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「困ったな」
「困りましたね」
彼はお城の庭を散策しながら、近臣とため息をつきました。
庭は理路整然としていて、あきらかに人の手による自然だとわかる場所でしたが、夏の太陽に炙られた植物のむせかえるような草いきれだけは、生い茂る草原と同じでした。
彼はもう一度困った、とため息をつきました。
「陛下の間違いだという可能性はありませんか」
「それは断じてない」
きっぱりと言うと、彼は近臣をねめつけました。
「あれが人だと思うのか?」
言い方は悪かったのですが、近臣はそれ以上追求しませんでした。彼女の美貌を目の当たりにした者なら、とうてい人の世のものだとは信じられないでしょう。それは彼も近臣も同じなのです。ただ彼が彼女を神だと確信している理由は、もっとちがうところにあるのですが。
どうしたものかと、彼は三度重い息を吐きました。まさか本人に否定されるとは想像していなかったのです。
しかし否定されたとしても、はいそうですかすみませんでしたと帰すわけにはいきません。彼女の主張が事実であるとはかぎらないからです。
彼女の健康状態は回復に向かっていました。医者はあまりの速さに目を見開いて驚いていました。拾ったときはいつ死んでもおかしくない状態だったのです。なのに数日のうちに彼女は顔の色はよくなり、そうするといっそううつくしさに磨きがかかるのでした。
彼女が神であるということは、近臣のほかに宰相や騎士や信頼できる者にしか話していません。もし公表してしまえば、大混乱に陥ってしまうからです。
「しかたがない」
彼は四阿に置かれた椅子に座ると、少年らしいしなやかな足を組んで言いました。
「当初の噂どおり、私は彼女が気に入ったということにしよう」
近臣は彼にうながされるまま向かい側に座ると、主の様子をうかがうようにたずねました。
「よろしいのですか?」
「畏れおおいがな。そうでもしなければ、彼女をここに置いておく理由がない」
事情を知っている者ならともかく、なにも知らない者は、いまだに彼の奇行に首を傾げています。彼女が回復してしまえば、「哀れな女性を手当てするためにかくまった」という、いかにもな理由は意味をなさなくなってしまうのです。
彼は何度目かしれないため息をつきました。近臣とふたりきりのときは、遠慮なく嘆息できるのが唯一の救いでした。
「あとで彼女に詫びなければ。……いや、懺悔の方が正しいのか」
神に直接懺悔できる人間などそうそういないだろうと、彼は思いました。たいていは聖職者が相手なのです。
彼は手を組んで視線を落としていましたが、近づいてくる侍従の足音に気づくと、すっくと立ちあがりました。どうやら休憩は終わりのようでした。
数日後、彼が彼女の部屋を訪ねて事情を話すと、彼女は整った眉をひそめて、不機嫌をあらわにしました。
彼女はすでに寝台から離れて椅子に座っていました。彼も向かい側に座り、ふたりのあいだの卓には飲み物や菓子が置かれていましたが、彼女はまったく手をつけませんでした。
彼は彼女に向きあいながら、やはり綺麗な人だとしみじみ思いました。いまや彼女の美貌は光り輝くほどで、月ではなく太陽の女神ではないかと疑ってしまうほどです。
そんな彼女が柳眉をしかめたのですから、それはそれでかなりの迫力でした。
「何故、さっさと私を捨てぬ」
まるで犬猫のように言うので、彼は内心驚きました。神さまは神さまなりに、自尊心が高いだろうと考えていたからです。
彼は正直に答えました。
「我々が何百年と捜し求めてきた女神を、そう簡単に手放すわけにはまいりません」
「私は神ではないと何度も言っているだろう」
「たとえ人であられても、犬のように捨てては、人格を問われます」
彼女はするどい目つきのままで彼を見ていました。蛇ににらまれたカエルのような気分でしたが、彼女が彼に対してなにかするつもりではないのもわかっていたので、彼はおとなしく座ったままでいました。
「だが、私をここに置いておくには、それなりの理由が必要なのだろう」
はい、と彼はうなずきます。
「それほどの価値があると、お前は見るか」
はい、と彼はもう一度うなずきます。
すると彼女は彼を一瞥したあと、すっと視線を自分の手元へと移しました。そうすると、艶やかなまつげがよりいっそう映えるのでした。
彼女は彼の顔を見ることなく、ふたたび口を開きました。あいかわらず心地よい声でした。
「星の長よ」
彼女はなぜか、彼を『星の長』と呼ぶのでした。おそらく『星の民』を祖先に持つからでしょう。
「はい」
「お前が望むかぎり、ここにいよう」
ただ、と彼女はぽつりとつけたしました。
「お前たちが望むものは永久に得られぬだろう」




