ見えねえ。絶対的に血が足りてねえんだ。
エリクシルは欠損を治す際に、他の組織から血肉を使用し補完する。つまり、血が足りてねえ今のおれにとっちゃあ、万能薬どころか毒薬になる可能性もある。
だが、どのみちこのままでは死ぬ。だから、こいつは賭けだ。
「……ならば……聞け……。……最期に……一つ……言葉を……遺してやる……」
おれはリリィの隣に寝そべり、外れそうな左手じゃあなく、右腕で銀色の頭を掻き抱いた。
一人と一体が、生きて目を覚ますことを祈りながら。
「……は……知っているぞ……。……知っているのだ……。……この国に住む……一千万の民は……」
瞳を閉じる。
「……このはじまりの研究所で……何が行われていたかを……知った上で……、……彼ら……は……アラドニアの民であることを……願っ……た……。……少数の……犠牲の上に成り立つ……利便性と……知った上で……魔導文明を……進化……させて……きた……。……俺は……、……そ……れを……見て……きた……」
「黙れ」
反応などする気もなかったというのに、自然と口が動いた。
「…………醜悪だ……人間の……本質は……。……おま……え……は……、……一千万の……民を……斬れ……る…………の……か……?」
「黙れッ!」
「……ふ……ふは……はっ……、……おま……えは……、……きっと……俺と……同じ……選択を…………す………………る…………。……人間に……失望しろ……そして……世界に……絶望しろ……、……は……はは……は…………………………」
「黙れぇぇーーーーーーーーッ!!」
声が、途切れた。
首を回すも億劫で、おれは――おれは、涙を流し震えていた。
もう……やめてくれ……。
誰か……助けてくれ……。
この旅を……終わらせてくれ……。
ドラ子の雑感
……