表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捜しもの  作者: 佳耶
22/23

Jana mejshesis  2

 一度、彼は試してみたことがある。

 婚約者である少女と、初めて顔を合わせた日のことだ。まだふたりとも幼く、婚約者が何なのかはっきりとわかっていなかった。

 少女はふっくらとした頬をりんご色にして、彼に見入っていた。灰青色のつぶらな瞳がかわいらしかったのだが、あまりに凝視されると逆に気分が悪くなってくる。居心地が悪くて彼がごそごそしていると、乳母に視線でたしなめられた。

 少女はずっと彼の顔を観察していた。次第に彼は疲れてきた。これから一生つきあっていくのだと聞かされていたので、将来を想うとうんざりしてくる。

 彼が我慢の限界に達しようとする頃、ようやく父が少女の視線に気づいた。父と少女の父親はふたりだけで大人の会話をしていたので、子どもたちにまで気が回っていなかったのだ。

「何かめずらしいものでもあるのかな?」

 父が笑って少女にたずねた。少女はくるりとした瞳を父へと向ける。やっと視線が離れたので、彼は安堵した。

「王子さまも女神さまといっしょで、このままなんですか?」

 少女の声は、子どもらしい高く軽やかな響きだった。表情も純粋で、悪意や嫌味といったものは欠片も存在していない。

 大人たちの空気が変わったのを、彼は敏感に感じ取った。少女の父親が慌てて娘を叱責した。乳母が父に無言で不満を訴え、父は頭を下げる少女の親を宥めている。

 この場に母がいたらどうしただろうな、と彼はぼんやりと想像した。多分怒りはしないだろう。母はこういうことには無関心だからだ。

 けれど彼は、ふと興味が湧いた。だから試してみることにした。

「だったら、どうする?」

 視線が一斉に集中する。彼は少女の反応を待った。

 少女は真っ正面から彼を見ると、くしゃりと顔をゆがめた。妹が虫を見つけて泣く時と同じ顔だ。

 だから、とっさに彼は訂正した。

「嘘だ。冗談だよ」

 からかったんだよ、と彼が続けると、少女はあきらかにほっとしていた。泣かれずに済み彼も安心したが、かわりにどんよりとした霧が胸に広がっていく。

 父は彼を見て微苦笑していた。あとで注意されるだろう。その時には素直に謝ろうと、彼は苦い口をもごもごさせながら思った。

 無性に、彼は母に会いたくなった。母のやわらかい身体に抱きつきたくなった。

 ――あの気高き母は、いつもこういう目に遭っているのか。

 母は、自分のように否定できないのだ。




 ついに彼が母の外見を追い越してしまった。

 どこかで安心している自分がいて、彼は辟易していた。ほかの弟妹も順調に歳を取っていて、母のような子どもはひとりとしていない。孫が生まれても、やはり母は年頃の乙女のように清らかで、かつ威高かった。

 父が死んで弟が跡を継ぐと、母は部屋に籠もるようになった。彼はその理由をすぐに知った。女神に添おうと願う男が絶えないのだと、弟が苦々しげに明かしたのだ。

 逆に信奉者も絶えないと弟は告げた。彼は屋敷で静かに過ごしているためそれほど感じなかったのだが、弟さえも信仰対象に担ぎ上げる人々がいるらしい。

 それを知って、自分には向いていないと彼は思った。母の言葉は当たっていた。

 弟はいいのだろう。その子どもやその子孫もいつかは死ねる。けれど母は死ねない。弟の孫やその孫や曾孫が死んでも母は今の姿のまま、永遠に生きていかなければならない。そしていつか自分の子孫からも、血縁ではなく信仰対象として崇められるのだろう。

 はたして、母は本当に父に救われたのだろうか。

 父は女神を救った者として敬われている。長い間捜しつづけてきた女神を見つけ出した偉大な長だと。だが、救われたとされる張本人がこの状況下に置かれていて、それは救ったことになるのだろうか。

 今や妻となったかつての少女は、彼が一緒に年老いていくことをどこか安心している節があった。身近で母の異質さを目の当たりにしているから、余計にその嫌いがある。

 ――結局、父は母を救えなかったのだ。

 彼は自分より若い母に提案した。しかし、母はぴくりとも眉を動かさずに首を振った。

「おまえが救えるのは、私ではない私だ。目の前にいる私ではない」

 私には必要ない、と女神は冷酷だった。




 父の死後、自室に籠もっていた母が急に表へ出るようになったとき、彼はその時が来たのだと悟った。彼としては思ったより早かったので、弟たちとは別の意味で驚いていた。

 母がひとりで旅に出ると言った。当然ながら周囲は反対した。供を連れていけだとか、国の外に出るのは危険だとか、それらしい理由を並べ立て母を引き留めようとした。だが彼だけがあっさりと賛成したので、批難の嵐だった。

 彼は長男の権威を振りかざし、弟妹を説得した。そうして、臣下たちに気づかれないように密かに母を旅に出した。

 損な子、と母はやさしくほほえんだ。母は父の遺髪だけを持ち、そしておのれの髪を残して去っていった。

 彼は母の残した髪を神殿へ納めた。彼の所行を知った神官や臣下たちは、ありとあらゆる罵詈雑言を彼に浴びせた。語彙の豊富さに彼が感心するほどだ。

 それから城ではさまざまな論争が起こり、弟は困っていたが、最終的には新しく神殿を建てようと結論が出た。

 草原の真ん中に彼らは巨大な聖堂を建設し、父と母の像を祀った。一度彼も見に行ったが、出来には首を傾げる類だった。兄弟間でも評判は悪く、後継者の弟以外は最後まで聖堂から疎遠だった。

 彼らにとって、母は女神である前に母であり、父は偉大な長である前に父であり、ふたりは崇める対象である前に両親である。母の異質でさえ当たり前の現象で、それが彼ら家族の特徴だったのだ。

 彼らはただ、美しい母が辿る旅路の平穏を願った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ