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夕方近くになり、彼女は行動に出ました。神殿へ行くというのです。
近臣や騎士には、「彼女が無事に見つかるように祈りにいく」と涙ながらに伝えました。神が見つかるように神に祈るのはどうなのだろうと、彼はこっそり首を傾げました。
神殿は山の中腹に立つお城から少し登ったところにあり、街の中でも一番高く、空に近い場所に作られていました。
彼と彼女は騎士をお供に、坂道をてくてくと登ります。道は舗装されているので険しくはありません。
神殿に入ったとたん、神官たちがわらわらと駆けよってきたらどうしようと彼は危惧していたのですが、どうやら杞憂のようでした。『彼』が神殿に着いても神官たちはいつもどおりで、誰も騒ぎださないのです。となりに立っているつもりの彼に対しても、小鳥としか認識しませんでした。
「神域に動物を入れてはなりません」
立派なあごひげを蓄えた老人神官が言いました。彼は困ってしまったのですが、彼女は見越していたようにうなずいて彼に言いました。
「おまえはここで待っていろ」
彼女は騎士を連れて、神殿の中に入っていってしまいました。なにを企んでいるのかさっぱりわからない彼は、入り口近くで困りはててしまいました。騒ぎが起こっても騎士がなんとかしてくれるでしょうが、それでも心配でなりません。
うろうろしながらどこからか忍びこめないかと探ってみましたが、入り口は門番がいるので無理です。それならほかにはどうだろうと裏へ回ってみることにしました。どこか死角から入れないかと考えたのです。さいわい『小鳥』ですから姿は小さいですし、自然を装っていれば誰も気にかけないかもしれません。
門番を気にしながら、大きな柱と柱の合間を泥棒のようにこそこそのぞいていると、目の前に人影が現れました。しまった、と彼が一歩下がると同時に、聞きなれた声がしました。
「陛下」
相手はあわてていたようで、声には安堵がにじんでいます。けれども、彼は驚いて騎士の顔を見ました。
「私だとわかるのか」
騎士はきょとんとしました。どうやら本当に王さまだと認識しているようです。
「いきなり姿を消されたのでびっくりしました。どちらへ行かれていたのですか?」
「いきなり姿を消した……?」
彼は騎士の言葉をくりかえしました。騎士は彼女と一緒にいたはずなのです。それなのに『彼』のふりをした彼女が急に消えてしまい、彼が小鳥から自分に戻ったとはどういうことでしょう。
とにかく、彼は神殿の中に入ることにしました。深く考えるのはあとにして、とりあえず彼女を捜す方が先です。
「おまえは外で待っていてくれ。捜しものをしてくる」
そう騎士に命令すると、彼は念願の入り口から神殿へ入りました。
神殿の中はうす暗く、ひんやりとしていました。
真っ白な外套風のローブを着た神官たちが、大きな柱の間をゆったりと行きかっています。神官たちの服装はまだ『星の民』と呼ばれていたころの名残らしく、彼の儀式用の正装も似たようなローブでした。ちがう点と言えば、色が群青色なのと、大きな蒼玉をつけるところです。
フードをかぶった神官たちを気にせず、彼は奥へと進みました。ぽつりぽつりと灯された炎が時折ゆらめき、柱の影や彼の影も同じようにゆらりと踊ります。ちょうど中央あたりに大きな祭壇があり、白い人影がわらわらと集っているのが見えました。
いつもはここで祈りを捧げるのですが、今日はそのまま素通りして奥へと進みます。
彼の頭の中では、神殿に入った瞬間からあるものが彼を呼んでいました。それは光のようであり影のようであり、火のようであり水のようであり、そして善のようであり悪のようでした。そんな変わった存在に彼は磁石のように導かれていきます。正体はなんとなく察していたので、恐れることはありませんでした。
こんなに存在を意識するのは初めてでした。ここが女神を祀る神殿だからなのか、それとも女神の居場所がわからないからなのかははっきりしません。けれど、彼にはその存在こそが世界の中心に思えてならないのでした。
さくさくと進んでいくと、なにやらうしろから足音が聞こえてきました。振りむくと、なぜか弟が自分を追いかけてきています。
「どうしてここにいるんだ」
「兄上こそ、こんな奥まで忍びこんで、なんのつもりだ」
どうやら弟は機嫌が悪いようでした。彼は苦虫を噛みつぶしたような、しぶい表情をしました。そういえばさっき彼女がよけいなことを言っていたなあと思い出したのです。
「……捜しものをしているんだ」
「さっき言っていた女神か?」
「ちがう。おまえには関係ない」
弟はますます機嫌を悪くしました。彼はしまった、とほぞを噛みました。
「ご先祖たちが捜しつづけてきた女神をさしおいて探しものとは、さすが兄上だ」
「彼女のことは大臣たちに任せてある。私も捜しに出てきたんだが、大切なものを失くしてしまったんだ」
ふん、と弟は鼻を鳴らしました。
「女神より大切なものなのか」
「……あるいは」
そうであってほしい、と言う前に、彼ははっと奥を振り返りました。自分を呼ぶものが移動しはじめたのです。
「とにかく、おまえが気にすることじゃない」
それだけ言うと彼はまた歩きだしました。けれども様子がおかしいと思ったのかなにか察したのか、弟までもついてきます。
「どうしてついてくるんだ」
「兄上には関係ない」
ぶっきらぼうに言われて、彼は嘆息しました。どうすべきか、と頭の中で考えます。
出入り口は正面にしかありません。窓やすきまがあれば別ですが、基本的に出るにはまた引き返すしかないのです。弟に見つからずに彼女を捜すのには無理がありました。
彼女もじゃまが入ったことに気づいているようで、たくみに場所を移動しながら彼らから姿が見えないように隠れています。けれども建物の中は壁がなくがらんとしていて、巨木のような柱が林立しているだけです。うまく立ち回らなければ目に止まってしまいます。
これだけ居場所がわかっているのだから一度去るべきだろうかと、彼が悩んだ瞬間でした。弟があっ、と声を上げて、いきなり走り出しました。彼もあわてて弟のあとを追いました。弟が向かった先には彼女がいるからです。弟は迷っている様子でしたが、確実に彼女に近づいていきました。逃げてくれ、という彼の願いも虚しく、弟は彼女を見つけてしまいました。
うす暗い中でも、不思議と彼女は光って見えました。目があうと、忌々しそうににらまれます。けれども、彼よりさきに駆け寄った弟が足下に跪くと、よりいっそう眉間にしわを寄せました。
「女神よ!」
弟は感極まったように叫びました。
「我々の求めに応じてくださり、心より感謝いたします。祖先らが渇望しつづけてきた貴女のお姿を目にすることができて、ただただ感動に浸るばかりでございます」
ぐわん、と彼の中でなにかが鳴りました。弟はさらに彼女に向かってつらつらと感動のあまりを語ります。
「我々は貴女が夜空に輝かなくなったいにしえの日から、ずっと貴女を捜し求めてまいりました。貴女のうつくしい姿に想いをはせて嘆く夜を、数えきれぬほど重ねてまいりました。我々は畏れおおくも、貴女の御身を襲った災いを取りのぞき、女神にふたたび夜空で君臨していただくために存在するのです」
いきなり弟が彼女の手を取りました。彼女は驚いてその手を振り払いましたが、その前に彼の中でなにかがばちりと弾けて、視界が真っ白になりました。
「無礼者が!!」
それは雷のような威力を持っていました。彼はつかつかと弟に歩み寄ると、むんずと胸ぐらをつかんで床に叩きつけました。
「おまえのような者が我らの願いを奏上するなど片腹痛い! しかも女神の御身にふれるなど、なにを考えておるのだ!?」
弟はなにが起きたのかわからず、自失したように彼を見上げます。しかし彼は大音声を轟かせて弟を叱責し、そして気がすむといきなり彼女の前にぬかずきました。
「大変申し訳ございません、どうかお怒りをお鎮めくださいませ」
「いや、これは当然のことをしたのだから、女神のご意志のままに鉄槌を下していただく方が我らのためだ。どうかこの者に裁きをお与えください」
「なにを言う、この子は私の孫だぞ! この子の方が長にはふさわしい!」
「そんなことを言うても、これには女神の存在がわからなかったではないか。こちらはわかったと言うのに」
「だがこれには意思がない」
「我らの末裔としての決意がたりない……」
ぶつぶつとわけのわからないひとりごとをくりかえす彼に、弟はもはや化け物でも見たかのように恐怖に震えていました。それでも彼は彼女の前に跪きながら、床に向かってひとりでぶつぶつと話しつづけているのです。
彼女はあっけとして、彼のまるまった背中を見つめていました。なにが起こったのか彼女にもよく把握できません。ですが、彼の『気』が不安定に揺れていることだけはわかりました。
「……去ね」
ぼそぼそとつぶやきつづける彼に向かって、彼女は高らかに言いました。
「去ね。亡者に用はない」
すると、彼がむくりと顔を上げました。翠の瞳がきょろりと不自然に動きます。
「何と無慈悲な」
直後、ばちん、となにかが弾ける音がして、彼は床にくずれ落ちました。




