第十一話 世界喰いの竜
前回までのあらすじ!
ドラ子が侍にプロポーズしたぞ!
どきどき乙女だ!
「ちょ、ちょ、ちょっと待て! 考えるから整頓させてくれ!」
「はい。ちなみに今の言葉で、待機命令が盟約として締結されました」
盟約……!?
言葉通り、銀竜の女は正座をしたまま動きを止めた。
どうやらおれの次の言葉を待っているらしい。つまり、このように勢いで吐き出してしまった言葉にさえ、その盟約とやらは正しく反応を示すということか。
「……」
「……」
生死にかかわる無理難題を命じて試してみる気にはなれない。あの時代、おれは散々ヒトを斬り殺してきたが、それは自身もまた同じ土俵に立っての話だ。斬り損なえば斬られる。だからこそ善人までも斬ることができた。
だが、こいつはどうだ。おれのうかつな言葉一つで死ぬと言う。それも一方的に。
冗談じゃねえ。胸糞悪ィ。
おれを助けようとして自分の血を飲ませたことが原因で、おれの命令に逆らえなくなったのに、おまけに生命まで握られてしまったなどと。
盟約といえば聞こえはいいが、こんなもんただの呪いだ。
おれは唖然として、自分の手で口を覆った。
うかつな言葉は吐き出せない。ここから先、おれは一言一句を考えながら話さなければならなくなった。
「莫迦か、おまえ……」
「そうですね。銀竜族はヒトと交わって盟約を交わすことで滅びの途を辿った一族ですので。もちろん他にも大きな要因はありますが」
後者は知らんが、前者は容易に想像できる。
血だ。万病に効く銀竜の血液をヒトは欲する。銀竜からヒトに近づいたのではなく、ヒトが銀竜を狩ったのだ。そして一滴でもその血液を飲まれた時点で、銀竜はその人間に従わざるを得なくなる。盟約という名の呪いで。
「なぜおれを助けた? おまえさんになんの利がある?」
女が不思議そうに首を傾げた。銀色の髪がさらりと肩に流れる。
そうして、さも当然のように言ってのけた。
「あなたがわたしを斬らなかったからです」
「理由になるかッ。おまえさん、自分が何をしたかわかってんのかッ? ……あぁ、糞!」
女が不思議そうに呟く。
「なぜあなたが怒っているのですか? 盟約に縛られたのはわたしだけで、あなたは命が助かったのに」
本気で言っているなら、とんだお人好しの阿呆だ!
おれは額に手をあててため息をついた。
「それに最初に襲いかかってしまったのはわたしです。古き盟約により、わたしが守っていた母の遺体の近くにあなたがいたから。エリクシルはそのお詫びのつもりでもあります」
「母? あの白骨が? ありゃどう見ても人間の骨だろう」
女が静かにうなずいた。
「父は生粋の銀竜族ですが、わたしの母は人間族でした」
話がぶっ飛び過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
おれは苛立ちを隠せぬ口調で尋ねる。
「古き盟約ってのァなんだ?」
「父との盟約です。エリクシルが効かないほど傷ついた母の最期を看取ること。死後は母を丁重に弔うこと。ですがわたしは人間の弔い方を知りませんでした。これらの盟約は、マスター、あなたの手によって昨日完遂されました」
おれが白骨を埋葬したことで、守るべき盟約が一つ消えたということか。
「父親とやらは何してんだ? てめえの女房の世話くらい、てめえで焼けって話だろ。娘に何をさせてやがるッ!」
「死にました」
おれは舌打ちをして、ざんばら髪をがりがりと掻き毟った。
余計なことに踏み込んでしまった。
「そいつァ……すまねえ」
「いえ。銀竜だった父は、とある一体の竜に殺されてしまったのです。父だけではありません。数千数万の人間も、このルナイス山脈に棲まう生命も、数多いた竜族たちも、たった一体の竜――黑竜に喰われてしまいました」
数千数万の人間に、同じ竜族までをも喰らう……竜?
この国の空にゃ、そんなやつがいるのか。
「銀竜が滅んだ原因のもう一つが、そいつか」
「はい」
腕の中に立てた菊一文字則宗を強く握りしめる。ぎしり、と鞘が軋んだ。
「何者だ?」
「わかりません。一応竜の形をしてはいるのですが、父の話では意思の疎通は一切できなかったそうです。他の古竜たちであっても、あのような竜は見たことがなかった、と。ただ――」
一度言葉を切って、女が少し目を伏せた。
「人間は彼の黑竜を“世界喰い”と呼んでいました」
「このルナイス山脈のように、世界ごと生命を喰らうからか」
うなずき、女は続けた。
「父は竜騎兵だった母を背にのせて黑竜に挑みましたが、結果は知る通りです。母は瀕死の重傷を負い、父は母を連れて帰還した後に単身で飛び立ち、帰ってきませんでした」
初めてだ。初めて、この女は人間らしい表情を見せた。寂しげな顔だった。
おれは片膝を立てて立ち上がる。うかつな言葉で盟約を結んでしまう前に、一刻も早くここから立ち去るべきだと思った。
「そうかィ。だったら話は早ええや。肺病を治してくれた礼に、おれが“世界喰い”とやらを斬ってやる。そいつはどこにいる?」
「え、あ……、わかりません。西方へと飛び去ってしまいましたので」
「西だな」
何かを語りかけた女を片手で制して、おれは言葉を続けた。
「おれは一つの時代を守るために、悪人も善人も分け隔てなく散々斬ってきた。だが結果は守りきれず、新たな時代の波に呑まれちまった。だったらよ、おれのしてきた人斬りってのはなんだったのかなって、柄にもなく考えちまうんだ」
菊一文字則宗を腰に装着し、身体の具合を確かめるように関節の骨を鳴らす。
悪くない。銀竜の血液とやらは、確かに万能薬だ。
「悪人はいい。死んで当然だ。だが自らの理想のため、民草のため、新たな時代のためにと刀を手にしたやつとおれ自身は、どこに善悪の差があった? おまえさんから見て、どっちが悪でどっちが善だったと思うね?」
女がゆっくりと首を左右に振った。
「そうなんだよ。なんのこたァねえ、おれが善ならやつらも善で、おれが悪ならやつらも悪だ。ただ守る時代が違ったってだけの話だ。だからな――」
おれは羽織についた砂を払い、苦笑いを浮かべる。
「病床の身で考えてた。もし奇跡的に肺病が治ることがありゃあ、今度は時代や主君のためなんかじゃなく、てめえの目で判断した悪だけを斬って生きていこうってな」
言った瞬間、顔面が火を噴きそうなくらい熱くなった。
青臭え言葉なんてものは口に出さず、腹ン中に収めておくべきだ。
おれは舌打ちをして目を伏せた。
「やっぱ忘れてくれ。乱世を終えても刀を捨てられなかった無能な男の戯言だ」
「え、ええ。それはわかりましたが、あの――」
「おれとの盟約ってのは、おれが命令を下さなきゃないも同然だよな?」
鳩豆な顔で女が小刻みに首を縦に振ってから、あらためて左右に振った。
「それはそうなのですが、それよりも――」
「てなわけで行ってくるわ。せっかく古き盟約とやらも消えたことだ。おまえさんもこんな洞穴に引きこもってねえで、人里にでも下りて楽しく暮らせばいいさ。おっと、今のは命令じゃあなくて提案ってやつだ。勘違いすんなよ」
背中を向けた瞬間、大あわてで立ち上がった女が羽織の袖を片手でつかんだ。
「なんだィ? まだ何か用か?」
「マスター、あなたの肺病は治っていません。今わたしから離れては、もう二度と次の朝日は拝めませんよ」
「……………………ほふぇ……?」
そいつはおれ史上最大の、非常に恥ずかしい間の抜けた返事だった。
ドラ子の雑感
……に、に、逃がしませんからぁっ。




