第0章の9
早朝。手早く出立の準備を済ませたケイトたち四人は、森の奥深くへと足を踏み入れていた。
魔者が住む森なだけはあり、鬱蒼とした森の奥は人族の立ち入れる場所ではない。
樹齢何百年かは知らないが、遥かな昔よりこの場所に根を張る大木。その身を拠り所にして繁栄する草花。それら緑の陰から飛び出てくる蛇や狼。
鬱蒼とした森は、行けば行くほどにケイトたちの行く手を阻む。
「あーっもう! うっざいの!」
ルナが大剣を振るう。切っ先より生じた風が渦を巻き、緑のカーテンを切り裂き飛ばす。
ギー、とその影に潜んでいた動植物が森の空を飛んでいった。
「ふん!」
ルナは鼻息荒く大剣を背負いなおす。
「あー、ルナさん。もしかしなくても機嫌悪いですか?」
「別に悪くないの! 普通なの!」
「あはは、そうですか……」
……悪いんですね、わかります。
ケイトは引きつった笑みを浮かべながら、こっそりとルナが不機嫌である原因、その張本人の下へと歩み寄った。
「何、したんですか?」
ひそひそと、ケイトはヴィオラの長い耳元でささやく。
「あはは~昨日のお勉強のせいでしょうかね?」
問われたヴィオラは、緩い笑みを浮かべたままそれっぽい答えを口にするが。
「違いますね」
「どうしてそう思うんですか?」
「ルナさんが機嫌悪くなったのは、今朝方ヴィオラさんが彼女を起こしてからです」
だから、昨日のお勉強のせいということはない。いや、関係ないわけでもないのかもしれないが。
「……あ~、あはは、まあ、なんというか、ちょっと遊びすぎたと言いますか」
「具体的には何をしたんですか?」
「こう、ルナちゃんを起こす時に胸をモミモミっと」
言って、ヴィオラは両の指をワキワキと動かす。十本の指全てが別々に、よどみなく動くその様からは、熟練の技を感じさせた。
……って、あなたは一体どこに向かおうとしているんですか。
呆れ、疲れたようにケイトはため息をついた。
「全く、朝から何やってんですか」
「あら? そんなことを言うケイトさんだって、シャムちゃんに何したんですかね~?」
ギクリ、とケイトは身を硬直させる。
「……別に、ただのマッサージです」
「へ~マッサージですか~……」
「ええ……」
「へ~……」
疑惑と好奇の視線に、スッとケイトは視線を逸らす。
そして、その視線の先にはシャムがいた、のだが。
「ぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅぁぅ」
顔を紅潮させ、意味のわからぬ言葉を呟き、その足取りは不明瞭、見れば一目瞭然の何かあっただろお前、な有様であった。
「はあ、降参ですよ。まあ、僕も昨日はちょっとやりすぎました」
「ですか~」
「ええ。ですので、ここはお互い二人に謝罪をするということで」
「それが無難ですかね」
と、二人は頷き合い。ルナとシャム、二人の下へと歩み寄っていくのであった。
X X
「全く。もう怒ってないけど、ああいうのはやめるの」
「あはは、了解です。でも、たまにはいいですかね~」
「そ、そこまでして揉みたいの?」
怒気を消し、呆れを表に出したルナと。
「わたしは別に怒ってたわけじゃないんだけどね」
「ですが、昨日のあれは少々やりすぎた感があったので」
「で、できれば昨日のことは忘れて欲しいな」
すっかり常通りの平静さを取り戻したシャムが、二人の謝罪を受け入れている。
もとより、両名はそれほど怒っていたというわけではなかった。ルナは昨晩与えられた知識に戸惑っているという部分が大きかったし、シャムはケイトからの予想外の答えに動揺していたという部分が大きかったのだ。
だから、それほど拗れることもなく二人は謝罪を受け入れていた。
「でも、ただ謝罪をもらうってだけじゃ不公平なの」
こっちは胸揉まれたんだし、とルナは頬を膨らませる。
「そうですね。では一つ。ワタシがルナちゃんの言うことを聞くということでどうでしょうか~」
「お、それいいの」
ヴィオラの提案に、ルナはニヤリと笑い。
「じゃあ、その乳揉ませるのーーー!」
「いやん♪」
ヴィオラへと飛び掛った。
「うわ。何これすっごいの。何が詰まってたら胸がこんなにグニャングニャンなるの?」
「う~ん、日々の弛まぬ努力が、でしょうか~」
「そんな馬鹿ななの!」
慄くルナの手の平の上で、ヴィオラの大きな胸が自由自在にその形を変え、服の上から零れ落ちそうになる。
そんなルナの手をヴィオラは僅かに赤らんだ顔で受け入れている。
……何やってんですか。
ケイトは、あまりにもあんまりな光景から意図して目を背け、シャムに視線を送る。
「シャムさん。シャムさんは僕に何かありますか……って、シャムさん?」
「うう、何アレどうなってるの。なんで胸があんなプリンみたいになるの? 不公平だよ、差別だよ、っていうか、今から一年かそこらであんなになるなんで無理ゲーだよ。……って、な、何? ケイトさん」
……見なかったことにしょう。
暗い視線を二人に、正確に言うならヴィオラの胸に送っていたシャムの名誉のため、ケイトは今見た光景を頭から消した。
「いえ、ヴィオラさんがああ言っていましたし、僕にできることがあれば言って欲しいと思って」
「ああ、いや、別にわたしはいいよ」
「そうですか? 何でもとは言いませんが、僕にできることなら言ってくださっていいんですよ」
どうぞ前慮なさらずに、とケイトが言うと。シャムは、しばし頭を悩ませる。
「うーん、そう? じゃあ、王都に行ったらゲームに付き合ってよ。ウタカタにあるわたしの部屋には色々面白いゲームもあるからさ」
「……賭けませんよ」
「……ダメ?」
シャムは可愛らしく、上目遣いに言う。
……これほどお願いの内容と食い違った可憐さもありませんね。
と、ケイトは何ともいえない気持ちに脱力した。
「いいですよ。ただし、晩御飯のおかずを賭ける程度であれば、ですが」
「えー、あの限度一杯まで賭けてのひりつく感覚が楽しいんだけどなぁ。……ま、いいか。じゃあ、約束だよ。ケイトさん」
言って、素敵な笑顔を浮かべるシャムの後ろに鬼を幻視したケイトは。
……これ、早まったかもしれませんね。
と、約束して早々に後悔するのであった。
「むむ。やるなら私も混ぜるの。昨日のリベンジなの」
「あらあら、賭け事はほどほどにしておかないとダメですよ~」
色々堪能したのか満足げなルナと、微かに赤い顔をして汗を滲ませたヴィオラがこちらに近寄ってくる。
何も見てない見てない、とケイトは知覚した情報を意図して削除する。
「シャムさん。ルナさんまで鴨にしてたんですか?」
「鴨ってことはないよ。ルナさんすっごくカードの引きが強くていい勝負だったし。だからルナさんも王都についたらまたやろ」
「もちろんなの」
笑いあう二人に、ケイトとヴィオラの二人は苦笑する。ようやりますね、と。
そうして、四人は再び一丸となって森を歩き出す。
そんな中、すっかり機嫌が良くなったルナが、そういえば、と話を切り出す。
「何で森の奥に向かってるんだっけ?」
もう忘れたんですか、とケイトは言いかけ、実は自分も良く知らないことを思い出して口を噤む。
「あら、言ってませんでしたっけね~」
「ご、ごめん。すっかり忘れてた」
ああ、気にしない気にしない、とルナは謝る二人に手を振り応え、ついで笑みを浮かべる。
「森の奥で一大事が起きたっていうのは聞いたの。それで、一大事ってのはなんなの?」
一大事、とやらに闘争の臭いを嗅ぎ取ったのだろう。ルナは実に楽しげに笑う。
「確か、遺跡が見つかったとも言っていましたね」
まあ、自分も同じ穴の狢なのだが。
と、ケイトとルナ、二人の期待の視線を受けるヴィオラとシャムは一度視線を見合わせ。
「うん、確かに遺跡が見つかったよ。そして……」
「その場所はひょっとすると、オーガ大量発生の原因に関係あるかもしれません」
そんな特級の厄ネタを口にするのであった。
X X
「オーガの?」
ケイトが眉間に皺を寄せる。それは隠し切れない驚愕の表れなのだが。
……この程度の驚きで済んでいるあたり、ケイトさんも普通じゃありませんよね~。
そして、それが頼もしい。
そも、オーガとは魔者の中でも強種に位置する。一体で村が滅び、数体もいれば町が滅亡し、数十もいれば小国が存亡の危機を迎える。その程度には危険な存在なのだ。
確かに、自分やシャムであれば、オーガ相手であろうと早々負けはしない。しかし、昨日のように百を超えるオーガが相手であったとしたらそう簡単にはいかない。実際、昨日のオーガを二人で片付けるのは難しかっただろう。
そして、これから向かうのはそのオーガの大量発生の原因があるかもしれない場所なのだ。最悪、多数のオーガ以上の何かが潜んでいる可能性すらある。
だからこそ、ケイトがこの場にいたことは幸運で。
「何それすっごいの!」
ルナがここにいたのは何よりの幸運だ。
「ええ。といっても、実際関わりがあるかは現状不明なんですがね~」
「ただ、タイミングを考えると可能性は高いってことだね」
「はあ。それはまた、随分と大きな話に。……一体、何があったっていうんですか?」
「そうですね。では、順序立てて説明していきましょうか。……まず、事の起こりは王都の冒険者組合に、とある冒険者たちから火急の知らせが入ったことです」
冒険者の宿を始めとした、大陸北部各地に存在している冒険者へと依頼を斡旋する店を束ねる組合、それが冒険者組合。その、本部が存在するヴィオラたちの住む国の王都へとある報告が届いた。
「本来なら存在するはずの幾つかの手続きを無視して上層部まで届けられたそれは、ちょっとしゃれにならない報告でした~」
「そう。なにせ魔法文明時代の生きた遺跡の発見報告だったからね」
「魔法文明時代の、それも生きた遺跡ですか……」
ケイトの表情が引きつる。さすがに知識が豊富だ。反応が早い。
ヴィオラは感嘆し。
「んー、魔法文明時代の遺跡が何だって言うの?」
ええ、わかっていました。期待通りの反応です。
ルナに向かって微笑を浮かべる。
「ルナちゃんは可愛いですね~」
「ルナさん……」
「な、何なの二人して」
ヴィオラの生暖かい笑みと、シャムの半笑いにルナは視線を泳がせる。
「はあ。ルナさん。魔法文明時代というのは、今の時代から見ても遥かに高度な文明を築いていた時代です。一般に、魔法科学などともよばれる技術の最盛期でもあります」
「それくらいは知ってるの。でも、それがどうしたの?」
今一わかっていないルナに、ケイトはいいですか、と続け。
「たとえば、見つかった遺跡が軍事施設で、魔法文明時代に作られた強力な兵器がまだ動いていたとします。そしてもし、その兵器が無差別に人を襲うようになっていたらどうしますか?」
「それは楽しそう、じゃなくてヤバイの」
ケイトの白い目に泡を食って言い直したルナの目に、ようやく理解の光が灯る。
「なるほど、大体わかったの。つまり、危ないから壊しちゃえっていうことなの」
「そこまでは言っていませんよ……」
「あはは、実際、わたしたちに来た依頼は、破壊じゃなくて調査だからね」
「ええ。教団からの依頼は調査ですね。ただ、最悪の場合は破壊する許可も下りていますが~」
「……何故、そこで教団が?」
ケイトとルナが困惑した様子を浮かべる。
それはそうだろう。冒険者経由で来た報告という話だったのだから。
……まあ、ここが、今回の一件のややこしいところなんですよね~。
「何故か、というとですね。今回の一件。事が大きすぎて、王都にある冒険者組合を飛び越え、そのまま王城にまで届いちゃったんですよね~」
つまりは、国のトップにまで話が届いたということだ。
「普通ならありえないんだけど、ものがものだからね。国が動かないわけがないんだよ」
「なるほど。冒険者に任せるのは不安ということですね」
「まあ~その通りです」
先ほどのケイトのたとえ話がいい例だろう。
仮にもし、魔法文明時代の遺跡が軍事施設で、なおかつそれが生きていて、冒険者がそれを占拠してしまったとしたらどうだ。最悪、占拠した者の人間性次第では国を揺るがす事態につながりかねない。
もちろん、このたとえ話は少々誇大妄想染みた話ではある。が、絶対にないとは言い切れないレベルで実現性があるというのが嫌な話だ。なにせ冒険者は国に仕えているわけではない。国に忠誠心などないのだから信用できないというのも無理のないことだ。
「ん、話はわかったの。けど、それなら何で自分の国の兵士を動かさないの?」
ルナのもっとも至極な意見に、内心肩を落とす。
「それがですね。困ったことに、動かせる兵士がいなかったんですよ」
え? と、ケイトとルナが呆気にとられた顔をする。
気持ちはわかる。と、思いながらヴィオラは話を続ける。
「折り悪く、大陸北部の魔者の国にて動きがあり、騎士団の大部分はそちらに急行。更に、個人戦力として能力があり、かつ信のおけるものものまた、他国の援軍に赴いていて手が空いていなかったそうです」
「うわぁ……」
ケイトが頭痛い、とこめかみに手を当て。
「使えないの」
ルナが言い切った。
全くもって同意見である。
「ええ。とまあ、そういう事情のため、王国は次善の策を打つことにしました。それが、王国とも付き合いの深い、ラース教団と冒険者組合への共同依頼です」
自国の兵士でこそないが、国に住み、なおかつ様々な面で貢献してくれている教団から信用のおける者を出してもらい。また、同時に冒険者組合からも優秀で信用のおける者を出してもらう。単独の組織から出すのでは不安だが、両方の組織から選りすぐりの者を出すのであればまず問題はないだろうという判断だ。むしろ、自国から変な兵士を送るより万倍ましだ。
「そして、その依頼を受けた結果、教団でもそこそこの地位にあり、副業で冒険者もしているワタシが派遣されることとなったわけです」
「で、冒険者組合からは、そのヴィオラさんと付き合いがあって、そこそこ腕が立ち遺跡に潜った経験があるわたしが選ばれたってわけ」
と、以上が事の顛末であった。
6/19
編集中に間違って消してしまったので再執筆中。
心折れそう……
※6/19追記
再執筆完了
記憶のみを頼りに書いたので、大筋は変わっていないが、細部に違いが出てしまった。
まあ、内容は別に変わっていないので読み返す必要もないですが。
あと、急いで直したから手直しはするかも。ごめんなさい。