第百二十五話 絶叫
前回までのあらすじ!
人斬り侍とアラドニア王の一騎打ちが開始された。
血塗られた羽織を翻し、おれは着地と同時に後方へと滑る。
「ぐ……ッく」
おれの剣術を、ああもあっさりと――!
ラヴロフが枯れ葉色の前髪を掻き上げて、虚ろな侮蔑を浮かべた。
「愛するもの同士の別れの時だ。おまえは無粋だな、オキタ」
そうしてラヴロフは抱えていた生首の髪をつかみ、無造作に投げ捨てた。どん、と音がして、ダークエルフの生首が床に転がる。
心臓の脈動が激しく変化し、おれは頭に上った血を下げるために言葉を吐いた。
「なぜそんなことができる……ッ!」
「別れは済んだ」
足もとを掬い上げるように斬り上げた白刃が、斬り下げの黒刃とぶつかり合って弾ける。散った火花が消えるよりも早く、ラヴロフがおれの頬を蹴った。
「……ッぐ」
追撃の突きを菊一文字則宗の刃を滑らせることでかろうじて逸らす。
キィィィと金属同士の擦れる音が火花とともに響く。おれは下がらず、刃を滑らせながら踏み込むと同時に強引に刃を斬り下げた。
切っ先がラヴロフの額を掠め、一筋の赤い雫が青白い肌を伝う。
直後、互いに弾けて後退した。おれはリリィの近くへ、やつは生首にされちまったライラの妹、カッツェの近くに。
「……ッ」
切り傷の上から蹴られた頬に、じんとした痛みが走ったのはその後だ。
痛む頬を、伝う血汗を、手の甲で拭う。
額を割ってやったのに、ラヴロフは顔色一つ変えちゃいねえ。
技量は互角。速さも互角。笑えることに力まで互角だ。やつは非力。でなければ菊一文字則宗の刃と黒の剣がぶつかり合ったとき、剣速技量が互角であれば、互いに弾けるなんてことにはならねえ。
嫌になる。心底だ。いつもの高揚感もない。
まるで己自身と戦っているみてえだ。あんな悪党ですらない、腐れ外道なんざと。
からり、からり。黒の剣先を引きずって、やつがおれたちに向けて歩き出す。
「オキ……タ……」
ぼたぼたとエリクシルをこぼし、リリィが床に手をついて立ち上がろうとしていた。おれは切っ先をラヴロフに向けたまま、リリィの背中を片手で押さえつける。
リリィの腕が折れて、うつ伏せに倒れ込んだ。
「……寝てろ」
懸衣の赤はすでに濡れそぼっている。相当な出血量だ。
「この莫迦が。おまえは血の一滴までおれのもんだっつったろうがよ。無駄にだらだら垂れ流しやがって」
「……あは……」
リリィの傷口から流れてんのぁ銀竜の血だ。それでも傷口が塞がってねえ理由なんざ、考えるまでもなく明白。
縛って止血だけでもしてえが、そんな暇すらねえ。
早く。一瞬でも早くやつを殺さなければ。
「リリィ。おれが負けるまで、くたばんじゃねえぞ」
ラヴロフが剣を引きずる音と、リリィの呼吸だけが静かな地下に響いていた。
「……あなたが……負けたら……もう……がんばら……なくても……いいですか……?」
耳を疑った。そんな言葉がリリィから出るだなどと、思ってもみなかった。
死を、間近に感じていやがる。
おれは歯がみしてから深い呼吸を吐き、意識的に表情を弛めて歪んだ笑みを浮かべる。
「かかっ! 負けねえんだなァ、これがっ! だからこうして無様に生きてるっ!」
「……ひどい……」
「そうさ。ひでえ男だ。散々殺しておいてよ。時代を超えて、海を越えて、竜の背にのって、……まだ生きてる……ッ」
震えるな、声。
「……おまえのおかげで、こうして生きてる……。……まだ、未来を見ることができる……ッ」
白く染まったリリィの唇の端が、微かに持ち上がる。
「……泣か……ないで……」
こんな顔をした知り合いを、あの時代に何度も何人も見てきた。どいつもこいつも、嘘つきだ。みんな、おれが勝つまでに逝っちまいやがった。
友は誰も待ってなんてくれなかった。先に逝った。手の届かぬところへ逝った。
だが、リリィは銀竜。人間じゃあない。まだ可能性がある。こんなところで死なせてたまるか。
おれはリリィを庇うように立ち、剣先をラヴロフへと向けた。
ラヴロフが歩みを止め、静かに口を開く。
「そこをどけ、オキタ。女の首に、傷が付く」
「巫山――ッ!!」
十数歩の距離を一蹴りだ。おれは一蹴りで、ラヴロフの首を捉えていた。
「――ッ!?」
弾ける。黒の剣閃と銀の剣閃がぶつかり合い、またしても弾けた。
だが、変わる。ラヴロフの表情が。困惑へと。
ほんの少し。毛先ほどながら、黒の刃が欠けて。
「バカな。この剣が、この男が、黒の石盤遺跡を砕くというのか……」
「……リリィの首はてめえのもんじゃねえ……ッ。魔素を生み出す絡繰りなんざ、おれが全部破壊してやるッ!!」
おれは怪物のような咆吼を上げ、菊一文字則宗の刃をやつへと叩きつける。
黒の刃で防がれようとも袈裟懸けに逆袈裟に、突いて払って斬りつける。連撃に連撃を繋げ、一本突きから三段突きを繰り出す。
「~~ッ」
三段目の突きを躱し損ねたラヴロフの脇腹から、赤い雫が散った。
「認めぬ……ッ」
ラヴロフが黒の剣を下段にかまえた。おれはかまわず間合いへと踏み込む。
一呼吸でも早く。一瞬でも早く。
「殺す!」
「死ね」
我を忘れようとも染みついた剣技は自然と発生する。
やがてぶつかり合う火花は炎と化し、おれは剣を振るう鬼――剣鬼となった。
何度も何度もラヴロフへと斬撃を繰り出す。防がれようとも、躱されようとも、弾かれようとも、呼吸すら止めて何度も剣を振るった。
「ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「ゼアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
弾け、防ぎ、炎を発生させ、ラヴロフは黒の剣ですべて受け止め、おれに斬撃を返してきた。肩に鋭い痛みが走り、肉が削げるのがわかった。
痛みなど――ッ!! 失う恐怖に比べれば――ッ!!
肉体の回転を上げ、おれは菊一文字則宗を振るいながら疾走する。生首の入った容器を蹴飛ばし、壁を蹴って柱を蹴って舞い。
空と地で視線が交叉する。
「迂闊な」
突き出された黒の剣先を躱すことなく、腹を貫かせながらやつの首へと斬撃を繰り出す。
「――ッ!?」
「ツァィッ!!」
ずぷりと、臓腑を破る音がした。背中から黒の刃が飛び出しても、おれはかまわずに刃を振り切る。
「く……ッ」
とっさにおれの腹から刃を引き抜き、身を反らしたラヴロフの胸部を、袈裟懸けに斬り裂いて。
着地――。
ラヴロフが片膝をつく。
静かなときが流れた。
どろり、と熱い血液がおれの足もとに広がると同時、ラヴロフの足もとにもまた、ほとんど同量の血液が流れ落ち、広がってゆく。
どちらも致命傷だ。少なくともおれは四半刻ともたずにくたばる。
「なぜ……このような……っぐ……」
「てめえがどうしようもなく、悪だったからだ」
だが、立ち上がる。ラヴロフもまた。
そして、血溜まりに眠るリリィに視線を向けて。
ラヴロフが地を蹴った。おれはその進路へと滑り込み、菊一文字則宗を横薙ぎに振るう。
「イァッ!」
ぎぃんと刃が鳴って、黒の剣閃と白の剣閃がぶつかり合った。
「エリクシルは渡さねえ……ッ。てめえにゃ、指一本触れさせねえぞ……ッ」
「ぐ……ぬ……ッ」
おれの腹から、ラヴロフの胸から、どぷりと大量の血液が溢れ出した。
鍔迫り合いとなって、おれたちは至近距離で睨み合った。
初めてだ。初めて、ラヴロフ・サイルスが虚ろな瞳をやめた。血走った目を大きく見開き、おれを憎々しげに、忌々しげに睨み付けてきた。
「俺を悪と呼ぶか……ッ、おまえのような悪党が、俺を……ッ!」
「てめえはもう悪ですら生ぬるいッ、外道だッ、狂王ラヴロフ・サイルスッ」
傷口を広げながら、おれたちは互いの肩と、そして額をぶつけ合い、骨を軋ませる。
「……ハッハハッ……外道か……ッ。ならば貴様も外道だ、オキタ……ッ」
額の皮膚が破れ、肉が潰れる。
互いの血が混ざり合い、おれたちはさらに力を込めた。
「俺と貴様、何が違うッ? 俺はアラドニア一千万の民のため、他国を蹂躙したッ。おまえは他国のため、アラドニア一千万の民を蹂躙しようとしているッ! 何が違うッ!!」
狂王、叫ぶ。
「ここで命を弄んだことかッ!? それは違う、違う違う違うぞッ、オキタァァーーッ!!」
そうしてこいつは、凄まじい形相で呟いた。
「――おまえは、黑竜“世界喰い”を知っているか?」
ドラ子の雑感
……ここで生首になるくらいなら、わたしは盟約を破って自壊する……。




