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【短編小説】絶滅アクアパッツァ

掲載日:2025/12/19

 夏になった。

 おれが子どもの頃は冷夏ってのがあって、唇を紫色にしながらプールの授業を受けていた記憶がある。

 最近では35度を超えると逆にプールの授業は中止されるらしい。

 そんな事を言ったら、プールに入れる日の方が少ないんじゃ無いだろうか?

 とにかく、そうやって放置されたプールの水は狂っていく。


 狂った水と言う話を書こうとして水について調べる為に、久しぶりに図書館に向かった。

 もう夏休みの自由研究と言うような歳では無いが、とりあえず調べるところから始めてみようと言う姿勢は評価されるべきだ。

 それに、水が狂ったらどうなるのかを知りたくて、それにはインターネットで検索するのではなく本を読むべきだからと考えたのだ。

 そう言う姿勢も評価されて然るべきだ。


 ただ、狂った水を書こうと言うのに、それを書く本人が全く狂っていないのではどうしようもないが、まず狂う前に正確な水の事を知らなければならない。



 それは当たり前の話だ。

 書く自分自身が狂うにしても、まず自分を正確に知る事から始めなければ狂うこともできない。

 狂えない、と言うよりは狂っている状態を定義できない。

 


 おれは図書館の硬い椅子に座る。

 長方形の机を他のおれ達が囲む。そうやっておれ会議は自然と始まる。

「つまり俺はまだ狂っていない」

「お前の部屋からは柱を見る事が出来ないが、それはお前が狂っていない査証にはならないと言う事を知っているはずだ」

「光が届かないと言う事は退屈さに他ならないが、ル・コルビジェを嫌うのは奴が東洋を嫌っている以上に日本人の媚びた姿勢が気に喰わないからだよ」

「ファン・デルローエだってフランク・ロイド・ライトだって変わらないだろ」

「白井晟一なら良い訳でもない」

「お前は名前を出すのを止めるところから始めるべきだ」

「そんなのは20年も前に裏千家の長男坊にも言われた事だよ」

「何も変わっていない」

「それは狂っていると言う事かも知れないな」

「じゃあ、また」

「あぁ、いつかまた」

「解散」

「dismiss!」


 図書館。


 子どもの頃に家出した時は行くところが無かったので町の図書館に行った。

 しかし大人になってからはあまり図書館に行く事が無くなった。

 家出をしないからではない。

 いや、家を出る事が無いのは正しい。

 家を出る時は労働をする時だし、欲しい本は自分で買う様になったから図書館に行く事が無くなったのだ。

 自分で本を買えば誰かの読み終わりを待つ必要も無いし、次の借り手を気にせず自分のペースで読みたい時に読むことができる。

 一冊の本を読むのに半年かけたっていいし、読むのを中断して数年放置したって良いのだ。


 おれ会議が始まる。



「ごめんねハイデッガー」

「読まれることのない本は存在しているが存在していない」

「そういう話がしたい訳じゃない」

「読み終わった本が棚に延々と並んでいくのは些か無様な気もする」

「わかる。自分はこれを読んだのだ、と言う為だけに並べられた本はもはや本ではなくなっていて、それは冷蔵庫の中にある使われなくなった食材にも似ている」

「もはや手に取られることは無い」

「稀に読み返すんだ」

「でも基本的には棄てられるタイミングを待っているだけだろ」

「だが本は野菜とは違うから液体にならない」

「活字でラリってる癖に」

「ヤク中が使い終わったアンプルを棚に並べてたら狂ってると思うのに、あいつらは何だか誇らしげなんだよ」



「強いて言うなら肉と似ている。陽に焼けた本は変色する。冷蔵庫の中に置かれた肉が茶色くなっていくのと似ていると言えばそうだ」

「まだ食材の話をしてんの?」

「お前の部屋は遮光カーテンを引いているがそれでも本は腐るのか」

「腐るさ。存在しながらも読まれることはなく、それでもいつか読まれる期待と読まなきゃならないと言う焦燥に焼かれて」

「それは苦痛か」

「本に痛覚は無いな、だから焚書なんて事もできるのさ」

「そろそろ終わりにしよう」

「そうしよう」

「解散」

「dismiss!」


 図書館は病院に似た温度管理がされているのか、暑くもなければ寒くもない。

 辛うじて不愉快さを感じさせない温度と湿度に保たれている。

 それは人間の為か本の為か、環境とかの為なのか金銭的理由なのか。

 そういえばここの図書館にはホームレスが入ってこない。

 そもそもこの街で見た事が無いが、野良犬や野良猫が居なくなったようにホームレスもどこかに消えてしまったのだろうか。

 そいつは問題か?

 ビッグイシュー、死ぬしかないもんな。社会の視界の外側の死体。おれ。


「みんな集まれ!」

「全員集合!」

「帰る場所なんてなくない?」

「それでも物理的に家があるのは良いことだよ」

「ホームレス」

「居て欲しい存在でもないが存在しなくなることで逆に良心の呵責を感じる」

「それなら最初から見えてなければ良いのにな」

「世界はクソだ」

「主語が大きい。クソなのはおれたち」

「お静かに、ここは図書館です」



 ご尤も。

 おれは書架に並べられた圧倒的な物量の本に気圧される。一生かかっても読みきれないが、手分けをすれば何とかなるか?

 最近の図書館はおれが子どもの頃に通っていた頃からは随分と変化していて、マンガや雑誌まで置いてある。

 しかし学生たちはマンガや雑誌に目もくれず学校の教科書とノートを広げて勉強をしている。

 大人たちも同じように文字を目で追っている。


「じゃあ誰が読むんだ??」

「貧乏な家の奴だよ」

「例えば世界にゾンビパニックが発生した時に図書館に来る人間ってのはどれくらいいるんだろうね」

「少なくともお前は来ないだろうな」

「その時は自分の本をどこかの棚に置いてから行くよ」

「誰も読んだりしないのに」

「だからだよ」

「水は狂うのか」

「狂わないさ」

「じゃあ、また」

「うん、いつか」

「解散」

「dismiss!」


 図書館でセックスってしたいの?

 そう訊こうとして、背表紙がおれたちを見るから何も言えずに図書館を出た。

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