第0章の7
日も落ちた夜の森。その奥深くでは、真昼の森とは異なる景色が広がっている。
昼間活動している生物のことごとくが自らの巣へと帰り、代わりに顔を出すのは夜行性の生物たち。
普段見慣れない生物たちが顔をそろえて森を闊歩し、木々がざわめく音が響く。
真昼とは全く性質が異なる闇夜の世界。
その光景は、一寸先すら見通せない深い夜の暗さもあいまって、昼を生きる生命に原始的な恐怖すら抱かせる光景だ。
ただし、ごく普通の生命であれば、という但し書きがつくが。
そう、たとえばここにいる四人などはその但し書きが必要な面子であろう。
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森の奥深くの、とある一角。
木を切り倒してできた四方五メートルほどの小さな空間に、四人の男女が円を描くようにして座っていた。
「あー! 今日は色々あったけど楽しかったの!」
暴れた暴れた、と至福に満ちた顔をして大きく背を伸ばすのはルナだ。
彼女は先ほどまで着ていた鎧を脱ぎ、背負っていた大剣を傍らに突き立て横倒しの丸太、近くにある木を適当に切り倒して作ったそれに座っている。
「そりゃ、あれだけ暴れればね」
隣に座るシャムが、呆れたように呟きながら手にした枯れ枝を放る。
枝はクルリと弧を描きながら、彼女の目の前にある焚き火へとくべられる。ケイトが魔法をかけていた枯れ枝は、ボッと火の勢いを一瞬強めると安定し、長く燃料として燃え続ける。
それを軽く目で見届けたシャムは、着たままの黒いコートから次々と刃物を取り出していく。
長さも大きさも、金属の種類もまばらなそれらをシャムは目と手で確認していく。
「シャムちゃんは真面目ですね~」
座ったままシャムに横目で視線を送ったヴィオラが言う。
格好こそ変わっていないが、こちらも杖を横に立てかけてすっかり休息モードである。
「あまり、気を張られすぎても困るのですが、大丈夫ですか?」
くつろぐ二人と、緊張の糸を張ったままの一人を椅子に腰掛けたケイトは見つめる。
オーガの大群を退けた四人は、その足のままに森の奥へと向かっていた。
ヴィオラとシャム両名の森の奥へと向かうという意向をケイトとルナが認め、同行することを求めたからだ。
そして、森の奥に向かった時間が遅かったこともあり、その道中で夜の帳が降りてしまったためこうして野営しているのであった。
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……こういうところにも各人の性格っていうのは出るものですね。
ルナは驚くほどに自然体、よくもまあこんな森でそこまでと言えるほど完全に気を抜いている。ヴィオラもまたそれに近いが、その実森には一定の気を配っている。そしてシャムは、戦闘時と比較すれば数ランク落ちるが警戒を解いていない。
各々の役割もあるが、実にわかりやすいことだ。と、軽く分析しながらケイトがシャムに問うと。
「ありがと。でも大丈夫だよ。スカウトの仕事の一つだもんこれも」
軽い調子で答えるシャムは、それに、と続け。
「わたしは竜人だからね。別に睡眠も必要ないし。火の番をするのはわたしが一番だよ」
竜人の特性の一つ。それは睡眠を必要としないということ。
元々は竜が有する特性で。竜は長い年月を眠り続けることもできれば、起き続けることもできるという特殊な種族でもあった。
「それずるいの。私も寝ないで生活できたら剣の鍛錬とか一杯できるのに」
「まあまあ、ルナちゃん。シャムちゃんの、この特性はそれほど万能というわけでもありませんから」
そうなの? と、首を傾げるルナにヴィオラが解説を始める。
「ええ。実際には眠りを必要としないだけで、眠たくないわけではありません。それを我慢できるようにできているというだけなのです
だから、護衛の仕事で何日も徹夜を続けたシャムちゃんが眠そうに目蓋を擦るという実に可愛らしい光景は、ワタシや娼館のお姉さま方の間では人気なんですよ♪」
「少し補足すると、竜人は寝貯めが可能な種族です。このことからも竜人がいかに睡眠に対して特殊な性質を持っているかが窺い知れますね」
「へー、竜人って凄いの。でも、起きられるっていうのも案外大変なの」
ルナが感心したように頷き、再び首を傾げる。
「ところで、娼館って何なの?」
せっかくスルーしたのに、と小さく呟くケイトを他所に、ヴィオラが喜色に満ちた顔をする。
「あらあら、知らないのですか?」
「む。そう言われるとちょっとあれなの」
ヴィオラの物言いに反抗心が湧き立ったのか、うーん、とルナは唸り声を上げて思案する。
そんなルナの様子に微妙な表情をしたシャムが口を挟む。
「ヴィオラさん。変なこと吹き込んじゃだめだよ」
「あら? うふふ、変なことだなんて、そんなことありませんよ~」
ただの性教育です、と艶のある笑みを浮かべ。
「ルナちゃん。わかりましたか?」
「むう、降参なの!」
「では、ワタシが教えてあげましょう」
「よろしく頼むの!」
ではでは、と呟き、唇を舌でぺロリと一舐めしたヴィオラが話を始めようとして。
「娼館とは即ち娼婦を雇っている店のこと。そして、娼婦とは性的なサービス、つまりは性交渉などを客に行うことを生業とする職業のこと。以上です」
先んじたケイトが無表情に、淡々と、かつ早口で告げた。
己の発言に対し機先を制した発言、そのあからさますぎる意図にヴィオラが不満気に眉を立てる。
「あら、ケイトさん。それはあんまりではありませんか~?」
「妙なことを吹き込む気満々だったくせによく言いますよ」
「ふふ、そんなこと言って♪ 本当はそういう妙なことを聞きたかったくせに♪」
艶美な笑みを向けてくるヴィオラをケイトは、何言ってんだこいつという白い目で見つめ返す。
「アホなことを言わないでください」
はあ、とケイトはため息をついた。
そして、意外と言うと失礼だが、驚くほどに初心なルナがどんな反応を見せているのかと視線を飛ばせば。
「…………もうちょっと私にわかる言葉で話して欲しいの」
全くわかっていなかった。ルナはすねたように口を尖らせている。
……マジですか。
ケイトは目を丸くする。いくらなんでも今の説明でわからないとは思っていなかった。ついで、彼女の両親はどんな教育をしたんだと若干の頭痛を覚え始める。
「あらまあ……」
ヴィオラも、その反応はさすがに予想外だったらしく、手を頬に当てて驚いたような声をもらす。
「えっと、ルナさん。何がわからなかったの?」
「何って、全部?」
「全部って?」
「せいてきなサービスとか、正直何言ってるかわからないの。あ、さすがに職業とかはわかるの!」
「あ、え、じゃ、じゃあ子供ってどうやったらできるか知ってる?」
「そんなの結婚したら自然にできるものなの。私はそう教わったの」
「うわぁ……」
あんぐりと口を開けるシャムを前に、ルナは自信満々に告げた。
……ダメだこれ。
ケイトが静かに頬の筋肉を痙攣させて顔を覆った。
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「集合ッ!」
いつの間にかルナから離れていたヴィオラが手を掲げて告げる。
言わずとも伝わる、これが本当の以心伝心とばかりにケイトとシャムがヴィオラのもとに集った。
え? え? と、動揺するルナを後方に置いて三人が会議を開始する。議題はもちろんルナの性知識についてだ。
「いや、どうしましょうかあれ」
ケイトが疲れたように言う。
「あはは、あれはあれで可愛らしいんですけどね~」
言葉に反し、乾いた笑みをヴィオラは浮かべる。
「いやまずいよ。絶対、そこらの子供よりわかってないよあれ」
シャムがどうしようと呟き額に汗を滲ませる。
三人が三人ともにあれはまずいとまずは問題を共有し合い、しばし沈黙する。
「……とりあえず、どうしますか?」
「まあ、あのままというわけにもいかないでしょうね~」
「うん。ルナさんって美人だし、このままじゃ絶対何か間違いが起きて危ないもん」
ですね、と三人がとりあえずどうしてああなったかは置いといて、これからどうするかに焦点を当てようと頷き合った。
「では、誰が教えますか?」
ケイトの言葉に三人が顔を見合わせて。
「まず僕は却下ですね。男ですし」
ケイトが早々に矢面に立つことから逃げ。
「ですね。じゃあ、ここはシャムちゃんでお願いします♪」
ヴィオラがシャムに振った。
「ぃえ!? い、いや、いいけどさ……」
流れるように自身に役回りを振られたシャムが頬を引きつらせるも、すぐに納得したように首を縦に振った。
「ふむ、意外ですね。てっきり、ヴィオラさんが自分で教えるかと思いましたが」
「もちろん、ワタシも加わりますが、多分シャムちゃんの方が向いてますからね」
「それはまたどうして?」
「シャムちゃんの本業は娼館の護衛なんですよ。で、シャムちゃんが所属する娼館には小さい子とかが見習いという形で所属していまして。そういう子に教える経験はシャムちゃんの方が上なんですよ~」
さらっとルナを小さい子と同等扱いにしつつヴィオラは言った。
「へえ、そうなんですか」
「うん。わたし、普段は娼館に住んでるから。時間のある時とかにちょっとね。……まあ、わたしの見た目が幼いって理由もあるんだけどね」
見た目の年齢が近い方が話しやすかったりするんだよねあはは、と半笑いで告げるシャムに、若干の同情の眼差しをケイトは送った。
ヴィオラはそんなシャムの不憫な様にクスリと微笑み。
「と、まあ、そういうことですので、基本はシャムちゃんで、フォローをワタシという形に。ケイトさんは魔法関係のサポートをお願いします」
「ああ、避妊魔法なんかですね」
「それと性病関係ですかねメインは。まあ、神術でそれをおこなうことも多いのですが、それだけじゃありませんからね~」
「うちの娼館はヴィオラさんのとこの教団と契約してて、そっち方面は完全委託だから。わたしは、神術の方が馴染み深いんだけどね」
「なるほど。とはいえ、僕の地元では魔法が主流でしたし、両方の知識があった方がいいでしょうね」
「だね」
「ですね~」
と、三人が頷き。ここに会議の閉幕がおこなわれた。
となれば次は。
「では、これより」
「ルナさんの」
「性教育を始めましょうか♪」
議題の遂行あるのみである。
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「う、うぅ……コウノトリは嘘、キャベツ畑に子供はいないのぉぉぉぉ……」
ルナが目を回してひっくり返っている。今まで信じてきていた幻想が木っ端と砕かれた上に必要そうな情報をこれでもかと詰め込んだのである。それもしょうがないことだろう。
「ふう。……疲れた」
まさかこの年齢になってからの知識の矯正がこれほど大変だったとはと、ケイトは肩を落とす。
そして、自分に子供ができた時にはちゃんとそっち方面の知識も教えようと誓った。
「本当にね……」
幾分やつれたようにすら見えるシャムが大きく嘆息した。
こういうことになれているとはいえ、矢面に立っていた彼女の疲労は中々のものだろう。
「うふふ、お疲れですねお二人とも」
内面はともかく、表面上はこの中で一番元気そうに見えるヴィオラがハーブティーを差し出してくる。
「あ、どうも」
「ありがと」
何時の間に入れたのか、それに普段から葉を持ち歩いているのか、そんな疑問を抱きながらカップに口をつける。
「……美味しいですね」
思わず声がこぼれる。
「ありがとうございます♪ ちなみにそれは、微量ですが魔力を回復させる効果もあるんですよ~」
なるほど、獣人である彼女の魔力は低い。それを少しでも補うための用意か。と、ケイトは感心しながら二口目を口に含み。
「ちなみに精力増強の効果もあります♪」
「ぶっ!?」
吹き出した。
「ごほっ、ごほ、ごほ……」
気管に入ったのかむせて喉やら何やらが痛い。鼻がツーンとする。
「うわぁ……危なかった……」
まだ口をつけていなかったシャムが冷や汗をかいている。
「ん、んん! ……ヴィオラさん?」
……わざとやりましたねこの人。
ケイトはヴィオラを睨みつける。
「うふふ、油断大敵ですよ。ケイトさん」
しかし、ヴィオラは小揺るぎもしない。微笑を浮かべ、ケイトをからかう。
……まったくこの人は。
ケイトはため息をついて再びカップを口に運んだ。
「ふふ、ところでルナちゃん。そろそろ復活しましたか?」
「うぅ、頭痛いけど一応大丈夫なの」
ルナはよろよろと起き上がって椅子に座りなおす。
そんなルナに苦笑してヴィオラはケイトたちと同じものをルナにも手渡す。
「ありがとなの」
「いえいえ~」
そして、ヴィオラも自分の分を入れるとホッと一息をつく。
かと思うと何やら思い出したように呟いた。
「そういえば、ルナちゃんのその喋り口調って、キャラ作りか何かですか?」
……おいおい、それを聞いちゃうんですか。
ケイトは静かに額の汗をぬぐった。
「? キャラ作りって?」
「う~ん、ようするにその喋り方、語尾によく、なの、をつけるのは素なのかどうなのかってことですよ」
「あー……」
ヴィオラの言いたいことがわかったのか、ルナが困ったように頬を人差し指でかく。
「えっと、聞きたいんだけど、この喋り方って変なの?」
「ワタシは可愛いと思いますよ♪」
二人は? と、ルナは即答するヴィオラから視線を外して問うてくる。
どう答えたものか。
「わたしは、まあ、ルナさんが喋りやすいように喋ればいいと思うんだけど」
「そうですね。僕もそう思います。それに確か、南部のとある地方ではそのような訛りがあると聞いたことがありますから」
シャムの答えに乗る形で、少し言葉を足して答える。
するとルナは嬉しそうに微笑んだ。
「ケイト君、正解なの! 私のこの喋り方はお母さんの地元での喋り方なの! 私、お母さんのことはすっごく尊敬してるからまねしてるの!」
義姉から聞きかじった程度の知識がまさか直撃していたとはと、ケイトは目を丸くする。
「ルナさんって南部の出身だったんだ」
「珍しいですね。あ、まねしているということは、ルナちゃんって普通に喋ることもできるんですよね?」
「まあ、やろうと思えばできるの」
聞きたい? と、ルナがケイトたちに問うてくる。
「まあ、興味はありますよね?」
二人に聞けば、両名ともに頷き返す。
「じゃあ、ちょっとだけ普通に喋ってみるの」
そう言ってルナは軽く咳払いをすると。
「これでよろしいでしょうか?」
随分と上品な声が夜の森に響いた。
X X
ケイトたち三人が固まる。微妙な空気が場を支配する。
「あの? 何か、問題がありましたでしょうか? それほど変な言葉使いをしたつもりはないのですけれども……」
ルナが一声喋る度にぞわぞわと背筋に寒気が走る。まるで、名状しがたいものと突発的に遭遇してバナナパイを投げつけられたかのような衝撃だ。
何だこれは。誰だこれは。違和感が酷すぎる。ケイトは肌が粟立つ感覚に頬を引きつらせる。
それは他の二人も同じだったようで、ヴィオラは笑みが凍り、シャムは口元が痙攣している。
「……あの、どうしましたのでしょうか? みなさん」
困ったように頬に手を当てて微笑むルナからは、どういうわけか良家のお嬢様を思わせるオーラが発せられている。
一つ一つの所作が流麗。また、どこか陰のある微笑は他者を惹きつけて止まないであろう魅力を感じさせる。
しかしこれは。
口調が変わったというより、人が変わったに等しい変化にケイトは限界だった。
「ルナさん、やっぱり喋り方は元に戻してください」
「うん、そうして欲しいな」
「早急にお願いします」
三人が次々に言う。
天真爛漫を絵に描いたようなルナと、たおやかに微笑むルナとのあまりのギャップにもう限界だった。
はあ? と、首を傾げるルナが一つ咳払いをすると、彼女がまとっていたお嬢様風のオーラが霧散した。
「これでいいの? まったく、そんな微妙な顔をするなんて失礼なの」
ああ、いつもの、といってもほんの数時間の付き合いではあるが、それでも自分が知っているルナに戻って大きく息を吐く。
「いや、これでこそルナさんです」
「そうだね。さっきのはなんか、すっごい違和感があって」
「ほ、ほんとに失礼なの……」
あんまりといえばあんまりな物言いに、ルナが目を吊り上げる。
「ふふ、まあ、そう怒らずに。ワタシたちは今のルナさんの方が好きということですよ」
「うーん、それならいいけど……」
なんか微妙な気分、と言いながらルナは軽くあくびをする。
「あー、そろそろ眠いの」
「まだ早いと言えば早いですが、ワタシたちは昼間派手に動きましたからね~」
時刻はまだ日をまたぐ時間には遠いが、それでも疲労はルナとヴィオラの眠気を喚起するには十分なようだった。
それに、魔力を消耗しているというのも大きいだろう。魔力もまた生命が持つエネルギーであり、失えばそれを少しでも回復させようと体の機能が自発的に働くからだ。
「そうですね。では、ルナさんとヴィオラさんはそろそろ就寝を。見張りは僕とシャムさんで続けるので」
「む。それだと二人が休めないの」
「わたしは大丈夫だから、ケイトさんは途中で交代する形にしようか。三人で交代して眠れば問題ないよね?」
「問題ありませんよ。それでは、魔力のこともありますし、ケイトさんの次はルナちゃんでお願いしますね~」
「了解なの」
と、四人が合意したところで、ヴィオラがルナの肩を叩く。
「それではルナちゃん。ワタシたちはテントに行きましょうか~」
「わかったの。二人ともよろしくなの」
「ええ、お任せを」
「お休みなさい。二人とも」