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捜しもの  作者: 佳耶
16/23

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 せまい通路を無理やり通るような感覚に、彼は息を止めて耐えました。首に縄をつけられて、ぐいぐいひっぱられているようです。さっきは水におぼれ、今度は獣のようにひっぱられ、本当に散々です。

 ぎゅるぎゅるひっぱられながら、彼はいろいろなものを見ました。見たこともない奇妙な花やおぞましい動物、この世のものとは思えない――実際この世のものではないのでしょうが、とても美しい姿の獣やすばらしい景色。空がおそろしいほど真っ青だったり、かと思えば緑色だったり、大地が赤く燃えていたり底の見えない裂け目があったり、それらの景色の中をくるくる回る光の筋や流れの網目。

 けれどもそれはすべて視点がちがうだけであって、見ているものは彼も知っている世界なのだと、おぼろげに理解しました。彼には見えていないだけであって、視点が変わるとびっくりするようなものがあちらこちらに存在していたのです。

 そんな奇妙で目まぐるしい光景を高速で見ていると、急にふわりと身体が浮き、彼は無造作に地面に放りだされました。どしりと落ちておしりが痛かったのですが、頭は打たなかったのでよしとします。

 腰をさすりながら立ちあがると、そこは変わった建物の中でした。右手には四方を建物にかこまれた庭があり、見たことのない花々が咲き乱れています。匂いに誘われてか蝶が飛びかい、どこからか小鳥のさえずりと楽の音が絶え間なく聞こえていました。

 庭をかこむのは回廊のようで、柱はすべて赤く塗られています。天井や手すりの部分には驚くほどこまかい模様が描かれていて、彼はほう、とため息をつきました。

 柱は表面はてかてかしていますが、よくよく見るとどうやら木でできているようです。屋根には黄色い板のような不思議な物がところ狭しと並べてあって、青空の中で黄金に輝いていました。

 奇妙な建物に彼はとまどいつつも、細工に目を奪われながら様子をうかがいます。美しい花園や小鳥と楽器の歌声からしても、危険な場所ではなさそうです。危険どころか、まさに楽園のような場所でした。

 彼がきょろきょろしていると、女の人の声がしました。とたんに、ふわりと甘い香りが、あたり一面にただよいます。どこかでかいだことのある匂いに彼が頭をひねっていると、声の主が回廊の影から姿を現しました。

 あまりにもまぶしくて、彼は思わず後ずさってしまいました。

 声の主は彼女でした。知らない服を着て、頭にはいくつもの飾りをさして、にこにこと楽しそうに回廊を歩いてきます。甘い香りはいつも彼女からするものに似ていたのですが、かぐわしさの点では段違いです。

 彼女はまさに女神のように輝いていました。あざやかな絹の衣をまとう姿はうるわしく、声はとろけるような響きを奏で、そして彼女自身にあふれる自信と神々しさがありました。彼の知っている彼女と同じ人物なのに、天と地ほどの差がありました。

 女神はふわりふわりと裳をからげながらこちらに歩いてきます。彼はまばたきをすることもできず、その場に突っ立っていることしかできません。

 女神は彼に気づくこともなく、すぐそばを通りすぎていきました。彼はただただうしろ姿を見送ります。我に返ったのは、女神がとある部屋に入ってからでした。

 彼はあわててあとを追いました。部屋の入り口に立つと、また甘い花の香りが彼の鼻をくすぐります。甘いのに頭が痛くなるようなしつこさはなく、逆に身体がふわふわと浮いてしまいそうな香りです。部屋の中には大輪の花が生けてあったり、玉の彫り物があったり、山水画や詩を書いた軸や、立派な壺が飾ってあったりしました。どれもこれも彼の知らない物ばかりでした。

 女神はというと、隣の部屋で鏡をのぞきこんでいました。その鏡も彼が知っているものよりよっぽど映りがよく、細工も素晴らしいものでした。けれども鏡に映っているのは女神の顔ではなくて、どうやら風景のようです。それを女神は楽しそうにながめています。

 まわりを翡翠で飾った大きな鏡の中に、小さなものがたくさん見えました。線でくぎられた大地を、小さなものはちょこちょこと動きまわっています。

 おそらく畑だろうと、彼は思いました。とすると、小さなものは人間です。

 女神は彼の存在を気にせず、にこにこと鏡をながめています。彼は声をかけようとしましたが、やっぱり名前を知らないので、かけるにもかけられません。

 ずいぶん悩んだあげく、「すみません」と言ってみました。しかし、女神はうんともすんとも答えませんでした。

 もしかしたら怒って無視されているのだろうか、と彼は思い、もう一度声をかけてみました。それでも女神はふりかえってはくれません。何度くりかえしても同じなので、彼も怒れてしまいました。

 女神は彼を、まるで空気のようにあつかうのです。彼もそれなりに苦労してここまで来たのに、徹頭徹尾無視されるのはあまりにもひどい仕打ちでした。

 彼はふたたび鏡をのぞきました。女神は嫌がるかと思いましたが、やっぱり態度は変わりません。

 すっかり腹を立てながら、鏡の光景を観察します。鏡の中の人間は、なにやらとても素朴な道具を使っていました。ちらとしか農作業を見たことがない彼にもわかるほどでした。

 唐突に、女神がふいと手を動かしました。すると、鏡の中でぽつぽつと雨が降りはじめました。

 雨がひとしきり降ると、女神はまた手を動かしました。すると心得たとばかりに雨も止みます。

 いきなり鏡に映る風景が変わり、今度は渓谷を流れる川が見えました。川の流れは速く、水は土砂の色ににごっています。川岸の木や土をまきこんで、川は谷間を流れていきます。

 女神がすっと指を動かすと、あっという間に濁流は収まり、水も綺麗になりました。女神はうれしそうに笑みを咲かせました。

 驚きに目を瞠りながら、彼は女神の横顔と鏡を交互に見くらべました。鏡に映るものが本当に起こっているのかどうかは別として、どうやら女神が雨や川の流れをあやつったようです。いろいろと驚かされることを今まで見てきましたが、自然まであやつってしまうのは初めてでした。

「失礼いたします」

 女の人の声がして、彼ははっと顔を上げました。入り口に、女神と似た衣装を着た人が立っていました。

 見とがめられると彼は身がまえたのですが、女性――おそらく召使いは、彼の存在に気づいていないようでした。召使いの服も、もちろん本人も美しかったのですが、女神の方が桁ちがいに美しかったので、彼は何の感想も抱きませんでした。

 女神がくるりとふりかえります。ふわり、と花の匂いが遅れて続きます。

「何だ」

「男神さまがお呼びでございます」

「また兄上か」

 女神は整った眉をひそめました。けれども椅子からすらりと立ちあがり、入り口へ向かおうとしました。

 あ、と思った時には、彼と女神はぶつかっていました。彼は女神の入り口がわに立っていたので、ぶつかるしかありません。

 けれど彼が予想していた衝撃はいつまでも起こらず――それどころか女神はなにもなかったようにするりと彼の身体をすりぬけて、部屋を出ていってしまいました。

 なにが起こったのかわからず、彼はしばらくあっけとしていました。それから、おそるおそる卓の上の鏡に手をのばしました。今度は予想していたとおり、彼の手はするりと鏡を通りぬけてしまいました。

 彼は大急ぎで廊下まで出て、女神のあとを追いました。女神は一転して、不満そうな表情で回廊を進んでいきます。女神が歩くたびに、髪に挿したかんざしがしゃらしゃらと鳴ります。うっとりとするような香りがあたりにただよいます。たっぷりと絹の布を使った袖やすそが、蝶の羽のようにひらひらと揺らぎます。

 彼はおそるおそる女神に近づき、断ってから肩に手をのばしました。彼の手は女神の肩にふれることなく、するりと空中をなでました。

「兄上は、私のすべてが気に入らぬのだ」

 女神が小さな声で言いました。

「兄上はなにもわかっていらっしゃらない。話も聞いてくださらぬ」

 女神さま、とうしろを歩いていた召使いがたしなめました。

「男神さまは女神さまを心配していらっしゃるのです。そのようなことをおっしゃってはなりません」

 ふ、と女神は笑いました。

「兄上が心配しているのは私ではない」

 それだけ言うと、女神は黙ってしまいました。当然ながら召使いも口を閉じます。

 長い回廊を歩いた先に、目的の場所はありました。そこは少し高台になっていて、眼下には山々が連なるすばらしい景色が広がっていました。

 けれども、その絶景に見とれることなく、女神は室内に声をかけました。彼もあわてて視線を部屋へと向けます。

「失礼いたします」

 返答も待たずに女神は部屋へと入りました。彼もそっと敷居をまたぎます。入ってすぐの部屋は通りすぎ、隣の部屋へ入ると、女神は優雅に礼をしました。

「お呼びとうかがい、まいりました」

「面を上げよ」

 入り口の影からそっと中をのぞいた彼は、全身が総毛立つのを感じました。いつの間にか、手には汗をびっしりとかいています。

 女神は召使いが持ってきた椅子に腰かけました。相手はゆったりとした長椅子のようなものに腰かけていました。

 頭のどこかで、見てはいけないと警鐘が鳴ります。それは彼の意思とは別のところから来る拒絶反応であり、絶対的な存在に対する畏怖でした。それでも彼は自分を叱咤して、物陰から室内を盗み見ます。現実ならいざ知らず、彼がいくらのぞいても相手は気づかないだろうと確信していました。

 汗をびっしょりとかきながら、彼は女神の向かい側に座る人物を見ました。女神とはまた異なる、人間離れした顔立ちに、見たことのない服を着ています。色あざやかな衣は彼の知る技術ではとうてい染められず、衣裳にほどこされた刺繍も人が作れるとは思えません。王さまの彼でさえ見たことのない質のいい宝石を身につけ、女神と同じ漆黒の髪は結いあげて、冠に似た金のかぶりものをしていました。

 なにより彼がおびえたのは、その存在が持つ目でした。瞳は太陽をはめこんだような黄金色だったのです。

 彼は相手をたしかめると、すぐにのぞき見るのをやめました。もしも視線があったら、心臓が止まってしまう気がしたからです。

「あいもかわらず、下界に手を出しているようだな」

 相手――女神の兄である太陽の神さまが言いました。

「手を出しているのではありませぬ。手を差しのべているのでございます」

「同じことだ。そなたのしていることは、世界の理を曲げることだ。身勝手な行為でしかない」

「身勝手ではありませぬ。わたくしは人間のためを思い、手助けをしているのでございます」

「それこそそなたの自己満足でしかない」

 衣ずれの音がして、男神が言いました。

「この世界のものは、すべてひとつの流れに従って存在している。それが世界の理であり、基本でもある。それを基礎であるそなたが乱してどうするのだ」

「それは存じております。ですから、流れを乱さぬ程度のことしかしておりませぬ」

「程度の問題ではない。そなたは些細なことと思うているのだろうが、理に反して雨を降らせれば、降るはずの場所で降らなくなる。氾濫するだろう川を収めれば、下流で水が涸れる。そなたは目の前のことしか見ていない」

 ちり、と玉のふれあう音がして、女神が反論しました。

「人間は弱い生き物でございます。ほかの動物ならいざしらず、荒ぶる自然の中ではとうてい生き残れますまい。わたくしが手を差しのべてやらねば滅びてしまいます」

「驕るな」

 静かな、けれど厳しい響きでした。自分が言われたわけでもないのに、彼はぞくりと震えました。

「そなたは弱いと言うが、人間はしたたかな生き物だ。そなたが手を差しのべずとも、みずからの手で生き残る術を見つけられる。それができずとも人間の責任であり、哀れなことではない。今までにも滅んだ生き物は数多とある」

 男神はため息をついたようでした。

「なにゆえそなたは人間に執着する? 我々に似ているからか」

「……兄上にはわかりますまい」

「そなたが子を想う母のように、人間に世話を焼きたくなる気持ちはわからないでもない。姿形は似ているが、我々に比べひよわな生き物だ。だがほかの動物とはちがい、知恵もある。ほかの生き物とは異なる成長をし、我々を崇め、我々のように言葉や文化を持つゆえに、目をかけたくなるのであろう」

「では、なにゆえ兄上は気に入られぬのですか」

「気に入らぬのではない。そなたは間違うていると言っている」

「では兄上は間違っておらぬとおっしゃるのですか。兄上の一存で罰を下される者たちはどうなるのです?」

「しょせん、我々は神で、あれらは人間だ。箱庭の秩序をただすのも、我らの役目だ」

「たしかに驕れる者をただすのは必要かと思いますが、兄上の気分で決められてはたまりますまい」

 二人は押し黙ってしまいました。ぴりぴりと空気が緊張し、彼の背中を汗が伝います。さすが神さま同士なだけあって、声をあらげているわけでもないのに、すさまじい迫力があります。もし彼も部屋の中にいたら、とうの昔に心臓が止まっていたでしょう。

 長い沈黙のあと、男神の声がしました。

「そろそろそなたの時間だ」

 玉の音と衣ずれがして、女神が立ちあがりました。

「それでは下がらせていただきます」

 ふたたび淑やかに礼をすると、彼女は足早に部屋を出ていってしまいました。

 彼も早足でその場を離れます。いくら相手に見えないからと言っても、ここには長くいたくはなかったのです。

 女神のうしろ姿を追いながら、彼は理解しました。


(これは、女神の記憶だ)


 だから自分は関わることができないのだと、彼は思いました。

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