第百七話 伯爵と魔女
前回までのあらすじ!
菊一文字則宗のない侍なんて、ただの痩せこけた屍だった。
ごぅん、ごぅんと、震動とともに重い音が響く。
小型飛空挺ナリア号――。
大魔導機関のうなり声だ。響きほどは揺れるもんじゃあない。江戸で言やぁ船みてえな乗り心地だった。
おれぁ甲板に立ち、静かに流れる風を感じていた。
雲の海を渡るように、ナリア号は進む。
それなりの速度で飛んでいるのに風やなんやとあまり影響がないのは、おれが銀竜シルバースノウリリィの背中に慣れたからというわけじゃあないらしい。飛行中の飛空挺には魔術結界が張られていると、客室乗務員のねーちゃんが言っていた。
本来であれば暴風はもちろん、高高度でのきあつがどうのこうのと小難しいことをくっちゃべっていたが、おれにゃわからなかった。
つぅか、そんな中ふだんから竜の背に乗っかってるおれぁなんなんだ……。
ま、そんなわけでこうして甲板に出ることも可能なのだとか。
つっても、雲の上なんざすっかり見慣れた景色だ。どうやら他の乗客もそうらしく、甲板に出てはしゃいでるやつなんざ、初めて空を飛ぶ餓鬼くれえのもんだ。
リリィに至っちゃあ、「席で寝てます」ときたもんだ。どうやら飛行速度が遅すぎて、甲板に出りゃ苛つくらしい。「後ろから押して差し上げましょうか」という呟きにはなかなかの狂気を感じた。
だがまぁ席でじっとしているのも退屈なもんで、おれぁこうしてぶらぶらとしているわけだが。
のんびりしたもんだ。あくびが出らァな。
「あくびが出そうだねえ」
ふいに背後から聞こえた声に振り返る。
おれに吐かれた言葉じゃあなかった。
視界には男の背中と、小さな、幼いと言っても過言じゃあねえ餓鬼女がいた。
男は濃い緑色の上衣をまとって、おれに背中を向けていた。餓鬼女のほうは紫のろおぶだ。ほっかむり――じゃねえ、ふうどを目深に被っていて、面は見えねえ。
「たまには、いい。こういうのも」
餓鬼女が静かに呟く。
辿々しい言葉だった。あまり声を出し慣れていないやつの喋りだ。
「光の下に出ても平気かね?」
「ん。だいじょぶ。風、気持ちいい」
「そうか。だったらいい」
退屈だった。だからだ。おれぁ声をかけてみることにした。
「よぉ、おまえさんたち。空の旅は初めてかい?」
男が振り返る。ゆっくりと。
餓鬼女が視線を上げる。これまたゆっくりと。
「……」
「……」
「……」
そうして固まった。男と、餓鬼女と、そしておれまでもが。
「な――っ!?」
「……ッ」
ちょび髭だ。
「てめ、ゲイルか!」
「サムライ・オキタ……!?」
砂漠のアラドニア軍最前線基地で剣を交えた爵位持ちの魔術師だ。
弾かれたように後退し、おれは腰に手をやって戦慄する。
菊一文字則宗がねえ。当然だ。乗船の際に預けちまった。
拙い。こいつは魔術でいくらでも空間から刀剣を調達できる。丸腰じゃあ、さすがに分が悪すぎる。おまけに隣の餓鬼女。見たのは初めてだが、十中八九、あの日リリィを闇へと引きずり込んだ影の魔女ルシアだろう。
糞ったれ! 尾行られていたか!? いや……。
「なぜキミがアラドニア国内にいる?」
この反応。ここでの遭遇はやつにとっても想定外らしい。
だが、ちょび髭は眉をひそめて尋ねると同時に、迷うことなく両手を前へとかざした。剣の魔術を使うつもりだ。
「さてねェ? 観光っつったら信じてくれるかィ?」
ゲイルの視線がおれの腰へと落ち、一瞬で戻された。
「ふむ。どうやら今はあの面妖な力を持つ剣は持っていないようだ。丸腰を相手に得物を持つは紳士のすべきことではない――が」
やつが右手で空をつかむと同時に、その手に一振りの剣が顕現する。
「悲しいかな、これも仕事。キミとの戦いはなかなかにエキサイティングだったが、今はこの機会を利用させてもらうとしよう」
「糞……ッ」
甲板は狭い。落ちたら即死。菊一はねえ。
おまけにゲイルにゃ、魔女ルシアまでいるとあっちゃあ勝ちの目なんざまったくねえ。どうにか船底まで逃げ切って菊一文字則宗を取り戻さねえと。
ちりちりと場が、殺気で焦げ付いてゆく。
ゲイルが左足を前に出して姿勢を低くし、右手に持った剣の峰を肩へと置いた。
「……ッ」
おれはそのかまえから、やつが次に取る行動を瞬時に判断する。
袈裟懸け、斬撃。
踏み込みとほぼ同時、おれはやつの斬撃をかいくぐる――!
皮膚一枚。汗の玉を散らして身体を傾けながら躱すと、やつは振り切ると同時に手首を起こして剣先をおれへと向けていた。
正中、刺突。
とっさに右足を引いて身体を横に向け、鳩尾辺りを狙って突き出された刺突攻撃を躱す。交叉の瞬間、視線が絡まり合う。
「く……ッ」
「つぁいッ!」
ゲイルが再び手首を返し、刺突を強引に右方向へと払った。
峰打ち、……回避不能。
「があっ!?」
鈍い音が響いた直後、おれの身体はふわりと浮かんで、背中から甲板の手すりへと叩きつけられた。
「か……ッ、糞が……ッ!」
跳ね返り、かろうじて両足で立ったおれへと容赦のない刺突が襲いかかる。
今度は跳躍で大きく躱し、着地と同時におれは甲板を走った。
もちろん客室への扉を目指してだ。とにかく船内に戻りゃあ簡単には剣を振り回せねえだろうし、貨物室まで無事に辿り着けりゃ菊一文字則宗を取り返すことだってできる。それに、客室には眠れる竜もいる。
「……ッ!?」
扉まで残り数歩になったとき、おれは額に何かを感じて空を見上げた。
「~~ッ!?」
剣雨。無数の剣が切っ先を向け、おれを目掛けて降ってくる。そいつを躱そうとしてとっさに横っ飛びをした瞬間、何かに足をつかまれておれは盛大に転んだ。
影――!
餓鬼女の足もとから伸びた手の形をした黒色の影が、おれの足首をつかんでいたんだ。
「な――っ!?」
その直後、凄まじい数の剣先がおれへと向けて降り注いだ。平手で弾き、腕で払って身体をよじらせ、どうにか躱す。
いくつも掠めたが、幸いにして直撃はなかった。傷だらけだが。
「……痛……ッこの野郎! 容赦って言葉ァ知らねえのかよ! 無手だぞ、おれぁ!」
「容赦のできる相手とも思えんのだがね」
腰を甲板に置いたままのおれへと、ゲイルが深く踏み込んで刺突を繰り出した。
足に絡まった影が外れねえ。
「ぐ……ッ!」
おれは両手の平で挟み込むようにして、その剣先を受け止め――しかし勢い止まらずに喉もとを貫きかけた剣先を、歯で噛んで受け止める。
「おお、おお! なんという往生際か! まるで喜劇のようだ! 素晴らしい!」
「うるせえやィ! ンギ、グギギギ……ッ!」
やべえ、やべえ!
ずるずると掌を滑り、歯を擦りながら剣先が喉へと侵入してくる。おれの力じゃ防ぎきれねえ。
こ、こりゃあ、だめかあ?
そう思った瞬間だった。客室と甲板を繋ぐ扉が開かれたのは。
「リリィ!」
「オキ――」
ゲイルの瞳が大きく開かれた瞬間、長い銀髪と白のスカートがふわりと躍った。跳躍と同時に前方回転をし、ゲイルの頭部を目掛けてリリィが踵を落とす。
「はあっ!」
「ぬあッ!?」
轟と風を巻き込み、即死級の威力を秘めた一撃がゲイルの鼻面すれすれを通り抜けた。仰け反って躱し、距離を取ったゲイルの代わりに、魔女ルシアが杖で地面をなぞる。
「よしなさい!」
一喝。一喝だ。リリィの放った一喝が、ルシアの動きを止めた。
「ここはどこで、わたしを何者だと思っているのですか? 続けても、あなた方に勝ち目はありません」
「おやおや、ドラゴン嬢。それはやってみなければわからないのではないかね?」
「力量のことを言っているのではありません。わたしがその気になれば、小型飛空挺をいつでも破壊できると言っているのです」
みしり、とリリィの足もとが軋んだ。甲板に小さなひびが入っている。
ゲイルが自らのちょび髭を指先でつまみ、小さくうなった。そして隣に立つルシアの杖をつかみ、そっと押し下げる。
「よそう、ルシア。ドラゴン嬢に発見された時点で、我らの負けだ。乗員乗客を巻き込むわけにもいかん」
「……ん。ゲイルが、そう言うなら……」
ルシアがねじ曲がった木製の杖を、ころりと甲板に投げ捨てた。
おれはようやく安堵の息をつく。
そらそうだ。ここは空。おれぁ飛空挺が墜ちても竜化したリリィにのって脱出するが、ゲイルやルシアはどうにもならねえ。墜落に巻き込まれてぺたんこになるのが関の山だ。自国の民である乗員乗客全員を巻き込んだ上でな。
――んで、だ。
両手を腰にあてて仁王立ちしているリリィと、二人そろって両手を上げているゲイルとルシア。どいつもこいつもおれに視線を向けている。
こいつら、どうしたらいいんだ?
ドラ子の雑感
あぶ、あぶ……。
やっぱり飛空挺を後ろから押そうと思って出てきてよかった……。




