第百二十三話 醜悪
前回までのあらすじ!
人斬り侍の尻を伯爵が触った!
2016/9/10
※※※グロ注意※※※
本日の更新はスプラッタ表現が強いものとなっております。
苦手な方は読み飛ばしを推奨します。
今回の内容は簡略化し、次回更新時に「前回までのあらすじ!」に書きます。
まるで迷路だ。
ラドニス城地下二階。魔術光を放つ行灯に照らされた通路を、ゲイルを先に歩かせて進んでゆく。分かれ道を右へ、左へ、時には上へ、下へ。
肌寒さを感じるのは気温が低いからか、それとも、この先に待つ何かに身体が反応しちまってるからだろうか。
臓腑に重くのしかかった悪い予感がぬぐえない。
二人分の呼吸と足音だけが、響き続けていた。
代わり映えのねえ光景だ。同じ道を繰り返し歩いているかのような不安に駆られる。
敵はいねえ。響くものはおれたちの足音だけで、無音の世界が続いていた。
七度目の分かれ道。おれはうんざりとした気分でため息をついて、右の壁に手をついた。
「サムライ。壁にはあまり触れないでくれたまえ」
「罠でもあるってかィ?」
「さてね。念のためだ。我々は床にある罠を避けて進んでいる。壁にも罠があるかどうかは、残念ながら私も知らないのだ」
ちょっとした冗談のつもりだったんだが……。
おれは二度目のため息をついて、右手を壁から離した。
「ずいぶんと調べたんだな」
「ふ、国を乗っ取られた腹いせだ。女の嫉妬は醜いが、男の嫉妬は根深い。いつかは、いつかはと、毎日のように思っていた。……思っていたのだよ」
しばらく黙って歩いた。だから、それはふいにだった。
こつ、こつ、足音が響く中、ゲイルがいつになく静かな声で呟いたんだ。
「…………私はアラドニアに属して以降、キミが来るのをずっと待っていたのかもしれないな……。……長く、長く、罪を幾層にも重ねながら、長く……」
おれは肩をすくめる。
「気色悪ィ」
「そう言うな。友だちではないか」
声を明るくして、ゲイルは笑いながら肩越しに振り返った。
リリィと同じことを言いやがる。二〇〇年もの間を盟約に縛られ、雪で閉ざされた洞穴で過ごした銀竜と。
「かっ!」
「はっはっは、素直ではないねえ。だが、礼くらいは言わせてくれたまえよ。キミが来なければ、私は生涯をアラドニアで腐ったまま生きていくしかなかったのかもしれないのだからね」
「必要ねえ。おまえさんがアゼリアに戻ったら、馬の小便でも振る舞ってくれや。そいつで帳消しにしてやらァ」
「おやすいご用だ。訪問を楽しみにしているよ」
穏やかな声だった。
こいつを仲間と呼ぶにゃ、まだ抵抗がある。だが、悪かねえ。こういうのも。
「ついたぞ。私も実際にここへ来るのは初めてだ」
ゲイルが立ち止まる。その先には鋼鉄でできた扉があった。
「ここがアラドニアの中枢。封印されし黒の石盤遺跡の技術を転用して魔素を大量に生み出し、レアルガルド最強の軍事大国アラドニアという一大文明を築いた地。――はじまりの研究所だ」
はじまりの研究所――。
閂はない。錠前らしきものもだ。あっても斬るがね。
おれはひんやりとした鉄扉に手を置いて、ゆっくりと押し開いてゆく。
ぎし、ぎしと、錆び付いた金属の擦れる音を響かせながら。
そうして、魔術光に照らし出されたその光景を、おれたちは目の当たりにする。
「……なん……ッ」
「……え……」
どくん――。
心臓の脈が歪み、ぐにゃりと拍動した。
爆発するように脈を打ち、血管を押し広げる。呼吸が激しく乱れてゆく。全身の毛穴から、粘性を帯びた気持ちの悪い汗がどろりと流れ出す。
「こ……んな……っ」
一瞬で全身が粟立った。体毛が逆立った。食いしばった歯が軋んだ。気が狂いそうなほどに頭に血が上り、気づけばおれは頭を抱えて慟哭していた。
――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
叫ぶ。あらん限りの声で。怒気と悲哀を込めて。敵地のど真ん中であろうとも。
そうしなければ正気を保てないと思ったから。
おぞましい、おぞましい、おぞましい、おぞましい!
狂っている! 狂っている! 狂っている! 狂っている!
この国は、アラドニアは狂っているッ!!
かつてライラは言った。ダークエルフ族は椅子に縛られ身動きの取れぬ状態にされて魔素を抽出され、糞尿を垂れ流すだけの存在にされてしまっている、と。
違った。違う。そんな生やさしいものじゃあなかった。
ゲイルが力なく膝を折り、しゃがみ込んだ。
「わ、私は……こんなものを……ルシアに見せてしまった……のか……?」
青ざめ、がちがちと歯を鳴らしながら。
「こ、これが……これが……人間のすること……人間にできることなのか……ッ!?」
おれは幽鬼のようにゆらりと、ほとんど無意識にはじまりの研究所へと一歩踏み入った。
見回す。ゆっくりと。恐怖を感じながら。
臓物ならばいくらでも見てきた。頭ン中の味噌が飛び散る様もだ。血ならば水のように浴びてきたし、命すら斬り刻んできた。
善人悪人問わず、斬ってきた。
けれど――。
けれど、こいつぁ……。
「……な……んという……醜悪……」
透明の容器に収められ、並べられた首、首、首――。
幼い餓鬼――ルシアや、メルの弟妹たちと同じくれえの年齢ばかりだ。餓鬼の首が透明の液に沈んでいた。
首から下の肉体はない。首は逆さのやつもいれば、横に転がっているやつもいる。
首の斬り口からは血管や脊柱などが揺らいでいたが、すでに赤は滲んではいない。とにかく、男の餓鬼も女の餓鬼も、等しく溶液に沈んでいた。
そんな容器が見渡す限り、数百、数千と並べられていた。
「サムライ……」
それだけじゃあなかった。
それだけなら、おれは耐えられた。怒りに震えて耐えられた。
それはおれ自身が人斬りで、人殺しだからだ。
だが――!
「……大……丈夫……だ……ッ」
そいつらは鼻と口に管のようなもんを差し込まれ、そして――時折、まばたきをしていた。
まばたきを……ッ、していたんだ……ッ!!
管は容器の上へと伸ばされ、天井奥にまで続いている。
ゲイルがそれを凝視し、震える声で弱々しく、途切れ途切れに呟く。
「……魔素の……流れ……が……見え……る……。……強く……濃い魔素……だ……」
「……」
これが、魔素を無尽蔵に生み出す絡繰り。アラドニア中枢に隠された、最重要機密。
――レアルガルド大陸に蔓延る、魔導文明の礎!
おれやゲイルが覚束ない足取りで歩き出すと、生首の餓鬼は視線でおれたちを追った。表情はない。嘆きも哀しみもだ。
ただ、一斉に眼球を動かすのだ。おれたちを追って。
まるで、五体満足に生きているおれたちを、責め立てるかのように。
おれはたまらなく、その視線が怖かった。
「こんなことが……ゆるされるのか……。……命を絶たれることもなく……」
慈悲はないのか。罪悪感に苛まれないのか。
おれたちはただ歩く。
そんなおれたちの様子を、生首たちは無言で見つめる。
瞳を伏せ、せり上がる嘔吐感を堪えながら手ぬぐいで口もとを覆い、容器に沈む生首たちの間を歩いてゆく。ただ一カ所を目指して。
はじまりの研究所の中央、一際太く大きな管の伸ばされていた一角へと。魔素の流れが最も激しく濃い、数十名ものダークエルフ族の首が収められた一角へと。
そこには崩れ落ち、地面で頭を抱えて丸くなっている褐色肌のダークエルフと、立ち尽くして泣いている幼い少女の姿があった。
少女はゲイルの姿を見かけるなり、すがりつくように飛びついて目を伏せた。
おれは貼り付きそうな喉から声を絞り出す。
「ライ……ラ……」
ライラがダークエルフ族の生首が集められたいくつもの容器の前で、震える声で呟く。
「……オキタ……助けて……。……助けてよぉ……。……リリィにもらったエリクシルを飲ませても……、……カッツェが……、……治らないの……」
がちがちと歯を鳴らして。
「……妹……なんだ……。……ずっと一緒にいた……、……ぅ……大切な……ッ」
ライラは生首を抱いていた。ダークエルフの女だ。管の引き抜かれた口からは、エリクシルの赤が床まで流れ落ちている。ぽたり、ぽたり、雫となって。
カッツェと呼ばれたその女は、もう、まばたきをしていなかった。
おれが無知な莫迦でも想像に難くない。死が訪れたのは、おそらく魔素を抽出する管を引き抜いた瞬間だ。
おれはカッツェの首をライラからそっと取り上げて、仲間の――ダークエルフ族の容器の隣へとそっと置いた。
すまねえと、心で謝りながら。
「……エリクシル……な、なあ、もっとエリクシルがあれば……もしかしたら……」
「……だめだ」
もうリリィに体力はない。それに、エリクシルでどうにかなる状態でもない。
「もう死んでる。生きていても、死んでんだ」
「……頼むよ、オキタ……。……なんでもするから……リリィに頼んで……」
ライラがおれの下半身にすがりつく。
おれはしゃがみ込み、ライラの細い身体を強く抱きしめて、長い耳に囁く。己のものとは到底思えぬほどに弱々しく、震えた声で。
「すまねえ。もう、だめなんだよ、ライラ。おまえの同胞は、助けられなかった……。すまねえ……すまねえ……」
「……ッ」
ライラがぎしりと歯を食いしばった。そうして乱れた呼吸で、大粒の涙をぼろぼろとおれの肩へとこぼし始めた。
わかってんだ。こいつだって。エリクシルなんざ、まったく万能じゃねえってことは。
「……ゲイル」
「わかっている。こんな光景はもう沢山だ。燃やそう、この城のすべてを。欠片も残さず」
ライラの愛したダークエルフ族ごと。メルの愛した弟妹ごと。ここを消すんだ。
こんなものにすがらなければ成立しない醜悪なる文明など、いっそ滅びてしまえばいい。
おれたちは互いを支え合いながら、ゆっくりと立ち上がる。
そのときだった。
「――させはしない」
それは夢の中の出来事であるかのように、生気のない虚ろな声だった。
激情に駆られ、気づくのに遅れた。
そこに立っていたのは、白衣をまとった見知らぬ四十男――そして、銀色の髪をつかまれて引きずられている血塗れのリリィだった。
ドラ子の雑感
……ぅ…………ぁ……




