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「……明日、か」
「明日、何かあるのですか?」
うむ。と頷き、私は振り向いた。
もう、今まで部屋の隅に居たはずの人が一瞬で隣に佇んでいるのにも、普通は聞こえるはずも無い音量の独り言に即座に反応されるのにも慣れたよ。
「明日、また一時的に成長する予定だから……服とか靴とか、用意してもらわなくちゃなんだ」
「わかりました」
「それから、また朝から出掛けるね」
「はい、問題無いと……」
「その……トモミ様」
リオンの言葉を酷く申し訳なさげに遮り、一人の神官が進み出てきた。
「うん?」
目を向けて言葉の続きを促しながら、内心で眉をよせる。
……この人の名前、なんだっけ?
しまった全く思い出せない。ど忘れした。今まで何回か呼びかけた事もあったはずなのに。
何かこう、可愛い感じの響きだったのは覚えてるんだけど……困った。出てこない。
「リーファス様が、前回ご成長なされたトモミ様の御姿を見ることができなかったと大変残念がっておられました……宜しければお出かけ前にリーファス様とお会いしていただけたらと」
困ったーー! どうしようピンチだ。明日は極力プリチー族との遭遇を回避したいというか、その中でも特にリーファスとの遭遇を一番回避したいのに!
いや、何か特に懐かれているような気がするんだ。自意識過剰かもしれないけど、ほら、万が一があったら大変じゃないか。この歳で子持ちなんて想像付かないよ!
プリチー族だから普通に子供出来るのとは違うんだろうけど、それでもまだ私には早いと思うんだよね。責任とか養わなきゃとか色々と考えたらさ!
……あ。別の事で困ってたら名前思い出した。
「マリル……」
「はい」
こくりと頷き、真っ直ぐに此方を見ながら私の言葉を待つマリル。
あっ。しまった。呼びかけた感じになっちゃった。
まだ返答定まってないのに! どうしたら上手いこと回避できるんだ!?
えー、あーうー……
……うん。
――翌日――
「ミー、おとにゃ! しゅごい! おきー!」
ぱあぁっと満面の笑顔を咲かせたリーファスから素早く目を逸らし、大きくなった自分の体に目を落とした。
「まだ大人ではないけど……でも、だいぶ出来上がってはいるかもね……二次性徴が終わったくらいかな?」
「にじせちょ……? なに?」
きょとんと小首を傾げるリーファスから理性を総動員して視線を引き剥がす。
「んー。体が急に大きくなる時期、みたいな……」
「! リーもにじせちょすゆ!」
ふわっとした説明にも関わらず、盛大に食いつかれてしまった。
リーファスはぎゅっと私の手を握り、興奮した様子でぴょこぴょこ飛び跳ねている。
「二次成長のタイミングは自分では選べないから、時期が来るまで気長に待とうね」
「あいっ」
宥めるように頭を撫でれば、良い返事とともにぴっと片手を挙げた。
ああもうこれ以上は危険すぎる……斯くなる上は!
私は可愛らしく笑いかけてくるリーファスを抱き上げ、小さな体を反転させながらぽすりと膝の上に置いた。そのままお腹の前で手を組んで固定。
はうっ! この腕の中にすっぽり納まる小ささ! 心地よい温もりにやわらかい感触!
ふわりと香るお日様の香りーー!
はっ!
駄目だ落ち着け。何普通に抱っこを楽しんじゃってるんだ違うだろう私。
これは、そう、あえて自分から密着する事で、視界から完全に消し去るという荒業!
こうすれば下を向かない限り絶対に見えない! が。密着することによって平時以上に沸きあがってくるアレコレ――撫で回してすりすりした(ry――に苛まれるしかなくなるという諸刃の剣。
「……ミーちからづおい。せきょくてき……」
リーファスがぽそりと何か呟いたが、己との戦いに手一杯の私にはよく聞こえなかった。
気付けばうっかり腕に力が入ってしまっていたので、締め付けが苦しかったのかもしれない。慌てて腕を緩めた。
「ごめん、苦しかった?」
「んーん、だじょぶ。だかあ、もっとぎゅーてちて?」
ぬおおおお唸れ私の忍耐力! 表情筋頑張れ超頑張れ!
あーもう何その殺し文句!
言葉とともに自分から体重を預けてくるとか、 誘 っ て る の か !?
駄目だこれ以上は耐え切れない! 嗚呼でも離れると今度は出産の危険が!
どうするんだ私。子供が出来るという事はすなわちリーファスの伴侶になるという事で、この先ずっと一緒に……あれ?
悪くない。
待て待て良く考えろ。プリチー族は伴侶からの愛が無ければ死んでしまうんだぞ?
生半可な覚悟じゃ駄目だ。智美よ、お前はリーファスを一生変わらず愛し続けることが……
出来るな。うん出来る。
おい落ち着け。いずれ私は帰る身。もともと今この世界に居るのは特殊な事で、本来なら存在しないはずの私がプリチー族にとって生命線ともいえる伴侶の座に収まるなんて……
いっそ、このまま永住するか?
いや、そりゃここはとても魅力的な世界ではあるけど、やはり元の世界を捨てるなんて出来ない。家族も友達も居るし、やっぱり故郷が恋しい……
じゃあ連れて帰っちゃう?
って駄目だろ。突然リーファスと子供を連れ帰って「旦那と子供です」なんて紹介した日には家族全員大絶叫だ。プリチー族の生態を知らない人から見たら、私ってば幼児を……
犯 罪 者 じ ゃ ね ― か !
それに世界規模で愛されてるリーファスを拉致するなんて、この世界全てを敵にまわすようなものだよね。最悪、生まれ直す前にまた死ぬんじゃなかろうか。それは困る。とても困る
……いや、でも……
思考の渦に嵌まりぐるぐるしている智美と、その腕の中で上機嫌なリーファス。
二人の姿を、扉の隙間から覗く小さな影がありました。
影は重々しく頷くと、待機していた別の大きな影に抱えられ、その場から去っていきます。
「……にじせちょ……」
影が落とした呟きは、虚空へひっそりと消えていったのでした――――