Jana mejshesis 1
彼の母親は美しかった。
誰もが母を褒め称え、彼女こそが女神だと奉り上げた。実際、母は女神だったのだが、彼にとって母は女神である前に母だった。
生まれたときから毎日見ている顔はやはり神々しいまでに整っていて、彼が知っている人間の中で一番麗しい。
顔立ちだけではない。東方の絹のようにつややかな黒髪や瑞々しい雪の肌、紅を差す必要のないくちびる、ほっそりとしたたおやかな手――誰もが羨む完璧な美貌を母は備えている。それは彼が赤ん坊から子どもになり、少年を経て青年になろうとしている今でもまったく変わらない。彼のほかに四人も子どもを産んだというのに、母は乙女のように若く清らかだ。
母は老いを知らない。
彼や弟たちはそれが当たり前で、特に疑問を抱いてはいなかったのだが、周囲には特別に写ったらしい。不老不死、という言葉を知ったのはまだ幼い時分である。そして自分たちもその片鱗を備えているのではと、興味深く観察されていることを知ったのも、それほど最近ではない。
老いとは無縁の母と、老いを知る父の間には、確固たる時間の壁が存在した。その壁は歳月を経るごとに、どんどん厚さを増していく。
母は時々父と言い争いをしていた。たいてい母が一方的に怒鳴っていた。
そして最後に決まって言うのだ――どうしたら置いていかれずにすむのだろう、と。
母は美しく、同時に矜持の高い人だった。国王である父よりもはるかに尊大だった。
父が老い、後継者を正式に決定することになった。当然ながら、長男の彼が後継者になるはずだった。しかし母が向いていないと言ったので、彼は後継者にはなれなかった。
それから彼は、母と言葉を交わさなくなった。後継者に決まった弟ともお互い気まずく、関係が拗れてしまった。
彼が何かに劣っているとか、弟が何かに優れているとか、具体的な点を挙げて母が「向いていない」と発言したなら、彼も納得がいく。しかし母は「向いていない」の一言だけで、ほかには何も言わなかったのだ。そして、それだけで賛成する臣下や父にも納得できなかった。
彼はひとりで悩み悶えつづけたが、結局父にすべてを吐露した。そうすると、翌日には母みずからが彼の元に来て、おまえには向いていないと直接断言した。
「理由を教えてください」
彼が糾すと、母は予言めいた口調で応えた。昔から不可思議なところがある母親だったので、怪しいだとか恐ろしいだとかは思わなかった。ただ、母の中の『神』である部分がいつもより増した気がした。
おまえは治める者の血ではなく、救う者の血をひいていると母は語った。だから後継者には向いていないのだと。
一方、弟は治める者の血をひいているから後継者にはなれるが、救う者の血はひいていないから救えないのだと。
誰を救うのかと彼はたずねた。母は首を振った。
「おまえが救うわけではない。おまえが父親からひいた血が、私ではない私を救う」
それはずっと遠い先のことだ。気の遠くなるような未来の話である。
そんな先のことまで責任を負えというのは、いかがなものだろうか。老いを知らない母にしてみれば、他愛ないことなのだろうか。
「その人も歳を取らないのですか」
皮肉だった。母はめずらしく瞠目したあと、寂しげに微笑んだ。
「それは人ではないものだ」
おまえしか越えられない、と女神は言った。
理解できるかできないかではなかった。彼はそのまま受け入れるしかなかった。




