第十話 一人と一体
前回までのあらすじ!
侍に侮辱されたドラ子が激オコプンプン子になったぞ!
気づくかよ、ふつう。誰だって女が怪物だったなんて思いやしねえはずだ。
女は洞穴の奥で膝を抱え、壁にもたれかかって、ぶすくれている。
「……悪かったよ」
ぎろり、空色の瞳がこちらを睨む。
「あのような侮辱は初めてです。怪物だなどと」
雪融け水のように冷たく、綺麗で透き通った声だった。
どうやらこの娘が、あの怪物そのものだったようだ。
こいつの言葉を信じるなら、この娘は竜族、それも由緒正しき銀竜と呼ばれる古竜族の生き残りらしい。
おれは菊一文字則宗を抱えるように胡座をかいて、女に視線をやった。
「侮辱したつもりはない。おまえさんを怪物と称してしまったのは、竜ってのがなんなのかをおれが知らなかったからだ」
「竜を? 知らない?」
訝しげな表情を向けられ、おれは肩をすくめる。
正確には、おれの知っている幻獣の竜とはまるで姿形が違っただけだが、あえてそれを説明する必要はないだろう。ちなみにおれの知ってる竜ってのは、鰻に手足が生えた翼もねえニョロニョロした薄気味悪いやつだ。
もっとも、絵巻物でしか見たことはない。しょせんは幻獣だ。
「そも、ここがどこかもわからねえときたもんだ。江戸は遠いのかい?」
「エド……」
おれは苦虫を噛み潰したような表情で言い直す。
「ああ、もう奠都されて東京だったか」
とうきょう。無粋な響きだ、まったく。
「トーキョー……。それは国の名前でしょうか?」
「国? 東京は帝都だが国じゃねえなァ」
異国か、やはり。
この女の髪と瞳、それに体つきを見れば日本人じゃねえだろうと思ってはいたが、なまじ言葉が通じるもんだから可能性を否定していた。
しばし考える。
いや、いやいやいやいや。海なんざ渡ってねえだろ。渡れる身体でもねえ。大海のど真ん中でおっ死んじまう。
「うん?」
「?」
おれが首を傾げると、女がおれに合わせるように、かわいらしく首を傾げた。
「おまえさん、日本って国はわかるか?」
銀色の長い髪が左右に揺れた。
終わった。たぶんもう江戸にゃ帰れねえわ、これ。まあ、最終目的地はあの世だから別にいいんだけどな。
「……ここはどこだ?」
「ルナイス山脈です」
案の定、聞いたこともねえ。
女はかまわずに続けた。
「人間たちは狂気の山脈と呼んで近寄りません」
「ああ。生命がないからか」
「はい」
鳥や動物はおろか草木に虫までいないとなると、納得もできる。もっとも、ここには一人と一体、それに土の下には白骨までいやがるが。
「ああ~……もういいや……」
考えるのがめんどくさくなって、おれは洞穴の壁際に腕枕をして寝転んだ。
「どこでくたばろうが大した違いはねえ。なあ、おまえさん。もしもおれがここでくたばっちまったら、あの白骨みたいに後生大事にしてくれるかい?」
「マスターは死にません」
おれは視線だけを女に向けた。
今さらだが、なかなかどうして赤の着物が似合っている。面妖な髪色をしているというのに不思議だ。
「肺病なんだよ。医者からも見捨てられた身でな」
「それでも死にません。眠りの間にわたしの血を飲ませましたから」
「はは、おまえさんの血は不老不死の妙薬だとでもいうつもりかィ? そいつぁいいね、実にいい!」
女が額に縦皺を刻んでから数秒、「あっ」と口を開けた。
「申し訳ありません。マスターがひどく無知であることを忘れていました」
「言い方!」
女はおれの苦言を無視して語り出す。
「不老にも不死にもなりませんが、銀竜の血液は万病に効く薬なのです。ヒトの間ではエリクシルと名付けられ、高値で取引されています」
「へ~え」
眉唾だ。んなわけねえだろ。こちとらしょっちゅう喀血してる身だ。残念ながら、てめえの身体のことはてめえが一番わかっ――。
「……」
気づく。朝から一度も喀血していないことに。
おれは跳ね上がって飛び起きる。肉体が軽い。気のせいだと思っていたが、これほどまでに軽いのはいつぶりか。
それに、銀竜と戦ったときの傷まで消えていやがる。そういや、おれが斬った傷もこの女にはない。片目なんざ潰してやったというのに。
おれは上体を起こして尋ねた。
「おい……おい、本当かよ……」
「はい。そして銀竜は――いえ、古竜族すべてですが、血液を最初に捧げた方の言葉に逆らうことを、盟約にて禁じられています」
「盟約?」
女が大きな胸にそっと手を置いて瞳を閉じ、静かに、厳かに呟く。
「はい。銀竜シルバースノウリリィは、マスターの言葉に逆らうことをゆるされていません。もしも盟約を破りし暁には、わたしの肉体は肉片ひとつ残さず腐り落ちて自壊し、精神は地上から消滅するのです」
「冗談だろ?」
女はこたえない。真顔のまま、じっとこちらを見つめて。
「マスター、もしもあなたがわたしに死ねと仰るのであれば、わたしにはそのようにするしかありません。抱きたいと仰るのであれば、不慣れではございますがそれにも従いましょう」
話がぶっ飛び過ぎてて理解できない。
正座を組み、三つ指をついて、女が静かに頭を下げた。
「ですからどうか、シルバースノウリリィを、いつまでもあなたのお側にいさせてくださいませ」
背中のあたりに変な汗を浮き出させたおれは、何度も何度も瞬きをしながら洞穴の中で視線を泳がせる。
え、これどうしたらいいの?
ドラ子の雑感
どきどき……。
ぅぅ……、……断られたらどうしよう……。




