第百二十四話 狂王
前回までのあらすじ!
人斬り侍と変態伯爵がラドニス城地下で見たものは、首を断たれてなお死ぬことすらできず、生かされ魔素を搾り取られ続けている幼い子供らとダークエルフ族の変わり果てた姿だった。
無数の生首を前にして絶望する彼らの前に、血塗れのドラ子を引きずる謎の男が現れる。
白衣の男に引きずられ、リリィが呻き声を上げた。
「オキ……タ……」
「リリィ……ッ」
傷が塞がってねえ。顔面まで腫らしやがって。
糞! 迂闊だった! やはり無理にでもリリィは連れてくるべきだったんだ!
ぎしりと、菊一文字則宗の柄が鳴った。
「ゲイル。ライラとルシアを連れて先に行け」
「承諾しかねる。キミは脱出経路を知るまい。ドラゴン嬢があの様では、うまく奪還できたとしても竜化して地表を突き破ることはできんぞ。キミはともかく、彼女の命まで放棄するつもりかね」
ゲイルが空間からロングソードを引き抜き、両手でかまえる。
「それに、この惨状は私も片棒を担いでしまったこと。決着は当事者である私がつける。幸いラヴロフ王もお目見えだ。ここで退いてはアゼリアには帰れん」
そうかい。この白衣が軍事国家アラドニアの王。狂王ラヴロフ・サイルスか。
そいつがわかりゃあ、もう充分だ。
「――ゲイルッ!!」
てめえで想定していた以上の声が出て、ゲイルが息を呑むのがわかった。
「……頼む。身勝手なことを頼んでいるのはわかってる。だが、行ってくれ。ライラにこれ以上見せたくねえんだ。それに、リリィはおれと一心同体だ。生きるも死ぬもともにと誓った」
左手でリリィを引きずって銀竜の血で地面に線を描き、右手に持つ真っ黒な剣の先で床をかりかりと引っ掻きながら近づいてきた王が、十数歩手前で静かに立ち止まった。
ざわり、と全身に悪寒が駆け抜けた。
アラドニア王ラヴロフ・サイルス。亡霊のような男だと、そんな印象を抱いた。
前留めの白衣の男。中肉中背。装備は刀身の黒い剣ただ一振りのみ。
覇気はなく、疲れた顔をしている。
陽の光を知らぬと形容するほどの青白い肌。枯れ葉色の髪に、同じ色の瞳。穏やかな瞳。だが、業を背負った眼。人を数限りなく殺してきた仄暗い眼だ。
それでも、違う。こいつは違うと、肌でわかった。
強いのではない。怖いのでもない。ただただ、危険。
レスギルゼナ公爵のように、わかりやすい闘気や殺気はない。もっともっとねじくれた、いかれた気配を放っている。それはもう、おれの知る人斬りじゃあない。
別種。別の生き物だ。だから命を育ても絶ちもせず、弄べた。
どう言えばいい? おれはこいつを形容する言葉を持たない。
とにかく正常なんだ。正気の目をしている。
極めて正常に、狂っている――。
人斬りじゃねえ。人殺しでもねえ。人間ではなく別の生物。
名付けるとするならば、人喰らいの鬼。殺人鬼だ。
危険だと、本能が警鐘を鳴らしていた。
こいつはここで仕留めなければならない。そして戦えば、おそらく容器の生首をかまう余裕はなくなる。そんな光景を、これ以上ライラに見せられるものか。
「しかし――」
「ゲイル頼む。これ以上言わせるな。おまえはルシアのことだけを考えろ」
おれたちがともに戦い、万に一つもラヴロフに負ければ――。
次にここに並べられる首はダークエルフであるライラと魔素濃度の高い魔女ルシア、そして無尽蔵に魔素を生み出す古竜種リリィだ。
そんなことはあっちゃいけねえ。
だが、ゲイルがここから無事に出られりゃ、たとえおれが負けたとしても、この狂王の真実を知るやつが生きていることになる。
そして不本意ながら、この腐れ伯爵ならばいつかは狂王を殺ってくれるはずだ。
「ゲイル!」
おれの考えごときを見抜けねえ、てめえじゃねえだろ!
ゲイルが唸り、苛立たしげに吐き捨てた。
「……二人を安全域まで送り届け次第、私は戻る。こればかりは譲れん。たとえ彼らとともに、私の首がここへ並べられようともだ」
この莫迦が! おれの命くれえ見捨てろっつーんだ!
だが――。
「ありがとよ」
ここらが落とし所だ。
ゲイルが突っ伏したままだったライラを背負い上げ、ルシアの手を取って後退りする。
「死ぬんじゃあないぞ、サムライ。アゼリアには、まだ取って置きの酒がある」
「樽ごともらうぜ」
「おやすいご用だ」
ラヴロフの視線が一瞬おれから逸らされ、肩越しに去ってゆくゲイルたちへと向けられた――直後、おれはほとんど反射的に跳躍する。
空中で菊一文字則宗の刃と、不気味にどす黒い刃がぶつかった。
「……ッ」
ぎぃんと金属音が響き渡り、おれとラヴロフの身体が弾かれ合って同時に着地する。遅れて、投げ出されたリリィが血の赤を引きながら床に転がった。
「走れゲイル!」
そう叫んだときには、ゲイルはすでにこちらに背を向けて走り出していた。ラヴロフの視線は、もう彼らを追わない。
まるで興味を失ったかのように。まるで新たな興味を得たかのように。
おれへと――固定されて。
それは、張りのない疲れた声だった。
「アラドニア王、ラヴロフ・サイルスだ」
「侍、沖田総司。てめえを殺りに来た」
上段肩越しに切っ先を照準し、おれは膝を曲げて身を低くする。
ラヴロフが能面のような表情で、同じく身を低くする。
「おまえは俺と同じ眼をしているな、オキタ」
ざわり、と背筋が騒いだ。
そいつはおれにとって、血が逆流するような言葉だった。
「巫山戯るな――ッ」
同時に地を蹴り、おれは袈裟懸けに、やつは逆袈裟に剣を振るった。
黒の刃ごと、首を断つ――ッ!
「つぁッ!!」
「ゼァッ!」
だが、またしても弾かれ合う。腕が痺れた。
菊一文字則宗が欠けねえのは当然だ。こいつは稀代の銘刀。だが、やつの刃はなんだ?
不気味な黒色の剣。黒金ならば見たことがある。だが、あれほどの黒は鍜治屋でもとんと見たことがねえ。夜の闇よりもなお深く、地の底よりもなお暗く。
まるですべての光を吸い尽くすかのように。
ラヴロフが口もとに、凝視せねばわからぬ程度の微かな笑みを浮かべた。そうして掠れた声で、小さく呟く。
「ああ、それはとてもいい剣だ。砕き、一撃のもとに絶望を与えてやるつもりだったのだが」
「そうかィ、やれるもんならやってみな――ッ」
小刻みに左右に揺れながら足を運び、迎撃の横薙ぎをかいくぐって菊一文字則宗でやつの足を払う。だがやつは鉄板入りのブーツでそれを受け止め、黒の剣をおれの顎へと振り上げた。
「~~ッ」
かろうじて首を倒し、頬を掠らせることで躱す。視界を赤い雫が横切った。
剣を振り上げた状態で、がら空きとなった胴へと刃を薙ぎ払うが、やつは軽く後退してそいつをやり過ごし、すぐさまおれの心の臓を目掛けて黒の刃を突き出した。
「ゼィッ!」
おれは足運びで左半身のみを下げて躱し、菊一文字則宗を左手一本で持って右手でやつの首をつかんで固定し、やつの額を刺突する。
「死ね――」
が、その直後、おれの胸部付近で橙色が弾けた。
――ッ!?
熱さよりも爆風に身体ごと持って行かれ、おれは大きく吹っ飛ばされて横っ腹で床を滑り、すぐさま跳ね上がって体勢を立て直す。
「糞が……ッ」
赤黒く濡れた羽織の一部が、炎を宿して焦げついている。
魔術兵の血を吸わせていたことが幸いした。肉体に火傷はない。袖で擦って小さく躍る炎を消し潰す。
こつん、と足音を立てて、ラヴロフが一歩踏み出した。その左手からは橙色の炎が立ち上っている。
「あまり魔術を使いたくはない。俺の愛しい人たちが、壊れてしまうから」
視線の先には、先の爆風によって台座から落ち、容器から転がり出たダークエルフの生首があった。
そいつはまばたきをして、おれとラヴロフの間で視線を行き来させ、……やがて瞳の輝きを濁らせて動かなくなった。
「あぁ……壊れてしまった……。可哀想に……」
ラヴロフは能面のような無表情で生首を拾い上げると、そっと抱きしめた。
「すまない。愛しい人よ。もう少しそこで待っていておくれ。あの悪党を始末したら、すぐに弔ってあげるから」
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
その言葉が皮肉や悪意からではなく、心の底から出た言葉であると理解できたからだ。
「これまで、アラドニアのために尽くしてくれてありがとう。愛しているよ」
そう言ってラヴロフは、ダークエルフの生首と口づけを交わした。
吐き気を催す光景に、気づけばおれは地を蹴って跳躍し、刃をラヴロフの首へと振るっていた。
怒気と殺気を込め、最速の疾さで、最大の力で。
「――おまえ、もう、喋るな」
だが、弾かれる。黒の剣で菊一文字則宗の一閃が。
ドラ子の雑感
気持ち悪い……この人……。
嫌だ……嫌だ……嫌だ……。怖い……怖い……怖い……。
 




