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彼の目の前では、近臣である友人が椅子に座って、ぽかんと口を開けていました。普通にしていれば整った顔立ちなのですが、近臣は自覚がないのか関心がないのか、あまり気にしていないようでした。今も文字どおりあっけとした顔で、主である彼を見ています。
「本当なのですか、それ」
「嘘をついてどうするんだ」
はあ、と近臣はあいまいに答えましたが、まだ開いた口を閉じようとしません。彼はなにか放りこみたくなったのですが、手頃なものが見当たらなかったのでやめました。
彼は肘かけにほおづえをつきました。無意識のうちに眉間に力が入ってしまいます。
「私も困っているんだ」
そうでしょうねぇ、とあまり力の入らない声が返ってきて、彼はぐたりとしてしまいました。
壁のない部屋は、日当たりもよくて気持ちのいい風が入ってきます。卓にはお酒や果物やらがこんもりと盛られていましたが、とうてい手をつける気にはなれませんでした。
なにが目的かと問われて正直にわからないと答えると、彼女は銀色をした瞳をまるくして彼をじろじろと見たあと、馬鹿な、と一蹴しました。
ですが馬鹿とか阿呆とか言われても事実は事実でしたので、彼もそう主張しました。すると、彼女はもう一度、馬鹿だ、と天上の声で吐き捨てました。
「おまえたちは目的もわからぬのに、何百年と私を捜しつづけてきたのか」
「そうです。おそらく目的があったとしたら、私にも語り継がれていたはずですから」
なにせ彼は彼女を捜しつづけてきた『星の民』の長に当たるのですから、誰よりも責任感を持ってのぞまなければならないのです。当然目的も、誰よりも知っていなければなりませんでした。
彼女は口をつぐむと、なにかを考えるように自分の世界に籠もってしまいました。もしかしたら怒っていたのかもしれません。彼がいるというのに、まったく見向きもしないのでした。
「それでけんかしたのですね」
「やはりけんかなのだろうか」
「そうではないんですか? 彼女は怒っているようですし」
あれから彼女は口を開きません。彼が話しかけても、うんともすんとも言いません。
「雷に打たれないだけ、ましだな」
彼はちらりと空を見上げました。つられて近臣も視線を上げます。さいわい雷雲は見当たらず、初夏らしいさわやかな青空でした。
いっそのこと雷が落ちてくれればそれはそれで助かるのですが、そういうわけにはいかないようです。
どうしたものだろうと彼は腕を組みました。ひっそりと公表するための準備を進めてはいるものの、彼女がもたらす影響は彼にもはかりしれませんでした。
もともと『星の民』として名乗ってきた者は、この国以外にも散らばっています。長の一族が治めるこの国の人々は、当然ながら女神を信じてきましたし、ほかの国も長の国ほどでなくても、月の女神を敬ってきました。
その女神が長の前に姿を現したと知れば、この国の人々はとても喜ぶでしょう。もしかしたら、他国にも大きな顔ができるかもしれません。
ですが、ほかの国は当然ながらいい顔をしないでしょうから、難癖をつけてくる可能性があります。女神の取りあいになる場合も充分考えられました。
「……だから嫌だったんだ」
彼の不満はそのままへしゃりと床に落ちて、近臣には届きませんでした。女官の声がしたからです。
振りむくと、そこには彼女が立っていました。長い黒髪を結いあげた姿はうつくしく、悩みもすっきり晴れてしまうかのようです。
「どうかなさったのですか?」
彼が立ちあがってたずねました。今ではすっかり彼女を見おろす形になっていて、彼女は少しあごを上げて彼を見上げます。
「私のあつかいについて悩んでいたのだろう」
はい、と彼は正直にうなずきました。
「私も考えた。おまえたちが理由もわからずに私を捜しつづけてきたのは何故か、何故おまえたちは理由を知らないのか――」
「結論は出ましたか?」
すがる思いで聞くと、彼女は否、と首を振りました。
彼は内心落胆しました。神さまでさえわからないのに、ただの人間である自分たちにわかるはずがないと思ったからです。
「だが、確かめてもよいのではないかと思った」
彼女は柱の合間から見える光景に目をやりました。山の中腹から見おろす大地は新緑に彩られて、それは目にも鮮やかなのですが、彼女はここではないどこかを見ているようでした。
「私が本当におまえたちが捜してきた神であるというのなら、祀りあげられるのも道理なのだろう」
ふとその横顔が寂しかったので、彼は目を疑いました。いつも完璧な響きを奏でる声も、今はなぜかどこにでもいる女性のものに聞こえたのです。
ですがそれはわずかのことで、彼女は不思議な光を放つ瞳を彼に向けると、やはりうるわしい音ではっきりと告げました。
「確かめようではないか、長よ。私がおまえたちの神であるか否かを」
彼は星空のような彼女の双眸を見つめたあと、こくりとあごを引きました。




