第一話 侍と竜(イラスト付き。とる様ありがとうございます!)
ねえ、これはたとえばの話さ。
もしも一人の人間が世界中の悪党どもをみんなみ~んなぶっ殺したら、平和になった世の中でそいつはなんて呼ばれるんだろうね。
あり得ないって? ……だからいったじゃないのさ。たとえばの話だって。
世界に平和を導いた「英雄様」って呼ばれるのかな。
それとも、大量殺戮を行った「稀代の悪党」と蔑まれるようになってしまうのかな。
ふふ、あんた、興味はないかい?
嵐の夜の濁流のごとく、轟々と流れる大気が痩せ衰えた矮躯を叩いた。
刺し貫くような寒さに、体表には薄く氷が張っている。それでも侍は荒ぶる暴風に逆らって、己が足先で輝く銀の鱗を強くつかんでいた。
大空にいた。高く、高く。空に浮かぶ雲よりも、なお高く。
『降下を開始します。マイ・マスター』
脳内に直接響く、不思議な女の声。どうやら念話と呼ぶらしい。
「はいよ」
対するは声。当然のように風に散って消える返事。けれども届く。侍を乗せて羽ばたく、この巨大な銀の竜には。
陽光を受けて輝く銀竜が、その鼻先をわずかに下げた。
直後、足場を失うかのような浮遊感と同時に、轟々と流れる風の音がさらに荒々しく変化して、一人と一体は高度を急速に下げ始めた。
「――ッ」
ぶつかる空気の壁が分厚く変化した。侍はしっとりとしたなめらかな鱗をつかむ足先の五指に、さらに力を込める。
油断をすればすっ飛ばされそうだ。この、か細く小さな身では。
ざんばら髪と浅葱色の羽織が暴風で背後に流れ、痩せぎすの浮かぶ肋を露わにした。
「ああ~……寒い~……」
『申し訳ありません。今しばらくの辛抱を』
「気にするな。独り言だ」
刀は抜いていない。腰に吊した鞘の中だ。
美しき銀の竜が、その背に乗せた侍へと再び念話を飛ばす。
『マスター。敵影を発見しました』
眼下に広がる雲の隙間からは、侍の駆る竜よりもずっと大きな、大きな空飛ぶ船。いくつもの砲門を備えた軍用飛空挺が見え隠れしている。
侍が眉を顰めて呟いた。
「なんつう出鱈目だ。羽もねえのに、どういう仕組みであんなもんが浮くのかねェ……」
『マイ・マスター。魔導機関の仕組みについては、わたしにも知識がありません。申し訳ありません』
「独り言だよ。聞いてもきっとわかんねえだろうし、めんどくせえや」
こりゃもう狙われてんなァ……。
臓腑がざわつき、手足の指先まで心地よく痺れる。向けられる殺気には、ずいぶんと敏感になった。
今はもう失われてしまったあの時代。この脆弱な肉体と一振の刀では守れなかった時代の終焉を、情けなく、みっともなく、生き抜いてしまった頃から。
およそ五十門あるという砲門が、一斉に持ち上がる。
ほら、な。
『目標の射程圏内に侵入。あちらは問答無用のようですが、いかがなさいますか?』
「回避しつつ接近できるかい? ああ、えっと――」
『シルバースノウリリィです。マイ・マスター。……というか、まだおぼえてくれていなかったのですね……』
長い名だった。この美しき白銀の竜が名乗った、ずいぶんと長い名前。
たしか、銀雪に咲く純潔という意味だったか。凝った名だ。だが美しい。
「お、おお。すまん。できるかィ? リリィ嬢」
付けた敬称が気に入らなかったのか、幾分不機嫌そうに銀竜が呟いた。
『尋ねる必要はありません。ご命令を』
「回避しつつ接近だ。おれはいないものと思ってかまわない」
呟いた直後、ドン、と臓腑に響く音が大空を震わせた。
『了解』
軍用飛空挺の砲口が黒の煙を吐いた瞬間、射出された鉛玉が大気との摩擦で橙色に燃えながら超高速で迫る。
侍を乗せた銀竜が空中で身を横倒しにした。侍は銀竜の鱗をつかむ両足の五指に力を込め、身を屈める。
「――ッ!」
ゴォと白銀の鱗を掠めて、橙色の砲弾が空の彼方へと消えていった。
危ない。侍にあたれば跡形もなく吹っ飛び、銀竜とて無事ではいられぬ威力だ。
だが、この侍は。この侍は呟くのだ。寒そうに身を縮めながら、平然と。
「行け」
『はい!』
その言葉を皮切りに、軍用飛空挺からは次々と黒煙が吐かれ、無数の砲弾が飛来した。
侍を乗せた銀竜はさらに飛行速度を上げ、己の体躯の十倍はあろうかという軍用飛空挺へと凄まじい速さで接近していく。
次々と飛来する橙色の砲弾を、身をよじり、進路をずらし、ときには錐揉み状態となって躱しながらも、その速度は衰えることを知らない。
侍もまた、銀竜の激しい躍動に動じることなく、両足の指の力だけでその背に立つ。
『――ッ』
「はっはーっ、いいねェ」
どくん、どくん。心の臓が力強く脈打つ。己はまだ生きているのだと主張して。
前方に進みながら上へ下へ、左へ右へ、空を翼で叩いて次々と飛来する砲弾を躱し、銀竜は軍用飛空挺前甲板へと接近してゆく。
だが――。
『あ――ッ』
「っと」
巨大な白銀の翼の先が、雲をひいた。直後、翼は主の意に逆らって折れ曲がり、銀竜はバランスを失って回転、尾っぽから落下をし始めた。
砲弾が命中したわけではない。超高速での回避の際に、無理な負荷をかけ過ぎてしまっただけだ。
一瞬の後には持ち直す。
しかし翼を羽ばたかせた銀竜へと、無数の砲弾が飛来する。
『く……!』
あえて翼をたたみ、もう一度落下することでそれを躱した銀竜が叫んだ。
『七発目、回避不能! 直撃します!』
「頭ァ下げろ」
『え……』
遙か下の地面と平行に立つざんばら髪の侍が、戸惑う銀竜の首根っこを片足で押して下げさせた。そうして両膝を曲げ、腰の刀へと初めて手を伸ばす。
頬が弛む。侍の口角が、悪鬼のごとく耳もとまで引き上げられた。
命のやりとりに恐怖はない。高揚ならばあるけれど。
壱、弐、参――。
一人と一体のすれすれを通過する砲弾を、数えてやり過ごす。
肆、伍、陸――。
銀竜の肩口を掠めた砲弾が白銀の鱗にヒビを入れ、その欠片とわずかばかりの血液を空の彼方へとふっ飛ばした。
『~~ッ!!』
鱗の欠片が頬を切っても、侍は微動だにしない。
柒――!
「――イアッ!」
膝の高さ。抜刀一閃。
銀竜の首ごと侍を穿つべく迫り来た橙色の砲弾を、銀閃が逆袈裟に走った。刃が砲弾に侵入した瞬間を狙い、手首を返す。
砲弾は綺麗に左右に割れて、侍を避けるように通り抜け、勢いを失いながら遙か眼下に広がる草原へと落下していった。