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「……なんだと?」
しばしの沈黙のあと、彼女がぽつりとつぶやきました。おもわずぽろりとこぼれたような様子です。
彼女の顔には驚きがうかんでいましたが、しばらくするとふつふつと怒りが湧いてきたようでした。さきほどとは比べものにならない激しい爆発が、今、彼女の中で起きようとしていました。
「どういう意味だ」
言ってしまったからにはひきかえせないと彼も重々承知していたので、腹をすえて答えました。
「私は、私の代で貴女を見つけたくはなかった」
「だからどういう意味だとたずねている」
彼女はまさに、すべての者をひれ伏せさせる響きで言いました。しかし彼の覚悟も生半可ではなかったので、彼はしっかりと彼女に対峙します。
「『長』として、または王として、女神を見つけることは、なによりも優先される使命だと幼いころから教えられてきました。父も祖父もまたその祖父も、喉から手が出るほど貴女を渇望し、そして死んでいったのです。さきほど貴女が追い払った者全員が、貴女を求めながら死んでいったのです」
それはほとんど本能に近かったのだろうと、彼は思いました。自分こそが女神を見つけだし、女神を苦しみから救うのだと彼らは信じ、そして叶わずに死んでいったのです。
そんな何百年も積み重ねられてきた想いを背負うのだと知ったとき、彼は恐怖にすくみました。自分の肩に、死んでいった先祖がのっしりと寄りかかってくるような気がしました。
彼は自分が平凡で、特にめだった才能を持っていないこともよくわかっていました。弟は傲慢でありながらも、先頭に立って人々を率いる魅力を持っていましたし、父も彼に「おまえはおとなしすぎる」と何度も言いました。祖父なんかは弟の方が王さまにふさわしい、と言ったほどです。
しかし彼の父が急死した時、彼はまだ十五になったばかりであり、弟はほんの十二歳でした。おとなしくても跡継ぎとして育てられてきた彼が王さまになることは、自然の流れでした。
そうしてやっと王さまの仕事に慣れてきたころ、彼女を拾ってしまったのです。
「彼らは狂信的なまでに貴女を求めていましたが、私は見つけたくはなかった。神は神で、そのまま姿を現さずにいてほしかった。姿が無く捜し求めるからこその女神であって、すでにそれで一種の信仰がなりたっているのです。それを壊してしまったら、私はどうすればいいのかわからなかった。私になにができるとも思えなかった」
しかし現実には、彼の目の前には女神がいるのです。この世のものとは思えない美貌を持つ存在が。
「……なるほど。だからふさわしくないのか」
彼は首を傾げました。
「なんですか?」
「おまえが意識を失っている時、あれらが言っていた。これは長としての覚悟がたりないと」
「そうですね。私には覚悟がありません」
自覚は十二分にあったので、彼は素直に認めました。彼女の目元がぴくりと震えます。
「とんだ王だな。民も哀れな」
「そうですね……少なくとも『長』としては、私は失格でしょう」
嫌味だというのも彼はわかっていましたが、これもまた自覚があったのでそう答えました。
「王になるのも長になるのも、私が長男として生まれた瞬間に決まったことです。ですから、私がどれだけあがいても逃れられるものでもありません。どれほど弟の方が頂点に立つ者としてふさわしくとも、私が王であり長にならなければいけなかったのです。そうしなくては国が乱れてしまいますから」
くわえて、弟はまだ成人するには幼すぎたのでした。そして彼はちょうど成人する年頃だったのです。
「王になるのは自分のさだめだと理解していましたし、すんなり受け入れることもできました。けれど貴女に関してはちがいます。誰一人として負わずに来たものを、なぜ私が負わなければならないのか。なぜ傑物でもない私が貴女を見つけたのか」
彼は固まる女神を見すえて、そっと問いました。
「――なぜ、私のときに現れたのですか」
さあっと、波が引いていくように空気が冷えこみました。さえざえとした冷気が彼と彼女の合間にただよい、あまりの冷たさに灯火も微動だすることができません。
彼はじっと彼女の返事を待っていました。言ってはならないことを、さっきから遠慮なくずばずばと言っていることは知っていますし、撤回する気も彼にはありません。彼女と出会ってから自分の中で凝っていた黒いものが、どろどろと染み出しているようでした。
「……何故、だと?」
ふ、と彼女は息を吐きました。凪いでいた空気が、彼女の吐息の分だけ震えます。
「そんなものは私は知らぬ。あのとき、私はあそこに倒れていただけであって、おまえに会おうとも拾われようとも思ってはいない。そもそもおまえたちの長が誰かなど、私がいちいち把握しているわけがないだろう」
「ではどうして、あそこにいたのですか。なぜあのときあそこにおられた」
「偶然だと言っているだろう」
「なぜあと少し――あと一年ほど早く来られなかった。なぜ父が生きているときに現れなかったのですか。神々にとって一年など、ほんのまたたきほどの時間でしょう」
彼の父親も多分にもれず、熱心に女神を捜していた人でした。彼はふと考えたものです。もし父ならば、女神をどのように迎えただろうか、と。
それとも父親が事故で死んでしまったのが、間違いだったのでしょうか。父がそのまま生きていたならば、あのときあの道を通ったのは確実に父親だったはずなのですから。
けれども現実は、彼の父親を殺し、彼に草原の道を通らせたのでした。おそらく代々の『長』の中で、もっとも女神を求めていなかった彼を選んだのです。
「貴女は私になにをせよとおっしゃる。私の前に燦然と現れて、こんな私にどのような試練を与えようと……」
「黙れ」
それは大きさとしては静かでしたが、どんな統率者の一声よりも猛々しい響きでした。興奮していた彼もぴたりと口をつぐみます。
「私はおまえになにも求めてはいない。おまえたちが勝手に私を求めただけだ」
彼はぐっと眉間に力をこめました。
「ですが、貴女は神であられる。人間が神を求めるのは当然ではないですか。そして人が神に救いを求めるのも、至極当然ではないですか!」
「それこそ人間の驕りだな。神が無条件にすべてを救うほど慈悲深いとでもいうのか? 勝手に求められ応えるほど、神は懐深くはない」
「貴女は我々を見捨てるというのですか!?」
「おのれの弱さを私に押しつけるな!」
彼は言葉を呑みこみました。彼女の言うとおりだったからです。
父親が急死して、彼が若く王位についたのも、そして彼女を拾ったのも、彼女の待遇に頭を悩ませつづけていることも、自分が負いたくなかった重責を担うはめになってしまったことも、全部ひっくるめて神さまである彼女のせいにしてしまえと思ったのです。神さまなのだから押しつけても問題ないと、目をそむけていたのです。
彼女はそれを見抜いたように、いかにも穢らわしげに彼をにらみました。出会ってから初めて見る表情でした。
「私に神を求めるな」
彼女はそれだけ告げると、荒々しく席を立って退出していきました。激怒しているにもかかわらず、動作から優雅さは失われていなかったのですが、彼は稲妻の縄に縛られたように全身がしびれて動けませんでした。
なにより心の中が冷えきっていて、なにも考えることができませんでした。




